群青の軌跡

花影

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第3章 2人の物語

第27話

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 着替えが済み、部屋の外へ出ると、着替えの為に別の部屋へ放り込まれていたティムと合流する。湯を使い、小ざっぱりした彼も新品の正装をまとっていた。ちなみに彼の正装はブランドル家が用意したものらしい。
 オリガは俺の部屋の隣で着替えをしていると教えてもらい、扉を叩くと彼女を連れて行った侍女の1人が応対する。既に着替えが済んでいるらしく、すんなりと迎え入れられた。
「どう?」
 はにかんだ笑みを向けるオリガは春の新芽を思わせる淡い緑のドレスを身に纏い、艶やかな黒髪には先日俺が送った銀の髪飾りをつけてくれている。あまりに美しくて俺は言葉を失った。ティムが後ろから小突いてくれたおかげで我に返り、「綺麗すぎて見惚れていた」と言って彼女の手を取った。
 同じ本宮の敷地内とはいえ、南棟の客間から北棟まではかなりの距離がある。俺やティムは平気だが、着飾っているオリガに北棟まで歩けと言うのは酷だった。気の利くサイラスが既に馬車を手配してくれていて、俺達はその馬車に乗り込むと彼に見送られて北棟に向かった。
 ほどなくして俺達が乗った馬車は北棟の玄関に横付けされる。馬車から降りた俺達をオルティスさんが出迎えてくれた。
「ようこそおいでくださいました」
 感無量といった様子のオルティスさんは深々と頭を下げる。もう本当にいろんな人に心配かけて恐縮するしかなかった。そんな彼に案内されて屋内に入ると、何かが一直線に向かってくる。
「お外行く! 鬼ごっこするのー!」
 元気よくそう宣言して走って来たのは3歳になられたエルヴィン殿下だった。今日も元気が有り余っているご様子で何よりだ。でも、このまま外へ出すわけにはいかない。俺はサッと歩み寄ると、殿下を抱え上げた。
「お久しぶりです、エルヴィン殿下。相変わらずお元気そうで何よりです」
 顔を合わせて笑いかけると。その小さな手で俺の顔をペチペチと叩いて「お外、行こう」と催促する。まだあきらめていないらしい。
「エルヴィン様、もうお外は暗くなりますよ」
 横からオリガがそう話しかけると、いつものお仕着せではない彼女に驚いて目をしばたかせていた。
「まあ、ルーク卿、すみません」
 そこへ慌てた様子のフロックス夫人がようやく姿を現し、その後ろからは殿下のご家族がそろってお出ましになられた。わざわざ俺達をお出迎えして下さる為に玄関へ向かったところ、外へ行けると勘違いしたエルヴィン殿下が1人駆け出してしまったのだとか。特に慌てなかったのは、外に警護の兵士もいるし、俺かティムが捕まえると思われたかららしい。
「客として来てもらったのに手間をかけさせて済まない」
 陛下は開口一番にそう謝罪されて俺からエルヴィン殿下を引き取られた。殿下はまだ「お外行くの!」と騒いでいたが、父親相手では到底かなうはずもない。そのままフロックス夫人に引き渡され、先に食堂へ連れて行くように指示されていた。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ、よく来てくれた」
 ここで改めて陛下と挨拶を交わす。ここでも「無事な姿を見て安堵した」と言われ、改めて今後は無茶をしないようにしようと心に固く誓った。
 皇妃様と姫様にも挨拶を済ませ、恐れ多くも陛下の案内で食堂に向かう。皇妃様には陛下、オリガには俺、そして姫様にはティムが付き添っての移動となった。
 そっとティムの様子をうかがうと、ものすごく顔がにやけている。久しぶりに姫様にお会いできたので嬉しいのだろう。気持ちは分かる。まだロベリアにいた頃、オリガに会いたくてお館への使いを率先して受けていたのが懐かしい。
 大きな円卓にそれぞれの伴侶や恋人と隣り合うように着席し、エルヴィン殿下は皇妃様と姫様の間に席が設けられていた。殿下の背後にはフロックス夫人が控えているのは、お食事のお手伝いをするのだろう。
「子供も一緒で騒がしいとは思うが、楽しんでくれ」
 姫様と殿下は果実水、大人達は食前酒で乾杯し、和やかな晩餐が始まった。先程まで外で鬼ごっこをすることに固執していた殿下だったが、おいしそうな食事が目の前に出されると、大人しく食べ始めた。しっかり教育されているのか、このくらいの年の子供にありがちな遊び食いのような事をすることもなく、フォークやスプーンを上手に使っている。
 そんな微笑ましい光景を眺めながら、料理を味わう。陛下も皇妃様も最大限に俺達をもてなそうとしてくれているらしく、出される料理は形式的な物ではなくて家庭料理に部類されるものばかり。普段の北棟の晩餐に同席させていただいている、そんな雰囲気だった。
「あ、エルヴィン寝ちゃった」
 粗方の食事が済んだころ、気づけばエルヴィン殿下は席に座ったままウトウトしていた。先程まであんなに元気だったのに……と思っていると、よくある事らしい。フロックス夫人が握りしめたままだったスプーンを取り、皇妃様が口の周りの汚れを拭きとってもムニャムニャ言って起きる気配がない。食事用の前掛けを外され、そのままお付きの侍女に抱き上げられて寝室へ連れて行かれた。
「もう少し付き合ってくれ」
 エルヴィン殿下の退出と同時に晩餐会はお開きとなったが、陛下に促されて食堂からごく限られた客しか通されない私的な居間へと移動する。俺とオリガは普段から御一家がくつろがれるソファに案内された。
 一方のティムは姫様と窓際に配置されている長椅子に並んで腰かけていた。2人とも、すごくうれしそうだ。保護者の目が届く範囲の中に限定されるが、現状ではこうして2人で過ごせる時間は貴重だからだ。
「これを一緒に飲もうと思っていたのだ」
 オルティスさんがうやうやしく差し出したワインの瓶を陛下は嬉しそうに受け取ると、その銘柄を俺達にも見せてくれる。ブレシッド産の高級ワイン……そういった知識に乏しい俺でも知っている有名な逸品だった。
「俺にはもったいない気がするのですが……」
「遠慮しなくていい」
 陛下曰く、内乱終結の折に義父であるミハイル公王からいただいた内の1本で、1人で飲んでしまうよりも、親しい人の祝い事に開けようと大事にとっておいたらしい。陛下に親しいと言われると何だか照れ臭い。そんな会話をしている間に、オルティスさんが酒席の準備を整える。陛下は自らの手で開封し、それぞれの杯へ希少なワインを注いだ。
「2人の末長い幸せを願って」
 杯を掲げる陛下のお姿は男の俺でも見惚れるほどかっこいい。震える手で杯を受け取り、オリガと杯を合わせてから恐る恐る口をつけた。初めてブレシッド産のワインを飲んだ時にこれ以上のものは無いと思っていたが、それをはるかに凌駕する豊かな味わいに感動すら覚える。
 傍らのオリガを見てみると、俺と同様に驚いている様子だった。酒精でほんのりと色づいている目元が色っぽい。……不敬かもしれないが、早く帰って2人きりになりたい等とつい思ってしまった。



