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第2章 タランテラの悪夢
150 彼等の絆7
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エルフレートは執務室で一向に減る気配のない書類と格闘していた。総督のリカルドに比べると回ってくる書類の量は少ないのだが、元々こういった作業が苦手な上に、領内の問題が後を絶たない事から些細な報告が次々と上がってくるので、気を抜くとすぐに未処理の書類が山の様に積まれる状態となってしまう。
それでも仮眠や休憩を挟みつつ、1日かけてどうにか目途を付けた頃、侍官が来客を告げる。
「エルフレート卿、フォルビアからレイド卿がお見えです」
「レイド卿が? お通ししてくれ」
いったい何事だろうかと疑問に思いながらも、エヴィルから帰還する折に世話になった事もあってすぐに承諾する。程なくしてその侍官に案内されたレイドが執務室に現れる。
「お久しぶりです、レイド卿」
「急に押しかけてすみません。体調は如何ですか?」
「討伐期に入って忙しいのがいいのか、近頃は発作も少なくなりました」
今でもハルベルトを守れなかった時の夢を見る。だが近頃は討伐の疲れもあって夢を見ることなく寝入ってしまい、その頻度は格段に減っていた。決して良くなっているとは言えないのかもしれないが、それでも与えられた約割を果たす事によって前向きになれていると自分では思っている。
「この時期では仕方ないのかもしれませんが、あまり無理はなされませんように」
レイドはそう言って懐から薬が入った瓶を取り出す。定期的に服用している気持ちを落ち着かせる薬なのだが、どんな伝手を使っているのか、タランテラでは入手しにくい薬草が使われている。バセットでも再現できなかったため、こうして彼が調達してきてくれるのだ。
「ありがとうございます、助かります」
エルフレートは感謝してそれを受け取ったが、この忙しい時期にこの為だけに来たのではないだろう相手を見据える。
「では、本題を伺いましょうか?」
「実は協力していただきたい事があります」
「いいですよ」
あっさり了承すると相手は驚いた様子でエルフレートの顔を見返した。
「良いんですか? まだ内容も言っていませんが」
「貴公には御恩がある。お役に立てるのであれば何なりと」
彼等が組織だって動いているのは周知の事実だが、ロイス神官長を救出した手腕から見ても相当な手練れが集まっているとみていいだろう。そんな彼等から宛てにされると言うのもなんだか誇らしくも思える。言った通り返しきれない恩があり、もちろん相手を信頼しているからこその即答だった。
「そうですか、ありがとうございます。それでは今夜、この近辺の偵察をお願いします」
レイドが広げた地図で指し示したのはワールウェイド領南東部。ちょうど問題となっている薬草園がある辺りだ。討伐期に入る直前に査察を行ったが、ベルクから管理を任されているらしい神官が守りを固めていて、全てを見回ることが出来なかった。何かを隠しているのは明白だった。
おそらく、彼等はその隠している何かの情報を得て、ここを制圧する決意を固めたのだろう。公にされていないが、ロイス神官長が監禁されていた小神殿を制圧した彼等の技量があれば難しい事ではないはずだ。ただ今回は小神殿の数倍の敷地がある。万全を期すためにもこうして助力を求めてきたに違いない。
「偵察だけでよろしいのですか?」
「そうですね」
「南側は如何いたしますか?」
「ルーク卿が動いて下さるそうです」
「なるほど」
フォルビア側への根回しもぬかりないらしい。
「それでは、よろしくお願いします」
エルフレートと大まかな打ち合わせを済ませると、レイドは感謝して執務室を後にしていった。
レイドの頼み事で執務どころではなくなったエルフレートは、リカルドにも断りを入れると急きょ1小隊を同行させて城を出立した。既に夕刻。指定された時刻にはまだ余裕があったので東側の境界をゆっくりと南下していく。
ワールウェイド領に配属となった竜騎士達は、ブロワディの配慮でエルフレートと気心の知れた者達が集められていた。そのおかげで急な出立にもかかわらず、同行した彼らは詳細を求めることなく従い、残した他の小隊も城で妖魔の出没に備えて待機してくれている。
「この先、例の薬草園です」
常人であれば真っ暗で何も見えないだろうが、竜騎士である彼等の目には山の中腹に幾つもの温室が立ち並んでいるのが見えていた。半ば雪に埋もれているが、規則的に立ち並ぶ建物からはまだ何の動きも見られない。
「ここでしばらく待機。周囲を警戒してくれ」
「了解」
