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いざ尋常に勝負しろ

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「イーリス! イーリス!」

 ドンドンドンドン。コンラードは家に戻らずまっすぐイーリスの家を訪ねて扉を叩いた。
 さっき送り届けたアイニの様子は明らかにおかしかった。イーリスの名前が出てきたのだから、きっとイーリスが関わっているのだろう。
 コンラードはさらにドンドンと扉を叩く。

「もう、いったい何なの! もう夜なのよ!」

 あまりのうるささに青筋を立てたイーリスが、バンと勢いよく扉を開けた。その後ろから、彼女の父親の「上がってもらえ」という声が聞こえる。

「お前、今日、アイニに何か言ったか?」
「は? 何かあったの?」
「アイニが急に俺にさ……お願いしたら俺が大角鹿ムースを狩ってきてくれるか、なんて言い出したんだよ」

 ん? と、イーリスは口を噤む。
 それじゃ、イーリスがコンラードを焚きつけるより早く、アイニが行動を起こしたのか。
 けれど……イーリスの眉が寄る。
 なんだって、コンラードはこんな慌てているのか。

「――それであんたは、アイニに何て答えたの」
「いや、俺よりも、本職の狩人に頼んだほうが確実じゃないかって」

 はああああ、とイーリスがこれ見よがしに大きな溜息を吐いた。
 聖騎士になったくせに、この察しの悪さはなんなのか。

「コンラードってほんっと馬鹿だわ」
「は?」
「あのさ、考えてみてよ。あれほど結婚するなら大角鹿を狩れる男がいいって言ってたアイニが、あんたに頼みたいとか言ったのよ。どうしてかなんて、考えるまでもないでしょ!」
「いや、だって、そんなの、俺だって聖務があるし、狩りにあんま慣れてないし……」

 はあ? と目を丸くしながらも、コンラードはおろおろと言い訳を口にした。
 本当に、こいつはこれでどうして戦神の聖騎士になんぞなれたのか。

「ほら、そういうところよ。そうやって、すぐ自信がないことの言い訳して予防線張るところ。猛きものの聖騎士のくせになんなのよ、とんだ意気地なしじゃない」
「な、意気地なしはないだろ!」
「どうせ失敗したらカッコ悪いだの考えて怖気付いただけなんでしょ? 昔からそうよね。
 おおかた、失敗してがっかりされたら嫌だからって、こっそり狩りに行こうとか考えてたんでしょ?」
「な、お前、どうして……」
「それで、上手いこと獲れたらカッコつけてアイニにプレゼントするつもりだったくらい、わかるわよ。何年付き合いがあると思ってるの。ほんっと、見栄っ張りよね」
「お、お前、何……そんなこと、考えてるわけ……」
「絶対そう。あんたってそういう奴だもの。
 なのに、アイニに先越されてお願いされて、慌てて予防線張ったのよね」

 呆れた、とイーリスはじっとりとコンラードを見つめる。コンラードはぱくぱく喘いでいるが、言葉は出てこないらしい。

「そもそもそこは俺が狩ってくるって返事して、狩れるまで帰ってこないくらいの甲斐性見せるところじゃないの。だからあんたはモテないのよ。
 あーあ、アイニかわいそう。今頃、コンラードにフラれたって泣いてるわよ」
「そんな……」

 愕然とするコンラードをじろりと睨んで、イーリスはこれ見よがしに大きな大きな溜息を吐いてみせる。

「アイニ、ほかの誰かに大角鹿を獲ってきてって頼むかもね。コンラードにフラれちゃったし」

 コンラードはふらふらと踵を返して歩き出す。
 イーリスはその背中に「バーカ」と呟いて手を振ると、バタンと扉を閉じた。



 バタン、といささか乱暴に扉を開けると、コンラードはまっすぐ台所へと向かった。

「おかえり。どうしたの、ちょっと遅かったじゃない。何かあった?」
「母さん」

 いつもと違う至極真剣なコンラードの声に、マルタは訝しみつつ振り向いた。

「大角鹿って、どうやって仕留めればいい?」
「付け焼き刃でどうにかなるような獲物じゃないわよ。だいたいお前、弓下手くそでしょう」

 マルタの返しに、コンラードはぐっと口を噤む。
 たしかに、剣は父に、弓は母に教わったが、コンラードにたいした弓の才能はなかった。頑張ってはみたものの、五つ撃ってひとつが的に命中すればいいほうだったのだ。

「――剣、いや、槍でなんとかする」
「なら、投擲槍ジャベリンを持っていきなさい。脚を狙うのよ。後足を。それから、あんたの相棒にも頼りなさい。相手は鹿で、脚は相当に速いんだから」
「うん」
「うまく絡み縄ボーラで脚を取れればいいけど、お前はあまり使ったことないものね。
 角に引っ掛けられたら大惨事だけど……まあ、そこは聖騎士なんだから、猛きものにお縋りしなさい」
「わかった」

 とにかくまずは足止めしろと念を押されて、コンラードは頷く。蛮族との戦いと違って、一度仕留め損ねれば相手はたちまち走り去ってしまうのだ。

「それにしても、ようやく腰を上げたのかい」
「べっ、別に、そういうわけじゃ……」
「お前は、確実にできることしかやるって宣言しない、根性なしだものね。それで、アイニちゃんには狩りに行くって伝えたの?」
「それは、まだ……」
「ほら」

