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しおりを挟む舞洲を遮って吐き出された独白のような言葉にずきっと胸が痛んだ。ごく自然に名前を口遊まれて喜んだのも束の間、美しい造作いっぱいに満ちた悲しみの色に明治も衝撃を受ける。これは演技とは思えない。そもそもそれをする必要性が感じられない。事実なのだ、と把握するや否や怒りにも似た熱情が身体の中で弾けた。
「信じらんねえ、なんでこんな綺麗な子と別れたんだ?! 意味わかんねえ馬鹿だろ俺」
「……」
きゅ、と下唇を噛むしぐさに彼の無念が滲み出ていた。悔やまれるので知りたいとも思わなかったが一応いつ頃まで付き合っていたのか確認するとほんの二週間ばかりまえに別れたと聞いて倒れそうになる。何があったのか死ぬほど知りたい。どうせ悪いのは俺だろう、だってこんな美人がおかしなことをする筈がない。
「あの、それは……ケンカか何かしたんでしょうか……」
「マジで全部忘れたのか?」
「重ね重ね申し訳ございません……」
杏里もどうやら演技じゃないのか明治を疑っているらしく、胡乱な目つきを向けられ、そんなことをしても可愛いのに困ってしまう。さすがにそれは不真面目すぎるとわかっている。だが実際問題好みのタイプが生きて動いて喋っているのだ。気も散る。
すれ違いか諍いがあったのは本当のようだが理由までは頑なに教えてくれなかった。「もう過ぎたことっすから」の一点張りで、埒が明かないため今度は舞洲が仕事のことについていくつか明治に質問する。手帳を取り出すとこれもきっちり書き込まれてあった。アプリだけでは心許ないので紙でも必ず記録を残すようにしている。間違いなく自分の筆跡だ。
「――半年くらいかな。たぶん、それが限界だ」
舞洲が疲れた声で言う。表情も負けず劣らずくたびれていた。明治はまだよく理解できてない。杏里は、黒目がちの双眸をこぼれんばかりに見開いている。
「先週までは普通だった。俺ともうひとり面会してる奴がいる。声だけじゃねえから間違いない。何かあったとすれば……あのお宅でだ」
「……はあ」
「その……杏里くんとは……」
「半年ですね。ちょうど、まるっと忘れたみたいっす」
「ごめん、だからってわけじゃないんだけどこの際やり直してみるってのは、」
「それは無理かも」
穏やかにほほ笑まれてときめいていいやら嘆いていいやら、分裂してしまいそうだ。ちゃんと元彼の顔をしたいと思うのに、記憶にない所為で普通に恋の初動が起こっている。ものすごい引力に逆らえない。すんなりと細い指に指を絡めたい。影を溜めるほどくぼんだ鎖骨に顔をうずめて、舌でたどって、不埒な妄想に取りつかれ慌てて頭を振る明治を、舞洲が虫を視るような眼で見ている。お前はエスパーか。
仕事のほうもまあまあやばいがそちらは記録が残っているしスタッフも情報を共有している。しかし杏里のことは、プライベートなことは他の誰にもわからない。杏里か、否もしかしたら彼にだって、まだ伝えてない真実があったかもしれなかった。
濃い睫毛をそっと伏せ、視線をけぶらせながら杏里が静かな口調で告げる。
「せっかくリセットされたのにわざわざ繰り返すことないっすよ。それこそ馬鹿だ」
「でも鴫宮くんは憶えてるんだから、いろいろ教えてくれたら、その、何か思い出すかも……なんて」
「そんなのするわけねえじゃん。俺が別れたかったのに」
やっぱりそうか。きっと何かとんでもない無神経か不義理をやらかしたに違いない。自分がまったく信用ならない。杏里は時計の盤面を覗いてちいさく息を吐いた。たぶんタイムリミットが来たのだろう。
「え……と、だったら今の俺は別人みたいなもんだし違う結果になるかも、~~っ……!!」
急にテーブルの下で尋常じゃない痛みが爪先に落ちてきて明治は悲鳴を呑み込んだ。身悶えている間に長身は立ちあがり、「バイバイ七緒、お大事に」と残し、舞洲にも会釈して去っていった。手に取ってももらえなかった名刺が杏里の心情をこの上なくよく表していて泣きたくなる。恐らく、その二週間前も味わった心痛を何が悲しくておかわりする羽目になるのか。もう一回付き合えたわけでもないのに。
フラれていたのがせめてもの救いだ。もしこっちが彼を振っていたのなら、何様だと自分で自分をタコ殴りしていた。
「明治お前……必死なのはわかるけど杏里くんの気持ちも考えろ。彼にとっちゃ別人でも何でもねえんだぞ。なかったことにするってお前が言ってどうすんだボケ」
「あー……しくった」
足を踏まれるぐらいじゃ贖えない失敗をしたのだと、舞洲に指摘されるまで気が付かなかった。我ながらがっつきすぎる。もっとマイルドなやり方で教えろやとはもう言えなくなってしまった。さっきのはむしろ悪友のファインプレーだ。
「せめてヤッてませんように……だったらまだ諦められる……」
「いやたぶんヤッてると思うぞ」
「マジか」
「一緒住んでたしなあ」
「マジか~……」
この歳になって、そこまで許し合っていた相手がただの火遊びとは到底思えない。きっと自分は本気だった。それだけはわかって、余計打ちのめされる。しばらく放心していた。珍しく舞洲もそれ以上は責めず、急かさず、気が済むまで放っておいてくれる。
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