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第二章 おもちゃの密室
18.
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僕の頬に冷徹な笑みがもどって来た。
「ああ、六年生になってかな。それまでは父方の実家にいた。母親が色々あって、父親も仕事でいそがしかったから。それが何か?」
僕の笑みの意味に気づかないのか、新保はにこりと笑って言った。
「そうか。俺、うれしかったんだよ。高校の新入生の名簿を見てさ、どっかで見た名前があるなって。みずしましろう、どっかで聞いた名前だなって。けっこう俺達仲良かったよな? しろくん」
耳に入った言葉の響きが僕の記憶を過去にもどした。
──シロ。
──シロ君、あなたが床に落としたんでしょ? だったらそのまま食べなさい。
──犬と一緒ね。あなたは犬なんだから、手を使っちゃダメよ、シロ。
覚えているのは床に転がった食器とつぶれた卵焼き。そして、椅子にすわったままで動こうとしない母親の足。
そうだ。だから僕は甘い卵焼きが苦手だったんだ。
「本当に大丈夫か? 顔色が悪いぞ。だから無理すんなって言ったのに」
新保の心配そうな声に周囲の喧騒がもどって来る。
「ああ、大丈夫だ。……ありがとう、いい店を教えてくれて。また来るよ」
僕が笑って答えると、新保はうれしそうに言った。
「そうか? じゃ、今度は柿崎と……ってデートで来るところじゃないか」
少しだけ視線を下ろして続ける。
「柿崎のこともさ、悪かったよ。一学期が始まったばっかりのころ、昔のお前のことがちょっと気になって見てたんだ。そしたら遊びに来た柿崎とよくしゃべってるだろ? よく笑う子だなって、そこから柿崎を見るようになった。お前達、つきあってんのかなって思ったこともあったけど、なんか違うような気がしてさ。それで一応カマかけてみたんだ。──結果は玉砕だったけど」
自嘲するように小さく笑う。
「そりゃそうだよな。今考えれば当たり前だ。柿崎だって、その気がないのにしょっちゅうお前のところに来るわけがない。普通つきあってるよな」
「なんか違うって、どういうことだ?」
僕の声音に、新保は眉尻を上げて僕を見た。
「お前、なんとなく柿崎が来ると、いつもより作ってる感がある気がしてさ。いつもはもっと自然なんだけど、柿崎が来ると、うれしそうっていうよりどこかはりつめてるような……そんな感じ。でも当たり前か。好きな子の前で緊張しないわけないよな」
無言の僕にあわてて続ける。
「あ、でもな、お前らがほんとにつきあい始めてからは変わった気がする。なんか、お前の肩の力が抜けたっていうか。やっぱり違うんだなと思ったよ」
お前に何がわかるって言うんだ。
喉元まで込み上げた言葉を僕は腹の内に押し込めた。
「色々言ったけど、お前と話せてよかった。また一緒に飯食おうぜ」
片手を上げて新保は自転車に乗った。僕は再び笑顔を作るのに苦労した。
「じゃ、また明日学校で」
細心の注意を払って自然に見えるよう手を上げる。新保の背中が人混みにまぎれ、突き出た頭が見えなくなっても僕は作り笑いを浮かべていた。
新保が知っていた僕の過去。
そして、笑香も知らない僕の過去。
僕はアーケードの裏通りに向かい、人気がないのを確認すると側溝の中に嘔吐した。
「ああ、六年生になってかな。それまでは父方の実家にいた。母親が色々あって、父親も仕事でいそがしかったから。それが何か?」
僕の笑みの意味に気づかないのか、新保はにこりと笑って言った。
「そうか。俺、うれしかったんだよ。高校の新入生の名簿を見てさ、どっかで見た名前があるなって。みずしましろう、どっかで聞いた名前だなって。けっこう俺達仲良かったよな? しろくん」
耳に入った言葉の響きが僕の記憶を過去にもどした。
──シロ。
──シロ君、あなたが床に落としたんでしょ? だったらそのまま食べなさい。
──犬と一緒ね。あなたは犬なんだから、手を使っちゃダメよ、シロ。
覚えているのは床に転がった食器とつぶれた卵焼き。そして、椅子にすわったままで動こうとしない母親の足。
そうだ。だから僕は甘い卵焼きが苦手だったんだ。
「本当に大丈夫か? 顔色が悪いぞ。だから無理すんなって言ったのに」
新保の心配そうな声に周囲の喧騒がもどって来る。
「ああ、大丈夫だ。……ありがとう、いい店を教えてくれて。また来るよ」
僕が笑って答えると、新保はうれしそうに言った。
「そうか? じゃ、今度は柿崎と……ってデートで来るところじゃないか」
少しだけ視線を下ろして続ける。
「柿崎のこともさ、悪かったよ。一学期が始まったばっかりのころ、昔のお前のことがちょっと気になって見てたんだ。そしたら遊びに来た柿崎とよくしゃべってるだろ? よく笑う子だなって、そこから柿崎を見るようになった。お前達、つきあってんのかなって思ったこともあったけど、なんか違うような気がしてさ。それで一応カマかけてみたんだ。──結果は玉砕だったけど」
自嘲するように小さく笑う。
「そりゃそうだよな。今考えれば当たり前だ。柿崎だって、その気がないのにしょっちゅうお前のところに来るわけがない。普通つきあってるよな」
「なんか違うって、どういうことだ?」
僕の声音に、新保は眉尻を上げて僕を見た。
「お前、なんとなく柿崎が来ると、いつもより作ってる感がある気がしてさ。いつもはもっと自然なんだけど、柿崎が来ると、うれしそうっていうよりどこかはりつめてるような……そんな感じ。でも当たり前か。好きな子の前で緊張しないわけないよな」
無言の僕にあわてて続ける。
「あ、でもな、お前らがほんとにつきあい始めてからは変わった気がする。なんか、お前の肩の力が抜けたっていうか。やっぱり違うんだなと思ったよ」
お前に何がわかるって言うんだ。
喉元まで込み上げた言葉を僕は腹の内に押し込めた。
「色々言ったけど、お前と話せてよかった。また一緒に飯食おうぜ」
片手を上げて新保は自転車に乗った。僕は再び笑顔を作るのに苦労した。
「じゃ、また明日学校で」
細心の注意を払って自然に見えるよう手を上げる。新保の背中が人混みにまぎれ、突き出た頭が見えなくなっても僕は作り笑いを浮かべていた。
新保が知っていた僕の過去。
そして、笑香も知らない僕の過去。
僕はアーケードの裏通りに向かい、人気がないのを確認すると側溝の中に嘔吐した。
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