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03 リセット reset ①

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 初めてリセットしたのは、横井くんと関係を持った翌日だ。

 目覚めると、横井くんは私に背を向け、タオルケットを抱きしめるようにして眠っていた。思わず覗き込む。寝姿まで愁いを帯びた美しさ。キリストの亡骸を抱く聖母マリアみたい。なんだっけ? ピエタ? ピカタと似てる。

 シーツは血の海で、どこの殺人現場かと思う。あるいは、寝てる間に生理きちゃった、でもいい。血は時間が経ったら落ちにくくなる。なるべく早く洗うべきだろうけど、シーツを外したら横井くんは確実に起きる。ごめん、後で苦労して。

 シャワーを浴びたい。いろんな体液でべたべたするし、においも気になる。
 でも、それよりも。
 とにかく逃げたい。一刻も早く立ち去りたい。もし横井くんが起きたら、どんな顔をすればいいのかわからない。

 少しだけ考えた結果、私はゆっくりベッドを抜け出し、前日の下着と服を身に着け、そっと部屋を出て行った。鍵を開けたままで申し訳ないけど、

 なるべく人目につかないように、裏道を通って帰る。迂回ルートだからか、日蔭になっていて、なんだか気持ちも沈んでいく。

 レイプではなく合意。だからこそ、自分に落ち込んでしまう。お酒が入っていて判断が甘くなっていたとはいえ、緩い。
 だって! あんな美形に迫られたら、思わずその気になっちゃうよ! ああ、面食いの自分が憎い。
 簡単にのこのこついていってしまったから、遠慮なくやっていいと判断されてしまったのも、道理かもしれない。
 でも、愛のない行為は本当によくない。なんだかいろいろ削られた気がした。

 できることなら、昨日をやり直したい。

 大学の中を通り抜けるのが早い。裏門から入り、ちょうど図書館の前にさしかかった時だ。
 私の前を何かがすばやく横切った。思わず目を向ける。
 ボンジュールの黒猫。
 ただでさえヘコんでいるのに。黒猫に横切られるなんて縁起が悪い。せめてモフらせてほしい。

 黒猫の方に向かおうとした時、耳鳴りのような、ハウリングのような、キィンという音がして、思わず立ち止まる。

《リセットしますか》

 声が聞こえた、というよりも、脳内に直接訴えかけてきた、という感覚が近い。
 平たく言うと、あれだ、ゲームの選択肢。

 大昔のゲームのバグみたいに何かの条件が重なったのか、人ならざる者に私が選ばれたのか、空間のねじれに足を踏み入れたのか。そこらへんは未だにわからない。
 受け入れるのは得意だ。世の中の事象は全て明らかになる訳ではないし、よくわからないものはよくわからないままでいい。私はそういうものだと思って楽しむ。異世界トリップしても生きていけるかもしれない。

 小さい頃から、時間が絡むSFは好きだった。
 もし過去に戻ってやり直せたら、もう同じ失敗は繰り返さないのに。
 実際に時間を遡ることはできない。だからこそ、本の中で主人公が過去を克服していく様子が痛快だったのかもしれない。

 私がその主人公になれるってこと?
 正直、初体験をやり直したい。今度はもっと愛されてる感じのやつがいい。

《リセットしますか》

 私は《はい》を選択した。



 ◇◆◇◇◇



 気がつくと、私はスーツを着て、椅子に座り、学長の祝辞を聞いている。
 あれ? 横井くんの部屋から抜け出して、帰宅途中だったはず……。
 手には、式次第。
 《リセットしますか》の声は本当だった。
 私は大学の入学式会場にいた。

 巻き戻った一年半。同じ人間のやることなんて、そうそう変わらない。けれど、覚えている限り、ちょっとだけ得するように行動した。あまりいい点が取れなかった科目のテストとレポートをがんばってみたり。緊張してなかなか話せなかったけど、いざ話してみたら大好きになった友達に、最初から積極的に話し掛けたり。

「ねえねえ、山ちゃん! 今日、予定ある?」

 友達の彩ちゃんだ。彼女は演劇サークルの看板女優で、いつも忙しそうにしている。あまりにも綺麗な顔立ちをしているから、最初は話し掛けるのに躊躇してしまったけれど、気さくで、すごくいい子。

「何かあるの?」
「語学の授業で一緒の子達とごはん食べに行くんだけど、山ちゃんもどうかなって」

 今夜は好きなSF映画がテレビであるから、早めに家に帰って、課題と家事を済ませて、お菓子でもつまみながらのんびり見ようと思っていた。
 でも、忙しい彼女から誘われることはあまりない。貴重な機会を逃したくないなあ、と思った。
 私のささやかな楽しみなんかいくらでも都合がつくものだし、彩ちゃんに合わせるべき。

「うん。ぜひ」
「やったあ! じゃあ、十八時に校門前に来て!」

 約束の時間までしばらくあったので、図書館で課題を済ませて、待ち合わせ場所に行ってみたら。
 ……どうして横井くんもいるんだろう。

 彩ちゃんが紹介してくれたみんなはいい人達で、初対面の私も歓迎してくれて、楽しく話して食べて飲んだ。連絡先も交換した。自宅組がほとんどだったので、また今度遊ぼうと話して、駅前でお開きになった。
 というか、一人暮らし組が、私と横井くんだけ。

「夜道危ないし、送るよ」
「え……」

 一瞬断ろうかと思った。でも、この状況で断る方が却って不自然なのでは。そう思って、もう一度横井くんの顔を見る。目が合うと、微笑みが返ってきた。
 そ、その! 微笑みは! 反則じゃなかろうか! 断りきれない! 断りたくない!

「よ、よろしく、お願いします……」

 私はどこまでも、面食い……。ちょろい、ちょろすぎる……。そんなことを考えてぼんやりしていたからだろうか、それとも少しお酒が入っているからだろうか、転びかけた。

「危ない」

 咄嗟に横井くんが私の腕を引っぱってくれて、転ばずにすんだ。

「ご、ごめん……ありがと……」
「急がなくていいから」

 あれ……? どうして横井くんは、そのまま私の手をつないでるんだろう。しかも、恋人つなぎ。思わずもう一度横井くんの方を向く。

「転んだらいけないから」
「そう、だけど……」

 夜道をゆっくりゆっくり歩く。月がとても綺麗で。横井くんは何も言わないから、足音と心臓の高鳴りしか聞こえない。触れている手が、なんだか妙に熱い。
 不意に、横井くんが歩みを止めた。

「山内さん」
「……はい」
「君が欲しい」

 月明かりに照らされた横井くんは情熱的な瞳で私を見ている。真剣に求められている。この瞳に嘘はない。そう直感する。
 目をそらせなくて、横井くんのくちづけを拒めなくて。
 やっぱり私はまた、横井くんの部屋へ行ってしまった。
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