群青の空の下で(修正版)

花影

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第3章 ダナシアの祝福

29 罪と罰8

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遅くなってすみません

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 事情聴取とニクラスの怪我の治療の為に、結局、同じ宿にもう1泊することになってしまった。宿の女将は迷惑そうにしていたが、護衛達と一緒に平身低頭で謝罪してどうにか許してもらった。
 大した怪我ではなかったが、一先ず安静を言い渡されていたニクラスは寝台で横になっていた。娘には近くの小神殿から来た年配の女神官が付いてくれているので、自分の側に置くよりも安心だろう。野良仕事で多少は体力がついたとは言っても元は荒事とは無縁の生活をしていたので、どっと疲れの出たニクラスはそのままうとうとして過ごした。
「我々の手落ちで怪我をさせてしまい申し訳ありませんでした」
 夕刻、護衛が事の次第を報告に来た。ぞろぞろとガタイの良い男が3人も部屋に入ってくると一気に部屋が狭くなったように感じる。見たことない顔ぶれはここの自警団かもしれない。
「いえ、かすり傷ですのでご心配なく」
 当初、護衛の人数はもっと増やす予定だったのだが、仰々しくなるので数を減らしてもらったのだ。それでも警戒は怠らなかったのだが、護衛達が馬車に荷物を積んでいるわずかな隙に事件が起こったのだ。恐縮する彼等を制し、早速本題に入ってもらう。彼等はもう一度頭を下げると報告を始める。
「男は医者でした。お嬢様に貶められたと言い張っております」
 どうやら今回の件で解雇された元姑の担当医だったらしい。彼が作った殺鼠剤を事件に使ったマルグレーテを恨んでの犯行なのだが、計画性は無かったらしい。
「ワールウェイド領の薬草園に移動する途中で、偶然お嬢様を見かけて犯行に及んだそうです」
 その医師は計略に使われると思って殺鼠剤を作った訳ではないので、罪に問われずに済んだ。ただ、その薬草園で聖域から来た医師の元で勉強をしてくる様に言いつけられらしい。それがたまたまニクラス達と日程が重なってしまい、今朝の事件が起こってしまったのだ。
「そうですか」
 ニクラスは深く息を吐いた。彼も娘がしでかした事件に巻き込まれた被害者ともいえる。怪我を負わされたが、恨む気にはなれなかった。できる事なら今朝の事件は目をつむり、無かったことにしておきたい。そう伝えると、護衛達は驚いたように目を見開いた。
「元はと言えば娘が悪いのです。彼が納得して頂けるのなら、私は彼を訴えるつもりはありません」
 ニクラスの言葉に護衛達は顔を見合わせる。だが、彼の決意が固い事を悟ると、出直してくると言って彼等は部屋を退出していった。
 夕食後、またうとうとしていると、誰かが部屋に入ってきた。怪我の影響からか体がだるい。無理やり目を開けると、戸口にマルグレーテが立っていた。
「ど、どうした?」
 まさか娘の方から会いに来てくれるとは思っていなかったニクラスは、体のだるさも忘れて飛び起きていた。
「……ごめんなさい」
 立ちすくんだままマルグレーテは謝罪の言葉を口にする。そしてポロリと涙がこぼれ出る。
「マルグレーテ……」
 ニクラスは慌てて寝台から降りると娘を抱きしめる。彼女は泣きじゃくりながら何度も何度も彼に謝り、彼は幼子をあやす様にそんな彼女の背中をさすり続けた。



 ニクラスの主張は受け入れられ、翌日には自警団立ち合いの元、双方が顔をそろえる事となった。医師に会うのはニクラスだけでも仕方ないと思っていたが、マルグレーテは自分から同席すると言ってくれた。どうやらニクラスが必死になって彼女を守った事で心が動いたらしい。事件の後、付き添ってくれた女神官が色々と話を聞いてくれたのも良かったのかもしれない。
 医師はマルグレーテの顔を見て表情を歪めていたが、先に彼女が頭を下げて逆に驚いていた。虚を突かれた形となった医師はその謝罪をすんなり受け入れ、彼も素直に頭を下げた。もちろん、ニクラスもそれを快く受け入れ、覚書にそれぞれが署名して事件は決着した形となった。
 ニクラスの怪我もあり、同じ宿にもう1泊してから出立となった。また馬車の中に2人きりとなっての移動となったが、初日とは異なり少しずつだが会話が増えた。幽閉中の話も出て来て、イヴォンヌの単なる我儘だと分かっていても、彼女に招かれるのは楽しみだったのだと打ち明けてくれた。
 打ち解けて話ができるようになって3日。ワールウェイド領の北西にある、ニクラスが冬の間世話になった小神殿に着いた。予め事情を記した手紙を送ったところ、マルグレーテの身柄を預かってもらえることになっていた。
「お父様……」
「また、冬に滞在するすると思うから、それまで元気でな」
「はい……」
 別荘では顔も合わせてくれなかった娘が涙ぐんでいる。ニクラスも思わずつられそうになるが、どうにか堪えた。
「それでは、よろしくお願いします」
 神官長に改めて娘の事を頼み、ニクラスは再び馬車に乗り込んだ。この後ワールウェイド城に行ってリカルドに一連の報告をしなければならないのだ。畑の事は気になるが、家に帰れるのはまだまだ先になりそうだ。
「お父様、ありがとう!」
 馬車が動き出したところでマルグレーテが声をかけて来る。窓の外を見ると、彼女は大きく手を振っている。ニクラスは口元に笑みを浮かべると、娘に手を振り返した。



