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バイトのキョウくんはお酒が飲めない①

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 うちのバイトのキョウくんはお酒が飲めない。
 ほんの少しの非日常を楽しむためにお客様はうちの可愛い子達とお話をしに来る。カウンター越しにお客様とお酒を飲み交わすのはセクシャルマイノリティのキャストたち。俗っぽい言葉で言えば、おかま、おなべ、ゲイ、レズ……今どきはLGBTというのかしら。いわゆるここはミックスバーというものだ。
 お客様のほとんどはセクシャルマジョリティ。性的多数派、ノンケの方たちね。冷やかしのお客様もたまにはいるけれど……うちは小さい店だから、ほとんどのお客様は日常に疲れ、ただ何者でもない私たちとの会話を楽しみに来店してくれる。
 二階建てのこのレトロな(ボロいは禁句)建物は華の二十代を棒に振って、がむしゃらに働き購入した僕の城。一階にカウンター席しかない小さなバーを構え、二階には完全予約制のタトゥースタジオと自宅がある。知り合いのツテで来る客がほとんどのその店に、ある日キョウくんはやってきた。
「金魚?」
「はい。朱色の金魚がいいです。口を上に向けて尾ヒレが下向き。泡をぷくっと出している……」
「可愛いじゃない」
 僕が褒めるとはにかんで笑ったその子はなんだかとっても不思議な子だった。
 背筋がしゃんと伸びて所作も美しく、物腰が柔らかくてとても言葉遣いの丁寧な好青年……いえ、まだ少年という感じ。ソフトマッシュにした栗色の柔らかそうな髪の毛のかかる耳は、それぞれ四つと五つのピアスで飾られている。
 骨格が美しくスタイルが良いので黒のワントーンコーデがよく映え、まだあどけない顔立ちとのアンバランスさがセクシーだった。
「こんな綺麗な首に墨を入れていいの?」
 首筋……耳の下あたりに、金魚を飼いたいとお願いにきたキョウくんの首筋は皮膚の質感から筋の浮き方からとても好みで、勿体ないと思う気持ちとこの首筋に彫りたい気持ちが同時に湧いてきた。
「もちろんです。その為に来ました。よろしくお願いします」
 この綺麗な首筋に僕が描いた金魚が泳ぐ。
 ぞくぞくとする注文に心が踊った。この子の首筋にはリアルな金魚ではなく、可愛らしい金魚を泳がせてあげよう。夏の便りに添えられるような、涼しげで愛らしい金魚を。
 黒は使わず赤と黄色の二色を使った金魚ちゃんのデザイン案を見せ、当日赤を入れ二週間後に黄色を入れようと思うのだけどと提案したら、デザイン案を見たキョウくんは穏やかなたれ目に星をいくつも瞬かせてわぁっと驚いた顔を見せた。
「綺麗……とっても素敵です。店長さんのデザインがとてもセンスがいいと椎名さんに紹介して頂いたのですが、想像以上でした」
「椎名ちゃん? うちの常連さんの?」
「常連さん……ですか? 椎名さんご自身はタトゥーをされてないと思っていましたが……」
「ううん、こっちじゃないわ。下の常連さん」
 椎名ちゃんは一階のバーの常連客でメンズエステサロンに勤めるゲイの男の子だった。確かにあの子はタトゥーを入れてないけれど、キャストやお客様の中には僕の作品を入れている子も少なくないので何度も目にしていたのだろう。もう、センスいいと思ってくれていたのなら直接僕を褒めてくれればいいのに。椎名ちゃんったら。
 そういえばあの子、最後に来た時に大学生の男の子が好きになってしまったと話していたような。大学生からしたら自分はおじさんだろうかと泣き絡みしてきて大変だったのよね。
「もしかしてあなたが椎名ちゃんのいいひと?」
 椅子型の施術台に座ったキョウくんは明らかに緊張していたため、少し和ませようと話題を振った。しかし彼は眉根をわずかに寄せて困ったように笑う。
「いえ……とても良くしていただいてるんですけど、深い仲ではありません。少し前に全身脱毛の施術をしたのですが、それでお世話になりまして」
「あら、そうなの。でもあちらはあなたにお熱かもしれないじゃない? 椎名ちゃんいい子よ。あ、でもお客様はノンケかしら」
「ふふ、そんな軽い感じで聞かれたのは初めてです。男性が好きですよ? でも椎名さんとは本当に何もないです」
「脈もなんにもなさそうねぇ、椎名ちゃんご愁傷さま! いいわ、今度来たら僕が慰めておくから」
 チュッと音だけのキスとウィンクをして見せたらキョウくんは肩の力をふっと抜いて笑顔を見せたので、落ち着いたところで動いちゃダメよと施術を開始した。数え切れないほどお客様を相手にしてきたけれど、この子の目を瞑って顔を顰める姿には妙にそそられた。
「痛い?」
「大丈夫です……これくらいなら我慢できます」
「あら、首って割に痛いのよ。いい子ね。がんばって」
 いつもの調子で声をかけただけなのに何かこの穏やかな少年の琴線に触れてしまった僕は、痛みに耐えたまま薄く目を開けた彼に睨まれてしまった。
「いい子って言わないでください」
「イヤだった? ごめんなさいね」
「いえ……」
 そのあともぽつりぽつりと会話をしながら無事に施術を終えた。
 話せば話すほど真面目な子で、話の切り返しからも聡明さが見え隠れしている彼に僕はとても興味が湧いていた。どこの大学に通っているのかと聞けば無防備にも教えてくれ、自慢するでも謙遜するでもなく平然と玉城大学に通っている言うので驚いた。玉城大学といえば偏差値七十以上じゃない。
「凄いわね。イケメンで頭も良くて人当たりもよくて。椎名ちゃんが好きになるのも頷けるわ」
「好き……なんですかね。椎名さんの従業員割引きで脱毛の施術を受けさせてもらったのですが、もし何か椎名さんが俺に気持ちがあるなら返金しないと……」
「あらあら、そんなことまでしてるの椎名ちゃんったら。まぁいいんじゃない? 惚れた方の負けよ」
 僕だったら有難く従業員割引とやらを利用してエステをフルコースでばんばんお願いしちゃうのに、羨ましい……じゃなくて、本当に真面目な子。
 彫り終わった後しょんぼりとしてしまった彼を見ているとこちらまで悲しくなってきた。僕はこんなに感傷的に生きていたかしら。
「そんなに落ち込まないでちょうだい。僕まで悲しくなるじゃない。今日は彫り終わったあとで無理だけど、今度は下のお店にいらっしゃいな」
「お酒があまり飲めないのですが、大丈夫ですか?」
「当たり前よ。ノンアルコールカクテルもソフトドリンクもあるわ」
 酔ったらきっと可愛いのに残念ねと内心思いながらも手でオッケーサインを作ってウィンクを送る。彼はそのウインクを捕まえるように顔の前で柔らかくて両手を合わせ、指と指を絡ませてお願いごとをするように握って唇を寄せた。
「それでは今度はバーの客としてお邪魔します。あの……お名前をお伺いしてもいいでしょうか」
 ウインクをあげてこんな可愛い反応をされたのは初めてで、ウインクをしたこちらの体温が上昇するのを感じていた。しかしそれを悟らせないように笑顔を作る。
路彦みちひこよ。みっちーでもみっちゃんでもひこちゃんでもお好きに呼んで」
「路彦さん」
「あら可愛いわね。はぁい?」
「つかぬことをお伺いしますが、お煙草は何を吸われてますか?」
「キャスターよ」
「路彦さん。また来ます。今日はありがとうございました」
 深々と頭を下げて去っていく綺麗な背中を見送りながら、困ったわねぇとその場で頬杖をつく。
 この出会いはちょっと刺激的なんじゃない。僕はね一応これでもノンケってやつなのよね。
 こんな口調に腰の近くまで伸ばした黒髪、いつも足首まで隠れるロングスカートにヒールを纏っているから勘違いされがちだけれど、女性が好き。今までのところは。
 ノンケと言っても性的対象が女性というだけで、自身の性別に囚われず好きに生きていきたい。僕は僕、好きなことをして好きに生きる。
 二週間後に何かを予感しながら、自然に身を任せることにした。素敵な再会と金魚の完成を楽しみにして。

