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1.そしてヒロインは途方に暮れる

5.魔性と聖性

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「あ……ぶなかったぁ」

 翌朝目を覚ますなり、ヴィンスは思わずそう吐き出した。
 もちろんフィーはいない。昨夜、コトが終わってすぐ、本気かフリかは知らないが、たいそう名残を惜しむようにして戻って行ったのだから。

 あれは“魅了チャーム”だった。
 間違いない。
 しかも、もうちょっとで完全にやられるところだった。

 ――いや、待てよ。“魅了”よりなお悪い、“支配ドミネイト”か、もしくはそれに準ずる精神支配の魔法の可能性もある。

 つまり、フィーこそが高位の魔法使いか魔術師ということか?

「偽名、使っといてよかった……」

 本名を名乗っていたら、もっとたやすく完全に支配されていただろう。
 何かというとホイホイ名乗りをあげる父や兄や叔母にならわず、叔父の言うとおりに本名の扱いを慎重にしておいてよかったと、しみじみ思う。
 あとは、まあ……魅了だか支配だかされたふりをうまく続けられるうちは、このままここに残って探る方がよいだろう。

「ヤっちゃったものは仕方ないし、バレたらすぐ逃げられるように用意はしておいて、兄貴にもなんとか伝言を送っといて……」

 しばらくは観察に徹しよう。
 フィーの魅了はどこまで及んでいるのかも、しっかりと観察しないと。

「ん、いや、でも“魅了”ならともかく、“支配”ってそうそう何人にも掛けられるような魔法じゃなかったはずだよな?」

 汲んであった水で軽く身綺麗にしながら、考える。
 それなら、誰がフィーに支配されてるかを見極めるほうが先決か。フィーがどの程度の魔法使いなのか、それとも魔術師なのかも探らなきゃいけない。
 ということは、もしかしたら……いや、フィー自身が実は“魔女”である可能性のほうが高いんじゃないだろうか。
 そうであるなら、フィーの正体と、どうやってスイに魔女の濡れ衣を着せたのかを暴きさえすれば、この件は解決ということにもなる。

「あ、これやっとゴールが見えたってことかな?」

 身形を整え終わったところで、ヴィンスは窓を開けた。
 手近なところにいる小鳥に向かって呼びかけるようにチュクチュクと舌を鳴らして、小声で“動物の伝令”を唱えた。

「カーティス・カーリスに伝えてくれないかな。“もしかしたら、フィーこそが本当の魔女かもしれない。俺はもう少し探ってみるよ”って」

 小鳥はピチピチさえずり返すと、パッと飛び去って行った。



 今日の仕事は、お茶会での演奏だ。
 さすがに捜索に行き詰まっているのか、あまり顔色の冴えないソウや彼を手伝う側近たちの労いをと、フィーが企画したらしい。
 使用人を別にすれば、親しい男ばかりを何人も集めて令嬢自身がもてなすという、他ではあまり見ない光景だ。
 ソウもよく許したなと、ヴィンスは少し感心してしまう。

 とはいえ、ヴィンスにとって、お茶会の裏方に徹して心地いい音楽だけを奏でていればいいというのは、観察にうってつけのポジションなのでありがたい。



 茶会は穏やかに始まった。
 普段、個別に忙しなく接していては気付かないことも、こうして一堂に会したところを見ていれば気付くものだ。

 ある意味予想どおり、フィーはこの集団の紅一点として皆の愛情を集めている。その愛情が本物かどうかはともかく、ソウはもちろん、初日にヴィンスを迎えに来たソウの侍従コガンも、ソウ専属の護衛兵も補佐官も……つまり、ソウの側近であるような男たち全員のフィーを見つめる視線には、ただならぬ熱がこもっている。
 うまく隠していても、それと知って見ればすぐわかるくらいには熱い。

 なのに、ソウは気付いていない。

 いっそ不自然なくらいに鈍感なのはある意味才能なのか。
 おまけに、フィー自身にも気付いたそぶりがないのはフリなのか何なのか。どっちにしてもさすがだとヴィンスは内心舌を巻く。
 どうりで、昨夜のようなことにも慣れているはずだ。

 そして、昼間のフィーは、どこからどう見てもソウひとりに恋する、無自覚天然系の無邪気で可愛らしいお嬢さんでしかなかった。

 もしかして、ヴィンスの目すら欺けるほどに演技派な、花も恥じらう清純派を装った食い散らかし系なのかと呆れるくらいには、無垢なお嬢さんに見える。
 昨夜のアレは、もしやフィー本人じゃなくてフィーによく似た別人か、などと思えるくらいには、“一途な恋する乙女”に見える。
 それに、魔法の気配もしない。
 フィーを見る男たちの、少々不自然なくらいに熱い視線は、“魅了”の影響下にあるようにも思える。なのに、フィーから魔法の気配はまったく感じないのだ。
 彼らの視線に応える気配はかけらも見せず、フィーはただソウだけを見ている。昨夜のことがなければヴィンスだって気付かなかったくらいに、フィーはソウしか見ていない。

 周囲を意識して魅了しているなら、もう少しこっそりでも応じるフリくらい……気付いている態度くらいは見せるものじゃないのか。
 試しに、ヴィンスがいつも女の子を落とそうとするときのように甘く熱のこもった視線を送っても、フィーはただ昨日までのように単なる笑顔を返すだけだった。その笑みに、通り一遍の親しさ以外はこもっていなかった。
 意味がわからない。

 結局、茶会でわかったのは、フィーが男たちの中心にいる、ということくらいだった。



「それにしても、自分から誘って乗っかってきたくせに、その翌日はああも徹底して無視って、何がしたいんだ?」

 今日一日で見聞きしたことを反芻しつつ、ヴィンスは考える。

 ヴィンスの経験からすれば、魅了した相手をキープしておきたいのであれば、相手から寄越される熱情に対してそれなりのリターンを返しておかないと難しいものなのだ。
 あの清々しいまでの無視は悪手でしかない。
 普通なら、少しくらい反応するだろう。

 これではフィーが何を目指しているのか、さっぱりわからない。
 単に、ソウの妻になって周囲の男連中からチヤホヤされたいだけなら、魅了は必要ない。むしろやり過ぎてまずいくらいだ。
 スイを魔女容疑で追い落とす必要もないだろう。
 だから、それ以外にもっと目的があるはずなのだ。スイを魔女にして、周囲を魅了しなきゃならない理由と目的が。
 問題は、ヴィンスにはそれがさっぱりわからないことである。

 カーティスさえここにいれば、今頃、聖騎士の能力でフィーが邪悪に冒された者かそうでないかの判断が下せていただろう。
 シェーファーも、あれは邪悪な目的で魔法や魔術を使う者を絶対許さないという聖剣だから、フィーが魔女なら即嗅ぎ付けて襲いかかってるはずだ。
 なんとかここにカーティスを入り込ませてフィーを確認してもらうことはできないものか。

「やっぱ無理だよなあ。兄貴が捕まってしょっ引かれればやっと面通しのチャンスがあるかも、くらいだもんな」

 はあ、と溜息を吐く。
 思ったより面倒だったというのが、ヴィンスの今回の件に対する感想だ。
 もう少し頻繁かつスムーズにカーティスと連絡を取る手段を考えて、意見を交換したほうがいいかもしれない。自分ひとりでは行き詰まるだけだ。

 と、そこに、コツコツとノックをする音がして、ヴィンスは振り返る。まさか? と思いつつ扉を開けると、昨夜のようにフィーが立っていた。

「ヴィーニー、早く入れて?」
「え……フィー様?」

 二晩連続? とさすがのヴィンスも戸惑ってしまう。これはいわば密通だというのに、なんで連続で、と。

「ねえ、ヴィーニー、早く」

 唖然とするヴィンスに抱き着いて、フィーは部屋へと入り込み、後ろ手にパタリと扉を閉めた。

「あの、フィー様……」
「なあに、ヴィーニー?」

 フィーはくすくすと笑いながら、ヴィンスの首に腕を絡めてキスをねだる。また頭がくらりとするような甘い匂いが立ち昇り……あ、なるほど、とヴィンスは思った。
 これを拒むのは、まずい。
 今、フィーはヴィンスに“魅了”を使っている。抵抗を気取られたら、どう出るかがわからない。最悪、牢屋行きだ。
 ヴィンスは反射的にとろりと蕩けるように、フィーに耽溺しているかのように微笑んで、ねだられるままにキスを落とした。

