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1.そしてヒロインは途方に暮れる

1.黒色旗と処刑台

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 城門に吊り下げられた黒色旗。
 あれは、この東方で忌むべき何かが起きた時に掲げられる弔旗のはずだ。

「兄貴」
「ああ」

 しんと静まった通りに、人の姿はない。
 皆、息を殺して家に閉じこもるか、あるいは……。

「ヴィンス」
「うん、あれ処刑だ。しかも公開処刑」

 通りは不自然なくらい静かだ。けれど進むにつれ、異様に興奮した人波でごった返す広場が見えてきた。
 いったい何事かと目を凝らして見れば、これからまさに磔刑が行われるのだと示す大きな磔台と、そこに括り付けられた人影――いや、中央に立てられた磔台の罪人の足下には、油のかかった薪がうずたかく積み上げられている。
 これは磔刑ではなく、火刑だ。

 罪人はまだ若い娘だった。粗末な襤褸を纏い、火刑台に縛り付けられている。
 短くざんばらに切られた髪は、本来なら、東方の娘らしく、丁寧に手入れされながら長く伸ばされていたはずだろう。

「以上の罪状により、魔女スイを、ここに火刑と処す」

 役人らしい男が娘の罪状と刑を告げていた。
 呪われた魔女めという怒号に合わせて、処刑人が松明を手に進み出る。
 取り囲む群衆の興奮は佳境に達し、罵詈雑言が広場を満たす。

「嫌なとこに来ちゃったな」
「ヴィンス」
「なに、兄貴」
「私は彼女を助けねばならない」
「――は?」

 若い娘なのに、こんな野蛮な刑罰に処すなんて……と顔を顰めていたヴィンスが振り返ると、カーティスは非常に晴れやかな笑顔を浮かべていた。
 今、この兄は何と言った?
 ヴィンスは唖然とカーティスを見つめる。

「待ってよ兄貴。いきなり何? そんなことしてどうするつもりだよ」
「今延べたとおりだが」
「いや、だってあれ罪人だよね。今まさに処刑されんとしてる紛うことなき罪人だよね。絶対追われるのにどうするんだよ。何かアテでもあるのかよ」
「私には猛きもののご加護がある。問題ない」
『好い好い。猛きものの剣なれば、このくらいの覇気がなくてはな』
「問題大ありだってば! あとシェーファー爺さんは黙ってて!」

 カーティスが腰の剣を抜くなり、シェーファー爺さん……つまり、聖剣を名乗る意思持つ長剣インテリジェンスソードシェーファーが愉快そうに笑った。異議を唱えないところを見ると、シェーファーまでもが賛成らしい。
 めまいを感じるのは、きっと気のせいじゃない。
 どうしたらそんな暴挙を止められるか、ヴィンスは必死に考える。
 だが、何も浮かばない。

「兄貴まさかあの魔女とかいう女の子にひとめぼれしたなんて言わないよね」
「ヴィンス、すぐに俗な発想に結びつけるのはお前のよくないところだな。
 まったく、お前はミケ叔父の変なところばかりに影響を受けて、イヴリンさんがどれほど呆れていたか覚えていないのか」
「いや、今してるのってそんな話じゃないよね? むしろ兄貴がおかしいよね? それから話逸らそうとしたって無駄だからね!」
「とにかく、私は彼女を助けねばならない。“鋼の蹄スティールフーフ”、来い!」

 カーティスが高らかに指笛を鳴らした。
 澄んだ高い音は怒号を打ち消すように広場に響き渡り、一瞬の静けさを呼んだ。何事かときょろきょろと辺りを見回した群衆が、真っ白な馬にひょいと跨がる騎士の姿に気づいて困惑したようにざわめき始める。
 とうとう行動を起こしたカーティスに愕然としつつも、ヴィンスはそっと気配を殺して距離を置いた。このまま兄と一蓮托生はまずい。

「私は猛き戦神の剣たるを誓いしカーティス・カーリス! 我が神より命を受け、この処刑に異を唱える者だ!」

 人々の注目の中、カーティスはシェーファーのきっさきを処刑台へと突きつける。
 役人と処刑人が、突然の名乗りに呆然とカーティスを凝視する。

『よし、ここは儂に任せよ』
「兄貴何してるの兄貴馬鹿なの。爺さんも喜んでないで止めろよ。“鋼の蹄”もいなないてる場合じゃないだろ!」

 頭を抱えるヴィンスに構わず、カーティスは“鋼の蹄”に拍車を掛ける。
 前足を振り上げた“鋼の蹄”が、いななきと共に蹄を轟かせ、猛然と走り出した。踏まれてはたまらないと、人々は海を割るように進路を開ける。

