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第2章 タランテラの悪夢
114 尽きない渇望3
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「生憎と、私には組み紐を交わした相手がおります」
「で、ですが、その方は亡くなられたと……」
エドワルドがわずかに袖をまくって擦り切れた組み紐を見せると、先程までとは打って変わり、舌がうまく回らなくなったベルクが反論を試みる。
「ラグラスの手下は親子のものとみられる遺体が流れ着いたのを確認しただけで、大した調査をせずにあれを我が妻子のものだと断定した。
だが、ルークとキリアンは関わった人々に話を聞き、他人を納得させるだけの証言をそろえた上で、その遺体が我が妻子のものでは無いと結論付けた。よってまだ生きている可能性がある。
国主代行の地位に縛られていなければ、私はグランシアードと共にフォルビアに戻り、リラ湖周辺で手がかりを探し回っているだろう。それが他人からどんなに滑稽に思われてもだ」
エドワルドはそこで一旦言葉を切り、冷めたお茶で喉を潤す。そうでもして気分を落ち着けないと、彼等に殴りかかってしまいそうだった。
「その僅かな可能性に賭けている私に好きでもない女を娶れだと? ふざけるな!」
エドワルドの一喝に3人とも竦み上がる。まともにその顔を見ることも出来ず、手が恐怖で震える。
「不愉快だ。これで失礼する」
「あ、殿下……」
リネアリス公が呼び止める間もなくエドワルドは席を立つと奥の寝室に姿を消してしまった。彼は慌てて後を追おうとするが、オルティスが行く手に立ちはだかって邪魔をする。
「会見は終わりでございます。どうぞお引き取り下さいませ」
「いや、まだ用は終わっていない!」
彼としては何としても娘をエドワルドの側に送り込み、己の保身を図らねばならなかった。必死に寝室への扉を目指すが、部屋の外に控えていた兵士が入って来て彼を取り押さえてしまう。
「今、どういう状況か貴方様にはお分かりになりませんか? 冬を間近に控え、妖魔に備える為に、殿下は寝込んでおられた分を取り戻そうと一分一秒を惜しんで対策を練っておられます。その貴重なお時間を貴方様は自身の保身の為に費やしたのです」
「私は……ただ……」
取り押さえられたリネアリス公は放心してその場に膝をつく。
「ええい、ワシに触れるな」
兵士に無理やり連れ出されそうになった事で逆にベルクは頭に血が上り、掴まれた腕を振り払ってオルティスに食って掛かる。
「まだ用は済んでおらぬ。もう一度殿下に取り次がんか!」
「お話はもう済みました。お引き取り下さいませ」
「ワシが賢者になるのは確定しておる。素直に従った方が身の為だぞ」
寝室へ続く扉の前に陣取ったオルティスに半ば脅しをかけて凄んでみせる。だが、彼は無表情でそれを受け流す。
「お引き取り下さい」
「礎の里を敵に回して良いのか?」
「ベルク殿、最も賢者に近いと言われているとはいえ、正式にその位についていない貴殿にはまだそんな権限は与えられていない。ましてや一国の国主に相当するお方に脅しとも取れる言葉を吐いたとなると、里の信用は地に落ちますぞ」
いつの間にか戸口には大神殿の神官長と霊廟神殿の神官長が立っていた。2人共ベルクと同格かやや劣る地位にいるのだが、長くその位にいる屈指の実力者である。その2人がベルクの言動を目撃し、不快そうに顔を顰めている。
「賢者は大母同様、一般の方々からは神殿の象徴と見られております。その賢者になろうという方が、そのような言動を取られるとは品位を疑われますぞ」
「それに賢者の候補は貴殿のみではありませんぞ。自重された方が宜しいのでは?」
2人にそう言われ、ベルクは悔しげに顔を歪める。この現場を2人に見られたのは、少々まずかったかもしれない。
「くっ……」
「殿下の御不興を買ったのだ。ここは大人しく引き下がり、里に戻られよ」
ベルクは不快そうに顔を顰めると、腕を掴もうとした兵士を振り払い、足音も荒く部屋を出て行った。残されたリネアリス公親子も力なく立ち上がると、兵士に急き立てられるようにして後に続いた。
ベルクとリネアリス親子が退出した後、2人の神官長はエドワルドの寝室に招き入れられた。
エドワルドは既に正装を解き、ぐったりと寝台に横になっている。先程の会見だけで気力を根こそぎ奪われた様子で、2人が部屋に入ると怠そうに体を起こした。するとすかさずその背中にオルティスがいくつもクッションをあてがう。
「同輩が大変失礼いたしました」
「いえ。こちらこそ助かりました」
居間の片づけを若い侍官に任せたオルティスが、寝台脇のソファに2人を案内する。エドワルドは背中に当てたクッションに埋もれるようにして、かろうじて体を起こした状態を保っていた。
