掌中の珠のように2

花影

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確執8

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流血を伴う暴力シーンがあります。予めご了承ください。


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 沙耶の行動にいち早く気付いた哲也がかけた急制動で、沙耶はバランスを崩して固い路面に倒れ込んだ。体を打ち付け、一瞬息が止まる。それでも体を起こして逃げようとするが、髪の毛をグイッと引っ張られる。
「逃げようなんていい度胸してんじゃない。生意気よ」
「……離して……」
 沙耶は抵抗するが、久子が髪を掴んで引きずるよう車へ引っ張っていく。車はいつの間にか街を離れて郊外に来ていた。不思議と車の通りが少なく、完全に日が落ちている事もあって久子が理不尽な行動をとっていても見咎める者はいない。
「用事が済むまで大人しくしていなさい。そうしたら無一文になったアイツの下へ帰してあげるわ」
「やめて……」
「見てらっしゃい、義総。私に逆らった愚かさを思い知るがいい。あの時は邪魔が入ったおかげで子供しか始末できなかったけど、今度こそアイツの息の根も止めてくれる!」
 久子は高笑いしながら沙耶の体を蹴りつける。
「久子、もう止めろ。この子が死んでしまう」
「この女がそんなに軟なものか! 子供を犠牲に生きながらえて、それでものうのうと義総の下に居座り続けるこの女が! 姉の元に送ってくれる!」
「久子、この子は綾乃じゃない! 止めろ、止めるんだ!」
 狂ったように沙耶を蹴り続ける久子を哲也は背後から羽交い絞めにして止める。
「私に意見するなんて何様のつもり! 何のとりえもないあんたは黙って私に従っていればいいのよ!」
「久子!」
 久子の言動に耐えかね、哲也は思わず声を荒げる。だが、逆上した久子は哲也を突き飛ばし、路上でぐったりしている沙耶をまたもや蹴りつけようとする。

パンッ!

 乾いた音とともに何かが久子の左肩をかすめる。焼け付くような痛みに手を当てると、血にまみれていた。いったい自分の身に何が起こったのか理解できずにいると、ワラワラと現れた黒服の男達に取り押さえられていた。
「沙耶、沙耶」
 義総は握っていた拳銃を放り投げ、嵌めていた手袋を外して投げ捨てる。そして倒れている沙耶に駆け寄って抱き起し、服に着いたほこりを払って乱れた髪を撫でつける。彼は久子にはたかれて張れた彼女の頬を痛ましげに撫で、顔や手に出来た擦り傷に口づけた。
「義……総……様」
「沙耶……」
 沙耶が僅かに目を開け、義総は彼女を抱きしめる。抱きしめられた感触と馴染んだ匂い、そして声に安堵した彼女はそのまま意識を手放した。
「幸嗣、沙耶を頼む」
 放り投げられた拳銃を受け取り、黒服の部下に指示を与えていた幸嗣は義総に呼ばれて軽く目を見開く。兄はこのまま沙耶を屋敷に連れ帰って介抱し、事後処理は自分の仕事だと思っていたからだ。
「いいけど……いいの?」
「決着は自分でつける」
 義総は少女を優しく抱き上げると、まるで壊れ物のように弟へ預ける。幸嗣も彼女をそっと受け取り、その頬に軽く口づけた。
「帰宅する」
 既に車が用意されていて、幸嗣は沙耶を抱えたまま後部座席に乗り込むと、黒服の男がハンドルを握り、そして速やかに現場を後にした。



「義総! この私にこんなことしてただで済むと思ってんの!」
 義総の姿を見つけると、怪我をしているにもかかわらず、久子は怒りで体を震わせ、噛みつくように抗議する。その隣では哲也が観念したように無言で座り込んでいた。
 幸嗣が沙耶を連れ帰ってすぐ、現場は義総の指示の下、何事も無かった様に片付けられ、警察に協力要請して封鎖していた一帯の規制を解除した。
 拘束された久子と哲也はすぐに近くにある古い別荘へと移された。黒服の男達が建物の周囲を警戒する中、連れて来た2人の前に諸々の後始末を終えた義総がようやく姿を現したのだ。
「自分の立場が分かっているのか?」
 義総は冷淡に異母姉を見下ろす。
「私は吉浦の当主よ! あんたが継いだ大倉家みたいに落ちぶれた家とは格が違うのよ!」
「その家格もあんたが継いでからは落ちる一方だろうが」
「何ですって!」
 ヒステリックに喚く久子を義総は足蹴にする。先程の沙耶の痛ましい姿を思い出し、ついつい蹴る力が強くなっていく。ある程度気が済んだところで髪を掴んで彼女の上体を引き上げる。
「大人しく引き下がっていれば多少の隠し財産と命は見逃してやるつもりだったが、私の宝を傷つけたんだ。覚悟はいいな?」
 普段の義総とは比べ物にならないくらいドスのきいた声は、彼の怒りのほどが伺えて、当の久子よりも側に居た哲也の方が縮み上がる。
「……あの小娘、随分と執心だけど、あの時の子供じゃない。母親が手に入らなかったからその子供で代用してんの? 」
「お前……」
 義総の怒りが増し、久子を力ずくで床に叩き付ける。さすがの彼女も脳震盪を起こしたらしく、ぐったりとして動かなくなる。それでも怒りが収まらず、義総はもう一度久子の体を蹴りつけた。
「……義総君、その位にしてやってくれないか?」
 それまで大人しくしていた哲也の声で義総は我に返った。
「君が怒るのも無理はないと思う。だが、彼女は私の妻だ。痛めつけられるのを大人しく見ていられないのだよ」
「……」
「それに……先代様に公私共に支えてくれと頼まれたのにもかかわらず、久子の暴走を止められなかったのはこの私の責任だ。最後の後始末は私にやらせてくれないか?」
 顔色は悪いながらも、哲也は穏やかに義総を見上げる。
「覚悟は出来ていますか?」
「ええ」
 今更抵抗しても、この部屋には5人の黒服の男が控え、外にはその倍以上いる。年老いた自分の足では到底逃げ切れるものでは無かった。義総は黒服の男に彼の拘束を解くように命じた。
「これを……」
 哲也は襟元に隠していた記録媒体を取りだすと、義総に差し出す。
「これは?」
「私達の隠し財産の目録です。久子が作った借金に及びませんが、足しになればと思いまして……」
「わかった」
 義総はそれを受け取ると内ポケットにしまい込んだ。
「久子に逆らえないばかりにあのお嬢さんには悪いことした。許してくれとは言わないが、ただ、詫びていた事だけは伝えて貰えないだろうか?」
「良いだろう」
 義総が了承すると、哲也は深々と頭を下げた。
そして、黒服の男が近づいて来て、一丁の拳銃を彼に手渡す。先程、義総が久子を撃ったものである。震える手で彼はそれを受け取った。



 その後、別荘の中からは銃声が2発響いた。程なくして火の手が上がり、別荘は瞬く間に炎に包まれた。
その焼け跡からは2体の遺体が発見され、調べで久子とその夫の哲也のものとわかり、状況から無理心中と断定されたのだった。


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作者注釈
久子と綾乃は犬猿の仲。で、久子は頭に血が上りすぎて過去の記憶と混濁。沙耶を綾乃と勘違いしています。
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