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2章

第17話 歴史は繰り返す……場合もある

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「ジュリエッタ! ジュリエッタ、しっかりして!」

 グラシアが私を呼ぶ声が聞こえる。

 心配させちゃいけない。

 でも、痛い。

 奇跡の泉から現れた鱗の魔物の初撃をすんでのところで避けた私が何より先にやったことは、自分の脱出の首輪を外すことだった。

 多少の怪我を負うことは覚悟の上で、戦うつもりだった。私が怪我をしたことでグラシアがひとり取り残されてしまうこと。それがなにより避けるべき事態だと思った。

 でも、甘かった。

 鱗の魔物が再び襲ってこようと構え直すその隙に、障壁バリア魔法を発動しようと構えた次の瞬間、私は真横から飛びかかって来た別の魔物に構えていた腕ごと胴の半分ほどまで食いつかれた。

 私たちを狙っている鱗の魔物は――二匹いたのだ。

 そう気づいた次の瞬間、私は爆発魔法を使った。魔物の口のなかという狭いところでは自爆同然なのはわかっていたが、咄嗟に他の方法が思いつかなかった。

 焦げ焦げになった大きな口から抜け出した直後、はじめの鱗の魔物が再び襲い掛かってくる。私は背後に迫る奇跡の泉の水を思い切り跳ね上げ、結氷魔法を使う。

 それで決着。一瞬のことだった。

 魔物は倒したけれど、私のダメージは深刻だ。上半身いっぱいの裂傷に火傷。逆に足と指先は凍傷気味で、魔物の歯による傷口からはとめどなく血が溢れてくる。

「脱出の首輪を……」

 私は戦いの最中に落としてしまった脱出の首輪を指差す。

 グラシアはパニくった表情で慌てふためいてそれをとりにいく。

 私が手を伸ばすと、グラシアは拾って来た脱出の首輪をその手に握らせた。

「早く、早く戻って手当てを……!」
「グラシア、ちょっと耳を貸して……」
「なに?!」

 半泣き状態のグラシアが、私が手招きするまま、耳を私の口元へ寄せる。

「先生がたに……知らせてね。早く助けに来てくださいって……」
「え……?」

 私はグラシアの首に脱出の首輪をつけ、首輪の魔法を強制発動した。

「ジュリエ……ッ!」

 グラシアが私の名前を言い切る前に消える。

 これでいい。

 魔物は人の血の匂いを嗅ぎつけて寄ってくる。

 私の血の匂いが充満するこの空間に、魔力切れを起こしているグラシアをひとり残して――どうなるかなんて、考えたくもない。

 私は大丈夫。怪我を負ってはいるけれど、魔力はまだ残っている。

 まだ戦える。

 今はまだ……。

 遠くでなにかが唸る声。

 奇跡の泉の水面で、つい先ほど見たような鱗がまだまだいくつも跳ねている。

 私は痛む体を起こし、近くの壁に寄りかかるようにしてたった。

 魔物たちは特定のいくつかの種以外は、異種族で協力し合うことは基本的にない。

 しかし本能的に同士討ちを避けるのか、魔物同士で争うこともない。

 来るとしたら、強い魔物から順番に、というところか。

「さあ、いらっしゃい……聖女の本気、見せてあげるわよ……」

 まあ、なるべくなら来ないでほしいけど。

 それでも来るっていうなら仕方ないわよね。

 グラシアがきっとこの窮状を先生がたに知らせてくれるはず。先生がたが助けに来てくれるまで持ちこたえればいい。

 洞窟外からここまで……1時間か……2時間か……

 以前ロミリオ様が助けに来てくださった時には、どれくらいだったのかしら?

 洞窟から脱出したときに見た朝日が綺麗だったわ。

 あの時は、またこの洞窟に潜る羽目になるなんて思わなかったし、ましてまた脱出の首輪を人に渡すことになるなんて思わなかったけれど。

「脱出の首輪、そういえば今回も使いそこなったのね……私って……」

 そう考えると少しだけおかしくなった。

 大丈夫、笑えるうちはまだ大丈夫よ。私は自分にそう言い聞かせる。
 
 生贄の水晶にいる間の――ドルガマキアの作り出した世界での、ドルガマキアとの孤独な戦いに比べれば、はるかにマシな状況だ。助けに来てくれる人がいる、ということが、どれだけ心の支えになることか。

