10 / 21
10
しおりを挟む嫌いなところが書けなかったのは、思いつかなかったから。嫌いになるほど彼女を知らなかったから。知ろうとしなかったから。
「いますよ」
好きではなかったかもしれないが傷つけていいとも思わなかった。
優しくなりたいのに。おなじだけの想いが返せないなら、せめて。
「いいから、開けろって!」
「やーでーすー」
そう頑丈でもなさそうなドア一枚を内と外でひっぱり合ってもう何分経ったのか。ミシミシいうのが聞こえる。でもテレビでそこそこ年季の入った安アパートのドアでも元横綱が体当たりしてぶち抜けなかったから、俺達ぐらい余裕だろうとは確信している。それはかまわないが主に世間体的なあれであれだった。
じわじわと閉じていくドアに、これだけはやりたくなかったが左足をガッと食い込ませてせき止める。それでも羽瀬川は全然容赦がなかった。ぎゅうぎゅう挟んでくるから靴越しでも普通に泣くかというほど痛い。
「あだだだだだちょっコレまじ痛てェってやめろよせまじでやめてください」
「先生が、足どかせば済む話でしょ、……ッ」
意地でもこのドアを開けてなるものかと頑張っていたのが、急に手応えがフッと消えて全開になった。俺はバランスを崩して倒れそうになる、かわりにドアに肩を勢いよくぶつけたが、辛うじて踏ん張った。今日は痛い目に遭う日だなと遠く思う。素行が悪いのか。反論できない。
「痛ってえ……なした?」
「……んでもないです……」
と言うくせ顔がいつにも増して真っ白で、腹のあたりをぎゅっと握り込んで壁際にずるずるくずおれるから焦った。
勝手知ったる何とやら。図々しくあがり込んで冷蔵庫のでなく買い置きの常温の水を傍に置き、押し入れのほうをちらっと見遣って「布団敷くか?」と訊いた。羽瀬川はゆるくかぶりを振って、口許に手を押しあてる。くるしそうなのは見ればわかったが申し訳ないことに、きつく閉じられた瞼を縁取る、かすかにふるえる長い睫毛の先に涙がまるく結ぶ様子に、そんな場合じゃないのに俺は見入っていた。
背をさすって、服の上からでも骨のこつこつさわるのにまた動揺する。17、8の少年ってこんな薄っぺらいものなんだろうか。高校入るまでは剣道やってたスポーツマンなのに、顔だけ見たらわからないがこいつ結構、痩せてるのかも。
「うっ……」
低く呻くと羽瀬川は素早くトイレに駆け込んだ。
何があったのか手掛かりをさがして周囲を見たらテーブルの上に薬瓶が転がっていた。別に不審なものでもなんでもない、どこでも買える胃薬だ。部屋の隅に置いてあるカラーボックスにもいくつか違う種類のものがあって、生まれつき弱かったりするんだろうか。他の用途では胃薬はあまり使うことはなかったように思ったが。
しかしたかだか高校生がこういう薬の世話になっているというのも、あまり似合わないというのは偏見だが俺ですら滅多に飲まないのに。ああ見えてストレスを溜め込んでいるとか? まあ気軽に打ち明けられるような相手も、家族か友達というのがセオリーだろうから、羽瀬川にはちょっと縁遠そうな。
すこしほっとしたような面で出てくると、羽瀬川はグラスに水をくんで口をゆすいでいた。二杯目に水を満たすタイミングで、寄ってって話しかける。
「体調悪いのか? いつからだ」
「……」
さっき学校で見た感じ普通だっただけに突然何か不調に見舞われたとなると、重い病気だったらどうしよう。「飯食った?」尋ねるとうがいをやめ、ゆるりと目を逸らして「済ませました」と答える。
俺がいつも通りに買い物してきたので申し訳ないと思ったらしかった。すこしは頭が冷えたようで安心する。何にキレたのかは知らないが、祖父江のことならまったく、ちっとも、これっぽっちも疚しくないので話してよかった。しかし羽瀬川は突いてこない。ちょっと考えるような仕種でぼんやりしている。
「お前そんなだし俺も今日はもう帰っから。布団敷くか?」
「いえ……」
「とりあえずこれ冷蔵庫入れとくな」
「――どうも」
