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4.王子様とお姫様

王子様を追いかけろ

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「ヴィトの、バカっ!」

 目を覚ましたオージェがヴィト不在に気づいての第一声は、それだった。

「イーターさんも、どうして止めてくれなかったの!?」
「そうは言ってもだな」
「一緒に行くって何度も約束したのに、なんでわたしを置いて行くのよ! バカ! ほんっとバカ!」

 地面を蹴りつけながら、オージェは低い声で呪詛のような言葉を吐き続ける。

「ヴィト、ひとりで行っちゃったの、どうして?」
「俺に訊かれたってわからん」

 イァーノとリコーにじっと見られて、アカシュも肩を竦める。何しろ、たった数日の付き合いでしかないし、訳ありなことはわかっててもその“訳”が何かすら聞いていないのだ。推察しようがない。

「だけど、まあ、次にどうするかは予想できるな」
「どうするの?」
「見てりゃすぐわかる」

 イァーノとリコーが、揃ってオージェに視線を向けた。

「ともかく、ヴィトの希望は、オージェをケゼルスベールの目が届かないところに送れということだったが」
「何よそれ。ヴィトはケゼルスベールに行ったんでしょう? なら、わたしも行くに決まってるじゃない」

 イーターが眉を上げて肩を竦める。

「だが、オージェは神王に狙われているのだとヴィトが言っておったのだが」
「そんなの知らないわよ。わたしに心当たりなんて何ひとつないもの。それよりもヴィトが心配なの! 今すぐ追い掛けるわ!」
「ヴィトは、オージェの身が危険だと言っていたが?」
「あのねイーターさん。ヴィトはわたしのこと好きだって言ったくせにわたしのこと放り出して行ったのよ。追いかけて捕まえて、最後まで責任とらないで捨てていくなんてどういうつもりだって、きちんと釈明を聞かなきゃおさまらないわ」

 自分の倍近い身長のイーターに食ってかかるオージェを眺めて、やっぱりか、とアカシュは小さく吐息を漏らした。
 もちろん、アカシュたちがオージェに付き合う理由はない。トラブルの匂いしかしないのに首を突っ込むなんて、バカのやることだろう。
 アカシュだけならもちろん、ここで道を違えるところだ。
 アカシュだけなら、だが。

「ねえねえあっくん、ヴィト追い掛けるんだよね」
「ね」

 きらきらと輝く二対の目がアカシュを見上げる。
 これも予想通りだ。

「あのな。お前ら抱えて危ない橋は渡れないっての」
「でもでも、あたしヴィトの匂いわかるよ」
「私も、人探しのおまじないならできるよ」

 キラキラキラキラ、目を輝かせて子供ふたりが言い募る。

「オーちゃんだけだと、ヴィト追いかけられないかも」
「あたしたち一緒なら、オーちゃんも安心だよね」

 だから一緒に追いかけようと詰め寄る子供の顔には、それ以外の意見は聞かないぞと書いてある。
 こうなったふたりは梃子でも動かない。
 我儘にも程があると思うのに、最終的に折れるのはいつもアカシュなのだ。
 はあ、と大きく溜息を吐くアカシュが自分たちの要求を呑んだと悟り、ふたりはオージェへと突進していった。

「オーちゃんあのねあのね」
「あたしたちも一緒にヴィト追い掛けるよ! 今なら匂いちゃんとあるから、追い掛けるのも簡単だよ!」
「匂いがなくても、私が人探しのおまじないでヴィトを探すから安心だよ!」
「え……」

 抱きついてまくし立てる子供ふたりに、オージェの頭が冷えていく。

「で、でも、危ないって、イーターさんが……」
「大丈夫だよ。イーター強いし、あっくんも結構強いんだよ」
「オーちゃんひとりじゃ大変でしょ? お姫様が王子様を探しに出るなら、守りの騎士は必要だよね」

 オージェがちらりとアカシュを見る。
 これ、大丈夫なのかと問い掛けるような視線で。

「――実際問題としてだ」

 観念したような表情で、アカシュが口を開いた。ゆっくりと歩み寄りながら、考えるように視線を巡らせる。

「神王の目が届かないところなんて、たぶんこの大陸のどこにもないぞ」
「どういうことだ?」

 イーターが怪訝そうに顔を顰める。
 まさか、ケゼルスベールの神王は全能なのかとでも言いたげな表情だ。

「ケゼルスベールは大陸でもトップクラスの優秀な魔術師を幾人も揃えてるって、もっぱらの噂だ。なんせ、軍国ハーゼルの特殊機密事項ですら、いつのまにかケゼルスベールに盗まれてるって話もあるくらいだからな」
「ほう?」

 傭兵として仕事に就いている間、その手の噂はいくつも耳にした。

 軍国ばかりでない。魔術に関しては突出した技術を持つ西方魔導国であっても、ケゼルスベール相手に機密を保つことができない。
 それもこれもあの“まつろわぬ女神”の力なのかと、どこでケゼルスベールが聞いているかわからないと、皆が青い顔で口を噤むほどだ。
 もちろん、女神の力をあてにして入信しようというものも多いが、あの女神は神王以外を己の使徒として迎えようとはしないらしい。

「何重もの魔術障壁を巡らせて、専用の監視用魔導ゴーレムも置いた上で人間が警備をしているのに、神王はいつのまにか機密を手に入れてるんだとか」
「それはたいしたものだな」

 感心するイーターに、本当にわかっているのかなとアカシュは肩を竦める。

「ケゼルスベールの神王に隠しておけるものなどない、神王は千里眼持ちなのだから……なんて噂もあるくらいには、あの王様は何でも知ることができるんだと言われてる。あの女神から、どんなものでも見通せる神力を頂いたとかでな」
「たしかに否定はできんが……なら、なぜ神王はオージェを探し出せずにいる?」
「探し出せずに? 本当に?」
「ヴィトはそう言っていたが」

