群青の空の下で(修正版)

花影

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第1章 群青の騎士団と謎の佳人

112 神官長の受難4

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 神殿の温室で作られていたのが「名もなき魔薬まやく」と呼ばれる禁止薬物だった事実はロイスの心に重くのしかかっていた。下手をすると神殿にいる者全てが罪に問われかねない。だが、物がモノだけに補佐役のトレビスにすら相談するのも躊躇ためらわれた。
「どうすればいいのか……」
 オットー高神官に問い合わせてみようとも考えたが、季節は既に冬となり、討伐も本格化して書簡のやり取りも困難な状況となっている。春まではこのまま悶々もんもんとした日々を過ごす事になりそうだ。
「神官長様、女大公様より書簡が届いております」
 遅々としてはかどらない執務をこなしていると、トレビスが急ぎの書簡を届けに来た。急ぎというのが気にかかりながらも、封を開けてすぐに目を通していく。しかし、その内容に表情が強張こわばる。
「如何されましたか?」
 エドワルドが討伐中に負傷した知らせは受けていたが、その折にリューグナーがグロリアの不興を買って館を追い出されていたらしい。詳しい事は直接会って説明するが、彼が姿を見せたら速やかに知らせて欲しいという内容だった。
「……リューグナー殿が女大公の不興を買ってお館を追われたらしい」
「リューグナー医師がですか?」
 トレビスが驚くのも無理はないだろう。グロリアは専属医として他に類を見ないほど優遇して彼を側に置いていたのだ。その彼を放逐ほうちくしたとなると、余程の事があったにちがいない。
「何があったかまでは書かれていませんが、彼の姿を見かけたら知らせてほしいそうです」
「分かりました」
トレビスも固い表情でうなずいた。だが、ロイスは気が気ではなかった。リューグナーがあの薬物に関わった事が判明したのだろうか? それが聖域からの依頼で神殿もかかわっているのが分かり、その事実確認に自分は呼ばれたのだろうか?
考え込んでいると胃がキリキリと痛みだす。結局ロイスはその後数日間、その胃痛に悩まされ続けた。