「賊だ!」
「魔女を渡すな!」

 怒号と悲鳴、警備兵と右往左往する群衆が入り乱れて、広場はたちまち大混乱に陥った。ヴィンスはチッと舌打ちをして、リュートを手に群衆に紛れ込む。
 こうなった以上、腹を括るしかない。人々を煽り倒しいっそうの混乱に叩き落として、カーティスをうまく脱出させよう。
 いや、いっそ見捨てて……などもチラリと考えたが、そんなことすれば、後々父をはじめ兄姉叔母叔父従姉に従兄と、一族郎党の全員から吊し上げを喰らうのは予想に難くない。おまけに母も泣くだろう。第二の母と言っていいイヴリンからも、虫けらのように蔑まれてしまう。

「品行方正が聖騎士のウリじゃなかったのかよぉ」

 ヴィンスは少し乱暴に弦を弾いた。人々の心に不快感と不安をわきあがらせ、冷静になれなくなるような魔力を込めて。
 音楽はたちまち効果を現して、群衆も警備兵も巻き込んでの大混乱は広がる。逃げ惑う人々と賊を返り討とうと剣を振り回す警備兵、それからどさくさに紛れて暴れる人々までが現れて、どんどん収集がつかなくなっていった。

 カーティスはうまく警備の隙をついたのか、魔女を縛り付ける縄を切り落としていた。ずり落ちる魔女を掬い上げるように抱えて馬首を巡らせると、たちまち逃走にかかる。
 ちらりと目が合ったヴィンスは「構わずに行け」と合図を送り、広場に残った。
 父そっくりの鮮やかな赤毛のカーティスはともかく、ヴィンスは母に似た金髪に紫眼だ。この町のある東方地域の平均的な色合いと容姿なら、このまま町に残っても紛れ込むことができる。
 それなら、ヴィンスこそがこの処刑劇の背景を調べるべきだろう。


 * * *


「さすがに、そうそう逃がしてはくれんか」

 あたりまえだと、町を飛び出した“鋼の蹄”が思念を返した。
 だが、カーティスの“神命”という言葉は本当だったのか、追われる原因になった罪人の強奪については何ら異議を唱えることはしなかった。
 腕に抱えた魔女スイには、誤って舌を傷つけないよう、布を噛ませている。
 それでも投獄生活のせいで弱っているのか、体力は厳しそうだ。布越しに痩せて骨張った身体を感じて、カーティスは舌打ちしたくなる。

 土地勘さえあれば森にでも入って追っ手を振り切れるのだが、あいにく、このあたりには詳しくない。ただひたすら、“鋼の蹄”の足任せに振り切ろうと頑張っているだけだ。
 普通の馬では速度を出せない荒れた地面でも、“鋼の蹄”なら難なく走り抜けられる。障害物が多くても、“鋼の蹄”に任せれば避けて走り抜けられる。
 森を駆け抜けることさえできれば、追っ手などすぐにでも振り切れるだろう。
 だが、それも土地勘あってこそだ。

 ――と、急に視界の端で誰かが手を振っていた。
 木立の影に隠れるようにして、明らかにカーティスへ合図を送っている。

「“鋼の蹄”」

 毒喰らわば皿までか。
 疑ったのは一瞬だけだった。
 カーティスの呼びかけに応じて、“鋼の蹄”は方向を変える。


 * * *


 あんな大騒ぎがあった後なら、たいていの者はどこかに集まるものだ。

 目論見どおり、ヴィンスが入った宿の食堂には、今夜たまたまこの町に泊まることにしていた者や興奮冷めやらぬ近隣の住人たちが集まっていた。皆、口々に昼間の出来事についての憶測を語り合っている。

 もちろん、罪人を攫った賊を探すという名目で、宿の宿泊客を取り調べようと警備兵もやってきた。
 だが、“真実看破”の魔術や神術を使うわけでもない取り調べだ。ヴィンスはもちろん「たまたま居合わせて驚いた」という体で、自分の見たものをあれやこれやと聞き囓った憶測混じりに大袈裟に語ってみせた。

 それにしても、“魔女”というのは大抵の場合悪堕ちした女魔法使いを指す蔑称で、それはこの東方地域でも変わらない。
 なら、なぜ“魔女”と呼ばれるような罪人を、カーティスは「神命だから救う」などと言い放ったのか。

 まさか“魔女”にたぶらかされた?

