78 / 166
第5章 『死の森』へ
第78話 怖いのだから仕方がない
しおりを挟む
◆ ◆ ◆
一歩、また一歩と森へ入るが、踏み入れれば踏み入れるほど胸の奥がざわめいた。
進めば濃くなる陽炎のような霧に、ゴールの見えない道のり。木々の上を飛び回る鳥の魔物のつんざく鳴き声と肌寒さを感じる凍てつく空気――この場の異様な世界観は嫌というほど伝わる。
ミドリーさんが「普通の人間は近づかない」と言っていた理由がわかった。
確かにこんなところに近づこうとする輩は余程の命知らずか大馬鹿者しかいないだろう。
俺は、多分その両方だろうが。
「ところで、ムギちゃん……さっきからその歩き方で疲れないの?」
「ん?」
やたらと淡々とした口調のアンジェに顔を向けると、彼は呆れた様子で俺を見ていた。
だが、彼の言わんとしていることはなんとなくわかる。
この森に入ってから、俺は黙々と道を歩むアンジェを差し置いてひたすら身をかがめ、樹木に隠れるようにこそこそと歩いていた。
移動する時は素早く。背中ががら空きにならないようにわざと木につけ、ねずみ一匹も見逃さないよう全集中で辺りを警戒する。どこぞの「伝説の傭兵」にも劣らない動きだと自負している。
「無駄がないだろ?」
「無駄しかないわよ」
震えた手でグッと親指を立てたが、アンジェには冷たくあしらわれた。
「お願いだから、ふざけないでくれる?」
アンジェの精悍な顔の眉間にしわが寄る。
けれども俺も決してふざけでいるのではない。このスニーキングさながらの動きでないと背後を取られる予感がして気が気でないのだ。
そんなことを彼に話すと、アンジェは額に手をつけ、深いため息をついた。
「つまり……怖いのね」
「はい、おっしゃる通りです」
皆まで言うなら白状しよう――怖いに決まっているじゃないか!
この薄暗い空気に禍々しい雰囲気。そして「死霊の森」という別名。これなら幽霊の一体や二体出たっておかしくないではないか。
霊感? ねえよ、そんなもん。だが、怖いものは怖いのだ。
なぜこんなところに入ってしまったんだ俺。
「地の果てまで探してやる」という発言に嘘偽りはないとはいえ、あんな豪語した数時間前の俺をちょっとだけ殴りたい。
「そんなに怖いなら、さっさとこんなところ抜けましょうよ」
「それもそうなんだけど……足のほうが全然言うことを聞かなくて」
半笑いで頭を掻くと、アンジェは忌々しそうな目つきで「そう」と短く返した。
完全に諦められたようだ。その証拠に俺のほうなんて見向きもしないで無言でつかつかと森の中を歩いていく。
というか、なぜさっきからアンジェはこんなにもピリピリしているのだ。普段あれだけ温厚なアンジェがここまで態度に出るのは珍しい。
俺、アンジェになんかしたっけ?
