真夜中の吸血鬼

ぎんげつ

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1.おいしい餌とオカン吸血鬼

3.乙女でシャイなハンター

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 ついに!
 たまった代休が消化できるぞ!
 ……1日だけで残りは消えるけどね!

 というわけで週末三連休となったのだが、初日は安定の睡眠補給だ。昼まではゆっくり寝かせてもらおうと、ミカちゃんに起こさないよう頼んだら、私もそうしますと返ってきた。ミカちゃんも一緒に昼まで寝るらしい。

「でっ! なにこいつ!?」

 それなのに、明け方ふらふらとトイレに行きたくなって、ベッドから降りたところでそれに気づいてしまった。
 壁に張り付いた、手のひらサイズのどでかいクモだった。
 田舎出身で昆虫類全般には強いほうだと思うけど、さすがになんの前触れもなく出現されるのは怖い。あ、いや、クモは昆虫じゃなかったっけ。

「律子さん、どうしましたか?」

 私の声に反応して、すぐにミカちゃんがむくりと起き上がった。私は壁の一点を指さして、「ミカちゃん!」と返す。

「でっ、でっかいクモがいる! どうしよう!」

 だが、慌てる私にミカちゃんは「ああ」とにっこり笑った。

「彼女は最近、ハンターとしてこちらに雇い入れたアシダカグモのお嬢さんです。どうかお見知り置きを」
「――ハンターのお嬢さん?」
「はい」

 思わぬ返答に、私は呆然と壁のクモをガン見する。

「このアパートは少々害虫が多いようでしたから、彼女に来ていただきました」
「来ていただいた」

 クモって来ていただくものなのか。
 そういや田舎の婆ちゃんも、クモは殺したらいかんと言ってたような。
 でも、わざわざ雇ってまで来ていただくものなのか。

「薬剤を使うより、彼女にお願いしたほうがエコですし確実ですよ。アシダカグモはとても優秀なハンターですし。
 律子さんも、最近はあの黒い虫を見ないでしょう?」
「黒い虫」

 うん、このアパート、古いだけあって実は多い。
 おかげで私もずいぶん耐性がついて、ひとりでも泡ハイター化学兵器片手に戦えるようになったくらいにはよく見かけた。
 けれど、最近はたしかにあまり見かけないような?

「はい。彼女はちょっとシャイですし、姿に似合わず臆病なところがありますから、優しく接してあげてください。噛み付いたりもしませんから、大丈夫ですよ」
「シャイ」

 その言葉に反応してか、クモが「きゃっ」とでも言うように片足をあげた。
 まるで恥じらう妙齢のお嬢さんらしく、頭の、たぶん頬のあたりに押し当てる姿は乙女か。乙女のクモなのか。

「はい。ペトラ嬢とお呼びしてあげてください」

 ミカちゃんはなぜかにこにことアシダカグモのペトラ嬢を紹介した。やっぱり呆然としたままの私の前で、そのペトラ嬢は軽く会釈をするかのように頭を上下に振る。

「ええと、ペトラさん、よろしくお願いします」

 ペトラ嬢は何やら恥ずかしげなようすで、さっさと棚の裏へと隠れてしまった。
 たしかに乙女らしい。

 そして、そんなクモ乙女を見送りつつ、私は、ミカちゃんにこれだけは言っておかねばなるまいと口を開いた。

「ミカちゃん」
「はい?」
「次から、クモその他を雇い入れる時は、あらかじめ、ひとこと欲しいです」
「はい、わかりました」

 ミカちゃんがクモ雇用の判断を下したなら、それは必要なことだったんだろう。
 だが、さすがに、家主の私が知らずにいれば、スリッパでパーン! だの、殺虫剤を振りまいたりだのという事故や悲劇を起こさない自信がない。
 双方の望まぬ意識のすれ違いを回避するためにも、“ほうれんそう”の徹底は必須なのだ。

「あと、ペトラ嬢って名前は、もともとなの?」
「いえ、お呼びするのに不便でしたので、私がこれでどうですかと提示しました。どうやら気に入っていただけたようですね」
「はあ」

 でっかいアシダカクモのお嬢さんを雇い入れ、可愛い名前をつけるイケメンの図。
 それはいったいどういうプレイなんだろうか。
 ミカちゃんも乙女趣味なのか。
 ……いや、それより吸血鬼の眷属って、コウモリではなかったか。

「ミカちゃんて、クモと話せるの?」
「なんとなくですが、簡単な意思疎通程度でしたらどうにかわかります」
「意思疎通」
「はい。彼女に発声器官がないので会話はさすがに無理ですが、なんとなく、感情のようなものといいますか、言わんとしていることは伝わってきますので」

 やっぱりにこにこと解説されて、そういうものなのか、と納得することにした。たぶんここは考えちゃいけないところだ。

 クモに可愛い名前をつけてにこにこと話をするイケメンと、それに恥じらいつつ応じるクモのお嬢さん。
 ――などというカップリングに、どんなニッチな需要があるのだろうか。しかも別に擬人化された美少女グモというわけでもなく、まんまでっかいクモなのだ。
 いや、それよりクモに感情みたいなものがあるって初めて知った。
 生き物って奥が深い。

「あ、雇い入れたなら報酬が発生するんだよね。何が報酬なの?」

 そういえば、と私が確認すると、ミカちゃんも頷いた。
 クモへの給料とかまったく想像がつかない。なんなんだろう。

「ペトラ嬢はそろそろ繁殖を控えておられるとのことでしたので、豊富な餌場と卵を孵すための安全で快適な環境を提供するということで同意をいただきました」
「繁殖」
「はい、ちょうどそういった場所をお探しとのことでしたので。この条件であれば双方いわゆるWIN=WINの関係でいられますよね」
「なるほど」

 WIN=WIN……そうか、ミカちゃんは意識高い系か。
 意識高い系吸血鬼ってなんなんだ。血液グルメなのは知ってるけど。
 ああそうだ、あとで、ウィキペディアあたりでアシダカグモのことも調べておこう。同居する生き物の生態は正しく知っておくべきだろう。

「あー、ミカちゃん。この先、子グモが生まれたら、なるべくいきなりわらわらと集団で出てこないようにしてほしいと、ペトラちゃんに伝えておいてください」
「はい、承知しました。ですが、彼女もそのあたりはわきまえておられると思いますので、ご安心ください」
「――さいですか」

 繁殖を控えたわきまえてるクモの乙女。
 世界って広いんだな。

「うん、じゃちょっと二度寝するね」
「はい」

 ミカちゃんがぺろんと掛け布団をめくって潜りやすくしてくれたところに、するんと身体を横たえる。
 ミカちゃんの冷んやりボディは相変わらずで、この季節にはとても気持ちいい。
 うん、まあ、今日から乙女なクモのペトラちゃんと同居、ということだけ覚えておけばいいか。



 ペトラちゃんが優秀なハンターだというのは本当らしく、その日以降、あの黒いアレを見かけることはぱたりとなくなった。
 ペトラちゃん自身も「シャイ」の言葉通り、さっぱり見かけないのだが。

 しかし、それでもごく稀に見かけるペトラちゃんは相変わらず乙女であり、目が合うと「きゃっ」とばかりにやたらと可愛らしい仕草で恥じらう様子を見せてすぐに隠れてしまう。

 最近、そんなペトラちゃんは、かなり可愛い乙女なんじゃないかとも思うようになった。私の脳内でペトラちゃんは妙齢のシャイな美少女クモさんなのだ。
 擬人化しなくても、イケメン吸血鬼と乙女でシャイなクモのカップリング……ありかもしれない。

 うん。
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