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10 ユートピア Eutopia ①
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俺は自分の名前が嫌いだ。
登竜門の鯉の滝登りとユートピアを掛けて、勇登。勇ましく滝を登って龍になるようなバイタリティはないし、とりまく環境も全く理想郷ではなかった。登竜門もユートピアも完全に名前負け。
何を言っても無駄。物心をついて最初に学習したのはそれだ。
隣に住んでいる幼馴染には、一目見た時から嫌なものを感じていた。笑顔で挨拶されているのに、なんだかぞくりとする。関わりたくない。
幼馴染の破綻した人格は、初めて二人で留守番をさせられた時に現れた。
対戦型ゲームをして、僅差で俺が勝ってしまった。そしたら、ゲーム機で殴ってきて。ひび割れた画面。鈍い頭の痛み。一瞬、何が起こったのか、わからなかった。
幼馴染はそのまま部屋の中にあるものを壊して回る。幼馴染の父親が大切にしている釣竿を折り、幼馴染の母親が大切にしている花瓶をテーブルから落とし、幼馴染自身の服をタンスから取り出してハサミでずたずたに切った。
やめなよ。怒られるよ。片づけよう。
何度も叫んだけど、幼馴染は完全に無視して、部屋を荒らし続ける。
幼馴染の両親が帰ってきた時、ほっとした。ようやくこの面倒も終わる。そう思ったのに。
幼馴染は大人たちに駆け寄り、同情を誘うような声でこう言った。
「勇登くんが急に物を壊し始めたけど、びっくりして、何もできなくて。私も一緒に片づけるから。勇登くんも本当は悪い子じゃないから、許してあげて」
泣きながらそんなことを訴える幼馴染を、疑う大人はいなかった。
それからも、俺の気に入ったものは取り上げる、あるいは壊すということを、幼馴染は続けた。誰も見ていない、二人きりになった時を狙って。
最初は、俺のことが好きで気を惹きたいのかと思っていた。でも、今は、おそらく違うのだと思っている。ただ、暇つぶしに俺をなぶっているだけ。そして、自分の思った通りに反応しない人間を、許せないだけだ。俺に対して何か執着はあるのだろうけど、幼馴染が抱いているのは、少なくとも俺の中の好意や愛という概念とは別のものだ。
現在の実家に引っ越す前、両親と新しい家では猫を飼おうと約束していた。すごく楽しみにしていたのに、幼馴染がネコアレルギーで、かわいそうだからやめようと諭され、約束は反故にされた。
俺はむしろ幼馴染に会いたくないのに。
本の世界に逃避した。本なら破られても直せるし、読んだ記憶までは取り上げられない。そもそも幼馴染は本に興味がないから、比較的被害も受けにくかった。
正しい未来を予言しているのに信じてもらえない女性の話を読んだ。ギリシャ神話だ。運悪く神に気に入られてしまったばかりに、碌な目に合わない。俺に未来を予知する力はないが、その絶望はわかる。
誰にも信じてもらえない、カッサンドラ。
中学生の時、初めて女の子と付き合った。地味なタイプだったけど、優しくて、話してて楽しくて、一緒にいると安心できて。二人きりになった時、俺だけに見せてくれる笑顔がとても可愛くて、すごく好きだった。
でも、楽しい時間は長くは続かなくて。すごくつらそうな顔で別れたいと言われた。幼馴染から陰湿ないやがらせをされたらしい。外面がいいことと政治力に長けていることは、ニアリーイコールだ。女子の大多数を敵に回して学校生活を送るのは、確かに苦痛だろう。
大切にしていることがばれると壊される。
それから、自分から好きになった子には、つい、そっけなく接してしまうようになった。そんな風にして気持ちが伝わる訳はない。
向こうから告白してきた女子と付き合うことにした。それしか選択肢がない。
好きじゃない子と付き合うメリットはあった。その間は幼馴染から攻撃されない。好きじゃなくたって、幼馴染より不快な人間はそうそういない。付き合っている間に情が湧き、好きになってしまったら、やっぱり仲を壊されたけど。
幼馴染と離れた今でも、習慣はなかなか抜けない。
◆◆◆◆◆
山内有紗。初めて彼女を知ったのは、図書カードだった。俺が興味を持つ本に、なぜか必ず書いてある名前。単なる偶然ではあるが、俺は彼女の読んだ本を後追いしていた。そのことをもちろん彼女は知らない。
あまり利用者のいない、高校の図書室。本はたくさんあるし、全てを読むことはできない。試しに興味が湧かない本も何冊か確認してみたけれど、その図書カードには名前がない。やっぱり好みが似てるんだ。
二年生で同じクラスになって、初めて顔を見た時、この子か、と思った。地味で真面目。成績は中の上。見えている部分の情報は、あまりにも少ない。
しばらくの間、山内と横井で席が前後だった。真後ろだと、読んでる本の表紙がよく見える。彼女はいつも俺の興味をそそるタイトルを選択していて。
閉塞感のある現実に風穴を開けてくれるような、人類が滅亡した世界で仲間を発見したような、そんな思いを抱いていた。
彼女のことをもっと知りたい。でも、必要事項を話し掛けるだけでもなんだか引いているような空気を感じる。苦手な奴に話し掛けられたところで、山内さんも負担だろう。
話し掛ける勇気が持てないことを、そんな言葉でごまかした。
犬が逃げようとするたびに電気ショックを与えるとどうなるか。そんな実験をした学者がいたらしい。鬼畜の所業。電気ショックをやめ、鎖を解き、自由に動ける状態にしても、犬は逃げなくなった。何をやっても無駄だと学習したからだ。
逃げられない、全てを諦めた犬。
登竜門の鯉の滝登りとユートピアを掛けて、勇登。勇ましく滝を登って龍になるようなバイタリティはないし、とりまく環境も全く理想郷ではなかった。登竜門もユートピアも完全に名前負け。
何を言っても無駄。物心をついて最初に学習したのはそれだ。
隣に住んでいる幼馴染には、一目見た時から嫌なものを感じていた。笑顔で挨拶されているのに、なんだかぞくりとする。関わりたくない。
幼馴染の破綻した人格は、初めて二人で留守番をさせられた時に現れた。
対戦型ゲームをして、僅差で俺が勝ってしまった。そしたら、ゲーム機で殴ってきて。ひび割れた画面。鈍い頭の痛み。一瞬、何が起こったのか、わからなかった。
幼馴染はそのまま部屋の中にあるものを壊して回る。幼馴染の父親が大切にしている釣竿を折り、幼馴染の母親が大切にしている花瓶をテーブルから落とし、幼馴染自身の服をタンスから取り出してハサミでずたずたに切った。
やめなよ。怒られるよ。片づけよう。
何度も叫んだけど、幼馴染は完全に無視して、部屋を荒らし続ける。
幼馴染の両親が帰ってきた時、ほっとした。ようやくこの面倒も終わる。そう思ったのに。
幼馴染は大人たちに駆け寄り、同情を誘うような声でこう言った。
「勇登くんが急に物を壊し始めたけど、びっくりして、何もできなくて。私も一緒に片づけるから。勇登くんも本当は悪い子じゃないから、許してあげて」
泣きながらそんなことを訴える幼馴染を、疑う大人はいなかった。
それからも、俺の気に入ったものは取り上げる、あるいは壊すということを、幼馴染は続けた。誰も見ていない、二人きりになった時を狙って。
最初は、俺のことが好きで気を惹きたいのかと思っていた。でも、今は、おそらく違うのだと思っている。ただ、暇つぶしに俺をなぶっているだけ。そして、自分の思った通りに反応しない人間を、許せないだけだ。俺に対して何か執着はあるのだろうけど、幼馴染が抱いているのは、少なくとも俺の中の好意や愛という概念とは別のものだ。
現在の実家に引っ越す前、両親と新しい家では猫を飼おうと約束していた。すごく楽しみにしていたのに、幼馴染がネコアレルギーで、かわいそうだからやめようと諭され、約束は反故にされた。
俺はむしろ幼馴染に会いたくないのに。
本の世界に逃避した。本なら破られても直せるし、読んだ記憶までは取り上げられない。そもそも幼馴染は本に興味がないから、比較的被害も受けにくかった。
正しい未来を予言しているのに信じてもらえない女性の話を読んだ。ギリシャ神話だ。運悪く神に気に入られてしまったばかりに、碌な目に合わない。俺に未来を予知する力はないが、その絶望はわかる。
誰にも信じてもらえない、カッサンドラ。
中学生の時、初めて女の子と付き合った。地味なタイプだったけど、優しくて、話してて楽しくて、一緒にいると安心できて。二人きりになった時、俺だけに見せてくれる笑顔がとても可愛くて、すごく好きだった。
でも、楽しい時間は長くは続かなくて。すごくつらそうな顔で別れたいと言われた。幼馴染から陰湿ないやがらせをされたらしい。外面がいいことと政治力に長けていることは、ニアリーイコールだ。女子の大多数を敵に回して学校生活を送るのは、確かに苦痛だろう。
大切にしていることがばれると壊される。
それから、自分から好きになった子には、つい、そっけなく接してしまうようになった。そんな風にして気持ちが伝わる訳はない。
向こうから告白してきた女子と付き合うことにした。それしか選択肢がない。
好きじゃない子と付き合うメリットはあった。その間は幼馴染から攻撃されない。好きじゃなくたって、幼馴染より不快な人間はそうそういない。付き合っている間に情が湧き、好きになってしまったら、やっぱり仲を壊されたけど。
幼馴染と離れた今でも、習慣はなかなか抜けない。
◆◆◆◆◆
山内有紗。初めて彼女を知ったのは、図書カードだった。俺が興味を持つ本に、なぜか必ず書いてある名前。単なる偶然ではあるが、俺は彼女の読んだ本を後追いしていた。そのことをもちろん彼女は知らない。
あまり利用者のいない、高校の図書室。本はたくさんあるし、全てを読むことはできない。試しに興味が湧かない本も何冊か確認してみたけれど、その図書カードには名前がない。やっぱり好みが似てるんだ。
二年生で同じクラスになって、初めて顔を見た時、この子か、と思った。地味で真面目。成績は中の上。見えている部分の情報は、あまりにも少ない。
しばらくの間、山内と横井で席が前後だった。真後ろだと、読んでる本の表紙がよく見える。彼女はいつも俺の興味をそそるタイトルを選択していて。
閉塞感のある現実に風穴を開けてくれるような、人類が滅亡した世界で仲間を発見したような、そんな思いを抱いていた。
彼女のことをもっと知りたい。でも、必要事項を話し掛けるだけでもなんだか引いているような空気を感じる。苦手な奴に話し掛けられたところで、山内さんも負担だろう。
話し掛ける勇気が持てないことを、そんな言葉でごまかした。
犬が逃げようとするたびに電気ショックを与えるとどうなるか。そんな実験をした学者がいたらしい。鬼畜の所業。電気ショックをやめ、鎖を解き、自由に動ける状態にしても、犬は逃げなくなった。何をやっても無駄だと学習したからだ。
逃げられない、全てを諦めた犬。
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