いや、正に今しているか。
「わ、悪かったって……」
謝りながら速足でアンジェの隣につくが、彼はただスッと手をあげただけで何も言わなかった。
その対応につい足が止まった。
素っ気なさにショックを受けたのではない。シンプルに、彼の様子がおかしいことに気づいてしまったのだ。
「……アンジェ?」
心配そうに覗き込んでみると、アンジェの表情は先ほどよりもずっと険しかった。
それに加え顔も血の気が通っていないくらい青白くなっているし、呼吸も浅い。どう見たって具合が悪そうだ。
「本当に大丈夫かよ。少し休んだほうが……」
そう言いかけたところで、アンジェは首を横に振った。そして顔を歪めながら、つらそうな声で俺に尋ねた。
「ムギちゃん……あなたは平気なの?」
「え? いや……ぶっちゃけメンタルは平気じゃないけど……」
「……聞き方が悪かったわ。こんなところにずっといて、どこも苦しくないの?」
「苦しくないって……何が?」
一瞬、彼が何を言いたいのか理解ができなかった。
確かにこの重苦しい森の雰囲気に恐怖で押しつぶされそうではあるが、彼のように体調の悪さはまったく感じない。正直、体のほうはすこぶる健康だ。
その答えにアンジェは「そう……」と静かに息をつく。
だが、その途端に彼の体はふらりと揺れ、力が抜けるようにその場でひざまずいた。
一歩、また一歩と森へ入るが、踏み入れれば踏み入れるほど胸の奥がざわめいた。
進めば濃くなる陽炎のような霧に、ゴールの見えない道のり。木々の上を飛び回る鳥の魔物のつんざく鳴き声と肌寒さを感じる凍てつく空気――この場の異様な世界観は嫌というほど伝わる。
ミドリーさんが「普通の人間は近づかない」と言っていた理由がわかった。
確かにこんなところに近づこうとする輩は余程の命知らずか大馬鹿者しかいないだろう。
俺は、多分その両方だろうが。
「ところで、ムギちゃん……さっきからその歩き方で疲れないの?」
「ん?」
やたらと淡々とした口調のアンジェに顔を向けると、彼は呆れた様子で俺を見ていた。
だが、彼の言わんとしていることはなんとなくわかる。
この森に入ってから、俺は黙々と道を歩むアンジェを差し置いてひたすら身をかがめ、樹木に隠れるようにこそこそと歩いていた。
移動する時は素早く。背中ががら空きにならないようにわざと木につけ、ねずみ一匹も見逃さないよう全集中で辺りを警戒する。どこぞの「伝説の傭兵」にも劣らない動きだと自負している。
「無駄がないだろ?」
「無駄しかないわよ」
震えた手でグッと親指を立てたが、アンジェには冷たくあしらわれた。
「お願いだから、ふざけないでくれる?」
アンジェの精悍な顔の眉間にしわが寄る。
けれども俺も決してふざけでいるのではない。このスニーキングさながらの動きでないと背後を取られる予感がして気が気でないのだ。
そんなことを彼に話すと、アンジェは額に手をつけ、深いため息をついた。
「つまり……怖いのね」
「はい、おっしゃる通りです」
皆まで言うなら白状しよう――怖いに決まっているじゃないか!
この薄暗い空気に禍々しい雰囲気。そして「死霊の森」という別名。これなら幽霊の一体や二体出たっておかしくないではないか。
霊感? ねえよ、そんなもん。だが、怖いものは怖いのだ。
なぜこんなところに入ってしまったんだ俺。
「地の果てまで探してやる」という発言に嘘偽りはないとはいえ、あんな豪語した数時間前の俺をちょっとだけ殴りたい。
「そんなに怖いなら、さっさとこんなところ抜けましょうよ」
「それもそうなんだけど……足のほうが全然言うことを聞かなくて」
半笑いで頭を掻くと、アンジェは忌々しそうな目つきで「そう」と短く返した。
完全に諦められたようだ。その証拠に俺のほうなんて見向きもしないで無言でつかつかと森の中を歩いていく。
というか、なぜさっきからアンジェはこんなにもピリピリしているのだ。普段あれだけ温厚なアンジェがここまで態度に出るのは珍しい。
俺、アンジェになんかしたっけ?
