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5.はじまりの女神
遭遇と再開
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「トト、通信はお前に任せるわ。くれぐれも、ツヴィット様の任務を邪魔するんじゃないわよ」
「わかってますよご主人様」
用意された通信機器をトトに渡して、クーは魔術の準備にかかった。
“オリジン”を確実に捕獲するにあたり、最適なポイントを絞り込むための占術を行使することがクーの役目で、その間、鏡に映る情報を知らせることがトトの役目になる。銀色ののっぺりとした板状の道具をトトに渡すと、クーは作業机の上、濁りのない水を張った水盤の横に、必要な触媒をずらりと並べた。
「“世界を満たす魔名よ”」
触媒を順番に手に取ったクーが、指で潰したり撫で回したり、忙しなく手を動かしながら複雑な呪文を紡いでいく。
水面が揺れて、何かの像を結び始める。
ゆらゆらと揺れるばかりの映像は、だんだんと焦点を結び……。
「――見えた」
山の中を伸びる細い街道。
片側がそびえ立つ岩壁、もう片側はゴツゴツとした岩の転がる荒れた斜面。
その斜面に、目立つ大きな岩……黒い岩が突き出ている。
雲ひとつない空に輝く太陽の高さは、中天に届かないくらい。
黒い馬には亜人と男、それから幼い竜。その横の、奇妙な獣に娘とサティアの子供が乗っている。
彼らは警戒しているようだ。
特に、あの亜人は危険だ。人にはない力がある。
ひたすらに水盤に集中するクーの口からぶつぶつと溢れでる言葉を、トトは余さず拾い、通信機器の向こう側にいるツヴィットに伝えていく。
トトはただ伝えるだけ。内容の解釈や分析は、ツヴィットの仕事だ。
そうやって、ただひたすら見えるものを垂れ流すばかりだったクーの言葉が、不意に途切れた。
「ツヴィット様、以上です」
『了解した』
トトは慌てて通信を切って立ち上がった。集中とトランスが切れてぐったりとするクーを支えて立ち上がらせ、傍の簡易寝台に寝かせる。
サイドテーブルに水を用意して、濡らしたタオルを額に乗せて、「ご主人様も、こうやって黙って大人しくしてればかわいいのになあ」などと呟きながら、にやにやとひとしきり眺めて……それから、また鏡の前に戻ったのだった。
* * *
国境を越えて三日目は、朝から快晴だった。
空には雲ひとつ無く、どこまでも青く澄み渡っている。
予定通りなら、王都クーヴァンに到着するのは明後日だ。ここまで何事もなかったのは、まだ見つかっていないからか、それとも泳がされているのか。
「山ばっかりだね」
「そうだね。でも、アカシュさんの話じゃ、今日で山道は終わりなんだって」
「ふうん」
獣の背に跨って、軽く走らせながらお喋りをする。徒歩ならこの倍は掛かっただろう。イーターが乗騎を二頭持っていたのは本当にありがたいことだ。
リコーはイーターに背負われながら、きょろきょろと辺りを見回している。
「何か気になることでもあったか?」
最後の難所に差し掛かったところで落ち着きをなくしたリコーに、イーターが声を掛けた。森が途切れた後、片側に切り立った崖がそびえて岩だらけの斜面が続くこの辺りでは、よく落石事故があるのだと、町を出る時に聞いていた。
だが、目立つ黒い岩も見える。あれを過ぎれば山道はすぐに終わりで、あとは平地ばかりだとも聞いている。
「んと、なんだろ。何かいたような気がしたの」
まだ幼体とはいえ、竜の感覚はとても鋭い。
人間よりもはるかに敏感に周囲のようすを感じ取ることができる。
「何か? 野山の獣ではなく?」
「うん……でも、わかんなくなっちゃった」
「ふむ」
