夢宵いの詩~勝小吉伝

あばた文士

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小吉の幼少期(二)

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   さて幼い時の小吉は最初の名を亀松といい、深川のあぶら堀(現在の東京都江東区)という所で、悪さをしながら育った。
   五歳の時の正月、近所の仕事師(土建業)の息子の長吉と凧喧嘩をして、切り石で長吉を負傷させた。
「人様の子に傷をつけるとは許せん!」
 父の平蔵は亀松の顔を下駄で殴打したといわれる。
 七つの時、旗本・勝家に養子として入り、名も小吉と改めたが、素行は少しもよくならなかった。
 三十数人相手に一人で喧嘩し到底かなわず、袋叩きにあった後、悔しさのあまり脇差しをぬき腹を切ろうとしたこともあった。
 養家の祖母と、おりあいが悪く散々悪態をついた後、平蔵の逆鱗にふれ、脇差しで切り付けられたこともあった。そして同じく七つの時のことだった。


「リーン、リーン」
 と、涼しげな風に鈴虫の鳴く声が小気味よく響いた。
「ふーん鈴虫ってのは、目があって羽がついてるものだな」
 籠の中の鈴虫を注意深く観察しながら、小吉はぼそりといった。
「そんなの当たり前だろ」
 以前負傷させたこともある仕事師の息子の長吉が、不思議そうな顔でいった。
「佃煮にしたら意外とうまいかもな」
「お前は食い物のことしか思いつかんのか」
 この日長吉と小吉は、酒造業を営む平助の長子で太助の家で鈴虫を観察した。


 余談だが、この時代の庶民にとり、酒は極めて限られた娯楽の一つであった。正確な統計はないが元禄の頃(一六八八年から1704年頃)で、江戸庶民の一人あたりの年間飲酒量は三斗、五十四リットルほどになりかなりの量になる。
 当時の酒といえば、蒸した米に麹こうじと水を加えて発酵させ醸造したものをさした。醪もろみを漉して透明にしたのが「清酒」で、漉さないまま濁った酒が「どぶろく」である。
 当時の醸造法というものは、まず原料の米を十対三ほどの比率に分ける。「十」の米は蒸し米にする。「三」の米に発酵菌をつけて作った「麹」を蒸し米に加えると、糖化と発酵が並行して進む。発酵が終わると原料の米は、アルコール分を含んだ醪になっている。これを木綿の袋に入れて、長いテコを使った圧搾機で圧力を加えると、酒が絞りだされるのである。


 長吉と小吉は、周囲に酒の香がただよう座敷で、飽きることなく鈴虫を観察した。ところが不覚にも籠を床に落としてしまい、鈴虫が逃げてしまった。
 このことを知った太助は怒り、箒を持って二人を追いかけた。両者は酒蔵の中に身を隠していた。やがて太助の怒鳴る声がする。
「この野郎でてこい! せっかく捕まえたのによくも逃がしてくれたな!」
 ついに二人は見つかり、薄暗闇の中で三人で揉みあうこととなった。ついに長吉と小吉は太助をおさえつけたうえで、酒樽の中へ放りこんでしまった。


 やがて小吉は、珍しく神妙な面持ちで平蔵の屋敷へやってきた。
「また、なにか悪さしたな。怒らねえから正直に話してみな」
 父の平蔵は刀の手入れをしていたが、平素と違う小吉の様子を、いぶかしみながら尋ねてみた。
 平蔵の詳しい年齢はわからない。しかし小吉と一つ上の兄・彦四郎との間が二十五も離れていたことを考えれば、この時すでに初老の域に達していたことは間違いない。
 時として厳しく接することもあったが、いかほど悪さをしようと小吉は、まるで可愛い孫のような存在であった。しかしこの日ばかりは違っていた。
「いや、何てえしたことじゃねえんだよ」
 小吉は七つの子供にしては、ませた口ぶりで、太助を酒漬けにしたこと、その後、太助がピクリとも動かなくなったことを話した。
「なんだと! そいつは一大事じゃねえか!」
 平蔵は鬼の形相となり飛び出していった。結局、太助は命に別状はなかったが、小吉は罰として数日座敷牢に入れられ食事も与えられなかった。


 やがて小吉も八つになった。男谷家と小吉が養子に入った勝家は、幾度もの津波の影響で、深川から本所に屋敷を移すこととなった。
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