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第2章 タランテラの悪夢
197 遠い約束2
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「あら、何事かしら……」
穏やかな春の日差しが降り注ぐ昼下がり、昼寝をしている子供達を乳母に任せて城に滞在中の姑とお茶を楽しんでいたフロックス夫人ユリアーナはその気配に訝しんだ。近づいてくるのは夫の相棒となる飛竜オニキスのもの。窓の外を見ると、飛竜が3頭、ちょうど着場に降り立とうとしている所だった。
この地の領主でもある彼女の夫がこの城に来るのは別段不自然な事では無い。だが、現在彼はフォルビア総督を拝命しており、逆賊討伐のごたごたで今この国で最も忙しい人物だった。
赴任先は領地のすぐ隣だと言うのに、春先に急用で皇都に行った帰りに立ち寄るまで1年近く顔を合わせる事が無かった。その間に人見知りの次男には顔を忘れ去られ、秋に生まれた3男は生後半年でようやく父親に抱いてもらえたと言うありさま。夫の突然の帰還に彼女が戸惑うのも無理からぬことかもしれない。
「大奥様、奥様、旦那様がお戻りになられました」
「そうみたいね」
家令が主の帰宅を告げ、その後ろには少しやつれた夫の姿がある。目の前にいると言うのに夫が帰って来たのが夫人には正直信じられなかった。
「おやまあ、珍しい事。天変地異を引き起こさないでちょうだいよ」
先に声をかけたのは姑の方だった。驚いた様子で軽く目を見張り、久しぶりに会う息子に声をかける。相変わらず遠慮のない物言いに、言われた当の本人は苦笑している。
「お久しぶりです母上、いらしているとは思いませんでした。それにしても相変わらずですね」
「孫を抱きに来たのよ。あんたが忙しすぎて子供達をほったらかしだから、手助けでもしようと思ってね」
「左様……ですか……」
母親の言葉が耳に痛い。ヒースは現実逃避するように母親との会話を打ち切ると、妻に向き直っていつも通り頬に口づける。
「急に帰ってきて済まない。変わりないか?」
「ええ。何か……有りましたの?」
「ああ、ともかく落ち着いてから話そう」
良くできた家令は主が話をしている間にヒースの席を用意し、改めて3人分のお茶を用意し直している。それぞれが席に着き、お茶を飲んで一息ついてからヒースは徐に話を始めた。
「反逆者ラグラスを捕えた」
「まあ……」
朗報に2人は顔を綻ばせる。そんな彼女達にヒースはラグラスを捕えた経緯や思いがけない訪問者など、この数日のうちに起こった出来事を説明していくが、予想を遥かに上回る展開に2人共付いてこれなくなり、途中からは呆けた様子でヒースの話を聞いていた。
「ベルクの審理も先程終結した。これでタランテラは悪夢から解放される」
「おめでとうございます」
夫のこの1年間の尽力を知っているユリアーナは夫を寿ぎ、頭を下げる。これで全て終わりではないが、大きな問題が解決したのは間違いない。
「ヒースや、お前それだけを伝えにわざわざ来たのかい?」
確かに、これらの報告だけなら手紙で済む内容である。母親の鋭い指摘にヒースは苦笑する。
「実は、奥方様と姫様がご帰還された」
どう切り出そうか迷っていたのだが、もう単刀直入に言うしかない。ヒースは腹をくくり、彼女達は今までフレアの故郷の聖域に身を寄せていた事、更にはフレアがブレシッド家の養女である事実を明かした。その上で逃亡したラグラスとベルクが陰で結託していた事と、ベルクがフレアに懸想していたことを憂慮した彼女の家族の判断でこの時期まで無事であることを秘匿せざるを得なかった事も付け加えた。
「その様な後ろ盾をお持ちなら、どうして親御様の元へ行かれなかったのか?」
母親の疑問はもっともな事である。ユリアーナも首を傾げているから同意見なのだろう。
「冬の終わりに奥方様は御嫡子エルヴィン様をご出産された。逃避行の最中にご懐妊に気付かれたが、一時は母子ともに危険な状態に陥り、持ち直された後も安静が必要で身動きが取れなかったそうだ」
ヒースの答えに2人は言葉を失う。彼は改めて妻に向き直る。
「君に頼みがある。オルティス殿が乳母や世話係を手配されているが、彼女達のまとめ役として奥方様に仕えて貰えないだろうか? 目がご不自由なあの方のお側近くには本当に信用の出来る者しか置きたくないと言うのが我々の一致した考えだ。それを踏まえた上で、子育ての経験がある君が適任だと考えた」
ここでヒースは一旦言葉を切ると妻に頭を下げる。
「私は今しばらくフォルビアに留まる事になる。そうなると子供達と交わしたあの約束を果たせなくなるが、それでも君にお願いしたい」
「……決定ですの?」
「いや。殿下に打診されたわけではないし、まだこちらから申し出てもいない。君の判断に任せる」
ヒースの答えにユリアーナは考え込み、母親は黙って成り行きを見守る。
「一度お会いしてから判断しとうございます」
「……いいのか?」
「まだお受けすると決めたわけではないわよ? でも、貴方が竜騎士を続ける以上、年の半分は家にいないのだからどこに居ても変わらない気がするわ」
妻の返答にヒースは苦笑する。彼女の言うとおり、第1騎士団にいた頃でも討伐期には皇都の家に帰る事は殆どなかった。フォルビアに呼んでも放っておくことになりかねないと危惧していたヒースは、この事もあって妻に侍女長役を打診したのだ。
「奥方様にお会いして、その人となりを見極めて判断しとうございます」
「分かった」
ヒースは安堵してうなずく。妻ならあの奥方といい関係を築けるのではないかと思っていた。会ってから判断すると言うが、心の中ではほぼ決まっているのだろう。
「そうなると、早い方が良いわね……。子供達を置いていくわけにはいかないし、どうしようかしら……」
「お前はすぐにあちらに戻るのかい?」
妻が思案していると、横から母親が口を挟んでくる。
「はい。サントリナ公が到着されれば、今後について話し合いの場がもたれます。これはまだ公にしていませんが、この話し合いが済めば先方の御好意で殿下と奥方様の御婚礼も予定されています。御当人方が聞けば固辞されると思われるので、準備の方は内密に進めていますが……」
「ならばなおの事一緒にいけばいい。後の事は私が何とかしよう」
「宜しいのですか?」
「それが最善と思わぬか?」
ヒースが成人して妻を迎えるまでは、体の弱かった父親に代わり母親が領内を切り盛りしていた。父親が他界し、引継ぎが済んでしまうと田舎に引っ込んでしまったが、今でも相談役として困った時には助言を貰っている。元より領主不在が当たり前となっているので領地経営の為の人材はそろっている。加えて母親が復帰してくれるのなら領内の事は心配ないだろう。
「分かりました。それではお願いします」
ヒースは後事を母親に一任する事に決めた。それを受け、使用人達はすぐに動き始め、妻も出立準備の為に席を外す。
「父上!」
「とうしゃま!」
入れ替わりに元気な足音が聞こえて子供達が元気よく飛び込んで来た。「お行儀が悪いですよ」と祖母に叱られても気にせず、先ずは兄が座ったままのヒースの膝に乗り、よじ登ることが出来ない弟は腕にしがみついて離れない。
「悪い人捕まえたの?」
「たの?」
ヒースは苦笑しながら弟も抱え上げて膝に乗せる。そして順に抱きしめてから2人の顔を覗き込んだ。
「ああ。悪い人は捕まえてもう悪いことが出来ないように閉じ込めたよ」
「本当? 父上凄い!」
「しゅごい!」
絶賛する息子に双眸を崩す姿は日頃の彼からは想像できない姿である。部下達が見れば目を疑ったに違いない。ヒースは出かける準備を整えた妻が呼びに来るまで無邪気な子供達と過ごした。
