掌中の珠のように2

花影

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疑心9

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「はいどうぞ」
 ベッドの脇に座った沙耶は、生姜をきかせた鳥のつくねを箸でつまみ、口を開けて待つ義総の前に差し出した。彼はそれをぱくりと頬張り、おいしそうに咀嚼している。午前中から愛しい少女がお弁当持参で来てくれて、義総は至って上機嫌である。
「美味いな」
「次は何になさいますか?」
「おにぎりを貰おう」
 リクエストに応え、沙耶は小ぶりに作ったおにぎりを差し出す。今日は高菜とじゃこを混ぜたものと解した鮭の身と胡麻を混ぜたものの2種類を用意している。そのどちらも綾乃のアドバイスを受けて沙耶が愛情込めて作ったのだが、舌が肥えている義総を唸らせる出来栄えだった。
「ご馳走様」
 いつもの特別メニューよりも食が進み、持参したお弁当を義総は完食した。この後はしばらく2人きりにしてもらえる予定で、今日は同行している綾乃が食後のお茶を用意し、弁当箱を片付けて部屋を出ると、沙耶は義総にそっと寄り添った。
「昨日は来てくれていたのにすまなかったな。随分疲れた様子だったと美弥子が心配していたが、大丈夫か?」
 義総は怪我をしていない左手で沙耶を抱き寄せた。彼女は義総の負担何らない程度に寄りかかり、その胸の顔を埋める。
 昨日会った老人の事は結局誰にも打ち明けられなかった。それでも深く気にしない様にしようと心に決めたのだが、事あるごとに彼女の心に影を落としている。しかも忘れる様に務めていた久子から浴びせかけられた言葉の数々も思い出してしまい、昨夜は久しぶりに強めの薬を服用して休んだのだ。
「大丈夫です。ご心配をおかけしてすみません」
 こうして義総のぬくもりを肌で感じていると、心が落ち着いてくる。今日は綾乃が同行してきているので、余程の客が来ない限りはゆっくりできる。義総は擦り寄ってくる沙耶の頭を優しく撫で、その額に優しく口づけた。
 すっかり安心しきって体を寄せている沙耶に、義総は悪戯心が芽生えて彼女の無防備な首筋をくすぐる。するとそれを咎めるように彼女が見上げたので、その顎に手を添えると、義総は唇を重ねた。
「沙耶、退院したら……」
 沙耶を片腕で抱き寄せた状態で義総がそう口を開きかけた時、扉をノックする音がする。慌てて沙耶は体を離し、義総は少しだけ恨めしそうに返事した。
「義総様、青柳君がお見えでございます」
「青柳が?」
義総は嫌そうな表情を浮かべたが、重要な案件なのかもしれないと思い直して面会の許可を出す。
「済まないが、少しだけ待っててくれるか?」
「はい」
 申し訳なさそうに義総が沙耶を見上げると、彼女は小さく頷いた。



「ふう……」
 沙耶は冷たい雨が降る窓の外を眺め、溜息をついた。沙耶は義総がいる特別室にほど近い待合室に来ていた。午後の面会時間にはまだ早く、待合室は閑散としていた。だが、この待合に来ると、昨日会ったあの老人の言葉を嫌でも思い出してしまう。
 久子が執着を見せた形見の指輪は、両親が残したものでは無く本当は大倉家のものなのか、義総には本当は側に置きたい女性がいるのではないかと暗い考えが支配する。グルグルと思考が乱れ、沙耶はだんだんと眩暈がしてくる。
「沙耶様?」
 廊下でぼんやりと外を見ている沙耶の姿を見かけて綾乃が声をかけてくる。今日はいつもと違い、スーツに身を包んでいて、実年齢よりも随分と若く見える。見るからに大人な女性といった感じで沙耶は綾乃に憧れていたのだが、彼女の方が余程義総に釣り合うんじゃないかと考えると、胸の奥がなんだかもやもやしてくる。
「お加減が悪いのでしたら今日はもうお帰りになりますか?」
「いえ、大丈夫です。青柳さんはもうお帰りになられたのですか?」
「まだ話し込んでおられます。義総様のお体を思うと、もうそろそろ切り上げてもらわなければ」
 綾乃は一つため息をつくと、様子を見に行ってくると言って義総の病室の方へ向かう。その姿に沙耶はまた一つため息をついた。仕事の話をしている最中でも堂々と割り込める彼女が羨ましかった。
「あー、お前か? 会長が養っている子供は」
 急に背後から声を掛けられ、沙耶が振り返ってみると、スーツ姿の50代と思しき男性が立っていた。彼の後ろには秘書らしき男性が控えており、口調と合わせて推測すると、義総の部下でもかなり地位が高い人物なのだろう。
「あの、どちら様ですか?」
「ワシが質問しておる。答えろ」
 昨日の一件が無ければ何か言い返したかもしれない。だが、精神的に不安定な状態になっている彼女は小さく頷いた。
「ずうずうしく押し掛けてあの方に迷惑がかかっているのが分からんか? お前の所為であの方の幸せを邪魔しておる。金が必要ならば用意してやる。今すぐあの方の元から去れ」
「……」
 沙耶は思わず息を飲む。あまりにも突然で返答に窮していると、更に苛立ったように早口で宣告される。
「お前のような汚れた存在が側におるからあの方の経歴に傷をつけたのだ。これ以上あの方に傷をつけない為にも、お前は即刻あの方の元から去れ」
 沙耶の頭の中で投げかけられた言葉がグルグルと回る。思えば自分が大倉家に来た為に義総は災難に見舞われている気がする。自分を保護しなければ義総はサイラムとのごたごたに巻き込まれずに済み、怪我をせずに済んだかもしれない。今回の事ももっと違う形で決着がつけられていたかもしれないのだ。自分の所為だ。自分がいたから義総に迷惑がかかっているのだ。
「何とか言ったらどうだ?」
 我に返ると目の前には義総の部下らしい男が立っている。なかなか返事をしない彼女を苛立たしげに睨みつけている。
「……分かりました」
 沙耶の返答に男はフンと鼻をならし、彼が背後を振り返ると秘書らしき男が小さな紙きれを沙耶に手渡す。
「準備が整いましたらこちらにご連絡ください」
 感情のかけらも感じられない声でそう言い残すと、彼等はその場を去って行った。1人取り残された沙耶がそのメモを見ると、携帯のものらしい番号が書き記されていた。
「私の所為……」
 沙耶はそう呟くと涙を一つ零した。


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沙耶を精神的にズタズタに傷つけた男の正体は次話で。ちなみに前話の老人とは別人です。彼も話の中に出てきた人物。後に正体を明かす予定。
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