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5.はじまりの女神

ありえない、だけど、ありえる

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 黒馬を疾走させるイーターの前に、人影が飛び出した。驚きで棹立ちになった黒馬の上空で、アカシュがさっと銃を抜く。

「いきなり危ないではないか!」

 街道に立ち塞がっていたのは、若い女だった。栗色の髪に、やや暗い色の目。特に目立ったところのない服装に……。
 馬を宥めながら、イーターはまじまじと女を観察する。

「――ただの木偶人形というわけではなさそうだが、何者か」

 少し剣呑な声音のイーターに、女はふっと微笑んでみせた。
「私はカロルよ。あなたたちに馴染みのあるほうの名は、“三番目ドリット”かしら」
「“三番目ドリット”?」

 イーターが面甲ヴァイザーを上げる。
 怪訝そうに目を眇めて「神王の犬というわけか」と呟いた。

「犬だなんてひどい。それに、私の最優先順位者あるじはデーヴァ・レギナ様。あなたたちが御使いと呼ぶ方であって、ナディアルなんかじゃないの」
「では、何の目的があって、我らを止めた」

 あくまでも警戒を緩めずじろりと見下ろすイーターに、ドリット・カロルは正面からにっこりと笑い返す。

「そんなもの、ひとつしかないわ」
「ほう?」
「“オリジン”を奪い返してちょうだい」

 さすがに驚いたのか、イーターの眉が上がる。アカシュも思わず銃口の狙いを外して、「何だって?」と返してしまう。

「えっ、えっ、奪い返せって、オリジンて、オーちゃんを助けろってこと?」
「ええそうよ、お嬢ちゃん。私たちに“オリジン”は不要なの。神王が“デーヴァ”を完全に掌握したら、レギナ様がどうなるかわからないもの」

 イーターが思い切り顔を顰める。つまり、神王の周囲もまつろわぬ女神の神殿内も一枚岩ではないということか。
 ――なら、付け入る隙は、意外に多いのかもしれない。

「なぜお前自身がやらぬ?」
「私は“オリジン”に手を出せない。所在を認識することすらできないの。ただ、“オリジン”が“デーヴァローカ”に戻ったことを知っているだけ」

 手が出せない? と首を傾げるイーターに、ドリット・カロルは頷いた。

「“オリジン”の望み……命令に、私たちは抗うことができない。必ず、その通りにしなくてはならない。
 “オリジン”が“デーヴァローカ”を出る時、私たちに命じたのよ。構うな、と。だから、私たちは“オリジン”を認識することができない。私達に取って、“オリジン”は居ないものとしなければならない」
「ずいぶんと徹底している」

 だが、その命令に反して“オリジン”について語れるのはなぜなのか。
 イーターはドリット・カロルをじっと観察する。木偶にしては妙だ。だが、魂を持つ生き物というわけでもない。

「“オリジン”が戻れば、神王は彼女から権限を取り上げてしまうわ。レギナ様が一時的に与えているものよりずっと強力な権限を得れば、今度こそ完全な“デーヴァ”の支配者になってしまう。そうなれば、レギナ様は……」
「呆れるほどに見上げた忠義心だな。木偶にしておくのは惜しい」
「当然よ。私は木偶人形とは違うの。レギナ様に、より人間らしく、けれど人間以上に良いものとして造られたのだもの。
 だから、レギナ様のために働くのは、私の正しい姿よ」

 呆れたような溜息を吐いて、イーターはアカシュに視線を送る。まあ仕方ない、とでも言いたげな調子で、アカシュは両手を上げて肩を竦めた。

「お前の盲目的な忠義心はどうかと思うが、利害は一致したということか」
「なら!」
「待て。それで、お前には何ができるのだ?」
「“デーヴァローカ”の内部まで連れて行くことができる。私がいなければ入ることすら叶わないところまで、案内してあげるわ。
 私の協力がなければ、あなたたちはすぐ手詰まりになるでしょうね」

 だから協力は当然だ、という口調でドリット・カロルは続ける。
 魂の気配さえあれば、きっと、ただの人間としか思えなかっただろう。
 名前からしてあの“一番目エルスト”の同類なのだろうが、イーターでさえも、えらい違いだとしみじみ感心してしまうほどだ。

「だが、さすがのお前であっても――というわけか」
「それに、あなたたちを連れていても私が“オリジン”の目の前に行くことはできない。おおよその場所を推測して教えることはできても、それ以上は無理」