アカシュは黙って腰の銃を確認する。リコーがそう言うときには、必ず何かがあるものなのだ。
イーターもぐるりと周囲を見回した。隠れるところといえば斜面の岩陰くらいだが、それにしたって十分とは言えない。イーターの感覚に引っかかる何かはなく、動くものも見当たらない。
不意にリコーの爪に力がこもり、イーターの鎧に擦れて微かな音を立てた。
「何かいるの。でも、わかんないの」
リコーが小さく囁く。
「リコーちゃん?」
獣の背でオージェに抱えられたイアーノが、不思議そうに振り仰ぐ。
「オージェ、お前たちは上に」
「わかった。イァーノ、掴まってて」
「うん」
頷いて、しっかり鞍に掴まったのを確認して、オージェは手綱で合図を送った。獣は数度翼をはばたかせ、空へと駆け上がる。
「リコー、お前も一緒に空へ……」
「あっ!」
しばらくの間、一緒に飛んでいろと言いかけたイーターの背を蹴って、リコーが宙に舞い上がった。
「リコー?」
顔を上げたイーターの視線の先、崖の上から何かが降って来た。
「オージェ、上だ!」
「リコー、避けろ!」
慌てて身を捻ったリコーは、降りるというより落ちてきたものからどうにか身を躱す。馬上から飛び降りながら、アカシュがそれら目掛けて銃を撃つ。
白っぽい影が三つ、危なげなくイーターとアカシュのそばに着地した。
「イァーノ、しっかり掴まって」
影を躱そうとしてバランスを崩したのか、獣が不安定にぐらついた。オージェは必死に手綱を操るが、今ひとつ立て直しきれない。
急に、カラカラと小石が降り注いできた。
まさか落石がとオージェが上を見上げると、もうひとり、崖を滑り降りてきたものがすぐそばまで迫っていた。
「え……ヴィト?」
仮面で顔を隠しているけど、間違いなくヴィトだ。オージェの呼び掛けを聞いて、イァーノも顔を上げる。
「トーくん? なんで?」
ぽかんと呟くイァーノの目の前で、ヴィトが崖を蹴ってジャンプした。まるで飛び石か何かのように獣の背、オージェの背後に飛び降りると、抵抗する隙も与えず、麦袋のようにオージェを担ぎ上げてしまう。
「オーちゃん……あっ!」
ヴィトは頓着も見せず、思い切り獣を蹴ってイーターたちから離れた場所に着地した。きゃあ、というオージェの叫びにアカシュとイーターが反応するけれど、“人形”に阻まれて何も手が出せない。
「イァーノ!」
完全にバランスを崩した獣が懸命に翼をはばたかせ、身を捩らせる。暴れる背で鞍にしがみつくイァーノのせいもあってか、体勢を立て直せない。
リコーは慌ててイァーノの側へ寄る。
「リコーちゃんはオーちゃん追いかけて!」
「えっ、でも」
戸惑うリコーの目の前で、イァーノは思い切り鞍を蹴って崖に飛び移った。自分が乗っていないほうが、獣も飛びやすいだろうと思ったのだ。
それに、サティア族にとってこの程度の崖登りはたいして難しくない。
イァーノも、ほんの少しだけある凹凸をうまく蹄で拾い、ひょいひょいと駆け上がっていく。
「リコーちゃんは早くオーちゃん追いかけて! 行っちゃう!」
アカシュとイーターは、“人形”三体を相手に手が離せない。
かなりの速度で走り去るヴィトの背と崖上のイァーノをおろおろしながら見比べて、リコーはようやく頷いた。
「――わかった!」
「オーちゃんのこと、お願いね!」
「うん!」
リコーはばさりと大きく翼をはばたかせる。
崖を昇る風を捕まえていっぱいに翼を広げ、あっという間に高く舞い上がった。それからヴィトとオージェの消えた方向を確認すると、空を吹く風に乗って街道の先へと滑るように飛んで行った。
ふたりのようすを確認して、アカシュはホッと息を吐いた。“人形”の腹を目掛けて銃を撃ちながら、だ。
「呆れるくらい頑丈だ。どれだけ撃ったら動かなくなるんだ?」
