群青の空の下で(修正版)

花影

文字の大きさ
上 下
260 / 435
第2章 タランテラの悪夢

112 尽きない渇望1

しおりを挟む
 エドワルドは誰もいない寝室で目を覚ました。窓に掛けられた帳の隙間からは午後の日差しが差し込んでいて、随分と寝てしまっていたのに気付く。
喉の渇きを覚えるが、相変わらず体がだるく、寝台脇に置かれたテーブルにある水差しに手を伸ばす気力もわかない。仕方なく、そのまま寝台に体を預けていると、静かに戸を叩く音がしてオルティスが寝室に入って来た。
「殿下、お目覚めでございましたか」
「……水をくれ」
 喉の渇きからか、かすれた声しか出てこない。オルティスはすぐにハーブ水を用意すると、体を起こすエドワルドの手助けをする。
「ヒースやルークはもう出たのか?」
「はい、昼前に出立されました。アスター卿の話では、フォルビア正神殿の傭兵殿もご一緒に向かわれたようです」
「そうか……」
 ハーブ水を飲み干した器を差し出すと、オルティスはおかわりを注いでくれる。最愛の人を思い出す味に、喉は潤せても心の渇きは一層増していくばかりだ。器を握りしめたエドワルドの手が震える。
「殿下」
「ああ、何だ?」
「休んでおられた間に、礎の里からいらしているベルク準賢者様とリネアリス公が面会を求められました。バセット殿と相談し、今日は無理だとお伝えしてお帰り頂きました」
「ベルク準賢者とリネアリス公が?」
 エドワルドが怪訝そうな表情を浮かべると、オルティスは少し困った様に付け加える。
「殿下のお身回りの世話をさせたいと、リネアリス公はご令嬢を伴っておられまして、お引き取り願うのに随分と手間取りました」
「……」
 要は保身である。今までグスタフに従っていた良くない心証をどうにかしようと画策し、ベルクに力添えを頼んだのだろう。
 うまくいけば、未だ行方の分からないフロリエの代わりに娘が妻の座を得て、ゆくゆくは皇妃になれると思っているのかもしれない。バレバレの魂胆にエドワルドはげんなりとし、背に宛てた枕に体を預ける。
「署名する物があるだろう? 持ってきてくれ」
 気分を変えて仕事でもしようと考えたのだが、オルティスはきっぱりと首を振る。
「ございません」
「は?」
 オルティスの返答が信じられず、思わず聞き返す。今の状況でそれは有り得ないはずで、何かしらの報告はあってしかるべきである。
「殿下にはお体を治して頂くのを優先して頂き、業務に関しましてはサントリナ公にブランドル公、グラナト殿とブロワディ卿、アスター卿の5人で分担して行われる事になりました。どうしても判断を仰ぎたいときにのみご報告に上がりますと、方々からのお言葉でございます」
「……」
 主治医であるバセットの意向が十分に反映された決定である。こんな時にそれは無いだろう。不満そうなエドワルドにオルティスは更に続ける。
「今、無理をなされて後日お倒れになれば、結局は今以上に休養が必要になります。その方が明らかに時間を無駄に費やす事になるでしょう。有能な方々が控えておられます。今は彼等に任せ、体力の回復にお努め下さい」
「……わかった」
 ここで大人気なく駄々をこねてもオルティス相手では少々分が悪い。エドワルドは渋々うなずいた。
「きちんとお食事を召し上がり、良くお休みいただけば、回復なされるのも直ぐでございます」
「そう……だったな」
 紫尾しびの蹴爪で負傷した折に、同じことをフロリエも言われていた。エドワルドは熱くなる目頭を隠すように寝台に体を横たえると夜具を引き上げた。
「お食事をご用意いたします」
 そんなエドワルドの気持ちを察したオルティスは、そう声をかけると静かに寝室を出て行った。



