群青の空の下で(修正版)

花影

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第2章 タランテラの悪夢

7 立ち込める暗雲2

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 霊廟を出た一行はフロリエの要望で神殿のハーブ園を訪れていた。ルルーの力を借りて見るのは初めてだが、その香りは何だか懐かしくて彼女は顔をほころばせる。そんな彼女の前に1人の女神官がひざまずいた。
「お久しぶりでございます」
「まあ、イリス? イリスなの?」
 顔を見るのは初めてだが、その声には覚えがあった。一年前、この神殿を訪れた際に世話係を勤めてくれた見習い女神官だった。
「はい。この度は大公位継承おめでとうございます。謹んでお喜び申し上げます」
 礼にのっとって深々と頭を下げる様はもうすっかり一人前である。フロリエは笑顔で彼女を立たせると散策に誘い、コリンシアとオリガを加えた4人でおしゃべりをしながらその香りを楽しむ。
「楽しそうだな」
 その様子を眺めながらエドワルドはつぶやく。庭園の端に設けられた東屋に腰を下ろし、用意された飲み物で喉を潤しながら楽しそうな妻子の様子を眺めていたのだ。庭園の周囲には護衛達だけでなく神殿を警護する兵士も加わって厳重に警備されていた。ちなみに神官長は午後のお勤めの為、霊廟を出たところで別れていた。
 以前にここでフロリエは襲われかけた。その記憶からか、ハーブ園に入るまでは少し緊張していた様子だった。だが、エドワルドが優しく肩を抱いて励まし、そしてルルーがいて視覚的な不安が無い事が彼女を安心させたのか、今ではすっかりリラックスしている様子だった。
 彼はもう一度ほっと息をつくと良く冷やされた飲み物をもう一口口に含む。そしてまるで絵画のような光景に目を細めた。



「あ、温室がある! 行ってもいい?」
 一通り散策が済み、東屋へ女性陣も休憩にやってきた。コリンシアはイリスに作ってもらったハーブの小さなブーケをご機嫌で父親に見せていたのだが、植込みの向こうに温室を見つけて弾んだ声を上げる。
「あそこは……」
 コリンシアには南方の珍しい花々や果物が植えられていて、温室は楽しい所だという認識しかなかった。1年前にここで交わした会話を思い出し、フロリエもオリガも困った様に口籠る。
「姫様、あの温室に今は何も植えられていないのでございます」
 お茶を給仕していたイリスが2人の代わりに優しく話しかける。小さな姫君は不思議そうに女神官を見上げる。
「どうして?」
「あの温室では貴重な薬草が育てられておりました。この春に一時お預かりしていたその薬草をお返ししたので、今の温室には何も植えられておりません。またしばらくして、寒さに弱い薬草を越冬させる為に植えられる予定になっております」
「ふーん……」
 言葉を尽くしてイリスが説明するが、やはりまだコリンシアにはよく理解できていないようである。それでも、温室に入れない事は理解できたようで、面白くなさそうに用意されていたお茶菓子をほおばる。
「薬草……か」
 女性陣の話を聞くともなしに聞いていたエドワルドは、ふと、リューグナーが薬草庫に無断で保管していた薬草を思い出す。彼を取り逃がしたこともあり、結局入手先など詳しい事が分からず終いだったが、今はロベリアでバセットと新たな総督の元で厳重に保管されていた。
「……雷か?」
 しばらくその場でお茶を楽しんでいると、遠くの方でゴロゴロという音が聞こえ、見上げると空は黒い雲に覆われている。コリンシアは怯えて父親にしがみつく。
「父様、怖い」
「怖がらなくて良いよ、コリン。フロリエ、部屋に戻ろう」
 エドワルドは怖がるコリンシアの頭をなでると、妻に手を差し出す。
「はい」
 彼女がその手を取り、宿泊予定の居住棟に向かって歩きはじめると、ポツリポツリと雨が降り出した。エドワルドは妻子が濡れないように自分の長衣で2人をかばいながら、イリスの誘導に従って建物へ戻っていった。
 日が暮れるにしたがって雨は一層激しさを増していく。エドワルドは竜騎士の一人を使いにやり、河川の増水に警戒するように指示を与えた。
 神殿らしく、質素ながらも滋養のある晩餐が終わると、一家は最上級の客間へと案内された。広い寝台が置かれた寝室とこざっぱりとした居間、オリガ用の寝台が整えられた控えの間もある。
 昼間の疲れもあって、フロリエはコリンシアと共に用意された部屋着に袖を通すと、早々に寝台へ横になった。ルルーは既に寝台の端の方で丸くなって眠っている。まだ雷が鳴っているため、コリンシアは怖がって寝台の中でもフロリエにしがみついてくる。彼女はそんな娘をそっと抱きしめながら優しく子守唄を歌う。やがてそれで安心したのか、コリンシアはそのまま健やかな寝息を立て始め、フロリエは控えていたオリガに合図する。彼女は明かりを落として自分に与えられた部屋へと下がっていった。