「魂のない木偶では、痛みや恐怖に訴えることもできん」
イーターは、ぶん、と大剣を振り抜いたが、飛ばせたのは片腕だった。
切断面からパチパチと静電気に弾かれたような音が聞こえたが、それだけだ。“人形”の動きはまるで変わらない。
「脊椎を断てばさすがに動けなくなるだろうが、なかなかに素早くてな。脚も斬らせてもらえん」
やれやれというイーターの言葉に、アカシュは小さく舌打ちする。アカシュの銃ではそもそも力不足だ。こんな化け物相手は想定していない。
イーターの力なら相手が捕まればなんとかなるのに。
「ともかく、牽制は俺のほうでなんとかやるから、イーターは一体ずつ確実に仕留めていってくれ」
「おう」
大剣を構えるイーターの背に立って、アカシュは銃の狙いをつけた。
最後の人形が動かなくなったところで、アカシュもイーターもようやく息を吐いた。イァーノがひょいひょいと崖を降りて、獣の首をよしよしと撫でる。
「リコーがついていったが、大丈夫か」
「……さすがに竜の仔に手を出して、“竜の支配地”全部を敵に回すとは思わない……と言いたいけれど、わからんな。なんせ、神王陛下は人間じゃない」
アカシュは軽く肩を竦めて水袋の口を開けると、イァーノに渡す。それから、転がっている人形の破片を拾い上げてまじまじと見つめ、顔を顰めた。
イーターは黒馬と獣の鞍を確認している。
「それにしても、この木偶どもはしぶとかったな。かの忌まわしき者の配下である屍人以上かもしれん。さすがの我も驚いた」
アカシュは転がっていた人形のボディを拾い上げ、その中身を覗き、切断面を確認し、「さっぱりわからん」と呟いてポイと投げ捨てる。
「で、あのヴィトは、いったいどうしてあんなことになってるんだ?」
「さあな。だが、魂の気配が希薄になっておったわ。おおかた、神王に操られているかどうかといったところであろう」
呆れた表情を浮かべるアカシュに、イーターはまた肩を竦める。
神王についての情報は驚くほどに少ないのだと、黒炎城で会った商人たちも言っていた。
だから、ヴィトに何が起こったのかも、正確なところはわからない。
「なあ、オージェはなんだって神王に狙われてるんだ? 生け捕りってのは、相当面倒くさい方法だぞ」
「ヴィトの話によれば、オージェは神王の欲しいものを持ってるのだそうだ」
「欲しいもの? なんだそれ」
「わからん」
「わからんばっかりだな」
「ああ」
少しイラついたように爪を噛むアカシュを、イァーノが心配そうに見上げる。イァーノの表情に気づいたのか、アカシュは大きく深呼吸をすると、イァーノの頭をくしゃりと撫でて笑ってみせた。
「わからんことをいちいちあげつらってもしかたないな……リコーも付いて行っちまったし、俺らも行くか」
「アカシュとイァーノは獣で空を行け。我は黒馬を全速で駆る」
「わかった」
アカシュはイァーノを抱き上げて獣の鞍に跨る。イーターも黒馬の鞍に乗る。
「では、追うぞ」
「ああ」
イーターが黒馬に拍車をかけると同時に、アカシュもぴしりと手綱を打つ。獣は空へと駆け上がり、黒馬も全力で走り出す。
「ねえ、あっくん。ヴィト、どうしちゃったんだろう。オーちゃんのことがちゃんとわかってないみたいだったの。魔法なのかな。ちゃんと元に戻るのかな」
鞍の前にしっかり掴まったまま不安げに振り向くイァーノの頭を、アカシュはまたわしわしとかき混ぜる。
「わからんけど、ま、なんとかなるさ」
「ほんとに?」
「そうだな……善き神と精霊にでも祈っとけばいいんじゃないか?」
「もう、あっくんはやっぱり適当なんだから!」
「しゃーないだろ。わからんものを悩んだところで、わからんことに変わりはないんだ。悩むだけ損ってことだよ」