 再三のエドワルドへの面会の申し込みにようやく快い返事が帰って来たのは、門前払いをされてから2日後の事だった。
 伝え聞いた話では、監禁されていたエドワルドはゲオルグや彼の取り巻きに暴行を受け、骨折をしていたらしい。そんな状態で力を使った為に尚更体力を消耗し、本来ならば休んでいなければならい状態なのに飛竜を操り本宮に帰還したのだ。その無理が重なり、今になって寝込んでしまっているらしい。
「そこまでして帰って来ようとする気がしれん」
 その報告を言いたベルクは心底呆れた。非常時なのは分かるが、そこまで無理する理由が彼には理解できなかった。
 早々にあの薬草園の交渉を済ませて礎の里に帰るつもりだったのだが、肝心のエドワルドが寝込んでいるおかげで皇都に足止めされているのだ。そろそろ戻らねばならないから挨拶ぐらいはさせろと半ば脅す様にして今日の面会を取り付けていた。
「要は見栄を張りたかったのでしょう。自分の存在を知らしめるには飛竜での帰還が最も効果的でございますから。それに陛下が本宮に残っておられましたから、早くお助けしたかったのでございましょう」
 取り次がれるのを一緒になって待っていたリネアリス公がベルクを宥める。彼の隣には美しく着飾った末の娘が大人しく座っている。昨年の夏至祭の折にソフィアが集めた令嬢達の1人でもあった彼女は、エドワルドの姿を見て虜になった一人でもある。
 結婚したと聞いてがっかりしていたのだが、こうして巡ってきた好機に胸を高鳴らせていた。今回はライバルもいないし、何よりも準賢者の地位にあるベルクが後押ししてくれる。それは半ば決まったようなものだと彼女は扇で隠した口元を綻ばせた。
「お待たせいたしました。どうぞこちらへ」
 ようやく若い侍官が彼等を呼びに来てくれた。3人はその侍官の先導で待たされていた南棟の応接室を出て北棟へと進む。皇家の私的な空間に招き入れられて、いよいよ期待が高まってくる。
「こちらでお待ちいただくように言付かっております」
 案内されたのはエドワルドの私室にある居間である。ベルクはまた待たされるのかと顔をしかめるが、リネアリス公もその令嬢もそれほど気にはしていない。例え5大公家の人間でも、こうして皇家の私的な部分に招かれるのはまれな事である。この先に見える明るい未来への期待が大いに高まっていた。
「お待たせしました」
 程なくして寝室に続く奥の扉が開き、竜騎士正装姿のエドワルドが居間に入って来た。着ているのはハルベルトの遺品では無く、急遽誂えた物だった。裁縫が得意な女官が総動員されて仕上げられ、一般の竜騎士のものよりも豪奢な装飾が施されている。
「エドワルド・クラウスです」
「ベルク・ディ・カルネイロと申します」
 初対面となるエドワルドとベルクは、簡単に名乗ると握手を交わした。その様子をリネアリス公は黙って観察する。
 2日間の休養により随分と顔色は良くなっているが、それでもやつれようは隠しきれていない。立っているのも辛いらしく、近くのソファの背もたれに寄りかかっている。この様子だと完全に回復するまでにはまだずいぶん時間がかかり、自分達の思惑通りに事が進められると楽観する。
「どうぞ、お座りください」
 エドワルドは立ち上がって迎えた3人に改めて席を促すと、自分も席に着いた。オルティスが改めて人数分のお茶を用意し、そっとエドワルドの背後に控えた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。

木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。 そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。 ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。 そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。 こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。

美しい姉と痩せこけた妹

サイコちゃん
ファンタジー
若き公爵は虐待を受けた姉妹を引き取ることにした。やがて訪れたのは美しい姉と痩せこけた妹だった。姉が夢中でケーキを食べる中、妹はそれがケーキだと分からない。姉がドレスのプレゼントに喜ぶ中、妹はそれがドレスだと分からない。公爵はあまりに差のある姉妹に疑念を抱いた――

