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76.私は汚されてなんていません
しおりを挟む唐突にエリオットの言っていたことが脳裏に蘇る。
グレッグお兄様が私を妹とは思っていないということを。
ふっと、薄い唇の端が持ち上がった。
「……まさか小さな頃から大切にしていたレベッカをあんな男に奪われるとはな」
「グレッグお兄様は、まさか」
ありえないと思っていた。
エリオットから言われても信じられなかった。
小さな頃から優しくて大切で、大好きなお兄様だったから。
それ以外の存在として考えたこともなかったから。
でも。
「私を妹としてではなく、好き……なんですか?」
お兄様がほんの少し目を丸くして、そしてまた笑った。
「今まで気がつく気配すら無かったというのに。あの男に何か吹き込まれたか?」
「……本当なんですか?」
「好きかどうかが? ……そんな生易しい言葉では足りないな。レベッカにとって父親である伯父上以外の『男』は俺一人だっただろう? お前の世界にはこれまでもこれからも、俺だけで充分だったのに」
私と同じ真っ黒の瞳。
その色の底が知れない気がして、そんなグレッグお兄様は初めてで、背中がゾクリと冷えた。
「でも、だって、従兄妹なのに」
「従兄妹ならば結婚できる。一人娘であるお前には、俺が婿に入るつもりだった。内気で人見知りで家の外にもほとんど出ないお前が社交に出られるはずもないと思い、箔を付けるために数年だけだからとミナスーラ王国の大使の任を受けたのが間違いだった」
エリオットとは違うゴツゴツとした手に頬を撫でられ、肌が粟立つ。
この手は違うと身体も心も拒絶する。
優しかったはずのお兄様が、知らない男の人にしか見えない。
「まさかあんな王族のなり損ないに嫁がせようとするなど、伯父上も何を考えているのか」
ため息とともに吐き出された言葉が一瞬信じられなくて。
でも聞き間違いであるはずもなくて。
「どうして、その事を……」
「伯父上が教えてくださった。伯父上の引退後には『殿下を支えて欲しい』などと生易しいことを仰ったせいで、結果としてレベッカが汚されてしまったというのに」
パンッ! という乾いた音が部屋に響いて、私の手のひらが熱くなった。
頬を赤くしたグレッグお兄様を睨みあげる。
「王族のなり損ないなどと、そんな侮辱、二度と口にしないでください」
「……レベッカも知っていたんだろう? 知っていてどうして、あんな混ざりものの男に……ああ、やはり、お前の身体目当てに無体を働かれたのか」
「グレッグお兄様がそんな事を言う人だとは思いませんでした。――軽蔑しました」
イグノアース王国の貴族に根付いている、貴族の血筋を絶対視する考え。
仕方ないのかもしれない。長い歴史の中ではびこった思考の根底を覆すことは出来ないのかもしれない。
でも。
エリオットが今まで生きてきた環境を思うと苦しくなる。
どれだけの差別意識の中で秘密を守り、そして強くあろうとしてきたんだろうって。
「私はエリオットに汚されてなんていません。エリオットとただ、一人の人間同士として愛し合っただけです。私の心も身体も存在も何もかも、もうエリオットだけのもので、グレッグお兄様の入る余地なんて欠片もありません」
きっぱりと言いきった私を見下ろして、グレッグお兄様が鼻を鳴らした。
「お前は世間知らずなせいであの男に騙されているだけだ。少し時間を置けば目が覚める」
そう言って部屋を出て行って、廊下からドアに鍵を掛けられた。
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