 その頃エドワルドは、アスターと彼に用意された部屋で酒を酌み交わしていた。神官達が整えてくれた神酒のお下がりと酒肴をティムが届け、2人の世話をしてくれる。
「もうじきだな、ティム」
 エドワルドは酌をしてくれる少年に笑いかけると、彼は嬉しそうに答える。
「はい。これも全て殿下のおかげです」
「素質がある若者を引き立てるのは当然の事だ。だが、絶対に竜騎士になれるとは言い切れない。しっかりヒースの元で学びなさい」
「はい」
「今日の様子を見ても大丈夫だろう。4頭ともよく操っていた」
 2人のやり取りを聞いていたアスターが横から口を挟む。今日は試しに馬車を引く4頭の馬をティムに操らせた。無理があるようならば護衛に連れてきた竜騎士の一人が代わる予定だったが、彼は難なくそれをこなし、竜騎士となる素質は充分に備えている事を自ら証明した。
「ありがとうございます」
「だが、あいつは殿下の推薦だからといって贔屓はしないし、逆に厳しく鍛えるだろうから覚悟はしておいたほうがいい」
「はい、肝に銘じます」
 ヒースとは古い付き合いのアスターにそう言われ、ティムは神妙に答える。事実ヒースは自分の隊に配属されたブランドル大公家のユリウスを、周囲が青ざめるほど容赦せずに鍛え上げた。おかげで今の彼があるのだが、当時はその事で何かと責められる事があったらしい。当の本人と父親であるブランドル公も納得しているのにおかしな話なのだが……。
 それからしばらくして2人はティムを下がらせ、今後の予定を話し合い始めた。この雨が続く様であれば、休暇を返上して城に戻り、災害に対処しなければならない。その事で2人の意見は一致し、明日は雨が降っていても小ぶりであれば館に帰る事に決めてエドワルドは自分に用意された部屋へと戻っていった。



『落ち着いて聞いて欲しい』
 弟が礎の里の神殿騎士団に配属が決まって半年ほどたっていたある日、養父は彼女にこう切り出した。
『アレスに殺人の容疑がかかった』
『えっ?』
 あまりの事に彼女は言葉を失った。養父も焦りの色を隠せないでいる。
『ガウラ出身の大母補が変死したところへ居合わせたらしい。他にも何やらあるらしいから、今から礎の里へ行って真相を確かめてくる』
『お義父様……』
 心配そうに見上げる彼女を、彼は一度軽く抱きしめた。
『ガウラの国主がタランテラにも協力を申し込んでいるらしい。かの国には交渉に長けたワールウェイド公がいるから、彼が出てくれば厄介な事になる。だが、私はアレスを信じている』
『はい』
『出来る限りの事をしてくる。心配せずに待っていなさい』
 そう言って養父は礎の里へ向かったが、弟の容疑を完全に晴らす事が出来無かった。そして彼は騎士資格を剥奪され、左遷されてしまった。その知らせを聞いた彼女は、部屋に閉じこもって泣いていた。
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