「いえ、こんな恩恵にあずかってしまって良いのかと……聖女の再来といわれるフィー様の、愛を戴くなんて」
「いいの。だって、わたしがヴィーニーを愛したいのだもの」

 その言葉を合図に、ヴィンスは深いキスを交わしながら、昨夜のように寝室へとフィーをいざなった。


 * * *


「フィー・キノ=トーが魔女?」

 小鳥のもたらした伝言に、カーティスの眉がぐっと寄る。
 当然、スイを陥れた者が領主家かキノ=トー下位家の周辺にいるのだろうと予想はしていたが、まさかフィー本人がそうで、しかも彼女こそが魔女であるとまでは考えていなかった。
 こうなると、潜伏せざるを得ない現状が非常にもどかしい。
 自分とヴィンスの立場が逆であれば、神の名にかけてフィーを糾弾し、今すぐにでもスイの名誉を回復するのに。

 落ち着け、と“鋼の蹄スティールフーフ”の声が頭の中に響いた。
 カーティスは大きく息を吐いて、いつの間にか握っていた拳を緩めた。

「カーティス様? 今……」

 スイが心配そうにカーティスを見上げている。
 カーティスは気遣うように無理やり笑みを浮かべ、スイの前に跪いた。

「ヴィンスから連絡があったのですが、まだ確実とは言えない情報です。我々には、まだ、待つことしかできません」
「申し訳ありません。わたくしさえもう少しお役に立てれば……」
「何をおっしゃるのですか。あなたはここまで筆舌に尽くし難い仕打ちを受けたのです。これ以上、あなたが何かを負う必要はない」
「カーティス様……」

 スイの話では、ク=バイエ領主家は、元々はこの東方地域を治めていた帝国皇帝の、忠臣として名高い家系だという。
 つまり、領主の継嗣ソウ・ク=バイエは、この東方で顔が利く。
 西方地域であれば、カーティスにもなけなしの伝手を使って保護を求められるが、こちらではそうもいかない。
 故に、このまま町を出たところで先行きは暗い。

 この町から逃れていっきに東方地域を脱出できれば、話はもっと簡単だったろう。
 だが、ベッドを降りられるようになったとはいえ、スイの体力はもともとが深窓の令嬢のものだ。東方地域を出て、例えば一番近い“朱の国”へ向かうにしても、検問を避けるとなれば、険しい山脈を越えるか魔物とリザードマンの支配する湿原を抜けるかの二択しかない。
 どちらも、旅慣れて体力のあるカーティスやヴィンスにとってもたいへんな行程だ。スイの体力で耐えられるかどうか。
 カーティスが司祭であればどうにかなったのかもしれないが、あいにくそうではない。

「私こそ、あなたひとりお助けする程度のことすらこの手に余る体たらくで……我が身をこれほど歯がゆく感じたことはありません」
「そんな、カーティス様。何もかもに見放されたはずのわたくしを助けてくださったのは、ただカーティス様のみでした。
 わたくしは、カーティス様を……その、信じております」
「ありがとうございます、姫君」

 ほんのりと頬を染めるスイの手を取って、カーティスは指先に口付ける。

「――カーティス様、その“姫”というのは、やめてくださいませ」
「姫君?」
「ウ=ルウ上位家は、もう、わたくしの生家ではありません。わたくしはただのスイです。ですから、これからはスイとお呼びくださいませ」
「しかし、あなたの名誉を回復した暁には……」
「いえ、わたくしに、もうウ=ルウ上位家に戻るつもりはありません。もちろん、ソウ様に嫁ぐこともありえません。わたくしにだって、プライドというものがあるのです。
 もとは家族だったのかもしれませんが、わたくしを信じて助けてくださったのは彼らではなく、唯一カーティス様だけでしたもの」
「しかし、それは魔女が仕組んだゆえのことでしょう」
「いいえ……いいえ、それでもですわ!
 わたくしは、カーティス様がわたくしの名誉を回復してくださったその時には、大手を振ってここを出て行こうと思っておりますの!」

 スイの強い言葉に、カーティスは思わず目を瞬かせる。出て行くとはいってもいったいどこへと言うのか。

「ですが、姫……スイ殿」
「カーティス様」

 あてはあるのかと尋ねようとしたカーティスを、スイは押し留め……それから、ますます顔を朱に染めていく。

「――その、それで、カーティス様、その時は、どうかわたくしを、カーティス様とともに連れていってはくださいませんか?」
「スイ、殿」
「わたくし、市井の暮らしはあまり存じてはおりませんが、一生懸命覚えますから、わたくしを、カーティス様のおそばに……どうか、ずっとわたくしを……」

 真っ赤になって顔を伏せるスイに、カーティスは大きく目を見開いた。

「それは、その、スイ殿……スイ殿の、お望みのままに。その、私は全力をもって、あなたをお守りします」

 慌ててまた手にキスを落とすカーティスの耳は、赤く染まっていた。
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