 いや、とヴィンスは思い直す。
 カーティスはあれでも聖騎士だ。神の加護により、“魅了”のような魔法からは守られている。幻術みたいな魔法への耐性だって高い。九層地獄界インフェルノ悪魔大公デヴィルプリンスならいざ知らず、たかが魔女程度が聖騎士の加護を破るなんてありえない。
 何より、詩人であり魔法使いでもあるヴィンスがすぐそばにいたのだ。カーティスに対してそんな魔術やら魔法やらが使われたとして、それに気づかないなんてことは絶対にあり得ない。
 つまりあの“魔女”は何らかの冤罪か陰謀に陥れられたということか。

「そもそも、“魔女スイ”の罪状があやふやなんだよなあ」

 この町の住人に尋ねてみれば、領主の継嗣ソウ・ク=バイエの大切な思い人であるフィー・キノ=トーを呪っただの、魔女スイはそもそもソウを魅了していただの、そんな噂話ばかりだった。
 その呪いがどんなものだったかは明らかでない。そもそもソウの婚約者だったのはスイのほうなのに、魅了で惑わせてって変じゃないのか。スイに突きつけられた罪状は、ヴィンスの目から見ても穴だらけだった。
 考えようによっては、スイとの婚約を疎んじた領主家がスイを嵌めて“魔女”の烙印を押したのだとすら思えてくる。その、“愛しいフィー・キノ=トー”と結婚するために。
 だいたいまともな裁きが行われた形跡もない。
 つまり、推して知るべしか?

「でもなあ……なんで嵌める必要があるんだ? 継嗣ってのが、よっぽどのクズ男ってことなのかな」

 だいたい、スイの生家はウ=ルウ上位家だ。西方でいうところの上級貴族、それも侯爵あたりと同等の家格である。対して、フィーのキノ=トー下位家は末端に近い下級貴族だ。いかにソウの思い人であろうが、何の対策もなく上級貴族を差し置いて婚約者を差し替えるのは困難であることくらい、考えずとも明らかだろう。
 この手の政略に根回しと交渉が必要なのは、東西どこへ行っても変わらないものじゃないのか。
 ともすれば、婚約者であるスイに対しての義務も果たしてないのは、ソウのほうだとすら侮られることになるのに。

 それに、魔女スイが言われているように本当の魔法使いなら、幼少時から何らかの兆候を見せているはずだ。訓練を重ねて魔力を制御できるようにならなければ、身体にため込んだ魔力が暴発を起こすのが、魔法使いという生き物なのだから。
 しかし、そんな噂はかけらも聞こえてこない。

 ウ=ルウ上位家がスイの疑惑を払拭しようとすることなく、あっさり切り捨ててしまったことも解せない。
 直系からむざむざ罪人を出すなんて、これ以上なく家名に泥を塗ることだ。疑いの段階で全力でもみ消すなり調べ上げるなりするのが普通だし、いよいよ罪状が免れないとなれば公になる前に内々で処理するものではないのか。
 自分の知る西方の貴族なら、直系から大罪人が出て公開処刑なんてことになれば、この程度の騒ぎでは済まないはずだ。家長の交代も問題にされるし、時には爵位返上やらまで取り沙汰されることとなる。
 いや、ヴィンスの知る限り、上級貴族の直系が公開処刑に処されるなんて、政変でも起こらなければほぼあり得ない……はずだけど?

「ここ、東方だからいろいろ違うのかな。でもなあ……」

 どうにも不穏だ。
 こんな小さい町では領主の意向が絶対――にしても、限度がある。

 ソウ本人の心変わりがあったならなおさら、十分な根回しやら交渉やら強権発動やら、外堀を埋めたうえで婚約を解消するものだろう。
 それに、東方の領主なら合法的に側室や寵姫を持つことだってできる。スイを正室に迎えた後、フィーを側室か寵姫にすることだってできるのだ。そのほうが影響は少ないし、両方いっぺんに迎えておきながら正妃を放って寵姫に入れあげるなんて、古今東西珍しくない。
 ク=バイエ領主家にそれで貴族たちをねじ伏せられないほどに力がないとも思えない。自分の知る常識を考えると、他に何か理由があるはずだ。

「考えれば考えるほどわからないぞ」

 表面はにこやかに聞き込みながら、ヴィンスはどうにもきな臭さを嗅ぎ取っていた。カーティスの“神命”とやらも、あながち的外れではないのかもしれない。
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