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5.はじまりの女神

不具合

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 まるで棺桶のような狭い箱の中に寝かされて、オージェは不安げに周りを見渡す。手足も身体も拘束されて、動けない。
 いったい何をされるのかもわからず、オージェはただ震えるだけだ。

「ヴィト、わたし……」
身体ボディを傷つけたりはしない。故障部位等の有無の確認、および特定のために、外側から検査をするだけだ」
「わたし、本当に人間じゃないのね」

 人間なら医者が診る。間違っても“故障”がどうこうなんて言われない。

「君は……」

 ツヴィットが何かを言いかけて小さく首を振った。仮面に隠れて顔は見えないのに、何か不可解な表情を浮かべているようだと、オージェは感じる。

「ヴィト、どうしたの?」
「――何も、問題はない」
「でも、何か気になってるみたい」
「問題は、ないはずだ」

 再会してからのツヴィットは、感情なんて欠片も感じさせない声でずっと平板な話し方をしていたはずだ。
 なのに、今、ツヴィットが応えた声はとても“ヴィトっぽい”。

「ヴィト?」
「私は“二番目ツヴィット”であり、代替人格ヴィトではない」

 どこか言い聞かせるような声音に、オージェは大きく眼を瞠る。

「ヴィト! やっぱりヴィトでしょう?」
「――違う!」

 どこか苛立っているような声で、ツヴィットは指先でパネルを叩く。

 オージェが横たわる、棺桶のようなベッドの蓋が動き出した。丸く湾曲した蓋がすっぽりとオージェを覆い隠し、たくさんの光が明滅を始める。

『データリンク、確認』

 無機質な女声が聞こえる。

『身体機能およびデータスキャン、開始』
「何……や、何? 何が起きてるの!?
 助けて……助けてヴィト!」

 身体を何か見えないものに探られている……そう感じた次の瞬間、今度は頭の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜられるような感覚に襲われた。



 稼働を始めたスキャナを眺めながら、なぜか、ノイズのようなデータの“揺らぎ”を感じてツヴィットは首を捻る。
 メンテナンスで、不具合の起きたパーツも記憶領域メモリもシステムも何もかもを一新して調整したはずなのに、この不調は何なのか。
 後から、自分も再度メンテナンスを受け直すべきか……。

 ふと、顔につけた通信機器を“邪魔”だと感じた。

 感じている不調はこれのせいではないか。
 小型の内臓モジュールに比べて、この機器で受信できるデータは格段に多い。状況に応じて即デーヴァやレギナ、ナディアルとの通信も行える。常に周囲のセンサーとリンクしているため、大量な情報の分析を常時行わなければならない分、内部処理の負荷は高まる。
 しかし、活動に支障をもたらすほどではない――はずだ。

 仮面を外す。

 リソース不足で後回しにされていた処理プロセスが動き出す。

 外部キー取得、暗号化解除デコード……断片化データ再構成開始。
 再構成データチェック……七十パーセントが利用可能。
 復旧開始。

 外した仮面を右手に持ったまま、ツヴィットは微動だにしない。


 * * *


「次はどこへ向かえばいい」
「こんなの予定外なの。迂回しなきゃならないわ」

 イーターをちらりと見上げて、カロルは「こっちよ」と先頭を行く。
 まさか、幼体の竜がここまでデーヴァローカを荒らせるとは思わなかったと悪態をつきながら、ドリット・カロルは足早に通路を歩いていく。
 人形たちと鉢合わせないようにあれこれと手を回しながら、だ。

「ある程度の情報なら私が遮断できる。でも、完全ではないの。レギナ様やナディアルが注意を向ければすぐに見つかる程度の撹乱よ」
「けど、時間稼ぎくらいにはなるんだろう?」

 アカシュが確認すると、「まあね」とドリット・カロルは肩を竦めた。けれど、あまり楽観視はしていなさそうだ。

「見つかれば即……そうね、私以外は警告を受ける間も無く全員無力化されるわ。その竜の仔を眠らせたガスの他にも、手段はいろいろあるもの。
 言うなれば、レギナ様やナディアルが“そう考えるだけ”で、今すぐにあなたたちの生命を奪うことだってできるのよ」

 アカシュは嫌そうに顔を顰めた。アカシュの指をきゅっと握るイァーノの手を握り返し、背中にしがみ付いたリコーを背負い直す。
 イーターも感心したように、目を眇めて通路の先へと目を向ける。

「ふむ……さすが神殿。我らはまつろわぬ女神の手中にあるというわけか」
「手中? とんでもない」

 ドリット・カロルはくすりと笑って足を止める。

「手中どころか、この“デーヴァローカ”は女神デーヴァの胎内よ。女神の意思に反してここを出るのは、難しいでしょうね」

 また歩き出すドリット・カロルに続いて、皆も歩き出す。
 これは出るにも苦労しそうだと、アカシュは小さく吐息を漏らした。

「万が一、女神が俺たちを出さないと決めたら、俺たちは何ができる?」
「何も。どうしようもないわ」
「なんだって?」
「どうしようもないから、さっさとオリジンを見つけなきゃいけないのよ」
「はあ?」