猛然と駆けるイーターに遅れないよう獣を急がせながら、アカシュは剥れるイァーノをよしよしと宥めた。
「わかってますよご主人様」
用意された通信機器をトトに渡して、クーは魔術の準備にかかった。
“オリジン”を確実に捕獲するにあたり、最適なポイントを絞り込むための占術を行使することがクーの役目で、その間、鏡に映る情報を知らせることがトトの役目になる。銀色ののっぺりとした板状の道具をトトに渡すと、クーは作業机の上、濁りのない水を張った水盤の横に、必要な触媒をずらりと並べた。
「“世界を満たす魔名よ”」
触媒を順番に手に取ったクーが、指で潰したり撫で回したり、忙しなく手を動かしながら複雑な呪文を紡いでいく。
水面が揺れて、何かの像を結び始める。
ゆらゆらと揺れるばかりの映像は、だんだんと焦点を結び……。
「――見えた」
山の中を伸びる細い街道。
片側がそびえ立つ岩壁、もう片側はゴツゴツとした岩の転がる荒れた斜面。
その斜面に、目立つ大きな岩……黒い岩が突き出ている。
雲ひとつない空に輝く太陽の高さは、中天に届かないくらい。
黒い馬には亜人と男、それから幼い竜。その横の、奇妙な獣に娘とサティアの子供が乗っている。
彼らは警戒しているようだ。
特に、あの亜人は危険だ。人にはない力がある。
ひたすらに水盤に集中するクーの口からぶつぶつと溢れでる言葉を、トトは余さず拾い、通信機器の向こう側にいるツヴィットに伝えていく。
トトはただ伝えるだけ。内容の解釈や分析は、ツヴィットの仕事だ。
そうやって、ただひたすら見えるものを垂れ流すばかりだったクーの言葉が、不意に途切れた。
「ツヴィット様、以上です」
『了解した』
トトは慌てて通信を切って立ち上がった。集中とトランスが切れてぐったりとするクーを支えて立ち上がらせ、傍の簡易寝台に寝かせる。
サイドテーブルに水を用意して、濡らしたタオルを額に乗せて、「ご主人様も、こうやって黙って大人しくしてればかわいいのになあ」などと呟きながら、にやにやとひとしきり眺めて……それから、また鏡の前に戻ったのだった。
* * *
国境を越えて三日目は、朝から快晴だった。
空には雲ひとつ無く、どこまでも青く澄み渡っている。
予定通りなら、王都クーヴァンに到着するのは明後日だ。ここまで何事もなかったのは、まだ見つかっていないからか、それとも泳がされているのか。
「山ばっかりだね」
「そうだね。でも、アカシュさんの話じゃ、今日で山道は終わりなんだって」
「ふうん」
獣の背に跨って、軽く走らせながらお喋りをする。徒歩ならこの倍は掛かっただろう。イーターが乗騎を二頭持っていたのは本当にありがたいことだ。
リコーはイーターに背負われながら、きょろきょろと辺りを見回している。
「何か気になることでもあったか?」
最後の難所に差し掛かったところで落ち着きをなくしたリコーに、イーターが声を掛けた。森が途切れた後、片側に切り立った崖がそびえて岩だらけの斜面が続くこの辺りでは、よく落石事故があるのだと、町を出る時に聞いていた。
だが、目立つ黒い岩も見える。あれを過ぎれば山道はすぐに終わりで、あとは平地ばかりだとも聞いている。
「んと、なんだろ。何かいたような気がしたの」
まだ幼体とはいえ、竜の感覚はとても鋭い。
人間よりもはるかに敏感に周囲のようすを感じ取ることができる。
「何か? 野山の獣ではなく?」
「うん……でも、わかんなくなっちゃった」
「ふむ」
アカシュは黙って腰の銃を確認する。リコーがそう言うときには、必ず何かがあるものなのだ。
イーターもぐるりと周囲を見回した。隠れるところといえば斜面の岩陰くらいだが、それにしたって十分とは言えない。イーターの感覚に引っかかる何かはなく、動くものも見当たらない。