 ドリット・カロルは肩を竦める。その表情も仕草もとても人間臭い。
 獣の背から、イァーノが急に身を乗り出した。

「ねえ、リコーちゃんは? オーちゃんと一緒? 無事?」
「リコー……あの小さい竜ね。眠らされて、閉じ込められてるわ」
「じゃ、無事なの!?」
「もちろんよ。私たちは竜との戦争なんて望んでないもの」
「よかったあ」

 ほっと息を吐いて笑顔になったイァーノの頭を、アカシュがよかったなとポンポン撫でる。

 ――と、いきなりドリット・カロルがくるりと王城を振り返った。

「どうした」
「異常発生? どういうこと?」
「何が起きた」
「わからない。情報が混乱していて……」

 走り出そうとするドリット・カロルの身体を、イーターが掬い上げた。鞍の前に載せるなり、馬に拍車をかける。
「お前の足より我の馬のほうが早い。行くぞ、案内しろ」
「あ、おい」

 いななきと同時に猛然と走りだす黒馬を、アカシュも慌てて追った。

「イーちゃんどうしたの?」
「なんかあったらしいな」
「リコーちゃん大丈夫かな」

 不安げに王城へと目をやるイァーノを、アカシュはしっかりと抱え直した。

「大丈夫だ。なんたって、リコーはオルで一番強い竜族なんだからな」
「――うん」


 * * *


 ふわあ、と大きく欠伸をして目を覚ますと、真っ暗な部屋だった。
 ぐうっと伸びをしながらあたりを探ってみたけれど、誰の気配もない。どうやらひとりきりで閉じ込められているらしい。

 むむむと目を細めて、リコーはちょっと焦げ臭い息を吐いた。
 変な臭いのする空気を吹き付けられたと思ったとたんに猛烈に眠くなって、どうしても我慢できずに眠り込んでしまったのだ。
 リコーはちょっと頭にきた。
 ひとのことを勝手に眠らせて、オージェから引き離すなんてひどい、と。

「ふーんだ、あたしのこと閉じ込めてオーちゃんに何かしようったって、絶対許さないんだから」

 ふんふんと周囲の匂いを嗅いで、ゆっくりゆっくり歩き回って部屋の様子を探って……たしかにリコーが人間だったら、こんな真っ暗では一歩も動けずに震えるだけだったかもしれない。
 でも、リコーはまだ幼くても竜で、竜はあらゆる感覚で周りを詳細に探ることができる。目が利かなくたって問題ない。

「入り口、ここかな?」

 カリカリと爪で引っ掻いてみたけれど、どうも金属の扉らしい。継ぎ目らしいところにちょっとだけ爪が引っかかったが、隙間らしい隙間は無かった。
 しかも、鉄よりも硬そうだ。
 リコーはむむむと唸り声を上げる。

「でも、おとうちゃんが言ってたもん。火の山の溶けた岩くらい熱くすれば、鉄だってふにゃふにゃになるって」

 シュウっと、さっきよりずっと熱い息をひとつ吐いて、リコーは集中する。
 父竜の言うように鉄を溶かすには、いつもよりずっとずっと力を溜めて熱い火を吐かないといけないのだ。

 リコーが集中するにつれて、全身の鱗が赤熱したようにぼうっと輝きだす。でも、まだ足りない。

「もっともっと。おうちのそばの火の山より、もっと熱くならなきゃ」

 鱗の輝きがこれ以上ないくらいに増したところで、リコーはようやく火を噴いた。赤を通り越して青白くなった炎を、扉めがけて思い切り吹きかける。
 しばらく噴いてるうちに、少し呆気ないと思うくらい簡単に扉がどろりと溶け出した。潜るのに十分なくらいの穴も開いて、リコーは満足げに頷く。

「あたし、えらーい」

 穴から外へと抜け出して、ふふふと笑いながら、リコーはふんふん匂いを嗅ぎまわった。どこをどう連れて来られたのかはわからないが、匂いを見つければオージェのところへはすぐに辿り着けるだろう。

 が、急にワンワン耳に刺さるようなやかましい音が響き渡る。
 飛び上がるくらい驚いて、リコーは慌てふためいてしまう。

「えっ、えっ、何の音? 何かいるの? 何?」

 落ち着きなくあたりを見回して、リコーはとにかくどこかへと走りだす。
 何か怖いことが起こっているのだ。早くオージェとヴィトを見つけてここから出ないといけない。

 めくらめっぽう走り回って、たまに出会った変な人形は体当たりをして燃やして、とにかく走り回る。
 途中で急に壁が落ちてきて通路が塞がってしまったけれど、それも渾身の火の息で溶かして通った。
 いつもより熱い火を吹きかけるのはとても疲れるのだ。正直を言えばあまりやりたくないのに、そうも言っていられない。