 アカシュは大きく目を瞠る。
 神王が狙いの何かを掴めずにいるなんて、初耳だ。

「――そこまでは知らないな。嬢ちゃんを見つけられないってなら、なんかあるんだろ。それこそ、嬢ちゃんに千里眼封じの力があるとか?」
「なるほど……」

 なら、それこそが神王がオージェを狙う理由なのだろうかと、イーターはじっと考え込んでしまう。

「ならイーターさん。わたしはやっぱりケゼルスベールに行くべきね。どこに行ってもダメなら、ヴィトを追いかけてケゼルスベールに行くほうが建設的よ。それに、一生逃げまわらなきゃならないなんて、ごめんだわ」

 ふん、とオージェが思い切り鼻を鳴らすと、イーターが苦笑を浮かべだ。

「オージェならばそう言うだろうとは思っておったわ」
「もう! なら、最初からヴィトを止めてよ!」
「それも無理な話だ」

 降参するように両手を上に向けるイーターに、オージェは思い切り剥れてみせた。

「とりあえず、ルートの確認をしようか」

 アカシュが棒を拾って、地面に簡単な地形図を描く。ヴィトの描くような精密な地図には遠く及ばないが、今はこれで十分だ。

「俺の予想では、このまま北上すれば五日くらいで東方森林国に入るだろう。そこから軍国国境に沿って森林国を進んで……山越えもあることだし、ケゼルスベールの王都クーヴァンまでは一月ひとつきってところか」
「ずいぶんかかっちゃうのね」
「これでも少なく見積もってだよ。何しろ、こっちは子供も抱えてる。何もかもが順調で、トラブルが何ひとつ起こらなければってのが前提だ」
「ふむ……」

 アカシュの地図をじっと睨みながら、イーターが考え込む。

 ヴィトは、自分に休息は必要ないと言っていた。それに、走り去った時の足の速さから考えると、とうてい追い付けるものではない。
 到着が一月後では、何もかもが遅きに失するのではないか。

「イーターさん?」

 眉を寄せたまま考え込むイーターの顔を、オージェが覗き込む。アカシュも、イーターが何を言い出すつもりなのかと待っている。

「城を、頼るか」
「え?」

 城? と首を傾げるオージェに、イーターが頷いた。

「黒炎城へ戻り、乗騎を借りる交渉をして、空からケゼルスベールに入る」
「え、でも、イーターさんの城って、はるか西の“緩衝地帯クィダム”に浮いてるんでしょ? そっちのほうが遠いわ」
「黒炎城、って……」

 アカシュもさすがに絶句する。
 イァーノとリコーは不思議そうに首を傾げながらふたりを見守っている。

「なに、黒炎城ならばすぐだ」
「すぐって、どういうこと?」
「今すぐにでも帰還できるということだ。このまま地を駆けて山を越えるよりも、いちど帰還し、乗騎を借りて空を行くほうがずっと早い」
「そうかもしれないけど……」

 オージェは戸惑うように視線を下げる。
 
「問題は、うまく乗騎を借りられるかではあるがな」
「たしかに……」

 アカシュの眉間に皺が寄る。

 イーターの言うように、空を行ければ確かに早いだろう。何しろ、地形に邪魔をされない。最短の直線距離で妨害もなく目的地を目指せるのだ。

 だが、黒炎城?
 黒炎城とは、屍人の騎士ばかりが集う死者の城ではなかったか。そこに生者が乗り込んで大丈夫なのか。
 これはやはり、ここで別れたほうが……。

「すごーい! お城に入っていいの?」
「入るくらい構わぬさ。皆、我の客人だ」
「お城! お城なの? 私お城初めて!」

 アカシュはまた大きな溜息を吐いた。
 あれは完全に行く気になっている。

「今すぐにって、どうやって?」

 半ば悪あがきのように、アカシュは尋ねた。今すぐ厄介ごとに飛び込めと追い詰められるなんて、どんな運の巡り合わせなのだ。

「我ら死の騎士には帰還のためのゲートが開けるのだ。遠方から城へ戻る時のみ、開くことができるゲートだがな」
「ゲート?」
「転移門というやつだ」
「――はあ?」

 転移? と、アカシュは思い切り胡乱な表情になる。

 西方魔導国最高の魔術師にすら、転移魔術は実現できていない。“魔術による転移は不可能”が常識ではなかったのか。

「転移なんて、まさか」
「まさかではないぞ。死の騎士であれば、誰もが帰還ゲートを起動できる」
「――“果て”の向こう、異界の魔術ってわけか」

 噂以上に黒炎騎士団には秘密が多いということか。アカシュはやれやれと頭を振る。イーターの態度から推測するに、その“転移門ゲート”というものは、屍人の騎士にとっては当たり前のものなのだろう。

「わかった」

 黙って考え込んでいたオージェが、急に顔を上げた。

「イーターさんの案でお願い。
 このままヴィトの後を追っても追いつけないどころか、何日差がつくかわからないのよね。なら、黒炎城で乗騎を貸してって交渉する方がいいわ」
「さすがオージェだ」

 オージェの腰にしがみついたままのイァーノとリコーが目を輝かせてアカシュを振り返った。
 ものすごく期待のこもった目で、ひたすらアカシュを見つめている。

「あー、俺たちも付き合うんで」
「え、でも」
「ここであんたたちとは関係ないと離れてもいいが、それをやれば、俺はたぶんイァーノとリコーに半殺しにされる」

 やったー! と喜ぶ子供ふたりに、アカシュはもう何度目かわからない大きな溜息をまた吐いた。
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