 


  まぁそれからなんやかんやあって、朱色の愛らしい金魚を首筋に飼った彼……キョウくんはうちのバーで働いている。
 あら端折りすぎかしら。でもそれほど何かあったわけじゃないのよね。二週間後、二回目の施術に来たキョウくんは一階に貼られていたキッチンキャスト募集の貼り紙を見て雇ってくださいと言ってきた。好印象しかなかった彼を僕は即採用、見事うちのキャストになったというわけである。
 料理が好きで調理師免許を取っておきたいと考えていた彼は、調理の実務経験が得られるアルバイトを探していたのだとか。
 腕時計で時間を確認し、お皿を洗っている糸を吊っているみたいにピンと伸びた背中に声をかけた。
「キョウくん。そろそろお客様のお相手してちょうだい」
「いえ、まだ片付けがありますので……」
「みんなキョウくんのこと待ってるのよ? たったの三十分くらいよ。おねがい」
「もう……」
 フードのラストオーダーが近くになると、キョウくんにもカウンターに立ってもらいお客様の相手をお願いする。渋々カウンターに立っているとは思えない笑顔を携え、控えめにけれど真摯に話を聞く……そんなキョウくん目当てのお客様が閉店間際まで店を賑やかすようになった。女性客も男性客もみんな彼に夢中だ。
 もちろん見た目も良いし、話を聞く態度も満点。だけど、彼の人気にはまだ理由がある。
 キョウくんがカウンターに立つとお酒を飲めない彼の為にソフトドリンクの注文が殺到する。客前に立っている時間が少ないためキョウくん限定のショットグラスのソフトドリンクを用意しているほど(値段はもちろん普通のグラスと同じよ)。そんな彼が最後の一杯だけ飲めないお酒を飲むのだ。
 あまり早くに言っても断られてしまうので、みんなお酒をすすめるために慎重にタイミングをはかる。
「キョウくん、そろそろお酒は?」
「そうですね、ではそろそろ……一杯だけ」
 その返しをもらえたお客様一日一人だけがキョウくんにお酒を奢り、目の前で彼が酔っていく様を見ることができるのだ。
「はぁ……ごめんなさい、すぐ酔ってしまうんです。本当に弱くて……粗相があったら言ってくださいね」
 いつもちゃきちゃきと料理を作って運んでくる完璧で隙のない彼が、少しずつほどけていく。頬を紅潮させ、穏やかな瞳を少し潤ませ見つめてくる。気怠そうに首を傾けると首筋が伸びて、僕の描いた金魚がしっとりした肌の上で生き生きと泳ぎはじめる。
 でもお客様たちはその先を知らない。
 知っているのは僕だけ。誰にも見せてやらないの。

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