「今年の国主会議は長くなりそうだ」
 捕えたカルネイロの残党の後始末があるとかで、いつもより早く始まることになったらしい。討伐期が長いタランテラに配慮して特別に飛竜での乗り入れが許され、陛下は今月末に少数の供を連れて出立されることになっていた。強行軍が予想されるので、皇妃様はお子様方とタランテラに残られる。
「同行者は決まっているのですか?」
「ああ。まあ、心配しなくても今回お前は留守組だ。蜜月を邪魔するつもりはない」
 揶揄やゆするような視線を向けられて目が泳ぐ。多分、酒精の所為だけでなく顔は赤くなっているはずだ。陛下は苦笑しながらもアスター卿を始め、第1騎士団の精鋭が選ばれている事を教えてくれた。
「式の詳細などは決まりましたの?」
 皇妃様が俺達に話を向けられる。俺はオリガと顔を見合わせると、代表して答えた。
「アジュガで式を挙げる事は決まっていますが、詳細はまだです。家族が準備を進めてくれているので、自分達の都合がつき次第……といったところです」
「まあ……それではオリガの望みがかなったのね」
 皇妃様はご存知だったらしい。一方で陛下は少し不思議そうにしている。そこでアジュガの婚礼の仕来りを説明すると、納得したようにうなずいておられた。
「参加できなくても花を送って祝福するのか……2人の時にはきっと神殿が花であふれかえるかもしれないな」
「そうだと……嬉しいです」
 オリガがはにかんで応える。
「ところで、あの宿舎は快適か?」
 今度は陛下からそう聞かれる。あの宿舎とは皇都に来た時にいつも借りているあのお屋敷の事だ。初めて借りたときは豪華すぎて身の置き場がなく感じたものだったが、毎年借りているうちに愛着すら感じるようになっている。
「快適ですよ」
「そうか、なら新居は決定だな」
 陛下はそう仰るが、あの大きなお屋敷に住むとなると管理する人材が必要になる。今まではブランドル家の好意で派遣してもらった使用人に滞在する期間だけ俺が給与を払う形を取っていた。皇都に住むとなると、いつまでもブランドル家に甘えているわけにもいかない。
「問題ないだろう。元々皇都へ呼んだときに下賜するつもりで貸していた。今まで尽くしてきてくれたお礼だと思って受け取ってくれ」
 陛下の話だと、ブランドル家もいずれ俺の元で働くのを前提として使用人を派遣してくれていたらしい。どうやら、知らなかったのは俺達だけだったようだ。籍を入れると知ってすぐに手続きは勧められ、後は俺が署名をすればあのお屋敷は俺達のものになるらしい。驚く俺達をしり目に陛下はしてやったりとばかりに喜んでいる。
「えっと……」
 どう答えていいか言葉に詰まる。傍らのオリガも突然の出来事に戸惑っている。そんな俺達に皇妃様が優しくお声をかけて下さった。
「ルーク卿にもオリガにも私達一家は助けてもらってばかりだわ。だから、エドも私も少しでもその恩を返せたらと思っていたわ。それに、そのお屋敷からなら本宮にも通いやすいでしょ? オリガにはこれからも私の大事な友達でいて欲しいの」
「皇妃様……」
 皇妃様にそこまで言われてしまえば無下に断ることも出来ない。俺達は改めて陛下に感謝の意を伝え、これからも誠心誠意お仕えしようと心に決めたのだった。
 こうして俺達は皇都の一等地に屋敷を構えることになった。



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これぞ人徳のたまもの……

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