 たとえそれが、間に合わないとしても、よ。

 泉の中から、さきほどの鱗の魔物よりもさらに一回り大きな、魚面人身の魔物が現れた。

 魔物は全身に藻のようなものを張り付かせ、ぺたぺたと水音を立てて私のほうへ歩いてくる。

 魔物は私に向かって大きく両手を広げ――何かに怯えたように一歩後ずさり、その場で内部から爆ぜた。

「?!」
「人型に化けることもできぬ魔物の分際で我輩のものに手を出そうとは、不遜が過ぎるぞ、魚」
「ドルガマキア……?!」

 知っている声。背後を振り向く。壁しかないと思っていたそこに、いつの間にかドルガマキアが立っていた。

「アルガス先生、だろう、ジュリエッタ。それとももう生贄の神殿に帰りたくなったのか?」
「そんなわけないでしょ……」

 私はすぐ後ろにいたドルガマキアに寄りかかるようにして、ずるずるとその場にへたりこんだ。

「助けてくれたみたいだけど……この場合、あなたは私の味方と思っていていいのかしら」
「やりたくてやったわけではないがな。気づいてしまったのだから仕方ないだろう。それに……」

 ドルガマキアが私の頭をそっと自分のもとへ抱き寄せた。

「ふふふ、やはり実際の肉体に与えられる苦痛というのは別格の味がするな。久方ぶりの馳走だ。鮮度抜群の獲物が目の前にいるというのに、みすみす死んで食えなくなっては困る……」
「あら、そ」

 こいつ、私のことザリガニくらいにしか思ってないんじゃないの。

 感謝して損した気分。

「ご馳走はいいけど、私このままだと死ぬわよ。そうしたらあなたも”契約的に”マズイんじゃないの、ドルガマキア。応急手当てくらいお願いしたいわ」
「人の手当てのやり方などわかるわけなかろう」
「じゃあ、あなたの脱出の首輪をちょうだい。外には医療魔法を使える先生がたも待機しているはずだし……」
 
 私が手を伸ばすと、ドルガマキアは両手を広げて肩をすくめた。

「あの悪趣味な金の輪っかか? あんな無粋なもの、我輩が持ち歩くわけなかろうが」
「えっ?! じゃあ洞窟の外へ戻る時どうするのよ」
「もちろん歩いて戻るぞ。散歩にしては殺風景だが、道すがら逃げるザコ魔物どもを追いかけながら潰して歩くのはなかなか楽しい。ついさっきまで地上付近に行って、再びここまで戻って来たところだ」

 見た目は絶世の美形だけど、言っていることは石けりしながら家まで帰る子供ってとこね。

「ここのザコどもも一掃したと思っていたのだがな……水の中までは気づかなかった。惜しいことをしたな」

 なるほど。

 静かだと思ったら、ドルガマキアの暇つぶしで、この付近の魔物は私たちが到着する前にやられたか姿を隠していたのだろう。

 惜しいことをした、とか言っているあたりドルガマキアの行動が私のためでないのは明らかだけど。

 地上付近の魔物とこの最深部周辺の魔物はかなりレベル違いだが、国難レベルの力を持つ暗黒竜ドルガマキアにしてみたら、たしかにひとしくザコだろう。

 ドルガマキアはミズガルドに害を与えることが禁じられている。

 そのドルガマキアにしてみたら、ミズガルド国内にはいるがミズガルドに仇なすものである魔物は好き放題に力がふるえる例外的な相手だ。これまで盲点だった楽しみ方を見つけてはしゃいでいるのかもしれない。

 まあ……動機はどうあれ、それで助かったんだし。

 今回はしのごの言わずにおこうっと……。

 そう思って目を閉じた私の体が、ふわりと宙に浮かんだ。

 驚いて目を開けると、私はドルガマキアにお姫様抱っこされていた。

「え、えっと……?」
「手当てが必要なのだろう? 仕方ない、急いで戻るとしよう」

 ドルガマキアが、口惜しそうに奇跡の泉へ目をやり、次に私をじっと見つめた。

 な、なに?

 ドルガマキアはミズガルド最大の災い。若い娘を生贄に要求する極悪非道の暗黒竜。

 わかってはいるけれど――こうして優しくされて、絶世の美形顔にじっと見つめられると、少しドキドキしてしまうのは――ちょっとは仕方ないわよね。

 と、思っていたのに、こういう時にドルガマキアは余計なことを言う。

「こうやっていると、昔を思い出すなジュリエッタ。あの頃は初々しくてかわいらしかっ……いやすまん、なんでもない」

 ドルガマキアがこれまでになく緊張した面持ちで私から目を逸らした。

 またものすごい顔をしてしまっていたらしい自分の表情筋を両手でもみほぐしながら、私は少しだけ反省した。

 今日のドルガマキアには助けられたのだし……少しくらい優しくしてあげてもよかったのじゃないかしら……。

 なんてね。
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