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第一章 バレる前
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今日も雄基は変だった。
まったく落ち着きを欠いていた先々週のお稽古に始まり、先週は水盤に張られた水を豪快に床にぶちまけた。今週はついに練習用の花器を落として真っ二つにし、青い顔をして弁償していた(かつみはいいと言ったのだが、雄基が聞かなかったのだ)。
かといって具合が悪いわけではないようで、毎週律義にお稽古をしに来る。しかし一緒に指導を受けるみのりへの反応は激烈で、みのりが何か話しかけても視線を合わせようとはせず、なぜか前かがみで黙り込むのだ。
──これはいよいよか。
みのりは深くため息をついた。前々から考えていたことを、実行に移す時が来たのだ。
愛弟子の異変に困惑しつつもかつみが二人の稽古を終えて、次の教室の準備のために店へと姿を消してしまうと、教室の中は二人きりになった。あわてたように帰ろうとする雄基の背中を呼び止める。
「あの、ちょっと」
珍しく真剣なみのりの声に、雄基はぎょっとして振り向いた。
「あのさ。実は、ちょっと前から考えてたことがあるんだけど……」
そう切り出したみのりの言葉に、精悍な頬が赤くなった。
なぜだ。
思わず首をかしげながらも、みのりは思っていたことを口にした。
「私、お稽古の時間を変えるから」
「──え」
あっけに取られた表情で雄基はみのりを見返した。思ってもみなかったことを告げられ、ひどく驚いているように見える。
みのりはわずかにうつむいた。だが、落ち着いた口調で続ける。
「雄基君、私とお稽古するの、やっぱり嫌だったんだよね? ──ごめん。私ニブくてさ、いつも何も考えなくて……」
雄基の異変には予兆があった。
それは今から三か月ほど前、バレンタインデーのことだ。まったく彼氏に縁のないみのりは、友達同士でチョコレートの交換会を約束していた。しかし、その日にチョコをあげるはずだった一人がインフルで休んでしまった。
一応手作りの食べ物だし、一週間後に渡すのも衛生面から気が引けて、たまたまその日にお稽古だった雄基になにげなくあげたのだ。
びっくりしている雄基に軽く、「一応手作りなんだよね。味は保証しないけど」などと、恩きせがましく言ったのがまずかった。真面目な彼はみのりの言動を真剣に受け止めてしまったらしく、どうやら大迷惑だったようだ。
明らかにみのりに対する態度が今まで以上にぎくしゃくしてきて、ちょうど同じ曜日まわりのホワイトデーにお稽古を休んだ。インフルエンザだとは聞いていたが、多分みのりに会いたくないがゆえの仮病だったのだろう。
そんなに気にしなくてもいいのに、とみのり自身も思ったが、今まで一度もお稽古を休んだことのない彼に、「そこまで嫌われていたのか」と内心少し落ち込んだ。
決定的な出来事があったのは、四月に入ってからだった。学校帰りの繁華街で、たまたま見つけた雄基の背中に、みのりはつい「あっ、雄基君」といつもの調子で声をかけたのだ。
みのりは連絡事項として、「お母さん、明日は仕事で遅いから先に始めてって言ってたよ」と言葉を続けようとしたのだが、少し後を歩いていたらしい雄基の友達が先に気づいた。
「え、あれ? 原、知り合いか?」
まったく落ち着きを欠いていた先々週のお稽古に始まり、先週は水盤に張られた水を豪快に床にぶちまけた。今週はついに練習用の花器を落として真っ二つにし、青い顔をして弁償していた(かつみはいいと言ったのだが、雄基が聞かなかったのだ)。
かといって具合が悪いわけではないようで、毎週律義にお稽古をしに来る。しかし一緒に指導を受けるみのりへの反応は激烈で、みのりが何か話しかけても視線を合わせようとはせず、なぜか前かがみで黙り込むのだ。
──これはいよいよか。
みのりは深くため息をついた。前々から考えていたことを、実行に移す時が来たのだ。
愛弟子の異変に困惑しつつもかつみが二人の稽古を終えて、次の教室の準備のために店へと姿を消してしまうと、教室の中は二人きりになった。あわてたように帰ろうとする雄基の背中を呼び止める。
「あの、ちょっと」
珍しく真剣なみのりの声に、雄基はぎょっとして振り向いた。
「あのさ。実は、ちょっと前から考えてたことがあるんだけど……」
そう切り出したみのりの言葉に、精悍な頬が赤くなった。
なぜだ。
思わず首をかしげながらも、みのりは思っていたことを口にした。
「私、お稽古の時間を変えるから」
「──え」
あっけに取られた表情で雄基はみのりを見返した。思ってもみなかったことを告げられ、ひどく驚いているように見える。
みのりはわずかにうつむいた。だが、落ち着いた口調で続ける。
「雄基君、私とお稽古するの、やっぱり嫌だったんだよね? ──ごめん。私ニブくてさ、いつも何も考えなくて……」
雄基の異変には予兆があった。
それは今から三か月ほど前、バレンタインデーのことだ。まったく彼氏に縁のないみのりは、友達同士でチョコレートの交換会を約束していた。しかし、その日にチョコをあげるはずだった一人がインフルで休んでしまった。
一応手作りの食べ物だし、一週間後に渡すのも衛生面から気が引けて、たまたまその日にお稽古だった雄基になにげなくあげたのだ。
びっくりしている雄基に軽く、「一応手作りなんだよね。味は保証しないけど」などと、恩きせがましく言ったのがまずかった。真面目な彼はみのりの言動を真剣に受け止めてしまったらしく、どうやら大迷惑だったようだ。
明らかにみのりに対する態度が今まで以上にぎくしゃくしてきて、ちょうど同じ曜日まわりのホワイトデーにお稽古を休んだ。インフルエンザだとは聞いていたが、多分みのりに会いたくないがゆえの仮病だったのだろう。
そんなに気にしなくてもいいのに、とみのり自身も思ったが、今まで一度もお稽古を休んだことのない彼に、「そこまで嫌われていたのか」と内心少し落ち込んだ。
決定的な出来事があったのは、四月に入ってからだった。学校帰りの繁華街で、たまたま見つけた雄基の背中に、みのりはつい「あっ、雄基君」といつもの調子で声をかけたのだ。
みのりは連絡事項として、「お母さん、明日は仕事で遅いから先に始めてって言ってたよ」と言葉を続けようとしたのだが、少し後を歩いていたらしい雄基の友達が先に気づいた。
「え、あれ? 原、知り合いか?」
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