不意にリコーの爪に力がこもり、イーターの鎧に擦れて微かな音を立てた。
「何かいるの。でも、わかんないの」
リコーが小さく囁く。
「リコーちゃん?」
獣の背でオージェに抱えられたイアーノが、不思議そうに振り仰ぐ。
「オージェ、お前たちは上に」
「わかった。イァーノ、掴まってて」
「うん」
頷いて、しっかり鞍に掴まったのを確認して、オージェは手綱で合図を送った。獣は数度翼をはばたかせ、空へと駆け上がる。
「リコー、お前も一緒に空へ……」
「あっ!」
しばらくの間、一緒に飛んでいろと言いかけたイーターの背を蹴って、リコーが宙に舞い上がった。
「リコー?」
顔を上げたイーターの視線の先、崖の上から何かが降って来た。
「オージェ、上だ!」
「リコー、避けろ!」
慌てて身を捻ったリコーは、降りるというより落ちてきたものからどうにか身を躱す。馬上から飛び降りながら、アカシュがそれら目掛けて銃を撃つ。
白っぽい影が三つ、危なげなくイーターとアカシュのそばに着地した。
「イァーノ、しっかり掴まって」
影を躱そうとしてバランスを崩したのか、獣が不安定にぐらついた。オージェは必死に手綱を操るが、今ひとつ立て直しきれない。
急に、カラカラと小石が降り注いできた。
まさか落石がとオージェが上を見上げると、もうひとり、崖を滑り降りてきたものがすぐそばまで迫っていた。
「え……ヴィト?」
仮面で顔を隠しているけど、間違いなくヴィトだ。オージェの呼び掛けを聞いて、イァーノも顔を上げる。
「トーくん? なんで?」
ぽかんと呟くイァーノの目の前で、ヴィトが崖を蹴ってジャンプした。まるで飛び石か何かのように獣の背、オージェの背後に飛び降りると、抵抗する隙も与えず、麦袋のようにオージェを担ぎ上げてしまう。
「オーちゃん……あっ!」
ヴィトは頓着も見せず、思い切り獣を蹴ってイーターたちから離れた場所に着地した。きゃあ、というオージェの叫びにアカシュとイーターが反応するけれど、“人形”に阻まれて何も手が出せない。
「イァーノ!」
完全にバランスを崩した獣が懸命に翼をはばたかせ、身を捩らせる。暴れる背で鞍にしがみつくイァーノのせいもあってか、体勢を立て直せない。
リコーは慌ててイァーノの側へ寄る。
「リコーちゃんはオーちゃん追いかけて!」
「えっ、でも」
戸惑うリコーの目の前で、イァーノは思い切り鞍を蹴って崖に飛び移った。自分が乗っていないほうが、獣も飛びやすいだろうと思ったのだ。
それに、サティア族にとってこの程度の崖登りはたいして難しくない。
イァーノも、ほんの少しだけある凹凸をうまく蹄で拾い、ひょいひょいと駆け上がっていく。
「リコーちゃんは早くオーちゃん追いかけて! 行っちゃう!」
アカシュとイーターは、“人形”三体を相手に手が離せない。
かなりの速度で走り去るヴィトの背と崖上のイァーノをおろおろしながら見比べて、リコーはようやく頷いた。
「――わかった!」
「オーちゃんのこと、お願いね!」
「うん!」
リコーはばさりと大きく翼をはばたかせる。
崖を昇る風を捕まえていっぱいに翼を広げ、あっという間に高く舞い上がった。それからヴィトとオージェの消えた方向を確認すると、空を吹く風に乗って街道の先へと滑るように飛んで行った。
ふたりのようすを確認して、アカシュはホッと息を吐いた。“人形”の腹を目掛けて銃を撃ちながら、だ。
「呆れるくらい頑丈だ。どれだけ撃ったら動かなくなるんだ?」
「魂のない木偶では、痛みや恐怖に訴えることもできん」
イーターは、ぶん、と大剣を振り抜いたが、飛ばせたのは片腕だった。
切断面からパチパチと静電気に弾かれたような音が聞こえたが、それだけだ。“人形”の動きはまるで変わらない。