 無事に秋の収穫期を迎えた頃、元姑の訃報が伝えられた。余計な事かとも思えたが、気晴らしになればとヘルミーナに手紙を送った。期待していなかったが、程なくして返事は届いた。それをきっかけに文通が始まり、時折会う娘の様子も交えながら近況を伝え合った。
 そして5年の月日が経った。春分節が済んで間もない頃、ニクラスはとある町に着いた。ここは5年前、別荘からの帰りに立ち寄った折に襲撃を受けた町だった。
 乗り合いの馬車から降り立ったニクラスは真っすぐに街にある小神殿に向かう。そこで年配の女神官の出迎えを受け、奥の墓地へと案内された。
「こちらでございます」
 そこには真新しい墓があった。その墓標には小さくマルグレーテと刻まれている。それを目にしたとたんにニクラスはその場に膝をつき、今まで堪えていた涙が溢れ出す。
 神殿に身を寄せた彼女は、身寄りのない子供達の世話をしながら神官となるべく勉強を始めた。しかし、前の年の秋の終わりにリネアリス公夫妻の訃報を聞き、未だに更生の兆しを見せていないイヴォンヌの身を案じて彼女に会いに行ったのだ。折悪く討伐期が始まってしまい、途中妖魔の襲撃を受けて彼女は命を落とした。それがこの町の近くであったため、犠牲になった人達は皆、この神殿に埋葬されたのだ。
 冬の終わりになってようやくその事を知ったニクラスは、移動が可能になる春を待ってここに駆け付けたのだ。
「ニクラス」
 どのくらいそうしていたのか、声をかけられて振り向くとヘルミーナが立っていた。マルグレーテの件を知ってすぐに手紙で知らせていたので、彼女も許可をもらってここに来たのだろう。
「本当に、この子は……」
 ニクラスの隣に跪くと、ヘルミーナは持参した花を供えた。2人で長い時間祈りをささげ、それでも踏ん切りがつかないまま重い足取りで墓地を後にした。
「よく、出てこれたな」
 旧ワールウェイド家の直系である彼女達の監視はまだ続いている。別荘から出られないだろうと思っていたのでニクラスは驚いていた。
「お母様も亡くなって5年経つし、陛下が恩赦で解放してくださいました」
「そうか……」
「あの別荘も売り払う事にして、大半は国とワールウェイド家に返す事にしたの」
 あまりの思い切りの良さに驚いると、すぐ下の妹は皇都郊外の神殿に身を寄せ、一番下の妹は驚いたことに元夫と復縁することに決めたと教えてくれた。
「君はどうするんだ?」
「私は、薬草園の療養所に行くわ」
 その答えにニクラスは驚く。ワールウェイド領の薬草園には療養所が設けられ、内乱時にベルクによってばらまかれた薬の後遺症で苦しむ人々の治療に当たっている。その大半がハルベルトの護衛をしていた竜騎士達だ。当人もその身内も、当然のことながらハルベルトの暗殺を指示したグスタフの事を未だに憎んでいる。
 そこに行く決意をしたヘルミーナは、迎えに来た職員に懇願してわざわざこの町に立ち寄ってもらったらしい。
「危険だ」
「分かっているわ。それでも、これが私の贖罪なの」
「ヘルミーナ……」
 凛として立つ姿は美しい。歳を重ね、飾り気のない服装をしているにもかかわらず、ワールウェイド家の跡取りとして贅を尽くした生活をしていた頃よりも何倍も美しく見えた。その姿から固い決意を感じ取れる。
「そうか……」
 ニクラスにはもう何も言えず、薬草園からの迎えと共に去っていく元妻の姿を見送るしかできなかった。


 結局、危惧した事態にはならず、ヘルミーナは療養所で自分の居場所を作り上げた。一方のニクラスも周囲からの勧めで塾を開き、多くの子供達に学問の基礎を教えた。そしてその後も2人の文通は続いたが、直接顔を合わせたのはこれが最後になった。
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