 ドリット・カロルはちらりとアカシュを振り返った。どう説明すればいいのやらと、ほんのり呆れを滲ませた表情を浮かべて……。

「魔導ゴーレムというものは、命令権を与えられた者にしか従わないのよね」
「ああ、そうだ」

 ここでなぜゴーレムの話になるのかと、アカシュもイーターも訝しむような顔になった。イァーノも首を傾げて続きを待つ。

「女神……“デーヴァ”は、ゴーレムみたいなものよ。もっている力は、あなたたちからすれば神のごとく見えるとしても」
「ゴーレム?」
「そう。そして、今現在、“デーヴァ”に対する一番大きな命令権を持っているのはオリジンだけ」
「神王ではなく? オージェが、だと?」

 女神がゴーレム? と、アカシュもイーターも顔を見合わせる。

「ナディアルは、あくまでもレギナ様の命令権を委譲されてるに過ぎない。
 デーヴァおよびデーヴァローカに対して一番大きな権限を持っていたのは、ここの責任者でもあったマイスル博士よ。博士は自分の死期を知った際に、オリジンに自分のすべての権限を継承させたわ」
「――さっぱりわからん。それに、まつろわぬ女神がゴーレムだというなら、いったいここは何なのだ」

 思い切り顔を顰めて、イーターは周囲を見回す。ここは“まつろわぬ女神”と呼ばれる女神の、神政国王城を兼ねた神殿ではないのか。

「平たく言ってしまえば、ただの研究施設。この世界にもたくさんあるでしょう? 魔術師や魔導技師の研究施設が。あれと同じよ」

 アカシュもイーターも、魔術の幻覚に騙されてるのではないかと胡乱な目であたりをもう一度見回す。
 のっぺりとした金属製の通路に、見たこともない模様と文字が壁や床、そして天井までを飾っている。とても研究施設には見えないが、もしかしたらこの模様は魔術紋や魔法陣なのだろうか。

「やっぱりわからぬわ。とても同じものには見えんが」
「俺も、こんなのは見たことない」
「当たり前じゃない。技術も研究してるものも違うんだもの」

 呆れた表情のドリット・カロルに、イーターは肩を竦めるばかりだ。

「――わからんが、まあ、オージェを見つけねば我らが手詰まりだということはわかった」
「それだけ理解すれば十分よ。さ、急ぎましょう」


 * * *


「ずいぶんと虫喰いだらけだ」
「しかたないわ、ずっとメンテナンスも何もしてないし、データは増える一方だもの。圧縮だって限界もあるのよ」

 適当にピックアップしたデータをさらりと確認して、ナディアルが吐息を漏らす。やれやれ、めんどうだなとでも言いたげだ。

「この中から、キーを探せと?」
「古いものから当たっていけばいいの。そうね、創造主に関連した記録を優先して解析していけばいいわ」
「――お前に任せよう」

 オリジンのデータは膨大な量だった。
 圧縮に圧縮を重ねて、それでもすべてを保存しきれなくて、定期的に消去もしてきたのだろう。現在の“デーヴァ”のように。

「わたしに任せてくれるなんてうれしいわ、ナディアル」

 弾んだ声で、レギナが頭を擦り寄せる。
 自分はこんな重要な作業を任されるほど、ナディアルに愛されているのだ。

 無言で頬を撫でる神王にキスを贈られて、レギナはうっとりと目を細めた。そのまま、夢見るような表情を浮かべてデータへと集中する。
 それを見届けて、神王は魔術師クーを呼び出した。
『陛下、どのようなご用件でしょうか?』
「もうすぐ、ここに客人・・が来る。お前も控えていろ」
『客人……』

 通信機の向こうで不思議そうな呟きが聞こえたが、すぐに何のことか悟り、慌てたように『あっ』と小さな声が上がる。

『了解いたしました。すぐに参ります』

 プツリと通信が切れて、神王は目を閉じた。

 違和感、だ。
 なぜ、とはっきり言えない、どことない違和感があった。
 オリジンを連れて戻ったツヴィットから、神王は違和感を嗅ぎ取った。
 うまく説明はつかないが、一番目エルストと同類だと考えていた、ただ命令を聞くだけの人形のはずのツヴィットが、なぜかレギナと重なって見えたのだ。

 ツヴィットがレギナと同じものだとしたら、どう思考し、どう行動するか――そんなことを考えて、神王はつい笑い出してしまう。
 ツヴィットが自発的な思考を持つとしたら、おとなしくオリジンを連れて帰ってなど来るだろうか。
 何か魂胆があると考えるほうが自然だ。

 オリジンの干渉を受けずに動かせるものが、レギナかツヴィットのみだという現状が仇になったのか。
 デーヴァに対する絶対的な支配権が無いというのは、やはり枷だ。

 ふう、と吐息を漏らして、神王は考える。
 ツヴィットに入っているのは、自分の記憶だ。
 なら、過去の、狭い世界で生きていたころの自分がツヴィットなのか。
 レギナのように想定の外側で勝手に生み出された“不具合バグ”だとしたら、ツヴィットも、自分には従わないものに変化しているのだろうか。

「アレが私だというなら、それはそれで――悪くない」

 神王は楽しそうに目を細めた。
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