「お加減はあまり良くないご様子ですな」
「見ての通りです」
久しぶりに彼の姿を見た2人は、そのやつれように思わず息を飲む。長い監禁生活の影響で痩せ細り、良く眠れないのか目の下には隈が出来ている。
こんな状態の彼に無理を言って面会をさせたのかと思うと、ベルクの身勝手さに怒りすら湧いてくる。
「申し訳ありませんが、この状態で話をさせて頂きます」
「どうぞ、お楽に」
2人に異存は無い。所用で本宮に来たついでにエドワルドの見舞いに訪れたので、彼の体調を慮り前置きは省いて本題に入る事にする。
「マルモアの視察に同行する神官は、ただ今アスター卿と打ち合わせをしております」
「そうですか、ご協力ありがとうございます」
ラグラス逃亡の影響で延期となっていたマルモアの視察は3日の予定で明日出立する事が決まった。アスターの他、5人の竜騎士と新任の総督を含む3人の文官が同行する。そしてその他に神官の派遣を大神殿に要請していたのだ。
2人の話では大神殿からは高神官と正神官を霊廟神殿からは正神官を派遣することが決まったらしい。
「ただ、客人の筈のベルク殿が随分と難色を示されて参りました」
「それはまた……」
大神殿の神官長が溜息と共に愚痴をこぼすと、エドワルドも霊廟神殿の神官長も苦笑する。
先程のどうにかしてエドワルドに貸しを作ろうという魂胆丸見えの行動は、何か後ろ暗いところがあるのではないかと勘繰ってしまう。ただ単に今まで通りタランテラという国に繋がりを持っておきたいのかもしれないが、それにしても彼の利に繋がる何かがあるのは明白である。
「調べてみる必要はあるな……」
正直、今のタランテラには余裕がない。だが、それでももう一度、ワールウェイドとベルクの関係を調べておく必要はあった。
「準賢者の地位にあるものが関わっているとなれば、当方としても無関係とは言い切れません。微力ながらお手伝いさせていただきます」
「助かります」
大神殿の神官長の申し出にエドワルドは感謝して頭を下げた。
「先ずはお体を治して下さい」
「そうですな。結果が出るには少々時間がかかるでしょうから、それまではゆっくりお休み下さい」
神官長の地位にある2人の年長者の言葉にエドワルドは逆らうことが出来なかった。
「それでは、我々はこれで失礼いたします」
「調査結果が出る頃に、またお邪魔致します」
長居するつもりのなかった2人は、口々に辞去の挨拶をすると席を立つ。
「ありがとうございます」
エドワルドは素直に感謝すると、2人と握手を交わした。
「で、ですが、その方は亡くなられたと……」
エドワルドがわずかに袖をまくって擦り切れた組み紐を見せると、先程までとは打って変わり、舌がうまく回らなくなったベルクが反論を試みる。
「ラグラスの手下は親子のものとみられる遺体が流れ着いたのを確認しただけで、大した調査をせずにあれを我が妻子のものだと断定した。
だが、ルークとキリアンは関わった人々に話を聞き、他人を納得させるだけの証言をそろえた上で、その遺体が我が妻子のものでは無いと結論付けた。よってまだ生きている可能性がある。
国主代行の地位に縛られていなければ、私はグランシアードと共にフォルビアに戻り、リラ湖周辺で手がかりを探し回っているだろう。それが他人からどんなに滑稽に思われてもだ」
エドワルドはそこで一旦言葉を切り、冷めたお茶で喉を潤す。そうでもして気分を落ち着けないと、彼等に殴りかかってしまいそうだった。
「その僅かな可能性に賭けている私に好きでもない女を娶れだと? ふざけるな!」
エドワルドの一喝に3人とも竦み上がる。まともにその顔を見ることも出来ず、手が恐怖で震える。
「不愉快だ。これで失礼する」
「あ、殿下……」
リネアリス公が呼び止める間もなくエドワルドは席を立つと奥の寝室に姿を消してしまった。彼は慌てて後を追おうとするが、オルティスが行く手に立ちはだかって邪魔をする。
「会見は終わりでございます。どうぞお引き取り下さいませ」
「いや、まだ用は終わっていない!」
彼としては何としても娘をエドワルドの側に送り込み、己の保身を図らねばならなかった。必死に寝室への扉を目指すが、部屋の外に控えていた兵士が入って来て彼を取り押さえてしまう。
「今、どういう状況か貴方様にはお分かりになりませんか? 冬を間近に控え、妖魔に備える為に、殿下は寝込んでおられた分を取り戻そうと一分一秒を惜しんで対策を練っておられます。その貴重なお時間を貴方様は自身の保身の為に費やしたのです」
「私は……ただ……」
取り押さえられたリネアリス公は放心してその場に膝をつく。
「ええい、ワシに触れるな」
兵士に無理やり連れ出されそうになった事で逆にベルクは頭に血が上り、掴まれた腕を振り払ってオルティスに食って掛かる。
