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1.そしてヒロインは途方に暮れる
6.裏と表
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コトが終わって深夜というにはまだ少し早い頃、昨夜のように、フィーは名残惜しみながら自室へと戻っていった。
本当に自室なのか……今日のアレ、つまり男連中を見れば、そうじゃない可能性のほうが高いのではないか。
よし、とヴィンスは起き上がる。
手早く身支度を整えて、目立たない服装にカツラを被り、念のため“透明化”の魔法まで使って窓の外を伺う。もちろん、“壁歩き”の魔法も忘れない。
フィーの部屋は一つ上の階層だ。場所も把握している。
今ならフィーの部屋を探れるのではないか。
周囲の気配に十分注意しながら、ヴィンスは部屋を抜け出した。
フィーの部屋には灯りがついていた。
それじゃおとなしく部屋に戻ったのかと、ヴィンスは少しがっかりする。
ソウの目を盗んで男どもの部屋を渡り歩いてるなら、あれこれ探る隙はあるんじゃないかと期待していたのに。
「ソウ様、今夜も忙しいのですって。今日も夜のお茶は無しだっていうの」
「お前はここでおとなしくしていなければならないのだろう?」
「そうだけど、ソウ様が無理なさっていないか、見に行くだけでもだめかしら。もう三日もなのよ」
――と、話し声が聞こえた。誰か、フィー以外にも人がいるようだ。
もしかして、自室に誰か引き込んでいるのか……ヴィンスはできる限り気配を抑えて、窓のそばへと近づいていく。
聞こえてくる声から、話しているのはフィーと年長の女だということはすぐにわかった。侍女や使用人ではない誰か……気安いようすは、側付や相談役のような相手だろうか。けれど、ヴィンスの知る限り、そんな者がフィーに付いていたことはない。
フィーは昼間と変わらず、ソウの話ばかりを彼女としている。
「それに――あのねサレ様、わたし怖いの」
「妾の可愛いフィー、何が怖いのだ?」
サレと呼ばれた女の、やや低めの声は、とても優しげだった。
けれど、例えるなら、舌なめずりをする猛獣が牙と爪を隠してごろごろと喉を鳴らすふりをしているような、そんな印象のほうが強かった。
「だって、悪役令嬢が逃げちゃったんだもの」
「ああ、そうだったね」
「だから、本当はヒロイン役のわたしが“ザマァ”される物語なのかもって、気が気じゃなかったのよ」
どこか拗ねるような口調と声は、昼のフィーと同じものだった。ソウに甘えるときのような、昼間の、いつものフィーが脳裏に浮かぶ。
何か、おかしい。
「早くサレ様とお話ししてこれからのことを教えてもらいたかったのよ。でも、ソウ様に、危ないからここにいなさいって言われて、わたしからサレ様に会いに行けなくて……でも、サレ様が来てくださって本当によかった」
「可愛いフィー、妾がついていると言っただろう? ならば、“フィーのハッピーエンド”は必ず迎えられる。安心おし」
「サレ様……わたし、はやくソウ様とハッピーエンドを迎えて、“末長く幸せに暮らしました”って語られるようになりたいわ」
違いすぎる、と思う。
さっきまでヴィンスと寝ていたフィーはもっと……そう、“魔女”や“妖婦”という形容が似合う女だった。
今ここで話しているフィーから、そんな雰囲気はまったく感じられない。作っているというなら、相当だろう。
それにしても、悪役令嬢? ヒロイン? ザマァ? ハッピーエンド?
いったい何の話をしてるんだ?
そもそも、相手の“サレ”という女は何者だ?