 その知らせを受けた2日後、ロイスはエドワルドを見舞いにグロリアの館を訪れた。胃痛に加えて不眠の為、げっそりとやつれた姿に出迎えたオルティスはひどく驚いていた。
「大丈夫ですか? どこかお加減が悪いのでは?」
「だ、大丈夫です」
 やせ我慢して答えると、彼はそれ以上何も言わずにグロリアのいる居間に案内する。そこには館の主の他に顔見知りの医師、バセットの姿があった。
「どうしたね」
 バセットはロイスの姿を見るなり挨拶もそっちのけで彼は椅子に座らせる。そしていくつかの問診をするとその場で手早く薬を調合する。その間、グロリアは苦笑してその様子をながめていた。
「体調が悪いのにわざわざ来てもらって悪かったの。どうしても書面では伝えられなくての」
 出来た薬湯をロイスがきっちり飲み終わるのを待ってからようやく本題に入る。いよいよかと思うと、薬を飲んだはずなのに胃は再び痛み出す。
「負傷したエドワルドがここで療養しているのは伝えたと思うが、あの日、リューグナーは妾に無断で外出しておった。しかも、薬草庫の薬草を無断で売り払い、その金で朝まで遊んでおったのじゃ。多少の事は目をつむってきたが、今回ばかりはどうにも許せず、それで追い出したのじゃ」
 リューグナーが追い出された経緯を聞き、確かにそれなら納得できると思ったが、ふと、疑問が生じる。
「では、負傷された殿下の治療はどなたが?」
「フロリエじゃ。あの子がいてくれたおかげでエドワルドは助かったのじゃ」
 グロリアの答えにロイスは驚くと同時に妙に納得できた。まるで大母の化身のような彼女であれば、奇跡も起こせるのではないかと思ってしまうのだ。だが、続いた言葉にロイスは今度こそ絶望の淵に立たされる。
「神官長は『名もなき魔薬』という薬をご存じか?」
 バセットの問いにロイスはぎこちなくうなずく。
「この館の薬草庫に記録のない薬草が残されていて、調べたところそれがその原料と判明した。持ち込んだのは間違いなく管理を任されていたリューグナー殿だ。追い出された折に時間が無くて持ち出せなかったのを取りに来たらしく、昨日殿下の見舞いに来たラグラスの従者に紛れて館に忍び込んでいた」
「じゃが、薬草庫にそれがないと分かると、あの者はラグラスと2人でフロリエを襲ったのじゃ。その価値がわかるのはあの子しかいないと決めつけての。異変に気付いたエドワルドが止めてくれたおかげで大事には至らんかったが、それでもあの子が傷ついたことには変わりない」
「身柄は……確保されたのですか?」
 ロイスは恐る恐る聞いてみる。
「いや。我々が駆けつけた時には逃げた後だった」
 苦々しい表情でバセットは首を振る。
「無理をして動いたおかげでエドワルドはまた寝込んでおる。フロリエも昨日は休ませたのじゃが、エドワルドの状態を知ると大人しくなどしていられないと言って今は側についてくれている」
「……」
「このままリューグナー殿を放っておくわけにはいかない。手配書を回したが、『名もなき魔薬』の事はさすがに公表を控えた」
「怒りに任せて追い出すのではなかったわ。どこからそんな物を持ち込んだのか、問いたださねばならぬ」
 グロリアもバセットも渋い表情を浮かべている。手配書が出回ったのならリューグナーは程なく捕まるだろう。強く詰め寄られれば、彼もすぐに薬草の出どころを白状してしまうに違いない。
 薬が効いて治まってきたはずの胃がまたもやキリキリと痛みだす。脂汗をうかべて痛みに耐えていると、バセットがすぐに異変に気付く。
「神官長殿、少し休まれた方がいい」
「まこと顔色が良くない。部屋を整えさせる故、休んでいかれるといい」
 グロリアも心配そうに声をかけてくれるが、ロイスは首を振る。
「いえ、大丈夫です。殿下にもお会いしたかったのですが、寝込んでおられるなら今日はこれで失礼いたします」
 おそらく、残された時間はそう多くないだろう。ならば、すぐに戻り、自分を慕ってくれている部下達に類は及ばぬよう、やれるだけの事はやっておこう。覚悟を決めたロイスは逆に開き直り、心配して引き留めようとする2人に礼を言うと神殿に帰ったのだった。



 そんなロイスの覚悟とは裏腹に、リューグナーの行方は一向につかめないまま時は過ぎていく。そして長かった冬も終わりを迎えようかという頃、ロイスの元にグロリアが倒れたと知らせがあった。
 持病のある彼女が次に大きな発作を起こすと命が危ないとは彼も知っていた。すぐに駆け付けたかったが立場上身動きがとれず、部下からの報告をただ待つのみ。夜になり、かろうじて一命をとりとめたと報告を受け、ホッと胸をなで下ろした。そして翌日になってようやく都合をつけ、ロイスはグロリアの見舞いに訪れることが出来た。
「心配かけたのう……」
 寝台に横たわるグロリアは今までに見たことが無いほど弱弱しかった。その姿に胸が締め付けられる。
「来てもらえてよかった。お主に頼みがある」
「……できる限りの事は致しますが、気弱なことは申されるな」
 ロイスの返答にグロリアはクツクツと笑う。やがて表情を引き締めると、真っすぐにロイスを見上げる。
「フロリエを我が娘とした。妾の思惑もあるのじゃが、若い2人を後押ししてやりたくてのう……」
「殿下とフロリエさんですか?」
「左様。障害は数多く有ろう。じゃから頼む。2人の味方になってはくれぬか?」
 2人の事を一番間近で見ていた彼女が言うのだから、彼等がかれあっているのは間違いないのだろう。驚きはしたものの、今までの経緯を考えれば納得もできる。
「分かりました」
 ロイスがうなずくとグロリアは安堵したように息を吐く。会話をするだけでも疲れたのかもしれない。だが、2人を思う気迫は十分伝わってきた。
 病人を疲れさせるわけにもいかず、ロイスは早々にグロリアの部屋を後にする。病人を勇気づけるために来たはずだったのだが、逆に若い者の未来を守ろうとする彼女の姿に勇気づけられた。
 まだあきらめてはいけない。配下の神官達の為にも最善を尽くそうと改めて決意を固めたロイスはオルティスに勧められたお茶も断り、神殿に帰って行った。

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