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2章

第16話 どうでもいい人、よくない人

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 グラシアの回復を待ってから出発したため、時間を随分とロスしてしまった。

 外では今ごろ月が空で輝きはじめた頃合いだろう。

 回復はしたもののまだまだ無理はできないグラシアに、私が呼ぶまでは戦闘に参加しないようにと言い含め、私とファリスとユロでグラシアを囲むようにしながら進んでいく。

 その後はさしたるトラブルもなく、やがて水の匂いが鼻をくすぐった。

「わあっ! すごいすごいっ!」
「素敵……なんて美しいのでしょう……」

 あちこちから水の降り注ぐ巨大な地底湖が発光ゴケに照らされている姿は、まさに奇跡のような光景だ。

 素直にはしゃぐユロとファリス。グラシアは相変わらずクールだが、ほんの一瞬だけ安堵の表情を見せる。

「まだ到着じゃなですわよ。あっちから降りられそうだからもっと近づいてみましょう。周りに魔物がいないか気をつけて」

 引率の先生になったような気持ちでみんなを先導する。

 ここまで来たら八割がたゴールといったところだ。

 唯一気にかかっているのは――ここに来るまでに、アルガス先生、つまりドルガマキアがいなかったこと。

 どの先生がどこに配置されているか、というのを教えるのは洞窟の順路を教えるようなものなので聞いても教えてもらえなかった。しかし正体がドルガマキアであるアルガス先生が、新任ながらその実力を見込まれて一番危険なこの最深部で待機している可能性は決して低くない。

 ドルガマキアは私やみんなに直接危害を加えるようなことはできないはずだけど――

 落盤や魔物の影に気をつけながら、階段状になっている岩の上を歩き地底湖へと降りていく。

 なにごともなく湖のほとりにつくと、初めにユロ、ファリスと私、最後にグラシアが、持参していた水筒に奇跡の泉の水をたっぷり入れた。

 そうしながら私はずっと周囲に気を配っているが、湖の中を時折大きな魚の影が横切る以外は、生き物の気配もない。

 時折遠くで水の跳ねる音がする以外は、静かなものだ。

 ……ちょっと、心配しすぎたかしら……。

「それじゃあそれじゃあ怖いのが来ないうちに帰りましょっ! やっほほやっほ、やっほー!」

 ユロが先頭切って、降りて来た岩を今度は登ろうと足をかけた。

「ユロ、帰りは脱出の首輪で……」

 私が声をかける。ユロが振り返る。次の瞬間、ユロの足元の岩が崩れた。

「……え、ええ、えええっ?!」
「ユロ!!」

 尖った岩の上に、背中から真っ逆さまに落ちていくユロの姿が、途中で消えた。

 気絶したようには見えないから、おそらく脱出の首輪を使ったのだろう。

「間一髪ね……びっくりした。さ、私たちも帰りましょう」
「そうですわねジュリエッタお姉さま。ここはなんだか少し……嫌な感じがしますわ」

 少々ひっかかる言葉を残し、ファリスの姿も消える。

「グラシアも……グラシア?」
「…………」

 無言のまま途方に暮れた様子のグラシアを見て、はっと気づいた。

「グラシア……脱出の首輪は……」
「……ユロに」
「…………!」

 途中棄権したくないグラシアが脱出の首輪を捨てたりしないよう、グラシアの脱出の首輪はユロが預かっていた。

 そしてユロは――それを持ったまま、この洞窟から脱出してしまった。

「しまったわ……どうしましょう……」
「気にしないで脱出してください。私のことは、自分でなんとかします」
「だから、そういうわけにもいかないわよ。とりあえずは自力で地上を目指すしかないわね。できれば同じ道を戻るようにしたいけれど、さっきユロ落ちたところは崩れているから……」
「不要です。私のことなら自分でなんとかします」
「だから、そういうわけにはいかないわよ」
「ほうっておいてください。私のことなんてどうでもいいじゃないですか」

 グラシアはそう言って、拗ねたようにぷいと横を向いた。

「他人のことなんですから、あなたが……ジュリエッタ様が気にすることではないでしょう。先に戻っていてください。自分のことは自分で……」
「――理由になってないのよ」

 思わず出た低い声に、グラシアがはっと顔を上げた。そして、小さく縮み上がった。

 また怖い顔をしていたみたいだわ。いけないいけない。眉間の皺、伸ばさないと。

 わざとらしいとはわかっているが、私はグラシアを怖がらせないよう、にっこり笑って言った。

「あのね、グラシア。私は――自分のことはどうなってもいい、と思ったことはあるけれど。どうでもいい、と思ったことは一度もないわ」
「……それが私になんの……」
「だから、私の前でそんなことは言わないでもらいたいの。自分のことをどうでもいい、なんて。まるで一緒にいる私までどうでもいい人みたいじゃない。そう思わない?」
「そんなことは……その理屈がよくわかりません。筋が通っていない」
「私にとってはそうなの! とにかく、あなたが自分をどうでもいいから放っておいてくれと思うように、私は自分をどうでもよくないと思うから目の前の人も放っておきたくないの。わかったら私に協力してもらえるかしら。あなただって別にこんなところで死にたいわけじゃないんでしょう?」

 グラシアはしばらく悩んだ後、こくりと頷いた。

「それならよかったわ。とりあえず、少しだけここで休憩して出発しましょう」
「はい、ジュリエッタ様……これは、私が言っていいようなことではないのですが……」
「ジュリエッタ、でいいわよ。敬語もやめてほしいわ。その……私たち、もう、お友達でしょう?」

 我ながら臭いセリフだわ、と思いながら口にする。

「わかりました、ジュリエッタ……あの」
「なぁに?」
「ジュリエッタは聖女候補なんですよね?」

 ドキッ。

「ち、違うわよ!」
「本当に?」
「ええ。ミズガルドの神に誓って、私は聖女候補ではないわ」

 嘘はついていない。

 一応。

 候補じゃなくて、もう聖女だもの。

「そうですか……残念です。私が言っていいようなことではないのですが……本当は、あなたような人こそが聖女になるべきだと思います」

 ……思わず赤面してしまった。

 照れと、罪悪感で。

「や、やぁねえ私を買い被りすぎよグラシア! あー、なんだか喉が乾いたわねえ、この奇跡の泉の水って飲んでも大丈夫なのかしら。透き通っているようで美味しそうよね」

 私は照れ隠しにグラシアに背を向け、地底湖に両手を差し入れて、水を掬い上げた。

 その私の手の動きとまるで呼応するかのように――水中から全身が鱗で覆われた巨大な蛇が姿を現し、私に向かって襲いかかって来た。
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