掌中の珠のように2

花影

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波乱5

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 落ち着きを取り戻した沙耶に軽い食事を摂らせて薬を飲ませた義総は、後を綾乃に任せて書斎に移動した。既に幸嗣と青柳そして塚原と彼の補佐をしている桐谷という若い使用人が集まっていた。不機嫌な彼が部屋に入って来ると、一同に緊張が走る。
「現時点までの報告書です」
 青柳が差し出したタブレット端末には今回の報告書が記載されている。義総はそれに目を通すと、一層渋い表情を浮かべる。
「渡部は断りを入れてなかったのか?」
「どうやらそのようです。お話しするタイミングを計っていたと釈明しておりましたが、どうやらこの縁談を諦めきれておられなかったご様子。林物流の会長に成功報酬として何かしらの金品を約束されておられたようです。そこへ当のご令嬢から催促があり、狼狽しながら答えたところ、どうやら義総様が結婚を考えていると勘違いして受け止められたようです」
「……」
 義総の眉間のしわが一層深くなる。
「あの女は父親が連れて帰った。非常に不本意だけど示談の方向で話を進めている」
「……」
「どうにも話がまとまらなければ民事訴訟も辞さないと言っておいたから、こちらの要求を丸呑みすることになると思うよ」
 幸嗣が普段の軽さを抑えて報告すると、義総も納得したのか頷いた。
「旦那様、申し訳ありませんでした」
その時、桐谷がその場に膝をつき、手にしていた封筒を義総に差し出した。表には退職願と書かれている。
「私の不始末でこの度はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。しかも沙耶様はお怪我までされて何とお詫びしていいか……。私の首一つでは足りないかもしれませんが、職を辞すことでこの度の責任をとらせてください」
 義総は顔色一つ変えずにその封筒を受け取るが、溜息をつくとそのまま相手に返した。
「この度の事は確かに残念に思う。責任を感じているのであれば、職務に励むことで償うといい。第一、この事で君を辞めさせたと分かれば沙耶は悲しんでしまう」
「旦那様……」
 彼はその場に伏して泣き始めた。
「いい教訓と思い、今後に生かせ。……君はもう下がっていい」
「は、はい。ありがとう……ございます!」
 桐谷は膝をついた状態でもう一度床に付くほど頭を下げると、塚原に促されて書斎を出て行った。
「旦那様、私の監督不行き届きです。申し訳ありませんでした」
 桐谷が出て行くと、彼を始めとした使用人達を束ねる立場の塚原は主である義総に改めて頭を下げる。
「久子様の名前を出され、どうにも断りきれなかったようです」
「……何で久子が出て来るんだ?」
 そこがどうしても理解できなかった。優秀な彼等でも理由が思いつかない。首をかしげるばかりだが、そこで青柳が口を開く。
「明人様がマカオへ移動となってから1週間ほど経ちましたが、久子様はまだ何も行動を起こされておられないのでこの事もご存知ではないかと思われます」
「確かに。あちらでの仕事に集中するから必要以上に連絡するなと言っていたな」
 今回久子は一か月の予定でヨーロッパを周遊している。視察という名目で仕事となっているが、実際は会社のお金で豪遊しているのだ。
 彼女が社長になってから1年ほどの間にこういった外遊が今回を含めて3度あり、回を重ねる毎にだんだんその規模が大きくなってきている。今では関連の子会社や孫会社に圧力をかけてそちらからも出資させている有様だった。
 困った経営陣達が義総に泣きついてきてその事実を知り、彼は巧みな文面の書類を用意させて以降は彼の私費を使わせていた。もちろんこのままでは義総が損をしてしまうので、書類の中にはお金が返せなかったら彼女が所有する株で返す文面が添えられている。
 彼女は契約書類に一応目を通したが、それらの罠に気付かずにサインをし、今回は前回を上回る額を引き出していた。その為に用意していた私費もそろそろ底をつき始めている。もうそれを全額揃えて返してもらう頃合いかもしれない。
「おられない方が何かと動きやすいですが、明人様の件はいつまでも隠し通せるものでもありません。ましてや他人から聞いたとなると、久子様がどのような行動に出るか全く予測がつきません」
「そうだな」
 先日の騒動を理由に明人を左遷させた後は、重役達の強い要望で義総は再び経営に参画していた。肩書はそのままだが、閑職にいた間でも確実に成果を上げ、あの明人のしりぬぐいまでしっかりこなしてきた彼にもう異を唱える者はいなかった。
 もうじき行われる臨時の取締役会で久子は社長を罷免され、義総が名実供に経営のトップとして返り咲くのは確実だった。その取締役会を開くには彼女の帰国が必要不可欠で、それを誰が彼女に伝えるか社内で今揉めているのだ。
「来週予定しておりました北欧への出張を早め、私がロンドンに足を延ばして哲也様に直接事情をお伝えし、彼から話して頂くのが確実かと思うのですが如何でしょうか?」
 この提案に義総も頷くが、話を聞けば久子が大いに荒れるのは目に見えていて、少々義兄が気の毒になってくる。だが、彼以外に適任者はいそうにもない。また、胃に穴を開けるかもしれないが、彼に犠牲になってもらう事で話は決まった。
「お前の留守中の準備が整っていないが……仕方ないか」
「俺が手伝おうか? 青柳と比べられると困るけど」
 エトワールの仕事だけなら秘書課で充分対処できるが、義総の仕事はそれだけではない。一般には知られたくない内容の物まであるので、青柳の代わりとなると、今までにも何度か彼の手伝いをした事がある幸嗣が適任だろう。
「そうだな、そうしてもらおう」
 一瞬不敵な笑みを浮かべた義総に幸嗣は嫌な予感がして早まったかと後悔した。きっとこき使われるに違いない。
「それでは幸嗣様、留守中はよろしくお願いいたします」
「う……分かった」
 青柳の言動にも嫌な予感が漂って来るが、それでも自分で言いだした事なのでもう断る事は出来ない。力なく頷いた。
「幸嗣に当面の引継ぎが済み次第、青柳はすぐに発ってくれ」
「かしこまりました」
「了解」
 おそらく今夜は徹夜だろう。一晩で打ち合わせを済ませ、青柳はそのまま向こうへ発つことになりそうだ。
「頼むぞ」
 義総は立ち上がると2人の肩を叩いて書斎を出て行く。寝室に戻ると、ベッドの側に控えていた綾乃が彼を出迎えた。ベッドを覗いて見ると、薬が効いたのか沙耶はぐっすりと眠っている。
「沙耶……」
 愛おしくてたまらない少女の姿を眺めているだけで、ささくれた心が癒されていく。彼女の額にかかっていた髪を払って優しく口づけ、その隣に潜り込む。綾乃はそれを見届けると、主の癒しの時間の妨げにならないよう、頭を下げて寝室を出て行ったのだった。


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沙耶に付き添うのは建前で、面倒事を弟と秘書に押し付けて癒しの時間を確保する義総……。
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