 マルタは呆れた顔でコンラードを見る。

「おい、コンラード」

 今度は、居間で寛いでいたニクラスに呼ばれた。

「何日だ」
「え?」
「何日必要だと聞いてる。その間、氷原に出るんだろう?」
「あ、ええと、三……いや、五日」
「三日だな」
「え、五日って言っただろ、今!」
「三日と言いかけたのはお前だろうが。教会には俺から言っとく。三日で決めてこい」
「今の時期なら、山側の湿原かね。あそこは氷さえ解ければ苔が豊富だしね。
 それから、あんたが言いたくないならいいよ。アイニちゃんには黙っておいてやるから。そのかわり、三日で獲って戻れなかったらスッパリ諦めるんだね。
 その時は、私が責任持っていい相手をアイニちゃんに見繕ってあげるから、安心おし」


 * * *


 翌朝、夜明けの開門とともに、コンラードは町を出た。
 運搬用の橇にあれこれ必要な荷物を乗せて、相棒の“雪解けソウ”に拝み倒して頼んで引いてもらっている。
 プライドの高いソウは、聖騎士の騎馬たる自分に引き馬になれと言うのか、なんてたいそうご立腹だったが、戦いになればソウ頼り、ソウがいなきゃどうにも回らないのだなんだと煽てられてやっと機嫌を直してくれた。

 マルタの言った湿原は、町から山側に半日程度の場所だ。
 冬になれば凍りついて真っ白なただの平原だが、春が来て氷さえ解ければたちまち苔に覆われて一面緑に染まる。
 その苔を目当てに、大角鹿の群れもやってくるのだ……と、マルタから聞いた。

 太陽がそろそろ真上に昇ろうかという頃、湿原の端に着いたコンラードは、ソウから橇を外し、簡単な野営の拠点を作った。
 帰る時間を考えれば、狩りに費やせるのは、今から始めて一日半がいいところだろう。
 最長でも二日か。

 橇に積んでいた投擲用の槍をソウの鞍に移し替えて、それから軽い糧食と水を鞍袋に入れて、コンラードはソウに跨った。
 鎧は、いつものような金属鎧ではなく、最低限の鎖帷子に革の胸当てを合わせただけだ。その分、身軽にはなっている。

「ソウ、お前の目と耳を頼りにしてる」

 仕方ないなと言わんばかりに鼻を鳴らして、ソウは走り始めた。
 こんな開けた場所では、コンラードが見つけるより早く、大角鹿に見つかってしまう。ソウの目や耳のほうが、よほど遠くまで確認できるというものだ。



 昨夜はあまり眠れなかった。瞼も少し腫れぼったい。
 それでもいつもの時間に起きだして、アイニは準備をする。

 気が重い。
 あんな風に断られてしまったのに、コンラードとどんな顔をして会えばいいのだろう。イーリスは、コンラードならきっと引き受けてくれると言ったけど、見込み違いだったのだろうか。

「アイニ、大丈夫? 今日は一日ここにいたら? マルタさんには、私が知らせておくから」

 いつも通り、きちんと身支度は整ったけれど表情は冴えないアイニに、心配そうなタラーラが言う。

「ううん、大丈夫。今日は、教会に差し入れする日だし」
「そう?」

 それならいいけど、とタラーラは小さく息を吐いた。

「アイニさん、お迎えが来たわよ」

 地母神教会の司祭に呼ばれて、アイニは「はい」と部屋を出た。

「じゃあ、タラーラ、私行ってくるね」
「うん」

 司祭について礼拝堂に来ると、待っていたのはニクラスだった。

「ニクラス様……?」
「アイニちゃん、おはよう」
「あっ、あの……おはよう、ございます」

 それじゃ、コンラードは送迎係も辞めてしまうつもりなのか。
 アイニがしゅんと項垂れてしまうと、ニクラスは慌てて取り繕うように、「あのな」とアイニを覗き込んだ。

「アイニちゃん、コンラードは三日ほど留守にすることになってな……その、三日間は俺ですまんが、我慢してくれ」
「コンラード、お仕事なの?」
「そうなんだ。絶対にコンラードがやらなきゃならんことで、その、三日後には戻ってくるはずだから、それまで待っててはくれないか?」

 アイニは小さく首を傾げて、それから頷いた。
 でも、仕事から帰ってきたコンラードは、またアイニの世話を焼いてくれるようになるだろうか?



 いたぞ、とソウが伝えてくる。
 コンラードの目には、はるか向こうに小さな影がある……くらいしかわからないが、ソウにはまだ若い大角鹿が苔を食んでるのだと見えるらしい。
 四つ目で、やっとかとコンラードはホッとした。
 一頭目は年寄りすぎて、二頭目と三頭目はどちらも子連れの雌だった。マルタからはこの時期の子連れは絶対に狩るなと厳命されているので、見逃すしかない。

 なるべく警戒されないよう、さりげなく、ゆっくりと近づきながら、コンラードは考える。
 絶対、確実に逃げられないようにしなくてはいけない。逃げられてしまえば、この辺り一帯の大角鹿が皆警戒するようになって、近寄ることすらできなくなってしまう。
 確実に、あの大角鹿がコンラードと戦うように仕向けなければ。

 ある程度の距離に来たところで、コンラードはソウに合図を送った。
 ソウが猛然と走り出す。
 十分な距離に迫ったところで、大角鹿が角を振りかざす。ガツガツと蹄で地を叩き、それ以上近付いたらただじゃおかないと威嚇の姿勢になる。
 コンラードは素早く鞍に付けておいた槍を手に握り、その大角鹿に穂先を突き付けた。

「“大角鹿ムース! 猛きものの聖なる御名にかけて、お前の相手は俺だ! 俺と戦え!”」

 獣相手に“決闘要請”の神術とか、馬鹿じゃないの!?
 ――という、ソウの声が聞こえた気がしたけれど、コンラードは無視して拍車を掛けた。
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