「まだ用は済んでおらぬ。もう一度殿下に取り次がんか!」
「お話はもう済みました。お引き取り下さいませ」
「ワシが賢者になるのは確定しておる。素直に従った方が身の為だぞ」
寝室へ続く扉の前に陣取ったオルティスに半ば脅しをかけて凄んでみせる。だが、彼は無表情でそれを受け流す。
「お引き取り下さい」
「礎の里を敵に回して良いのか?」
「ベルク殿、最も賢者に近いと言われているとはいえ、正式にその位についていない貴殿にはまだそんな権限は与えられていない。ましてや一国の国主に相当するお方に脅しとも取れる言葉を吐いたとなると、里の信用は地に落ちますぞ」
いつの間にか戸口には大神殿の神官長と霊廟神殿の神官長が立っていた。2人共ベルクと同格かやや劣る地位にいるのだが、長くその位にいる屈指の実力者である。その2人がベルクの言動を目撃し、不快そうに顔を顰めている。
「賢者は大母同様、一般の方々からは神殿の象徴と見られております。その賢者になろうという方が、そのような言動を取られるとは品位を疑われますぞ」
「それに賢者の候補は貴殿のみではありませんぞ。自重された方が宜しいのでは?」
2人にそう言われ、ベルクは悔しげに顔を歪める。この現場を2人に見られたのは、少々まずかったかもしれない。
「くっ……」
「殿下の御不興を買ったのだ。ここは大人しく引き下がり、里に戻られよ」
ベルクは不快そうに顔を顰めると、腕を掴もうとした兵士を振り払い、足音も荒く部屋を出て行った。残されたリネアリス公親子も力なく立ち上がると、兵士に急き立てられるようにして後に続いた。
ベルクとリネアリス親子が退出した後、2人の神官長はエドワルドの寝室に招き入れられた。
エドワルドは既に正装を解き、ぐったりと寝台に横になっている。先程の会見だけで気力を根こそぎ奪われた様子で、2人が部屋に入ると怠そうに体を起こした。するとすかさずその背中にオルティスがいくつもクッションをあてがう。
「同輩が大変失礼いたしました」
「いえ。こちらこそ助かりました」
居間の片づけを若い侍官に任せたオルティスが、寝台脇のソファに2人を案内する。エドワルドは背中に当てたクッションに埋もれるようにして、かろうじて体を起こした状態を保っていた。
「お加減はあまり良くないご様子ですな」
「見ての通りです」
久しぶりに彼の姿を見た2人は、そのやつれように思わず息を飲む。長い監禁生活の影響で痩せ細り、良く眠れないのか目の下には隈が出来ている。
こんな状態の彼に無理を言って面会をさせたのかと思うと、ベルクの身勝手さに怒りすら湧いてくる。
「申し訳ありませんが、この状態で話をさせて頂きます」
「どうぞ、お楽に」
2人に異存は無い。所用で本宮に来たついでにエドワルドの見舞いに訪れたので、彼の体調を慮り前置きは省いて本題に入る事にする。
「マルモアの視察に同行する神官は、ただ今アスター卿と打ち合わせをしております」
「そうですか、ご協力ありがとうございます」
ラグラス逃亡の影響で延期となっていたマルモアの視察は3日の予定で明日出立する事が決まった。アスターの他、5人の竜騎士と新任の総督を含む3人の文官が同行する。そしてその他に神官の派遣を大神殿に要請していたのだ。
2人の話では大神殿からは高神官と正神官を霊廟神殿からは正神官を派遣することが決まったらしい。
「ただ、客人の筈のベルク殿が随分と難色を示されて参りました」
「それはまた……」
大神殿の神官長が溜息と共に愚痴をこぼすと、エドワルドも霊廟神殿の神官長も苦笑する。
先程のどうにかしてエドワルドに貸しを作ろうという魂胆丸見えの行動は、何か後ろ暗いところがあるのではないかと勘繰ってしまう。ただ単に今まで通りタランテラという国に繋がりを持っておきたいのかもしれないが、それにしても彼の利に繋がる何かがあるのは明白である。
「調べてみる必要はあるな……」
正直、今のタランテラには余裕がない。だが、それでももう一度、ワールウェイドとベルクの関係を調べておく必要はあった。
「準賢者の地位にあるものが関わっているとなれば、当方としても無関係とは言い切れません。微力ながらお手伝いさせていただきます」
「助かります」
大神殿の神官長の申し出にエドワルドは感謝して頭を下げた。
「先ずはお体を治して下さい」
「そうですな。結果が出るには少々時間がかかるでしょうから、それまではゆっくりお休み下さい」
神官長の地位にある2人の年長者の言葉にエドワルドは逆らうことが出来なかった。
「それでは、我々はこれで失礼いたします」
「調査結果が出る頃に、またお邪魔致します」
長居するつもりのなかった2人は、口々に辞去の挨拶をすると席を立つ。
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