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この地の領主でもある彼女の夫がこの城に来るのは別段不自然な事では無い。だが、現在彼はフォルビア総督を拝命しており、逆賊討伐のごたごたで今この国で最も忙しい人物だった。
赴任先は領地のすぐ隣だと言うのに、春先に急用で皇都に行った帰りに立ち寄るまで1年近く顔を合わせる事が無かった。その間に人見知りの次男には顔を忘れ去られ、秋に生まれた3男は生後半年でようやく父親に抱いてもらえたと言うありさま。夫の突然の帰還に彼女が戸惑うのも無理からぬことかもしれない。
「大奥様、奥様、旦那様がお戻りになられました」
「そうみたいね」
家令が主の帰宅を告げ、その後ろには少しやつれた夫の姿がある。目の前にいると言うのに夫が帰って来たのが夫人には正直信じられなかった。
「おやまあ、珍しい事。天変地異を引き起こさないでちょうだいよ」
先に声をかけたのは姑の方だった。驚いた様子で軽く目を見張り、久しぶりに会う息子に声をかける。相変わらず遠慮のない物言いに、言われた当の本人は苦笑している。
「お久しぶりです母上、いらしているとは思いませんでした。それにしても相変わらずですね」
「孫を抱きに来たのよ。あんたが忙しすぎて子供達をほったらかしだから、手助けでもしようと思ってね」
「左様……ですか……」
母親の言葉が耳に痛い。ヒースは現実逃避するように母親との会話を打ち切ると、妻に向き直っていつも通り頬に口づける。
「急に帰ってきて済まない。変わりないか?」
「ええ。何か……有りましたの?」
「ああ、ともかく落ち着いてから話そう」
良くできた家令は主が話をしている間にヒースの席を用意し、改めて3人分のお茶を用意し直している。それぞれが席に着き、お茶を飲んで一息ついてからヒースは徐に話を始めた。
「反逆者ラグラスを捕えた」
「まあ……」
朗報に2人は顔を綻ばせる。そんな彼女達にヒースはラグラスを捕えた経緯や思いがけない訪問者など、この数日のうちに起こった出来事を説明していくが、予想を遥かに上回る展開に2人共付いてこれなくなり、途中からは呆けた様子でヒースの話を聞いていた。
「ベルクの審理も先程終結した。これでタランテラは悪夢から解放される」
「おめでとうございます」
夫のこの1年間の尽力を知っているユリアーナは夫を寿ぎ、頭を下げる。これで全て終わりではないが、大きな問題が解決したのは間違いない。
「ヒースや、お前それだけを伝えにわざわざ来たのかい?」
確かに、これらの報告だけなら手紙で済む内容である。母親の鋭い指摘にヒースは苦笑する。
「実は、奥方様と姫様がご帰還された」
どう切り出そうか迷っていたのだが、もう単刀直入に言うしかない。ヒースは腹をくくり、彼女達は今までフレアの故郷の聖域に身を寄せていた事、更にはフレアがブレシッド家の養女である事実を明かした。その上で逃亡したラグラスとベルクが陰で結託していた事と、ベルクがフレアに懸想していたことを憂慮した彼女の家族の判断でこの時期まで無事であることを秘匿せざるを得なかった事も付け加えた。
「その様な後ろ盾をお持ちなら、どうして親御様の元へ行かれなかったのか?」
母親の疑問はもっともな事である。ユリアーナも首を傾げているから同意見なのだろう。
「冬の終わりに奥方様は御嫡子エルヴィン様をご出産された。逃避行の最中にご懐妊に気付かれたが、一時は母子ともに危険な状態に陥り、持ち直された後も安静が必要で身動きが取れなかったそうだ」
ヒースの答えに2人は言葉を失う。彼は改めて妻に向き直る。
