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入谷さんの初恋
08
しおりを挟む千子みたいに。
自分の心が未熟だった所為もあるかもしれないけど、三年つき合っても何もない場合もあれば、まだつき合ってもないのに結婚を予感させる場合もある。これまで一度もそんなことは思わなかったのに、子どもが出来ていやしないかと手前勝手な望みをいだいてしまうくらいには。
結果的には叶わずに終わったが。唯織の意思を確認しないうちの行為を今は反省しているので、それでよかった。
「私ね、すこし前に彼氏と別れちゃって」
「そうなんだ」
「結構将来的なところまで話進んでたんだけど、あいつ……選りにも選って女子高生と浮気しやがって」
「うわー……」
「だからさ、あんまのんびりしてるのもよくないよ。癪だけど……」
私は失敗したのにと頬をふくらませる千子の胸の内は入谷にはわかっていなかった。長すぎた恋がようやく終わりを迎えてほっとするような、淋しいような、悲しいような複雑な。
半分だけブラインドの開けられた窓の外は地上の星に飾られて、きらきらと輝いている。電車はまだある時間だが、入谷の住むマンションはここからそう遠くないのでタクシーで帰るほうが早そうだった。唯織も長距離の移動で疲れているだろう。
「プロポーズって、どんぐらいつき合ったらしていいの」
「したいときがそのときだよ。きっと」
のろのろしてたら彼女のほうからされちゃうかもね~という余計なひとことはわりと的を射ていて笑えなかった。本来の唯織はそういう子なのだ。一応『前提に』つき合っていることにはなっている筈だが、忘れ去られているような気がひしひしする。
ふと、気が付いて後ろを振り返った。
「……遅くねェ?」
「私もそう思ったとこ」
ミルクティー一杯淹れるのにそんなにも時間がかかるとは思えない。唯織はそこまで不器用じゃないし、キッチンはちゃんと整頓されていた。寝室を出てみるとリビングのテーブルの上にティーカップがふたつ、その表面から立ちのぼる湯気はだいぶ弱い。
荷物も靴もなくなっている。起きだしてきた千子が、「帰っちゃったの?」と残念そうな声を出した。「まあもう遅いものね」
「いや……あいつもう東京住んでねえから。今実家」
「え?」
宿泊先はと尋ねられて、だったらマンションに帰っているだろうかと思ったが直前の様子が変だったことが、その選択肢を掻き消してしまう。
このまま、またしばらく会えなくなるなんて。あんな不安そうな顔をさせたまま帰すなんて絶対にできない。
「――チコ、悪いけど」
「全然。ありがと、もう大丈夫だよ」
「いや……次はもう、こういうのできねえから」
靴を履き、ドアに手をかけて入谷は首だけを返した。千子はいっぱいまで目をみひらいている。もっと早くに告げなければならなかったのだと、その表情を見て痛感した。
「他に誰か頼れる奴、早く探せよ」
「……ばか」
唯織さんによろしく、と送り出されてとりあえず駅へ走った。瞬時に乗り継ぎを考えて先回りする。もし彼女がどこかホテルをとったり友人に連絡して家に泊めてもらっていたりしたら、電話は鳴らしているがつながらないのだ。焦れてつい、舌打ちがこぼれる。
平日の夜とはいえ酔っ払いも多い。変な男にからまれていなければいいがと、入谷の胸にも不安がちりちりと募りだした。「あの」と、後ろから呼び止められ振り返る。わかってはいたが捜し人ではなく見知らぬ女の二人連れが、店をさがしているけれど場所がわからなくてと囀る声を意識の半分くらいで聞くともなく聞いていた。
しかし視界に捉えてからはもう、完全に締め出された。
「あ……」
「ちょっと、」
ごめんも何も返さずその場を離れた入谷は器用に人波を縫い、バッグの中身を漁りながら券売機のほうへ寄っていく唯織に真っ直ぐ向かうとその腕をがしりと掴んだ。
「どこ行くの」
「!」
だから、どうして追いかけてくると思わないのか。いつかも見たような、その発想はこれっぽっちもありませんでしたと言わんばかりのびっくり顔に、入谷は怒りを通り越して力が脱けてしまった。
しかもよく見ると唯織の目はうっすらと赤かった。それなのに入谷には、気づかせまいとでもいうようにほほ笑んでみせるのだ。凶暴なまでの愛しさに襲われ、眩暈がしそうだった。
「今日、ありがとな」
「いえ、わたしこそ、無理やりついてっちゃってごめんなさい」
「全然。助かった」
「このあと入谷さん、心配だからチコさんについててあげるのかなって思って、わたしだったら大丈夫だし」
こんなことを言ってくれた子は今まで一人もいなかった。
「……高頭唯織さん」
「は、はい」
「俺と結婚しませんか」
「えっ……」
じゃない。入谷も迷った挙句『彼女』と紹介したのだが、やはり記憶から抜け落ちていたらしい。でもこれからはもっと、違う名前で唯織を紹介できる筈だ。
明日は指輪を買いにいく、という選択肢も、増やしていいだろうか。
「……あの、……えっと、……」
「マジ?」
思っていたのと反応が違う。辛うじて呑み込んだがまだ激しいショックの余韻は続いていて、じわじわとつめたい後悔に苛まれる。どうしよう。急に弱気になる。
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