虐げられた令嬢、ペネロペの場合

キムラましゅろう
ファンタジー
ペネロペは世に言う虐げられた令嬢だ。 幼い頃に母を亡くし、突然やってきた継母とその後生まれた異母妹にこき使われる毎日。 父は無関心。洋服は使用人と同じくお仕着せしか持っていない。 まぁ元々婚約者はいないから異母妹に横取りされる事はないけれど。 可哀想なペネロペ。でもきっといつか、彼女にもここから救い出してくれる運命の王子様が……なんて現れるわけないし、現れなくてもいいとペネロペは思っていた。何故なら彼女はちっとも困っていなかったから。 1話完結のショートショートです。 虐げられた令嬢達も裏でちゃっかり仕返しをしていて欲しい…… という願望から生まれたお話です。 ゆるゆる設定なのでゆるゆるとお読みいただければ幸いです。 R15は念のため。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

【完結】公女が死んだ、その後のこと

杜野秋人
恋愛
【第17回恋愛小説大賞 奨励賞受賞しました!】 「お母様……」 冷たく薄暗く、不潔で不快な地下の罪人牢で、彼女は独り、亡き母に語りかける。その掌の中には、ひと粒の小さな白い錠剤。 古ぼけた簡易寝台に座り、彼女はそのままゆっくりと、覚悟を決めたように横たわる。 「言いつけを、守ります」 最期にそう呟いて、彼女は震える手で錠剤を口に含み、そのまま飲み下した。 こうして、第二王子ボアネルジェスの婚約者でありカストリア公爵家の次期女公爵でもある公女オフィーリアは、獄中にて自ら命を断った。 そして彼女の死後、その影響はマケダニア王国の王宮内外の至るところで噴出した。 「ええい、公務が回らん!オフィーリアは何をやっている!?」 「殿下は何を仰せか!すでに公女は儚くなられたでしょうが!」 「くっ……、な、ならば蘇生させ」 「あれから何日経つとお思いで!?お気は確かか!」 「何故だ!何故この私が裁かれねばならん!」 「そうよ!お父様も私も何も悪くないわ!悪いのは全部お義姉さまよ!」 「…………申し開きがあるのなら、今ここではなく取り調べと裁判の場で存分に申すがよいわ。⸺連れて行け」 「まっ、待て!話を」 「嫌ぁ〜!」 「今さら何しに戻ってきたかね先々代様。わしらはもう、公女さま以外にお仕えする気も従う気もないんじゃがな?」 「なっ……貴様!領主たる儂の言うことが聞けんと」 「領主だったのは亡くなった女公さまとその娘の公女さまじゃ。あの方らはあんたと違って、わしら領民を第一に考えて下さった。あんたと違ってな!」 「くっ……!」 「なっ、譲位せよだと!?」 「本国の決定にございます。これ以上の混迷は連邦友邦にまで悪影響を与えかねないと。⸺潔く観念なさいませ。さあ、ご署名を」 「おのれ、謀りおったか!」 「…………父上が悪いのですよ。あの時止めてさえいれば、彼女は死なずに済んだのに」 ◆人が亡くなる描写、及びベッドシーンがあるのでR15で。生々しい表現は避けています。 ◆公女が亡くなってからが本番。なので最初の方、恋愛要素はほぼありません。最後はちゃんとジャンル:恋愛です。 ◆ドアマットヒロインを書こうとしたはずが。どうしてこうなった? ◆作中の演出として自死のシーンがありますが、決して推奨し助長するものではありません。早まっちゃう前に然るべき窓口に一言相談を。 ◆作者の作品は特に断りなき場合、基本的に同一の世界観に基づいています。が、他作品とリンクする予定は特にありません。本作単品でお楽しみ頂けます。 ◆この作品は小説家になろうでも公開します。 ◆24/2/17、HOTランキング女性向け1位!?1位は初ですありがとうございます!

処理中です...