「君に頼みがある。オルティス殿が乳母や世話係を手配されているが、彼女達のまとめ役として奥方様に仕えて貰えないだろうか? 目がご不自由なあの方のお側近くには本当に信用の出来る者しか置きたくないと言うのが我々の一致した考えだ。それを踏まえた上で、子育ての経験がある君が適任だと考えた」
ここでヒースは一旦言葉を切ると妻に頭を下げる。
「私は今しばらくフォルビアに留まる事になる。そうなると子供達と交わしたあの約束を果たせなくなるが、それでも君にお願いしたい」
「……決定ですの?」
「いや。殿下に打診されたわけではないし、まだこちらから申し出てもいない。君の判断に任せる」
ヒースの答えにユリアーナは考え込み、母親は黙って成り行きを見守る。
「一度お会いしてから判断しとうございます」
「……いいのか?」
「まだお受けすると決めたわけではないわよ? でも、貴方が竜騎士を続ける以上、年の半分は家にいないのだからどこに居ても変わらない気がするわ」
妻の返答にヒースは苦笑する。彼女の言うとおり、第1騎士団にいた頃でも討伐期には皇都の家に帰る事は殆どなかった。フォルビアに呼んでも放っておくことになりかねないと危惧していたヒースは、この事もあって妻に侍女長役を打診したのだ。
「奥方様にお会いして、その人となりを見極めて判断しとうございます」
「分かった」
ヒースは安堵してうなずく。妻ならあの奥方といい関係を築けるのではないかと思っていた。会ってから判断すると言うが、心の中ではほぼ決まっているのだろう。
「そうなると、早い方が良いわね……。子供達を置いていくわけにはいかないし、どうしようかしら……」
「お前はすぐにあちらに戻るのかい?」
妻が思案していると、横から母親が口を挟んでくる。
「はい。サントリナ公が到着されれば、今後について話し合いの場がもたれます。これはまだ公にしていませんが、この話し合いが済めば先方の御好意で殿下と奥方様の御婚礼も予定されています。御当人方が聞けば固辞されると思われるので、準備の方は内密に進めていますが……」
「ならばなおの事一緒にいけばいい。後の事は私が何とかしよう」
「宜しいのですか?」
「それが最善と思わぬか?」
ヒースが成人して妻を迎えるまでは、体の弱かった父親に代わり母親が領内を切り盛りしていた。父親が他界し、引継ぎが済んでしまうと田舎に引っ込んでしまったが、今でも相談役として困った時には助言を貰っている。元より領主不在が当たり前となっているので領地経営の為の人材はそろっている。加えて母親が復帰してくれるのなら領内の事は心配ないだろう。
「分かりました。それではお願いします」
ヒースは後事を母親に一任する事に決めた。それを受け、使用人達はすぐに動き始め、妻も出立準備の為に席を外す。
「父上!」
「とうしゃま!」
入れ替わりに元気な足音が聞こえて子供達が元気よく飛び込んで来た。「お行儀が悪いですよ」と祖母に叱られても気にせず、先ずは兄が座ったままのヒースの膝に乗り、よじ登ることが出来ない弟は腕にしがみついて離れない。
「悪い人捕まえたの?」
「たの?」
ヒースは苦笑しながら弟も抱え上げて膝に乗せる。そして順に抱きしめてから2人の顔を覗き込んだ。
「ああ。悪い人は捕まえてもう悪いことが出来ないように閉じ込めたよ」
「本当? 父上凄い!」
「しゅごい!」
絶賛する息子に双眸を崩す姿は日頃の彼からは想像できない姿である。部下達が見れば目を疑ったに違いない。ヒースは出かける準備を整えた妻が呼びに来るまで無邪気な子供達と過ごした。
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◆24/2/17、HOTランキング女性向け1位!?1位は初ですありがとうございます!
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