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しおりを挟む自分で作るものも自己責任だけあってまずくはないのだが、とりわけ感慨もない。誰かの手料理はそれだけでもう美味しく感じると一人で暮らすようになってしみじみ思っている。姉のレベルに到達するのは恐らく不可能だが、こうして時間があるときにおこぼれに与るくらいは許してほしかった。今はもう義兄と甥っ子のものなので。
「……しまった」
連絡があったら一応窺っておこうと考えていた話題について、姉に伝えるのをすっかり忘れてしまっていた。しかしやり取りが長くなりそうでもあるので、こんな隙間時間ではなく改めて後日尋ねようと思い直してスマートフォンを手放す。まいっか、で先送りするのも数回目なのだが、要するに気乗りしないのだ。
「じゃあ帰るかな」
これから車を返して帰宅し、シャワーをくぐって服を着替え、今度は肉屋のほうに顔を出す。昼食には早い時間だが肉体労働の御蔭で空腹なので、どこかで調達するか、ちゃんと作るか。時間と出費を天秤にかけて唸っていると、向かいの通りをひらりと白い物が横切る。
まだ春とはいえ若干肌寒いのに随分薄着な少女が歩いていた。よく見るとパジャマなのではというデザインだ。一人ではなく男性に手を曳かれているが、その腕の掴み方が何となく乱暴で、女の子がきょろきょろと落ち着きなくあたりを見回しているのが気に掛かる。
わりと目立つ二人連れなのに道行く人々は足を止めるでもない。いのりがおかしいのだろうか。気にしすぎ? いやでもなんだか変だ。小学生を連れているのに男性は振り返るでもなければ声をかけるでもなく、自分のペースで黙々と歩き、コンパスの違いで少女は時折転びそうになっている。そこで足元がサンダルなのにも気づいてますます違和感を深めた。
(どうしよう)
もし何か事件性のある二人だったとして、いのりだけの手に負えるだろうか。武術の心得など無いし頭の回転がお世辞にも速いとは言えないことくらい自分でもわかっている。そうこうしていると二人は青信号で横断歩道を渡ってこちらへやって来る。やはりパジャマ姿だった。腕に黄色いクマのぬいぐるみを抱えている。車から降りてじっと見ていると女の子といのりの目が合った。
声の届く距離ではなかった。だいじょうぶ、と唇だけで問うてみる。すると少女は、首を横に振った。
「え」
どういう意味だろうと、繰り言しかけて慌ててバンのドアを開いて隠れる。前を行く男性が振り向いたのだ。ごそごそと助手席で作業をするふりして様子を窺うともう歩きだしていたのでたぶん気が付かれてない。女の子だけがチラチラといのりを振り返っている。
迷った挙句いのりは制服のジャンパーを脱ぎ、腰に巻きつけて二人の跡を通行人にまぎれて尾けていった。すぐ近くの公園に入っていくので間を置いてから続くと、大きな声がしている。さすがに目立っていて、いのりが視線を向けても不自然ではなかった。
「もうもれちゃうもん!」
「うるさい、そのくらい我慢しろ」
「やだあ、おしっこいく~!!」
スーツ姿の男は嫌そうに顔をしかめ、面倒ですと言わんばかりに強引に少女を連れ去ろうとするが、少女は座り込んで抵抗する。泣きだしそうな表情はいかにも憐れっぽくて、切羽詰まっていて、見かねていのりは終に二人に話し掛けた。
「あの……」
「はい?」
「差し出がましいようですが、わたしが連れていきましょうか?」
公衆トイレはすぐそこだ。清掃中でもなく使用できる。それなのに連れていかないところからも、男は父親や家族ではないのだろう。ますます状況に謎が深まる。
「いえ、それには」
「おしっこ!!」
「……すみません、じゃあ、お願いできますか」
「はい」
これ以上騒がれてもまずいと考えを変えたのか、男は舌打ちを引っ込め、愛想笑いをはりつけていのりに少女を引き渡す。「外で待っていますので」と出入り口の前に立つのに一礼してから、女の子を連れて女子トイレに入った。
心臓がやばいくらいドキドキしている。安易に関わってよかったのかどうか、事情もよくわからないのに。とりあえずそこからだ。いのりは少女の前にしゃがむと「中についていく?」と尋ねる。
すると少女はまたも首を振った。
「えっ……もしかして、嘘だったの?」
ちいさな声で訊くと女の子がツインテールを揺らして大きく頷くではないか。
こんな年端もいかない子どもがそんなことをするなんて、思いつくなんて育児経験のないいのりにはただただ驚愕の事実だった。だとしてもあまり長いことトイレに入っていると疑われる。必要最小限の疑問を解消して、状況の把握に努めることにする。
「あのおじさんは知らないひと?」
「うーん……うん」
「あなたを無理やり連れてきたの?」
「そう。わたし、びょういんから出ちゃダメなのに」
パジャマの理由がわかったのはいいが、となるとこの子どもは入院患者である可能性が極めて高く、こんなところにいては危険なのかもしれない。急に恐ろしくなってきて背筋が震える。何かあってからでは遅い。一刻も早く帰さなくては。
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