ヴィンスは考えてみるが、さっぱりわからなかった。
妄想の話にしては妙だ。
「ねえ、フィー」
「サレ様?」
ぞくりとした。
フィーに呼び掛ける甘ったるい毒のような声は、さっきまで自分が聞いていたものと同じ声じゃないのか。“ヴィーニー”と呼びかける、だだ甘く全身を絡め取る粘つく蜘蛛の糸のような気持ち悪い声と、同じものに聞こえる。
「妾が間違いなく、お前をハッピーエンドに導いてやると言っているのだよ。そなたは妾にすべて委ねていればよいのだ」
「――そうね、そうだったわ、サレ様」
だいたい、“サレ”というのはこの町で信仰を集めている聖女の名前だ。なら、聖女を騙る誰かが、フィーと組んでいるのか。
つまり、魔女はフィーではなく聖女を騙る誰かということか。
そう……この気配が“聖女”だなどとは信じられない。
そんなの、冗談じゃない。
窓のそばで、ヴィンスは石のように固まったまま動けなくなった。ひたすらに気配を殺して、耳を澄まして、“聖女”の気配を探りながら冷や汗を垂らす。
さっきまで閨を共にしていたのは、フィーではなくサレのほうだったという確信は、どんどん強くなる。
自分はあんな得体の知れないものとやらかしてたのか、と。
それからしばしフィーと話した後、サレの気配は唐突に掻き消えた。
本当に何者なのか。
ヴィンスはほっと息を吐くと、町のほうへと目を向けた。これは、今すぐカーティスと話すべきだろう。
* * *
「つまりさ、フィー自身はソウ様一筋なわけ」
「――ヴィンス、話がよく見えないのだが」
面食らったような顔で、カーティスが首を傾げる。
もう夜もすっかり更けようという頃になっていきなり押しかけてきた弟は、やや興奮気味に、領主の屋敷で見聞きした結果とやらをまくし立てたのだ。
「毎日俺のこと呼び出して、ナントカの一つ覚えみたいにソウ様の話ばっかり垂れ流してソウ様大好きで仕方ないって感じなのに、夜になると違うしさ。
でも、フィーと一緒にいる“サレ”って女が、フィーに化けて夜な夜なソウと側近たちを誑し込んでる魔女だって考えれば、辻褄が合うんだよ」
「サレという女? よしんばフィーが魔女ではなく、そのサレが魔女だとして、なぜそんなことをする必要がある?」
「それがさっぱり。理由はあるんだろうけど、その理由がさっぱりわからないんだよな。そもそも、サレが何者なのかわからないんだから、理由なんて推測しようがないしさ」
半信半疑だという顔のカーティスは放って、ヴィンスはスイに向いた。
「だから、スイ姫さんに質問。サレっていうのはこの町の聖女の名前だよね。
“聖女サレ”って何者? ここで何した人? どの神に仕えてて、どうやって“聖女”になったの?
聖女って、キノ=トー下位家と何か関係があるの?」
スイは戸惑ったように視線を巡らせる。
改めて聞かれると……。
「聖女さまは、その昔、“大災害”の折に、この町を“崩落”から守ったのだと伝わっているんです」
「“崩落”って……あれ? “大災害”のあおりで、帝国の皇都が崩落海の底に沈んだっていう、あの崩落?」
「はい、そうです。この町のすぐ近くに小さな港があるのはご存知でしょうか。あれは崩落海の岸ですから」
「そりゃ、そうだけど……」
ヴィンスは軽く目を瞬かせ、カーティスと顔を見合わせた。
あの海が崩落海だとは知っているが、だから聖女がこの町を守ったというのはどういうことなのか。
「“大災害”のしばらく後、この辺りの正確な地図を起こすために領主の命で測量が行われました。大きな地図では、崩落海はほぼ円形の海として描かれています」
「たしかに、俺が見た地図ではそうだった」
「けれど、正確な地図を広げれば、この町のある一帯が海に突き出た形で残されていることがわかるでしょう。本来、“崩落”に巻き込まれて海の底となるはずだったこの町が、聖女さまの加護により守られたことの証ですわ」