ふらふらと居間兼寝室である六畳間に戻ってテーブルに着く。ふるい畳はたまに靴下に刺さるが、羽瀬川は裸足でいることが多かった。台所も板張りだし冷たい筈だが気にする様子はない。客じゃないので俺もスリッパなど出されなかった。
「胃腸弱いのか?」
「……いえ」
「じゃあやっぱストレスかな……」
俺だったりして。
なーんてな、と続く冗談に決まっていたが羽瀬川は、そのでかい眼で俺をしばらくじーっと見詰めてから、徐にバックパックからA5のリングノートを取り出してテーブルに置いた。表紙には何も書かれていない。
「先生モテますね」
「……えっ?」
衝動に駆られてノートに伸ばそうとしていた手を思わず引っ込める。
「なんだそれ。褒めても何も出ねえよ」
「褒めてません。事実を述べたまでです」
「は、はあ……」
そうは言うが就職してからずっと家と学校の往復で、車通勤なので殆ど学外の人間と接する機会などなかった。買い物に行くか散髪に行くか、たまに病院に行くかそれぐらいだ。こうして振り返ると俺も羽瀬川のことを言えないくらい世界が狭い。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
【完結】遍く、歪んだ花たちに。
古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。
和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。
「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」
No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。
馬鹿な先輩と後輩くん
ぽぽ
BL
美形新人×平凡上司
新人の教育係を任された主人公。しかし彼は自分が教える事も必要が無いほど完璧だった。だけど愛想は悪い。一方、主人公は愛想は良いがミスばかりをする。そんな凸凹な二人の話。
━━━━━━━━━━━━━━━
作者は飲み会を経験した事ないので誤った物を書いているかもしれませんがご了承ください。
本来は二次創作にて登場させたモブでしたが余りにもタイプだったのでモブルートを書いた所ただの創作BLになってました。
愛してしまうと思うんだ
ゆれ
BL
大学生の龍は友人の歩と一二三と一緒に動物保護のアルバイトをこなし、彼氏とも幸せな時間を過ごしていた。それがどうやら徐々に雲行きが怪しくなっていく。元彼バディと魔法使い、ときどき宇宙人。なんか不思議っぽい日常といたたまれない過去を行ったり来たり。※ごくゆるく事件要素と、匂わせ程度のGL、ところどころ性行為の描写を含みますのでご注意ください。他サイトにも投稿済。
【完結】女装ロリィタ、職場バレしました
若目
BL
ふわふわ揺れるリボン、フリル、レース。
キラキラ輝くビジューやパール。
かぼちゃの馬車やガラスの靴、白馬の王子様に毒リンゴ、ハートの女王やトランプの兵隊。
ケーキにマカロン、アイシングクッキーにキャンディ。
蔦薔薇に囲まれたお城や猫脚の家具、花かんむりにピンクのドレス。
ロココにヴィクトリアン、アールデコ……
身長180センチ体重80キロの伊伏光史郎は、そのたくましい見かけとは裏腹に、子どもの頃から「女の子らしくてかわいいもの」が大好きな25歳。
少女趣味が高じて、今となってはロリィタファッションにのめり込み、週末になると大好きなロリィタ服を着て出かけるのが習慣となっていた。
ある日、お気に入りのロリィタ服を着て友人と出かけていたところ、職場の同僚の小山直也と出くわし、声をかけられた。
自分とは体格も性格もまるっきり違う小山を苦手としている光史郎は困惑するが……
小柄な陽キャ男子×大柄な女装男子のBLです
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる