掌中の珠のように2

花影

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制裁1

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 幸嗣は席を外した後も扉の外で2人の会話を聞いていた。憔悴しきった様子の沙耶が気になって仕方なかったのだ。だが、それも杞憂に終わり、ホッとしたのと自分では彼女を癒す事ができなかった悔しさとで複雑な気持ちを抱えながらその場を離れた。
 沙耶は義総に任せておけばもう大丈夫だろう。自分達には彼女をこうなるまで追い込んだ犯人を割り出す作業が残っている。幸嗣はもやもやした気持ちを抱えながら美弥子達が待つ院長室へ足を向けた。
「お待たせ」
 院長室では美弥子と青柳、そして綾乃が待っていた。部屋の主は急患でも来たのか姿が無い。勧められた席に着くと、綾乃がコーヒーを差し出してくれたので、幸嗣は有りがたく受け取り早速口をつけた。慣れた味の筈なのになぜだか苦い。手近なテーブルにカップを置くと大きく息をはきだした。
「沙耶ちゃんの様子はどう?」
「……兄さんに任せておけば大丈夫そうだ。だけど、話を聞くのは無理かもしれない」
「そう……」
 少々元気のない幸嗣に美弥子が何か言いかけようとしたところで、席を外していた晃一が戻ってきた。その場に流れる微妙な空気に気付かなかったのか、彼は自分の席に着くと「さ、始めようか」と言って青柳を促した。
「残念ながら決定的な場面は映っておりませんでした」
 控えていた青柳はタブレット端末にカメラの映像を映し出した。示された画像には沙耶らしい少女が誰かと話しているのだが、肝心の相手は観葉植物の陰になって判別できない。辛うじて男性が2人いる事が確認できる程度だった。
「カメラを気にしている様でエレベーターも利用しておらず、足取りを追うのに苦労しました。辛うじてそれらしい2人の映像を見つけました」
 青柳が画面をスライドさせると、そこには美弥子にも見覚えのある人物が写っていた。
「こいつ、義総の所の重役じゃない」
「営業部長の渡部です。先日の林物流絡みの引責で年明けに降格が決まっています。連れは彼の秘書です」
 青柳が頷くと、今まで黙って話を聞いていた綾乃が口を挟む。
「こちらの秘書の方は渡部様の御名義で見舞いの品を届けに来られています。もちろん、幸嗣様の御意向でお断り致しました。義総様の意識が戻られてからは御面会を強く望まれております」
「綾乃さんがおっしゃる通り、秘書の方は今日……正確には昨日ですが、だけでなくここ数日姿を現しています」
 青柳が画面をスライドさせると秘書が1人で写っているものが纏められていた。義総が運び込まれた翌日から毎日の様に姿を現しているのが分かる。上司である渡部は通告されている左遷を取り消してもらおうとそれだけ躍起になっているのだろう。だが、未だ疑わしいという段階で決定的な証拠が無かった。
「しかし解せんな」
 唐突に漏らした言葉に一同の目が晃一に集まる。
「何が?」
「この男に沙耶ちゃんに接触して得する理由が思いつかん」
 晃一の言うとおり、現段階では渡部には沙耶に繋がる動機が全くと言っていい程思い当たらない。彼の事を知っている幸嗣も青柳も同様に理解に苦しんでいた。
「仰せのとおり、彼には沙耶様に繋がる動機がありません。沙耶様が握りしめていた紙に書かれた番号と合わせ、この2人の調査を命じております」
 青柳の答えに晃一は頷く。今は義総が持っているが、あの紙切れは重要な証拠である。彼の手にかかればインクが滲んでいようともすぐにその番号は判明し、例え偽名を使っていたとしても所有者を特定できるはずである。彼が指揮をすれば2~3日中に答えが出るだろうが、状況を考えればそれでも遅いと感じる。
「親族共ならなぁ……あの噂を真に受けたとも考えられるんだけど」
「あら、あの噂知ってたの?」
「沙耶が兄さんの隠し子じゃないかって奴だろ? 直哉経由で桜井の小父さんから聞いたよ」
 苦笑気味に幸嗣が答えると、黙って控えていた綾乃も苦笑している。あの溺愛ぶりを目の当たりにしている彼等からすると、どうにもおかしな話に聞こえるのだ。
「今までは良い意味でも悪い意味でも久子様の存在がご親族方の暴走を抑えておられました。その久子様が亡くなられ、後継者だった明人様までもが失脚された今、彼等は虎視眈々と当主の座を伺っておられます」
「義総や幸嗣君がいるのに?」
「俺達……特に俺では双方の当主は務まらないと思っているらしい。兄さんの意識が戻る前に押しかけて来た年寄り連中は非嫡出子の俺が継ぐのは恥だとまで言い切りやがった」
 幸嗣が肩を竦める。尤も、そういった大半の親族達は先日の呼び出しでぐうの音も出ない程に叩きのめした。親族の中でも長老格を返り討ちにしたのは大きい。
 力の差を見せつけられ、ようやく親族達は抵抗を止めて表向きは従順に従う様になってきた。ただ、今度は取り入ろうとしているのか、幸嗣への見合い話が半端なく舞い込んでくるようになり、それにはさすがの彼も辟易していた。
「で、今回の噂のおかげで、俺達の知らないところで跡取り問題が再燃しているらしい。しかも噂になっているのは女子高生。今まで俺への取り入りに参加できなかった身内に男しかいない親族がその子の擁立に躍起になっているらしい」
「あらあら……」
 当人を無視して周囲が盛り上がるのは良くある事とは言え、事実確認を怠るなどあまりにもお粗末なやり方に苦笑するしかない。
「最初に何者かが沙耶に接触したと聞いた時、俺に取り入ろうとしている連中が、あの噂を鵜呑みにしてあの子を排除しようとしたんじゃないかと思ったんだけど……。昨日は親族が来た形跡が無かった」
 結局、犯人を断定するにはもう少し時間が必要だった。一刻も早く沙耶の安全を確保したい幸嗣も美弥子も晃一も深くため息をつく。
「あの番号が分かったらそれでおびきだせるんだけど、それまで何もできないのも辛いわね」
「逆に放っておくのも手だね。焦れて行動を起こすかもしれない」
「……煽るのにいいネタがあるぞ」
 晃一の言葉に全員が振り向く。
「何?」
「さっきの呼び出しは知り合いからなんだが、私が予定していた講演会を欠席し、幸嗣君や綾乃さんだけでなく青柳君まで揃ってここに来ている事から、義総君の容体が急変したのではないかと勘繰られている」
 義総が危ういとなれば、犯人だけでなく親族達も何かしら行動を起こす筈である。そこを押さえれば今後の憂いを全て払拭できるだろう。これで沙耶にも安心して大倉家に居てもらえると幸嗣は不敵な笑みを浮かべる。
「間違いなく親族達は動く。利用させてもらおう」
「そうですね。こちらの調査が完了する頃には動きがあるかもしれません。
 青柳も了承し、綾乃も納得して頷いている。しばらくここに詰め、今まで以上に見舞客を追い返しておけば、勝手に尾と鰭をつけて噂を振りまいてくれるだろう。
「それにしても犯人には土下座させるだけじゃ気が済まないわね」
 美弥子の不敵な笑みは絶対何か物騒な事を考えているに違いない。今回の件は義総も相当腹を立てており、それに美弥子が加われば、その相手を社会的に抹消するのも不可能ではない。青柳は少しだけその相手が気の毒になった。
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