「でも、偶然かもしれないだろ? なんでそんなに確信持って、聖女の加護のおかげだって言えるわけ?」
スイは困ったようにわずかに眉を寄せた。
どう説明したものかと、考えているように。
「その……わたくしも祖父から伝え聞いた限りでしかありませんが」
「うん」
「かの“大災害”の折、皇都で何かが起こり、“崩落”が始まったのだそうです。最初こそゆっくりだった崩落は、どんどん速度を速めて皇都の周辺の町を呑み込んで行きました。町を捨てても逃げ切れるかどうかというほどに速かったと聞きますから、どれほどの人々が犠牲になったのか……。
そして、いよいよこの町がという時に、聖女さまが降臨なされたのです。
聖女さまは崩れゆく大地に立ちはだかり、“崩落”に向けて“止まれ”と聖なる言葉でお命じになりました。それによって崩落は止まり、町は生き残れたのです」
ヴィンスは頷く。
“大災害”のもたらした混乱の後、この東方地域は大陸から切り離されてしまったかのように孤立した。
だから、“崩落”のような大きな話は伝わっても、聖女のことまでは西に伝わらなかったということなのか。
それにしたって、“聖なる言葉”とは何のことだろうか。スイの口振りからは、呪文や聖句のようなものとは違うようにも感じる。
「当時、この町にも神々の教会は多くありました。
けれど、いくら司祭たちが祈っても神々は応えてくださらず、ただ、聖女さまだけがこの町を救ってくださったのです。
ですから、この町のものの多くが、聖女さまを信仰するようになりました」
「だが、それで礼拝所なり教会なりを建てなかったことが、やはりわからないな」
「カーティス様……ええ、わたくしも、カーティス様に言われるまで不思議に思ったことはありませんでした。聖女さまを祀り祈るのは、皆、各々の家でのみのことというのが、普通のことでしたし……わたくしにも、なぜそうなのかは」
ヴィンスは考える。
その、聖女の降臨に似た話は、ほかに無かっただろうかと。
古今東西、聖人や聖女と呼ばれるような者の現れ方は、似たり寄ったり……のはずだ。神に使命を与えられたとか、神によってそういう道へと導かれるというのが定番で……。
「その聖女って、神の名を唱えたりしなかったのかな。いきなり湧いて出たわけじゃないんだろ? 高位の魔法使いとか魔術師だったわけでもなくて、ましてやどこかの司祭や神官てわけでもないんだよね?」
「はい。ただ、迫り来る“崩落”を前にひたすら救いを求めて善き神々に祈っていたからこそ、この町を助けることができたのだとは伝わっております」
「ふうん」
結局、スイにもそれ以上のことはわからなかった。
記録か何かがあればもう少しわかるのかもしれない。だが、いかんせん“大災害”の混乱期のことで、あまり期待はできなかった。
こっそりと屋敷に戻ったヴィンスは、翌日、またフィーに招かれて演奏をしていた。
今日はフィーひとりで、少しつまらなそうに溜息を吐いている。ここ数日、ソウがフィーと過ごす時間は減っていたから、そのせいかもしれない。
そこに、ソウが現れた。
けれど、以前のような甘く柔らかな笑みはなく、どこか固く険しい表情でフィーをじっと睨み付けている。
フィーは笑顔で立ち上がろうとして、すぐにいつもと違うその様子に気付き、「ソウ様?」と戸惑うように首を傾げた。
「あの、ソウ様? なんだか怖い顔をしてどうし……」
「まさか、魔女が舞い戻って私の愛しいフィーに取って代わろうなどと考えているとは思わなかった」
「え?」
ソウの言葉がうまく飲み込めず、フィーは呆然とソウを見つめた。
いったい何が始まるのか。
ヴィンスも演奏を止め、じっと成り行きを見守る。
「捕らえよ」
ソウはフィーを一瞥すると、連れていた衛士たちに命じた。
衛士たちは無言で頷いて、即座にフィーを床へと引き倒す。そのまま身動きが取れないよう、容赦なくがっちりと腕と肩と首を押さえつけた。
突然の捕縛劇に、ヴィンスも唖然とする。
見れば、ソウの背後にフィーそっくりな娘がひっそりと隠れていた。
「ソウ様痛い! どうしてこんなことをするの?」
「――魔女よ、今度こそはお前に相応しい刑に処してやろう」
ソウの声は冷たく固く、フィーを拒絶する。
すぐにフィーから視線を外し、衛士たちに厳しく命じた。
「怪しい魔法など使えないよう、あの牢に入れておくのだ。今度こそ、絶対に逃げられぬようにな」
「ソウ様、そんな、何かの間違い……ソウ様、痛いわソウ様!」
「黙れ。愛しいフィーの声で、これ以上喋るな!」
ソウの合図で、衛士がフィーの口を塞ぐ。
猿轡を噛ませ、万が一にも魔法を使えないようにと厳重に縛り上げ、引きずるようにして部屋から連れ出した。
「あの……ソウ様? これはいったい」
「ああ、詩人殿。実は魔女がこの町に舞い戻っているという情報があって、ここしばらく内偵を進めていたのだ。
だが、まさか、本物のフィーを捕らえて自分が成り代わろうなどとは……魔女とは本当に姑息で邪悪な者なのだな。あれが何か事を起こす前に気付けてよかった」
「え、まあ……“魔女”とは得てしてそういうものですから」
「私の愛しいフィーも、無事救い出せてよかったよ」
ソウは背に庇っていた“フィー”を振り返り、安心させるように優しく微笑んで抱き締める。“フィー”も、それに応えて抱き締め返す。
少し俯くように、いつものフィーのように微笑んでいて……いや、その目には、かすかな嘲りが浮かんでいた。
――やられた。
後手に後手にと回り過ぎじゃないか。
ヴィンスは素早く考える。
夜のフィー、つまり“サレ”は、フィーに成り代わりたかったのか。
しかし、成り代わって何がしたいのか。最終的な目的は何なのか。すぐにでもカーティスに連絡を取らなきゃならない。
本当に自室なのか……今日のアレ、つまり男連中を見れば、そうじゃない可能性のほうが高いのではないか。
よし、とヴィンスは起き上がる。
手早く身支度を整えて、目立たない服装にカツラを被り、念のため“透明化”の魔法まで使って窓の外を伺う。もちろん、“壁歩き”の魔法も忘れない。
フィーの部屋は一つ上の階層だ。場所も把握している。
今ならフィーの部屋を探れるのではないか。
周囲の気配に十分注意しながら、ヴィンスは部屋を抜け出した。
フィーの部屋には灯りがついていた。
それじゃおとなしく部屋に戻ったのかと、ヴィンスは少しがっかりする。
ソウの目を盗んで男どもの部屋を渡り歩いてるなら、あれこれ探る隙はあるんじゃないかと期待していたのに。
「ソウ様、今夜も忙しいのですって。今日も夜のお茶は無しだっていうの」
「お前はここでおとなしくしていなければならないのだろう?」
「そうだけど、ソウ様が無理なさっていないか、見に行くだけでもだめかしら。もう三日もなのよ」
――と、話し声が聞こえた。誰か、フィー以外にも人がいるようだ。
もしかして、自室に誰か引き込んでいるのか……ヴィンスはできる限り気配を抑えて、窓のそばへと近づいていく。
聞こえてくる声から、話しているのはフィーと年長の女だということはすぐにわかった。侍女や使用人ではない誰か……気安いようすは、側付や相談役のような相手だろうか。けれど、ヴィンスの知る限り、そんな者がフィーに付いていたことはない。
フィーは昼間と変わらず、ソウの話ばかりを彼女としている。
「それに――あのねサレ様、わたし怖いの」
「妾の可愛いフィー、何が怖いのだ?」
サレと呼ばれた女の、やや低めの声は、とても優しげだった。
けれど、例えるなら、舌なめずりをする猛獣が牙と爪を隠してごろごろと喉を鳴らすふりをしているような、そんな印象のほうが強かった。
「だって、悪役令嬢が逃げちゃったんだもの」
「ああ、そうだったね」
「だから、本当はヒロイン役のわたしが“ザマァ”される物語なのかもって、気が気じゃなかったのよ」
