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5.はじまりの女神

待っていた

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 頭の中がぐちゃぐちゃだ。
 頭に詰め込んだいろんなものが掻き回されて、よくわからないことまでを思い出してしまう。



「お父さんから連絡があったの。今日は少し早く帰れるって」

 仕事が忙しい父は、しょっちゅう会社に泊まり込むし、帰宅だっていつも遅い。オージェが起きているうちに帰ってくることなんて、滅多にない。
 わあ、と喜ぶオージェに、母は「一緒に夕食の用意をしようか」と笑う。
 いつもはキットで手間いらずの食事ばかりだけど、今日は特別だ。久しぶりの早い帰宅に合わせて、うんと手を掛けた、父の好きなシチューを作るのだ。
 オージェは母に教わりながら、包丁でひとつひとつ野菜を刻んでいく。

 学校に上がって、学年が進むにつれて、難しいことも学ぶようになって……父がどんな仕事をしているのか、理解するようになってきた。

 人間の脳をベースにしたコンピュータは既にあるけれど、それは“人間”と呼ぶには程遠いもので……父は、さらにそれを発展させた“人工脳”を作り、もっと人間に近い、いわば“人造人間アンドロイド”を作りたいのだと知った。
 まるで、人工的な生命を生み出そうとした、古代の錬金術師のように。

 そうやって作った、人間のように学習して考えて活動できるアンドロイドを、人間が活動するには危険な場所へ、人間の代わりに単独で送り込む。
 危険とわかっていてもロボットと人間の両方を送る必要のある場所に、人間が行く必要はなくなるのだ。

 最初は、ただ、お父さんはすごいなあ、と思っていた。
 けれど、だんだんと「人間と変わらないように考える人造人間」というのは、人間とどう違うんだろう、と気になるようになった。
 物語には「人間とアンドロイドの恋」なんてものも良くあるけれど、物語のようにふつうに恋ができるアンドロイドって、もしかしたら人間と同じものなんじゃないだろうか。
 なら、作ったものだからって、人間の代わりに大変なことばかりさせられたら、やっぱり嫌だと思うんじゃないだろうか。

 けれど、そう考えたことを父と話す機会は、とうとうやってこなかった。



 まぶたの裏ではまだチカチカと星がうるさく瞬くようだし、頭の中を掻き回わされて何が何だかだし、オージェはぐったりと目を開けた。
 しかもこんなに狭苦しくては、息が詰まる。

 不意にガコンと音がして、蓋が開いた。
 深く大きく息を吐いて、気持ち悪さもおさまって、オージェは傍らに立つツヴィットに気づいて顔を上げた。どうせ何も返ってこないとわかっていても、つい表情を緩めてヴィトと呼びかけてしまう。
 けれど、仮面を外したままのツヴィットが、オージェの予想に反してほんのりと微笑み返した。
 自分の期待が見せただけなのだろうか。
 オージェは思わずツヴィットの顔を見つめてしまう。

「ねえ……ねえ、ヴィト。わたし、昔のこと、もう少しだけ思い出したわ」
「――君の中にある記録メモリをスキャンした影響かもしれないね」

 拘束を外されて、オージェは驚いた顔でツヴィットを凝視する。そういえば、仮面を外すのは厳禁なのだと言ってたのに、今は外したままで……。

「怖かっただろう?」

 抱き起こされて、そう尋ねられて……オージェは大きく目を見開いた。

「ヴィト?」

 にっこりと笑って、ツヴィット……ヴィトが頷く。

「本当に? ヴィトなの?」
「遅くなってごめん。復旧のためのリソースがなかなか確保できなくて、時間がかかってしまったんだ。それに、完全じゃなくて……結局、六割くらいしか集められなかったから、いろいろと取りこぼしてしまってることも多いと思う」
「六割って……」
「本来の僕の六割だ。でも、主要な経験の記録とヴィトとしてのデータはきちんと押さえてるよ。不足は“ツヴィット”をベースに、なんとかする」

 困ったように眉尻を下げるヴィトに、オージェは思わず笑い出してしまう。
 言ってることはめちゃくちゃなのに、それでも、こうしてヴィトが戻ってきてくれたことがうれしい。

「消えたっていうから、すごく心配したのよ。でも、ちゃんと戻ってきてくれたなら、いい」
「――ごめん」

 ぽふ、と座ったまま倒れこむように抱き着くオージェを、抱き締め返す。

「本当は、もう少しうまくやるはずだったんだ。君を連れて来いと、もう一度ここを出されることはわかっていたからね。再会までに“僕”の再構築を終わらせるつもりで準備もしていたのに、結局間に合わなかった」
「うん」
「君に再会したら、キーを貰ってすぐに“二番目ツヴィット”から“ヴィト”になるはずだったんだ」
「だから、わたしにここへ来るなって言い残したの?」
「うん……それに、君を神王に攫われたくなかったんだ。神王がここを完全に掌握したら、あまりいいことにはならないからね」

 抱き締める腕に力をこめて、ヴィトはオージェの頭にキスを落とす。

「ねえ、ヴィト。それでね」
「ん?」
「わたし、やっぱり人間じゃなかったの」
「――うん」
「幻滅した?」
「どうして?」

 オージェはおずおずと目を上げる。少しだけ首を傾げ、笑みを浮かべたヴィトがじっと見下ろしていた。

「だって、ヴィトはわたしのこと、人間だと思ってたんじゃないの?」
「それは……どうかな」
「え?」

 額を啄ばみ、頬を啄ばみ、ヴィトはふっと笑う。

「僕はもともと、“オリジン”の捜索を命じられて軍国へ行ったんだよ。落雷のおかげで記憶が破損して、思い出す・・・・のに時間はかかったけどね」
「じゃあ……」
「うん。思い出して……記憶領域メモリの修復とデータの再構成が進むにつれて、オージェが“オリジン”だってわかってまずいと思ったんだ」

