最終的には球体になる

ゆれ

文字の大きさ
上 下
20 / 27
入谷さんの初恋

08

しおりを挟む
 
 千子みたいに。

 自分の心が未熟だった所為もあるかもしれないけど、三年つき合っても何もない場合もあれば、まだつき合ってもないのに結婚を予感させる場合もある。これまで一度もそんなことは思わなかったのに、子どもが出来ていやしないかと手前勝手な望みをいだいてしまうくらいには。
 結果的には叶わずに終わったが。唯織の意思を確認しないうちの行為を今は反省しているので、それでよかった。

「私ね、すこし前に彼氏と別れちゃって」
「そうなんだ」
「結構将来的なところまで話進んでたんだけど、あいつ……選りにも選って女子高生と浮気しやがって」
「うわー……」
「だからさ、あんまのんびりしてるのもよくないよ。癪だけど……」

 私は失敗したのにと頬をふくらませる千子の胸の内は入谷にはわかっていなかった。長すぎた恋がようやく終わりを迎えてほっとするような、淋しいような、悲しいような複雑な。
 半分だけブラインドの開けられた窓の外は地上の星に飾られて、きらきらと輝いている。電車はまだある時間だが、入谷の住むマンションはここからそう遠くないのでタクシーで帰るほうが早そうだった。唯織も長距離の移動で疲れているだろう。

「プロポーズって、どんぐらいつき合ったらしていいの」
「したいときがそのときだよ。きっと」

 のろのろしてたら彼女のほうからされちゃうかもね~という余計なひとことはわりと的を射ていて笑えなかった。本来の唯織はそういう子なのだ。一応『前提に』つき合っていることにはなっている筈だが、忘れ去られているような気がひしひしする。

 ふと、気が付いて後ろを振り返った。

「……遅くねェ?」
「私もそう思ったとこ」

 ミルクティー一杯淹れるのにそんなにも時間がかかるとは思えない。唯織はそこまで不器用じゃないし、キッチンはちゃんと整頓されていた。寝室を出てみるとリビングのテーブルの上にティーカップがふたつ、その表面から立ちのぼる湯気はだいぶ弱い。
 荷物も靴もなくなっている。起きだしてきた千子が、「帰っちゃったの?」と残念そうな声を出した。「まあもう遅いものね」

「いや……あいつもう東京住んでねえから。今実家」
「え?」

 宿泊先はと尋ねられて、だったらマンションに帰っているだろうかと思ったが直前の様子が変だったことが、その選択肢を掻き消してしまう。
 このまま、またしばらく会えなくなるなんて。あんな不安そうな顔をさせたまま帰すなんて絶対にできない。

「――チコ、悪いけど」
「全然。ありがと、もう大丈夫だよ」
「いや……次はもう、こういうのできねえから」

 靴を履き、ドアに手をかけて入谷は首だけを返した。千子はいっぱいまで目をみひらいている。もっと早くに告げなければならなかったのだと、その表情を見て痛感した。

「他に誰か頼れる奴、早く探せよ」
「……ばか」

 唯織さんによろしく、と送り出されてとりあえず駅へ走った。瞬時に乗り継ぎを考えて先回りする。もし彼女がどこかホテルをとったり友人に連絡して家に泊めてもらっていたりしたら、電話は鳴らしているがつながらないのだ。焦れてつい、舌打ちがこぼれる。
 平日の夜とはいえ酔っ払いも多い。変な男にからまれていなければいいがと、入谷の胸にも不安がちりちりと募りだした。「あの」と、後ろから呼び止められ振り返る。わかってはいたが捜し人ではなく見知らぬ女の二人連れが、店をさがしているけれど場所がわからなくてと囀る声を意識の半分くらいで聞くともなく聞いていた。

 しかし視界に捉えてからはもう、完全に締め出された。

「あ……」
「ちょっと、」
 ごめんも何も返さずその場を離れた入谷は器用に人波を縫い、バッグの中身を漁りながら券売機のほうへ寄っていく唯織に真っ直ぐ向かうとその腕をがしりと掴んだ。

「どこ行くの」
「!」

 だから、どうして追いかけてくると思わないのか。いつかも見たような、その発想はこれっぽっちもありませんでしたと言わんばかりのびっくり顔に、入谷は怒りを通り越して力が脱けてしまった。
 しかもよく見ると唯織の目はうっすらと赤かった。それなのに入谷には、気づかせまいとでもいうようにほほ笑んでみせるのだ。凶暴なまでの愛しさに襲われ、眩暈がしそうだった。

「今日、ありがとな」
「いえ、わたしこそ、無理やりついてっちゃってごめんなさい」
「全然。助かった」
「このあと入谷さん、心配だからチコさんについててあげるのかなって思って、わたしだったら大丈夫だし」

 こんなことを言ってくれた子は今まで一人もいなかった。

「……高頭唯織さん」
「は、はい」
「俺と結婚しませんか」
「えっ……」

 じゃない。入谷も迷った挙句『彼女』と紹介したのだが、やはり記憶から抜け落ちていたらしい。でもこれからはもっと、違う名前で唯織を紹介できる筈だ。

 明日は指輪を買いにいく、という選択肢も、増やしていいだろうか。

「……あの、……えっと、……」
「マジ?」

 思っていたのと反応が違う。辛うじて呑み込んだがまだ激しいショックの余韻は続いていて、じわじわとつめたい後悔に苛まれる。どうしよう。急に弱気になる。
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

壁の薄いアパートで、隣の部屋から喘ぎ声がする

サドラ
恋愛
最近付き合い始めた彼女とアパートにいる主人公。しかし、隣の部屋からの喘ぎ声が壁が薄いせいで聞こえてくる。そのせいで欲情が刺激された両者はー

車の中で会社の後輩を喘がせている

ヘロディア
恋愛
会社の後輩と”そういう”関係にある主人公。 彼らはどこでも交わっていく…

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

結構な性欲で

ヘロディア
恋愛
美人の二十代の人妻である会社の先輩の一晩を独占することになった主人公。 執拗に責めまくるのであった。 彼女の喘ぎ声は官能的で…

【完結・R18】ご主人様と奴隷ちゃん

ハリエニシダ・レン
恋愛
ご主人様が、恥ずかしがる奴隷を軽く虐めながら可愛がります。基本いちゃらぶ仕様。 徹夜明けの勢いで奴隷を買った一見冷淡なご主人様が、素直に言うことを聞くマイペースな奴隷にちょっとずつ絆されていきます。 (作者は後半の、絆されてくほのぼのパートが割と好きです。) ※クリスマスの話を、久しぶりにアップしました

JC💋フェラ

山葵あいす
恋愛
森野 稚菜(もりの わかな)は、中学2年生になる14歳の女の子だ。家では姉夫婦が一緒に暮らしており、稚菜に甘い義兄の真雄(まさお)は、いつも彼女におねだりされるままお小遣いを渡していたのだが……

副社長と出張旅行~好きな人にマーキングされた日~【R18】

日下奈緒
恋愛
福住里佳子は、大手企業の副社長の秘書をしている。 いつも紳士の副社長・新田疾風(ハヤテ)の元、好きな気持ちを育てる里佳子だが。 ある日、出張旅行の同行を求められ、ドキドキ。

処理中です...