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1章

第11話 魔物は白昼夢? だけど捜していたものは

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 魔物が追ってこないかを気にしながらも、振り返る余裕もなく全力疾走で入り口のほうへ戻ると、ティボルス王子がマキューシャに壁ドンされているところだった。

 言い間違いではないことを示すためにもう一度言うと、、だ。ちなみに両手壁ドンだった。

「マキューシャ、ほら、戻ってきたようだよ」

 ほっとした表情でこちらを指差すティボルス王子。もちろんマキューシャは苦虫を噛み潰したような顔で私を睨む。

 体勢からしてキスでも迫っていたのかしら?

 しかしこっちはそれどころではない。

「ティボルス様、魔物が……」
「魔物?」
「魔物が現れたんです……!」
「え」
「小部屋の天井まで届くほどの、大きく凶暴な魔物です! すぐにここから出ましょう! とりあえず地下書庫の出入り口を厳重に封鎖して、魔物退治の要請を……」
「ま、待って、待ってくれ、ジュリエッタ。ミズラル学院には強力な退魔の結界が張ってある。邪悪なものは入れないよ」
「それを突破するほど強力な魔物だったということです!」
「そんな強い魔物が結界を通過すれば防げないまでもすぐにわかる。ましてこの地下書庫は、出入りする者を厳重に管理している。魔物なんか入る隙もないはずだ」
「ですが……」

 退魔の結界、も正直怪しいものだ。現に、この国の最大の災いであるドルガマキアが今や学院の教師として入りこんでいるというのに、私以外誰も気づいた様子がない。

「ティボルスの気を引くための嘘なのじゃありませんこと?」

 マキューシャが言った。

 ……は?

「まったく、姑息な手を使うわねえ。伝説の聖女様にあやかっているのはどうやら名前だけのようね、ジュリエッタ。人に偉そうにお門違いのアドバイスなんかしておいて、結局自分がティボルスに近づきたいだけじゃない」

 ……あのね……

 いくらティボルス王子が好きだからって、言っていいことと悪いことがあるのよ。

 わかってる? わかってないわよね。わからせてやろうか。

「………………それか、夢でも見た、とか? ほら、この中って薄暗いもの。一瞬寝ちゃったのじゃないのかしら。そういうことも、うん、あるわよ、ね」

 私と目が合ったマキューシャが、急に気まずそうな表情でモゴモゴと付け加えた。どうも、口よりも顔で物を言ってしまうようだ、私は。両手を頬にあて表情筋をほぐし、ティボルス王子の方を向く。

「夢などではありません、本当に……」
「とりあえず、その、魔物が出たというところはどこ? 僕も行ってみるよ」
「危険です!」

 私としてはとにかく全員安全なところまで逃したかったのだが、ティボルス王子は様子を見に行くと言って聞かない。


 結局、道案内と称して私とファリスもティボルス王子に同行し、あの小部屋へ戻ることにした。もちろんマキューシャも一緒だ。

 そして戻ったあの隠し小部屋には――魔物はいなかった。

 それどころか、ビリビリに破かれた無数の本もなかった。何冊もの本が床に乱雑に積まれているが、それは先ほどと同じまま。魔物の気配も、わたしたちが応戦した痕跡も、なにもない。落っことしたままだったはずのランプも消えていた。

「こんなところにこんな部屋があったんだね。随分散らかっているな。番人め、奥の方の管理をさぼっているな」

 ティボルス王子が、私が気にしているのとは別のところに眉をひそめる。

「ほーらほら、わたくしが言った通りだったでしょう? 夢よ、夢。もしくは妄想よ!」

 マキューシャは浮かれている。私はそれを横目で睨んだが、マキューシャはあさっての方向を向いて、私と目を合わせないようにしている。

「古い本の表紙や紙には、今は禁止されている魔法や薬剤が使われていることがあるから……幻覚作用のある本でも開いてしまったんだと思うよ。読んだ相手を呪殺するような魔法がかけられた本もあるというし、なんにしてもふたりが無事でよかったよ」

 ティボルス王子が私とファリスに向かって、フォローするようにそう言った。

 気持ちは嬉しいが、違う。

 魔物は本当にいた。

 この小部屋の中で、床に積まれた本の山は確かに相変わらずだ。しかし積んである本が私の記憶とは少し違う。それになにより――そこにあったはずの白い花が、どこにも見当たらなくなっている。

 こんな短時間で、私たち以外には誰もいないはずなのにどうして片付いているのか、全然意味がわからない。

 だけど。

「そう……ですわね。薄暗くて怖くてとても不安になっていましたし……そういうときにはありもしないものをあたかもあったかのように思い込んでしまうって言いますものね。あれは幻覚だったのですね、お姉さま」

 ファリスは相変わらずの素直さで、ティボルス王子の言ったことをすっかり受け入れているようだ。

 こうなると、私一人で魔物は本当にいた、と、いくら言い張っても無駄だろう。

「……そうですわね。お騒がせしてごめんなさいティボルス様、マキューシャ様」

 私は肩を落とし、そう言った。

「いいよ、急に幻覚を見るなんて、よくあることさ」

 ないわよ。

「このあたりは危ないようだから、あまり奥まで行かないほうがいいかもしれないね。次から気をつけよう。じゃあ、そろそろ出ようか」

 ティボルス王子のその一言で、これ以上ここに留まる理由はなくなった。

 怖いから、と懇願してくるファリスと手を繋ぎ、ティボルス王子とマキューシャの後を歩きながら、私は制服のお腹の辺りを軽く撫でる。

 そこには先ほど逃げる時に小部屋から持ち出した小さな本が、制服のウェストを止めるベルトと服の隙間に挟まれている。

 これこそが――ドルガマキア討伐のための重要なヒントが書かれている本だ。

 私が聖女候補だった時、ドルガマキアを討伐することを目標としていたロミリオ様と私には有形無形の妨害があった。それが私たち個人への私怨によるものなのか、王国内に一定数いるというドルガマキアの狂信者たちによるものなのかは結局最後までわからなかったが――目立つ目印、わかりやすすぎるヒントではその妨害者たちの手により破壊されてしまう懸念があった。

 だから、ロミリオ様にだけ伝わるようにと遠回りな目印を置いた。

 白い花は正義を示す。大きくなくても――大義でなく、小さくても、本当に正しいことを。誰もが見向きもしないような片隅でも主張し続ける自分でいたいと。王位継承者とも思えぬロミリオ様の若くロマンティックな正義感に、目を潤ませた。ロミリオ様が思う正義と同じように、重要なヒントも片隅の小さな本にある――そういう意味を込めた白い花だった。

 ロミリオ様になら、きっとわかってもらえる。

 そう思った。

 その時は。

 はあ。

 わかってもらえるかもらえないか、を心配する前に、ロミリオ様の性格をもっと考慮にいれておくべきだった。

 どうせ、地下書庫は私との思い出がありすぎて、つらいから近づけない、とかだったんでしょうね。

 ――――ヘタレめ!
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