どこか拗ねるような口調と声は、昼のフィーと同じものだった。ソウに甘えるときのような、昼間の、いつものフィーが脳裏に浮かぶ。
何か、おかしい。
「早くサレ様とお話ししてこれからのことを教えてもらいたかったのよ。でも、ソウ様に、危ないからここにいなさいって言われて、わたしからサレ様に会いに行けなくて……でも、サレ様が来てくださって本当によかった」
「可愛いフィー、妾がついていると言っただろう? ならば、“フィーのハッピーエンド”は必ず迎えられる。安心おし」
「サレ様……わたし、はやくソウ様とハッピーエンドを迎えて、“末長く幸せに暮らしました”って語られるようになりたいわ」
違いすぎる、と思う。
さっきまでヴィンスと寝ていたフィーはもっと……そう、“魔女”や“妖婦”という形容が似合う女だった。
今ここで話しているフィーから、そんな雰囲気はまったく感じられない。作っているというなら、相当だろう。
それにしても、悪役令嬢? ヒロイン? ザマァ? ハッピーエンド?
いったい何の話をしてるんだ?
そもそも、相手の“サレ”という女は何者だ?
ヴィンスは考えてみるが、さっぱりわからなかった。
妄想の話にしては妙だ。
「ねえ、フィー」
「サレ様?」
ぞくりとした。
フィーに呼び掛ける甘ったるい毒のような声は、さっきまで自分が聞いていたものと同じ声じゃないのか。“ヴィーニー”と呼びかける、だだ甘く全身を絡め取る粘つく蜘蛛の糸のような気持ち悪い声と、同じものに聞こえる。
「妾が間違いなく、お前をハッピーエンドに導いてやると言っているのだよ。そなたは妾にすべて委ねていればよいのだ」
「――そうね、そうだったわ、サレ様」
だいたい、“サレ”というのはこの町で信仰を集めている聖女の名前だ。なら、聖女を騙る誰かが、フィーと組んでいるのか。
つまり、魔女はフィーではなく聖女を騙る誰かということか。
そう……この気配が“聖女”だなどとは信じられない。
そんなの、冗談じゃない。
窓のそばで、ヴィンスは石のように固まったまま動けなくなった。ひたすらに気配を殺して、耳を澄まして、“聖女”の気配を探りながら冷や汗を垂らす。
さっきまで閨を共にしていたのは、フィーではなくサレのほうだったという確信は、どんどん強くなる。
自分はあんな得体の知れないものとやらかしてたのか、と。
それからしばしフィーと話した後、サレの気配は唐突に掻き消えた。
本当に何者なのか。
ヴィンスはほっと息を吐くと、町のほうへと目を向けた。これは、今すぐカーティスと話すべきだろう。
* * *
「つまりさ、フィー自身はソウ様一筋なわけ」
「――ヴィンス、話がよく見えないのだが」
面食らったような顔で、カーティスが首を傾げる。
もう夜もすっかり更けようという頃になっていきなり押しかけてきた弟は、やや興奮気味に、領主の屋敷で見聞きした結果とやらをまくし立てたのだ。
「毎日俺のこと呼び出して、ナントカの一つ覚えみたいにソウ様の話ばっかり垂れ流してソウ様大好きで仕方ないって感じなのに、夜になると違うしさ。
でも、フィーと一緒にいる“サレ”って女が、フィーに化けて夜な夜なソウと側近たちを誑し込んでる魔女だって考えれば、辻褄が合うんだよ」
「サレという女? よしんばフィーが魔女ではなく、そのサレが魔女だとして、なぜそんなことをする必要がある?」
「それがさっぱり。理由はあるんだろうけど、その理由がさっぱりわからないんだよな。そもそも、サレが何者なのかわからないんだから、理由なんて推測しようがないしさ」
半信半疑だという顔のカーティスは放って、ヴィンスはスイに向いた。
「だから、スイ姫さんに質問。サレっていうのはこの町の聖女の名前だよね。
“聖女サレ”って何者? ここで何した人? どの神に仕えてて、どうやって“聖女”になったの?