「オーちゃん、どこお?」

 逃げ回っているうちに、今自分がいる場所も何もかもさっぱりわからなくなって、だんだん心細くなってくる。
 未だに音はうるさいし、後から後から変な人形は湧いてくるし、ここはいったい何なのか。城だと聞いていたのに、リコーが知っている城とは全然違う。もちろん、黒炎城ともまったく違う。

「なんで、あっくん一緒にいてくれないの?」

 心の中で少し理不尽にアカシュを責めながら、リコーは必死に歩き回った。

 また変な空気が出てきたけど、リコーだってバカじゃない。そんなもので何度も何度も寝こけてしまうとか、思わないで欲しい。身体をうんと熱くすれば、変な匂いの空気で寝ることもないと、もうわかっているのだ。
 リコーは、ちょっと匂いを感じるたびに身体を赤熱させる。
 とてもしんどいけれど、寝てしまうよりはいい。

「オーちゃんまだ見つからないのに、あたし疲れてきちゃったよ。あっくんまだなの? 早く来てよお」

 いかに熱と火を操れる赤竜でも、まだ幼いのだ。
 壁を溶かすにはうんと集中して力を入れなきゃならないし、変な空気をかわすにも、やっぱり集中して力を入れなきゃならない。
 おまけにひとりきり、どっちに行けばいいかもわからなくなってしまった。
 皆早く来てくれないかなと、そればかり考えながらリコーは走り回る。


 * * *


「つまり、中で何かやらかしてるのは、リコーなんだな」
「そう。竜の幼体が内部を破壊しているようね。犬程度のサイズの仔竜が、あんな高熱を生み出すなんて想定外よ」

 ドリット・カロルの案内で、拍子抜けするくらいあっさりと城に入り込んだアカシュたちは、まずはリコーを迎えに向かっていた。
 ひとりで隔離されたところを逃げ出したものの、迷ってあちこちふらふら壊して歩いているというからだ。

「――赤い竜が鉄を溶かすなんて、よく知られた話なんだがな」
「生物学的にありえないわ。どんな体組織ならそんな高熱に耐えられるっていうの? ありえない」
「火を吐く竜が、自分の火で火傷なんかするわけないだろうが」
「リコーちゃんは火を使うのがすっごく上手なんだよ」

 このドリット・カロルとかいう奴は、何かというとすぐに「ありえない」と口にする。現に目の前に存在している生き物に向かって“ありえない”とは、それこそ“ありえない”のではないか。
 アカシュはそんなことを考えながら、小さく舌打ちした。

「この先よ。隔壁が下りてるけど、今、開け……え?」

 ドリットが壁にある操作盤へと手を伸ばそうとしたところで、目の前を塞ぐ隔壁からとんでもない熱が放射された。

「あっ、リコーちゃん!」

 “ありえない”ほどの高熱でみるみる溶かされた隔壁に、小さな穴が開く。
 そこをよっこいしょと潜って現れた、小さな赤い竜がぱあっと顔を輝かせた。

「イァーノがいる! あっくんもだ!」
「リコーちゃん、大丈夫? 怪我してない?」

 すぽんと穴を抜けた拍子に転がりながら、リコーは体当たりするようにドンとアカシュの脚にぶつかった。

「遅いよあっくん! あたしヘトヘトだよ。早くオーちゃんとヴィト見つけて帰ろう。ここ、変だしうるさいし、もうやだ!」

 アカシュの脚にしがみついてぎゃあぎゃあ喚くリコーを、イァーノが「リコーちゃんすごくがんばったね」と慰める。

「わかったわかった、もう大丈夫だから落ち着け。ほら、いつもみたいにおぶってやるから」
 アカシュはリコーを抱え上げて自分の背中に載せる。
 ぎゅっとしがみ付くリコーに、イーターが「我の背でも良いぞ」というが、「あっくんがいい」と首を振る。
 横に立つイァーノが「リコーちゃん、ほんとにがんばったよ」と手を伸ばしてお尻のあたりを撫でると、リコーは「うん」と頷いた。

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