 するりと手を滑らせて、オージェの頬を撫でる。

「オージェこそ、僕が人間じゃなくて幻滅した?」

 オージェは黙って首を振る。

「さっきも言ったでしょう? わたし、ヴィトがひとりで消えたと思って、すごく頭にきたし、悲しかったの。戻ってくれてうれしい」
「……ありがとう、オージェ。待っててくれて」

 唇を合わせて、深くキスをする。微かな音を立てて、舌を絡め合う。
 この身体も意識も作られたもので、人間に似せてるだけの偽物だというなら、どうしてこんなにドキドキするんだろう。

「ヴィト、好き」
「僕も好きだ」

 少し潤んだ目を笑みに細めて、オージェはもう一度「好き」と呟く。

「もう、勝手に消えたりしないでね」
「消えないよ。もう、いなくなったりもしない」

 思い切り抱き着かれて、オージェの柔らかさを感じて、ヴィトは小さく息を吐く。

 これまで、誰か他者の肉体に触れて何かを感じることなんて一度足りともなかった。なのに、今は、感じるどころではないことに、自分でも驚いている。
 人間の男が当然そう感じるように、オージェに欲望を感じているのだ。
 この“欲望”はどこから生まれてくるのだろう。遮断して無視しようとしているのに、まったく無視できない。

「――僕、自分が性機能を持った男性体(メール)なんだってこと、今、すごく実感してる」

 オージェをしっかりと抱え込みながら、ヴィトは囁いた。

「もう、何言い出すのよ!」
「変な言い方だけど、今、僕は、君を、ものすごく、お嫁さんに……僕だけのものにしたくてたまらない」

 たちまちオージェの顔が真っ赤に染まる。
 落ち着きなくきょろきょろと視線を動かして、数度深呼吸する。

「あ、あのね、ヴィト。わたし、思ったんだけど、リコーちゃん風に言うなら、わたしたち、同じ種族なのよ」
「種族?」
「そう」

 生物学的に考えて、どうしたって子孫を残せないのに“種”を自称するのは、おかしな話なのじゃないか。
 それに、どうしていきなりそんな話になるのかが、よくわからない。

「わたしたち、さすがに繁殖機能までは無いけど、ここは魔法や奇跡があって、神様が本当にいる世界でしょう? 科学以外も発展してる世界なのよね」
「ごめん、オージェ。君が何を言いたいのか、よくわからない」
「その、ええと、つまり……わたしと結婚して、ふたりで子孫繁栄する方法を探しましょうってこと」

 ヴィトは大きく目を見開く。

「結婚、して?」
「ええと……いや?」

 目を見開いたまま、じっと、穴が開くんじゃないかと心配するくらいじっと見つめて……ヴィトはいきなり相好を崩す。

「もちろん、したいに決まってる!」

 ふわりと抱き上げて、思い切り抱き締めて、ヴィトはいくつもいくつも、オージェの顔中にキスを降らせた。

「そうと決まったら、ヴィト」

 キスを返して床に降りて、オージェはしっかりと立つ。

「わたし、神王に会いに行かないと」
「え、でも、オージェ」
「このままこっそり逃げ出しても、振り出しに戻るだけよ。リコーちゃんも助けなきゃならないし、イーターさんたちだってここに向かってるわ。
 今、うまく脱出して黒炎城に逃げ込んだとしても、神王と話を付けなきゃ、今度は黒炎城に迷惑かけることになるのよ」
「黒炎城? 黒炎城って、イーターさんの? どうして?」
「ヴィトを連れて黒炎城に再就職することが決まってるから」

 呆気に取られたヴィトはしばしの間ぽかんとオージェを眺めて、それから急に笑い出した。

「――すごいやオージェ。再就職先まで決めてからここに来るなんて、予想もしなかったよ!」
「だって、ヴィトが戻った後、行き場がなくっちゃ困るじゃない」
「うん、確かにそうだけど、まさか黒炎城だなんて。それじゃ確かに、ちゃんとトラブルを片付けて行かないといけないね」
「でしょう?」

 ちょっと得意そうな笑顔を浮かべるオージェに、ヴィトはくっくっと身体を折り曲げてひとしきり笑い続けている。
 今の何がそんなにおもしろかったのか、さっぱりわからない。あまりに笑うので、とうとうオージェは頬を膨らませて「もう」とヴィトの背を叩く。
 目の端に涙が滲むほど笑ってから、ようやく、ヴィトは大きく頷いた。

「なら、神王に会う前に、できる限りのことをやらないとね」
「できる限りのこと?」

 目の端を拭うヴィトに、オージェは首を傾げる。
 いったい何をするというのだろう。

「そう。神王陛下は嘘吐きだ。だから、うっかり騙されても大丈夫なように、しっかりと手を打っておかなきゃならない。
 それに、たぶん、これは君にしかできないことだ」

 言いながら、ヴィトは考える。
 デーヴァを知り尽くしている神王とレギナに見つからずに仕掛けるには、どうすればいいだろうか。
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