聖女って、キノ=トー下位家と何か関係があるの?」
スイは戸惑ったように視線を巡らせる。
改めて聞かれると……。
「聖女さまは、その昔、“大災害”の折に、この町を“崩落”から守ったのだと伝わっているんです」
「“崩落”って……あれ? “大災害”のあおりで、帝国の皇都が崩落海の底に沈んだっていう、あの崩落?」
「はい、そうです。この町のすぐ近くに小さな港があるのはご存知でしょうか。あれは崩落海の岸ですから」
「そりゃ、そうだけど……」
ヴィンスは軽く目を瞬かせ、カーティスと顔を見合わせた。
あの海が崩落海だとは知っているが、だから聖女がこの町を守ったというのはどういうことなのか。
「“大災害”のしばらく後、この辺りの正確な地図を起こすために領主の命で測量が行われました。大きな地図では、崩落海はほぼ円形の海として描かれています」
「たしかに、俺が見た地図ではそうだった」
「けれど、正確な地図を広げれば、この町のある一帯が海に突き出た形で残されていることがわかるでしょう。本来、“崩落”に巻き込まれて海の底となるはずだったこの町が、聖女さまの加護により守られたことの証ですわ」
「でも、偶然かもしれないだろ? なんでそんなに確信持って、聖女の加護のおかげだって言えるわけ?」
スイは困ったようにわずかに眉を寄せた。
どう説明したものかと、考えているように。
「その……わたくしも祖父から伝え聞いた限りでしかありませんが」
「うん」
「かの“大災害”の折、皇都で何かが起こり、“崩落”が始まったのだそうです。最初こそゆっくりだった崩落は、どんどん速度を速めて皇都の周辺の町を呑み込んで行きました。町を捨てても逃げ切れるかどうかというほどに速かったと聞きますから、どれほどの人々が犠牲になったのか……。
そして、いよいよこの町がという時に、聖女さまが降臨なされたのです。
聖女さまは崩れゆく大地に立ちはだかり、“崩落”に向けて“止まれ”と聖なる言葉でお命じになりました。それによって崩落は止まり、町は生き残れたのです」
ヴィンスは頷く。
“大災害”のもたらした混乱の後、この東方地域は大陸から切り離されてしまったかのように孤立した。
だから、“崩落”のような大きな話は伝わっても、聖女のことまでは西に伝わらなかったということなのか。
それにしたって、“聖なる言葉”とは何のことだろうか。スイの口振りからは、呪文や聖句のようなものとは違うようにも感じる。
「当時、この町にも神々の教会は多くありました。
けれど、いくら司祭たちが祈っても神々は応えてくださらず、ただ、聖女さまだけがこの町を救ってくださったのです。
ですから、この町のものの多くが、聖女さまを信仰するようになりました」
「だが、それで礼拝所なり教会なりを建てなかったことが、やはりわからないな」
「カーティス様……ええ、わたくしも、カーティス様に言われるまで不思議に思ったことはありませんでした。聖女さまを祀り祈るのは、皆、各々の家でのみのことというのが、普通のことでしたし……わたくしにも、なぜそうなのかは」
ヴィンスは考える。
その、聖女の降臨に似た話は、ほかに無かっただろうかと。
古今東西、聖人や聖女と呼ばれるような者の現れ方は、似たり寄ったり……のはずだ。神に使命を与えられたとか、神によってそういう道へと導かれるというのが定番で……。
「その聖女って、神の名を唱えたりしなかったのかな。いきなり湧いて出たわけじゃないんだろ? 高位の魔法使いとか魔術師だったわけでもなくて、ましてやどこかの司祭や神官てわけでもないんだよね?」