いや、正に今しているか。
「わ、悪かったって……」
謝りながら速足でアンジェの隣につくが、彼はただスッと手をあげただけで何も言わなかった。
その対応につい足が止まった。
素っ気なさにショックを受けたのではない。シンプルに、彼の様子がおかしいことに気づいてしまったのだ。
「……アンジェ?」
心配そうに覗き込んでみると、アンジェの表情は先ほどよりもずっと険しかった。
それに加え顔も血の気が通っていないくらい青白くなっているし、呼吸も浅い。どう見たって具合が悪そうだ。
「本当に大丈夫かよ。少し休んだほうが……」
そう言いかけたところで、アンジェは首を横に振った。そして顔を歪めながら、つらそうな声で俺に尋ねた。
「ムギちゃん……あなたは平気なの?」
「え? いや……ぶっちゃけメンタルは平気じゃないけど……」
「……聞き方が悪かったわ。こんなところにずっといて、どこも苦しくないの?」
「苦しくないって……何が?」
一瞬、彼が何を言いたいのか理解ができなかった。
確かにこの重苦しい森の雰囲気に恐怖で押しつぶされそうではあるが、彼のように体調の悪さはまったく感じない。正直、体のほうはすこぶる健康だ。
その答えにアンジェは「そう……」と静かに息をつく。
だが、その途端に彼の体はふらりと揺れ、力が抜けるようにその場でひざまずいた。
10
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
茶番には付き合っていられません
わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。
婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。
これではまるで私の方が邪魔者だ。
苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。
どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。
彼が何をしたいのかさっぱり分からない。
もうこんな茶番に付き合っていられない。
そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。
【完結】身売りした妖精姫は氷血公爵に溺愛される
鈴木かなえ
恋愛
第17回恋愛小説大賞にエントリーしています。
レティシア・マークスは、『妖精姫』と呼ばれる社交界随一の美少女だが、実際は亡くなった前妻の子として家族からは虐げられていて、過去に起きたある出来事により男嫌いになってしまっていた。
社交界デビューしたレティシアは、家族から逃げるために条件にあう男を必死で探していた。
そんな時に目についたのが、女嫌いで有名な『氷血公爵』ことテオドール・エデルマン公爵だった。
レティシアは、自分自身と生まれた時から一緒にいるメイドと護衛を救うため、テオドールに決死の覚悟で取引をもちかける。
R18シーンがある場合、サブタイトルに※がつけてあります。
ムーンライトで公開してあるものを、少しずつ改稿しながら投稿していきます。
【BL】カント執事~魔族の主人にアソコを女の子にされて~
衣草 薫
BL
執事のローレンスは主人である魔族のドグマ・ダークファントム辺境伯にアソコを女性器に変えられてしまった。前に仕えていた伯爵家のフランソワ様からの手紙を見られて怒らせてしまったのだ。
元に戻してほしいとお願いするが、「ならば俺への忠誠を示せ」と恥ずかしい要求をされ……。
<魔族の辺境伯×カントボーイ執事>
自衛官、異世界に墜落する
フレカレディカ
ファンタジー
ある日、航空自衛隊特殊任務部隊所属の元陸上自衛隊特殊作戦部隊所属の『暁神楽(あかつきかぐら)』が、乗っていた輸送機にどこからか飛んできたミサイルが当たり墜落してしまった。だが、墜落した先は異世界だった!暁はそこから新しくできた仲間と共に生活していくこととなった・・・
現代軍隊×異世界ファンタジー!!!
※この作品は、長年デスクワークの私が現役の頃の記憶をひねり、思い出して趣味で制作しております。至らない点などがございましたら、教えて頂ければ嬉しいです。
【R-18】踊り狂えその身朽ちるまで
あっきコタロウ
恋愛
投稿小説&漫画「そしてふたりでワルツを(http://www.alphapolis.co.jp/content/cover/630048599/)」のR-18外伝集。
連作のつもりだけどエロだから好きな所だけおつまみしてってください。
ニッチなものが含まれるのでまえがきにてシチュ明記。苦手な回は避けてどうぞ。
IF(7話)は本編からの派生。
毎日スキルが増えるのって最強じゃね?
七鳳
ファンタジー
【毎日20時更新!】
異世界に転生した主人公。
テンプレのような転生に驚く。
そこで出会った神様にある加護をもらい、自由気ままに生きていくお話。
※不定期更新&見切り発車な点御容赦ください。
※感想・誤字訂正などお気軽にお願い致します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる