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【壮年編】夏の夜の来訪者(三)
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久子は、太一を新たな頭とする盗賊団に命を狙われることとなった。行き場のない彼女は、深川で娼婦に身を落とすしかなかった。ところが、やはり夏の暑い盛りのことだった。
「おや、お客さんかい?」
夕暮れ時のことである。男は編笠を深くかぶっていた。ところが笠をとったとき、久子の顔色が一瞬にして変った。それは太一に仕えていた盗賊の一味で、名を市朗兵衛といった。
「私を殺しにきたのかい?」
久子は身構えたが、市朗兵衛は首を横に振った。
「いや、お前がここにいるこつは、まだ新たな頭には伝えておらん。すぐ船を出してくれ。万が一にも人に聞かれたら大事ごわんと」
市朗兵衛は薩摩の男ではあるが、それほど無骨な印象ではない。目元が涼しい美男子で、背が高くスラリとしていた。
二人は船で川へ出る。やがて市朗兵衛が話しをきりだした。
「おいは、おまんを殺すためにここに来たのではなか。前々からおまんを慕っていたから、おまんを救いたいと思ってここへ来た」
「冗談をいうためにここへ来たのかい?」
久子を笑ってはぐらかそうとしたが、市朗兵衛がどこまでも真顔なので、久子も表情から笑みが消えた。
「おまんも知っていると思うが、おいが薩摩を脱藩して、盗賊稼業にまで落ちぶれたのは、先代の頭のような身勝手な動機ではなか。
酒の席でしつようにからまれて、暴言をあびせられ、名誉を傷つけられたからに他なりもはん。薩摩の武士として、あそこまで名誉を傷つけられたら、もはや刀をぬくより他なか。
今、藩に嘆願書を提出して、帰藩がかなうよう工作しているところでごわす。そんあかつきには、もちろん盗賊稼業から足を洗い……」
そこで市朗兵衛は言葉が一旦切れた。
「おまんには、おいの嫁になってもらいたか。おいが正式に薩摩藩に帰藩し嫁になれば、連中もおいそれとはおまんに手出しできもはん」
久子はしばし言葉がでなかった。
「おいでは嫌か?」
「好きも嫌いも、今のあたしをどう思う? 何人の男と寝たと思っているの? 今までどれほどの人を殺したか」
「いや例えいかほど薄汚れていようと、血の臭いがしようとかまいもうはん。おいは惚れた。知っていようが、薩摩では、男が女に惚れることは恥ということになっている。そげなものは仲間内で殺されることさえある。そんでん好きなものは好きじゃ」
「市朗さん……」
久子は思わず手をのばした。
『この人は、本気で私を慕ってくれている……』
久子は信じた。そしてその胸に顔をうずめた。下弦の月が川を照らし、蛍が周囲を飛び回る中、長くそして激しい夜だった。
「おや、お客さんかい?」
夕暮れ時のことである。男は編笠を深くかぶっていた。ところが笠をとったとき、久子の顔色が一瞬にして変った。それは太一に仕えていた盗賊の一味で、名を市朗兵衛といった。
「私を殺しにきたのかい?」
久子は身構えたが、市朗兵衛は首を横に振った。
「いや、お前がここにいるこつは、まだ新たな頭には伝えておらん。すぐ船を出してくれ。万が一にも人に聞かれたら大事ごわんと」
市朗兵衛は薩摩の男ではあるが、それほど無骨な印象ではない。目元が涼しい美男子で、背が高くスラリとしていた。
二人は船で川へ出る。やがて市朗兵衛が話しをきりだした。
「おいは、おまんを殺すためにここに来たのではなか。前々からおまんを慕っていたから、おまんを救いたいと思ってここへ来た」
「冗談をいうためにここへ来たのかい?」
久子を笑ってはぐらかそうとしたが、市朗兵衛がどこまでも真顔なので、久子も表情から笑みが消えた。
「おまんも知っていると思うが、おいが薩摩を脱藩して、盗賊稼業にまで落ちぶれたのは、先代の頭のような身勝手な動機ではなか。
酒の席でしつようにからまれて、暴言をあびせられ、名誉を傷つけられたからに他なりもはん。薩摩の武士として、あそこまで名誉を傷つけられたら、もはや刀をぬくより他なか。
今、藩に嘆願書を提出して、帰藩がかなうよう工作しているところでごわす。そんあかつきには、もちろん盗賊稼業から足を洗い……」
そこで市朗兵衛は言葉が一旦切れた。
「おまんには、おいの嫁になってもらいたか。おいが正式に薩摩藩に帰藩し嫁になれば、連中もおいそれとはおまんに手出しできもはん」
久子はしばし言葉がでなかった。
「おいでは嫌か?」
「好きも嫌いも、今のあたしをどう思う? 何人の男と寝たと思っているの? 今までどれほどの人を殺したか」
「いや例えいかほど薄汚れていようと、血の臭いがしようとかまいもうはん。おいは惚れた。知っていようが、薩摩では、男が女に惚れることは恥ということになっている。そげなものは仲間内で殺されることさえある。そんでん好きなものは好きじゃ」
「市朗さん……」
久子は思わず手をのばした。
『この人は、本気で私を慕ってくれている……』
久子は信じた。そしてその胸に顔をうずめた。下弦の月が川を照らし、蛍が周囲を飛び回る中、長くそして激しい夜だった。
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