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入谷さんの初恋
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しおりを挟む旅館だけじゃない。元旦初売りなど珍しくも何ともないし、むしろ勤め人が休暇に入った今こそ物を売りつける好機とばかりに店は開けられている。初詣でや年始回りなどで外出する機会もある、正月料理に飽きれば飲食店にも寄るだろう。宅配ピザや寿司などはちょっとした稼ぎ時ではないだろうか。
もっとわかりやすくコンビニなどは年中無休だし。
でも。
「来年は一緒に来るよ」
「……えっ」
「ほー」
「そうなの?!」
妙に確信に満ちた物言いを鋭く聞き分けた小雪が詰問する、何事かと涼佳と奏子が駆け寄ってきたちょうどのタイミングでインターホンが屋敷に鳴り響いた。
お正月だしどうせ女がこれだけそろうのだからと母親がトヨには長期休暇を与えたため、涼佳が直接応対に出る。訪問客は千子だった。
「おめでとうございます~」
「チコちゃん!」
「これ、年賀状きてましたよ」
朝の分とは別に第2便が届いていたようで、厚み1センチくらいの束を涼佳に手渡すと入谷に気づいて手を振る。
「キョンもおめでとー」
「ああ」
「お着物いいなあ」
日本のお正月って感じ~とにこにこする千子に釣られ、空気が変わったかに思えた。
しかしそれは入谷の希望的観測に過ぎない。
「ちょっとチコちゃん、恭司ったらまだあの子と続いてるみたいなのよ」
「あの子?」
「ほら、夏にうちに連れてきた……」
「……ああ、唯織さん」
やはり結局のところ、どういう評価を下そうと前向きに捉えられるものではないらしい。姉達の本音にふれ、入谷は失望する、ということは一切なく、ですよねと諦念をいだいた。
義兄達ではないがこの姉らに囲まれて、まあまあよかったかもしれないと思えることのひとつに人格が出来たというものがある。滅多なことで声を荒げたり自棄を起こしたりしない。そんな気はしていたから、取り乱さない。
逆に悪かったのは何かが起こるたびいちいち騒ぎ立てるのでできるかぎり表に出さないように、或いは実際起こらないように無関心無感動になってしまったことだが、それは生活の場を離すことによって幾らか改善されたような気がする。自分が大人になり、そういう機会自体が減ってきたのもあるけれど。
姉達が否定的になるのはよく知らないという所為も、多分にあると思う。唯織がどんな子か、会ってじかに接しなければわかれないのに都合がつかなくてそれも叶わない。入谷も、彼女とのことを一から十までペラペラと喋るような性質ではなかった。そもそもが言っても聞かない。
「クリスマスもお正月も独りだったからもう別れたんだとばかり……」
「あらー、キョンってばダメ彼」
「余計なお世話なんだけど」
大体クリスマスは入谷自身、仕事が忙しくてそれどころじゃなかったのに無理やり呼びつけてきて、顔を出しただけでも褒めてもらいたいくらいだ。そういう意図だったのなら訊いてくれれば電話一本で済ませたのに。俺これちょっとむかついてるかも?と入谷は、意識して呼吸を深くする。
千子はファーのあしらわれたコートと中にワンピースを合わせていた。色素のうすい容姿には、たしかに着物はあまり似合うと言えなかった。胸を締め上げるのも身体に負担をかける場合がある。ずっと子どもの頃には手術の話も出ていたが、傷が残ることを憂いた両親が見送ったらしい。
医療も日進月歩を続けているので、本人の意志に任せて一番いい方法を取ればという考えに落ち着いているようだが。お手伝いでもいいので早く同居人をみつけてほしい。ブランが喋れたならと思うけれど、それはさすがに現実味がなさすぎる。
取り分けて美しく盛り付けられたおせちの皿と雑煮の椀が二人の前に配膳される。胸の前でお行儀よく手を合わせた千子に倣って、入谷もいただきますをしていると穏やかなことこの上ない口調で、隣が姉達に言い放つ。
「良い、っていうか、素敵なお嫁さんになるんじゃないかなあ」
「チコちゃん、それは……」
「だってミルクティー淹れるのすごく上手だったんですもの」
「そ、そうなの? ……そうかしら……」
「ああ、そういえば年賀状きてましたよ。その唯織さんから」
「ほんと?」
言われて慌てて奏子が、先程千子が持ってきた葉書の束をさがすと本当に、入谷ではなく両親に宛てて唯織から年賀状が来ていた。新年の挨拶に行けない謝罪と、入谷にとてもよくしてもらっているという感謝、夏に訪れた際のちょっとした思い出話に三人の姉にも是非またお会いしたい、よかったら皆さんで一度うちの旅館へもお運びくださいという言葉で結ばれたそれは、手書きの文字で綴られている。
実家の住所を訊かれたのはこのためだったのか。遅まきに合点の行った入谷は、微妙な表情になった姉達を見てしてやったりの気分になった。千子にも「ニヤニヤしてるー」と小声でツッコまれる。自覚はあるので反論しなかった。その通りだ。
良いお嫁さんと言うが、そんなにみっちり花嫁修業しなければならないほど任せきりにするつもりはないし、一人暮らしの短くない入谷は身の回りのことくらい自分でできる。求めているのはそこじゃない。
「俺は傍でわらっててくれればそれでいいんだけど」
あとそのうち元気な子どもを産んでくれれば。ぽろっとこぼれた本音を、傍らにいた千子だけが拾って仕様の無さそうにわらった。
「初恋って叶うこともあるんだね」
「……おう」
ずっとわからなかった感情の名前をやっとさがしあてたような、めぐり逢えたような気がして入谷も破顔した。春はもうすぐそこまで来ている。
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