「脊椎を断てばさすがに動けなくなるだろうが、なかなかに素早くてな。脚も斬らせてもらえん」
やれやれというイーターの言葉に、アカシュは小さく舌打ちする。アカシュの銃ではそもそも力不足だ。こんな化け物相手は想定していない。
イーターの力なら相手が捕まればなんとかなるのに。
「ともかく、牽制は俺のほうでなんとかやるから、イーターは一体ずつ確実に仕留めていってくれ」
「おう」
大剣を構えるイーターの背に立って、アカシュは銃の狙いをつけた。
最後の人形が動かなくなったところで、アカシュもイーターもようやく息を吐いた。イァーノがひょいひょいと崖を降りて、獣の首をよしよしと撫でる。
「リコーがついていったが、大丈夫か」
「……さすがに竜の仔に手を出して、“竜の支配地”全部を敵に回すとは思わない……と言いたいけれど、わからんな。なんせ、神王陛下は人間じゃない」
アカシュは軽く肩を竦めて水袋の口を開けると、イァーノに渡す。それから、転がっている人形の破片を拾い上げてまじまじと見つめ、顔を顰めた。
イーターは黒馬と獣の鞍を確認している。
「それにしても、この木偶どもはしぶとかったな。かの忌まわしき者の配下である屍人以上かもしれん。さすがの我も驚いた」
アカシュは転がっていた人形のボディを拾い上げ、その中身を覗き、切断面を確認し、「さっぱりわからん」と呟いてポイと投げ捨てる。
「で、あのヴィトは、いったいどうしてあんなことになってるんだ?」
「さあな。だが、魂の気配が希薄になっておったわ。おおかた、神王に操られているかどうかといったところであろう」
呆れた表情を浮かべるアカシュに、イーターはまた肩を竦める。
神王についての情報は驚くほどに少ないのだと、黒炎城で会った商人たちも言っていた。
だから、ヴィトに何が起こったのかも、正確なところはわからない。
「なあ、オージェはなんだって神王に狙われてるんだ? 生け捕りってのは、相当面倒くさい方法だぞ」
「ヴィトの話によれば、オージェは神王の欲しいものを持ってるのだそうだ」
「欲しいもの? なんだそれ」
「わからん」
「わからんばっかりだな」
「ああ」
少しイラついたように爪を噛むアカシュを、イァーノが心配そうに見上げる。イァーノの表情に気づいたのか、アカシュは大きく深呼吸をすると、イァーノの頭をくしゃりと撫でて笑ってみせた。
「わからんことをいちいちあげつらってもしかたないな……リコーも付いて行っちまったし、俺らも行くか」
「アカシュとイァーノは獣で空を行け。我は黒馬を全速で駆る」
「わかった」
アカシュはイァーノを抱き上げて獣の鞍に跨る。イーターも黒馬の鞍に乗る。
「では、追うぞ」
「ああ」
イーターが黒馬に拍車をかけると同時に、アカシュもぴしりと手綱を打つ。獣は空へと駆け上がり、黒馬も全力で走り出す。
「ねえ、あっくん。ヴィト、どうしちゃったんだろう。オーちゃんのことがちゃんとわかってないみたいだったの。魔法なのかな。ちゃんと元に戻るのかな」
鞍の前にしっかり掴まったまま不安げに振り向くイァーノの頭を、アカシュはまたわしわしとかき混ぜる。
「わからんけど、ま、なんとかなるさ」
「ほんとに?」
「そうだな……善き神と精霊にでも祈っとけばいいんじゃないか?」
「もう、あっくんはやっぱり適当なんだから!」
「しゃーないだろ。わからんものを悩んだところで、わからんことに変わりはないんだ。悩むだけ損ってことだよ」
猛然と駆けるイーターに遅れないよう獣を急がせながら、アカシュは剥れるイァーノをよしよしと宥めた。
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