「はい。ただ、迫り来る“崩落”を前にひたすら救いを求めて善き神々に祈っていたからこそ、この町を助けることができたのだとは伝わっております」
「ふうん」
結局、スイにもそれ以上のことはわからなかった。
記録か何かがあればもう少しわかるのかもしれない。だが、いかんせん“大災害”の混乱期のことで、あまり期待はできなかった。
こっそりと屋敷に戻ったヴィンスは、翌日、またフィーに招かれて演奏をしていた。
今日はフィーひとりで、少しつまらなそうに溜息を吐いている。ここ数日、ソウがフィーと過ごす時間は減っていたから、そのせいかもしれない。
そこに、ソウが現れた。
けれど、以前のような甘く柔らかな笑みはなく、どこか固く険しい表情でフィーをじっと睨み付けている。
フィーは笑顔で立ち上がろうとして、すぐにいつもと違うその様子に気付き、「ソウ様?」と戸惑うように首を傾げた。
「あの、ソウ様? なんだか怖い顔をしてどうし……」
「まさか、魔女が舞い戻って私の愛しいフィーに取って代わろうなどと考えているとは思わなかった」
「え?」
ソウの言葉がうまく飲み込めず、フィーは呆然とソウを見つめた。
いったい何が始まるのか。
ヴィンスも演奏を止め、じっと成り行きを見守る。
「捕らえよ」
ソウはフィーを一瞥すると、連れていた衛士たちに命じた。
衛士たちは無言で頷いて、即座にフィーを床へと引き倒す。そのまま身動きが取れないよう、容赦なくがっちりと腕と肩と首を押さえつけた。
突然の捕縛劇に、ヴィンスも唖然とする。
見れば、ソウの背後にフィーそっくりな娘がひっそりと隠れていた。
「ソウ様痛い! どうしてこんなことをするの?」
「――魔女よ、今度こそはお前に相応しい刑に処してやろう」
ソウの声は冷たく固く、フィーを拒絶する。
すぐにフィーから視線を外し、衛士たちに厳しく命じた。
「怪しい魔法など使えないよう、あの牢に入れておくのだ。今度こそ、絶対に逃げられぬようにな」
「ソウ様、そんな、何かの間違い……ソウ様、痛いわソウ様!」
「黙れ。愛しいフィーの声で、これ以上喋るな!」
ソウの合図で、衛士がフィーの口を塞ぐ。
猿轡を噛ませ、万が一にも魔法を使えないようにと厳重に縛り上げ、引きずるようにして部屋から連れ出した。
「あの……ソウ様? これはいったい」
「ああ、詩人殿。実は魔女がこの町に舞い戻っているという情報があって、ここしばらく内偵を進めていたのだ。
だが、まさか、本物のフィーを捕らえて自分が成り代わろうなどとは……魔女とは本当に姑息で邪悪な者なのだな。あれが何か事を起こす前に気付けてよかった」
「え、まあ……“魔女”とは得てしてそういうものですから」
「私の愛しいフィーも、無事救い出せてよかったよ」
ソウは背に庇っていた“フィー”を振り返り、安心させるように優しく微笑んで抱き締める。“フィー”も、それに応えて抱き締め返す。
少し俯くように、いつものフィーのように微笑んでいて……いや、その目には、かすかな嘲りが浮かんでいた。
――やられた。
後手に後手にと回り過ぎじゃないか。
ヴィンスは素早く考える。
夜のフィー、つまり“サレ”は、フィーに成り代わりたかったのか。
しかし、成り代わって何がしたいのか。最終的な目的は何なのか。すぐにでもカーティスに連絡を取らなきゃならない。
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