一行は薬草園が辛うじて見渡せる場所に飛竜を降ろし、騎乗したまま様子を伺う。フォルビア側と比べると地形が険しいために、薬草園に続いているのは獣道の様な細い山道のみだった。念のためだが近くの砦に使いを送り、騎馬兵団も待機させているので、正体不明の襲撃者から逃れ出た者を保護という名目で捕らえるのもたやすくなるだろう。
しばらくそこで待機していると、薬草園の方でわずかに動きがあった。待機していた部下達と視線を交わすと飛竜を飛び立たせ、注意深く観察する。だが、その騒ぎはすぐに収束してしまっていた。
「エルフレート卿、如何しますか?」
「もう少し待機しよう」
この場で不用意に薬草園を制圧した彼等と接触しては足元をすくわれる可能性もある。用心に越したことは無く、ただレイドに言われた通り、偵察している風を装って周囲を飛び続けた。
「エルフレート卿、あそこに人が」
最も夜目が利く部下が薬草園の方角から逃げて来る人物を見付ける。距離がある上に木々が邪魔となって分かりづらいのだが、足元の悪い山道を懸命に逃げているのが見て取れる。
「騎馬兵団に知らせて向かわせろ」
「了解」
足場が悪く、飛竜を直接降ろすことは出来ない。エルフレートはそれを考慮して兵団を待機させていたのだ。やがて知らせを受けた兵団が急行し、その人物の身柄を確保した。他に逃れた者はいない様だが、念のために警戒を続けるよう部下に命じ、エルフレートは兵団が待機していた陣に向かった。
保護したのは神官だった。山道を下っていた理由を聞いたが、フォルビアの小神殿へ連れて行けと高圧的に命じるのみだった。どうしたものかと思案していると、レイドが彼を迎えに来た。
「フォルビア正神殿に雇われている傭兵です」
そう説明すると、すんなり信じて彼に同行して連れて行かれた。どうやら彼が襲撃者の1人だと気付いていないらしい。
密かに教えてもらったところによると、襲撃は成功し、この逃げ出した神官が最後の1人だったらしい。これからじっくりと話を聞き出すと、意地の悪い笑みを浮かべていた。
その内容が気になるところではあるが、今は討伐が最優先である。とにかく自分達が頼まれた仕事は終わったので、後の事は彼等に任せておけばいいと自分を納得させて帰還した。
城に帰還したのは明け方だった。途中で放り投げた形となった書類はまた増えていたが、総督のリカルドに帰還の報告を済ませると、先に仮眠をしようとエルフレートは寝台に潜り込んだ。
昼過ぎに目が覚め、それから再び机に向かって溜まった書類の整理を始めたところで、皇都方面で巣を発見したと知らせが入る。諸々の指示を与えて出撃し、危うい所をどうにか間に合わせた。
女王の討伐と巣の除去。疲弊しきっていた第1騎士団に代わって事後処理を済ませ、城に帰還したのは出立から丸2日が経っていた。覚悟を決めて執務室の扉を開けると、机の上は書類であふれていた。
「……」
ここ数日の疲れがどっと出て来る。全てを放棄したい衝動に駆られたが、それが許されるはずもなく、結局エルフレートはその後3日間、書類と格闘することとなった。
それでも仮眠や休憩を挟みつつ、1日かけてどうにか目途を付けた頃、侍官が来客を告げる。
「エルフレート卿、フォルビアからレイド卿がお見えです」
「レイド卿が? お通ししてくれ」
いったい何事だろうかと疑問に思いながらも、エヴィルから帰還する折に世話になった事もあってすぐに承諾する。程なくしてその侍官に案内されたレイドが執務室に現れる。
「お久しぶりです、レイド卿」
「急に押しかけてすみません。体調は如何ですか?」
「討伐期に入って忙しいのがいいのか、近頃は発作も少なくなりました」
今でもハルベルトを守れなかった時の夢を見る。だが近頃は討伐の疲れもあって夢を見ることなく寝入ってしまい、その頻度は格段に減っていた。決して良くなっているとは言えないのかもしれないが、それでも与えられた約割を果たす事によって前向きになれていると自分では思っている。
「この時期では仕方ないのかもしれませんが、あまり無理はなされませんように」
レイドはそう言って懐から薬が入った瓶を取り出す。定期的に服用している気持ちを落ち着かせる薬なのだが、どんな伝手を使っているのか、タランテラでは入手しにくい薬草が使われている。バセットでも再現できなかったため、こうして彼が調達してきてくれるのだ。
「ありがとうございます、助かります」
エルフレートは感謝してそれを受け取ったが、この忙しい時期にこの為だけに来たのではないだろう相手を見据える。
「では、本題を伺いましょうか?」
「実は協力していただきたい事があります」
「いいですよ」
あっさり了承すると相手は驚いた様子でエルフレートの顔を見返した。
「良いんですか? まだ内容も言っていませんが」
「貴公には御恩がある。お役に立てるのであれば何なりと」
彼等が組織だって動いているのは周知の事実だが、ロイス神官長を救出した手腕から見ても相当な手練れが集まっているとみていいだろう。そんな彼等から宛てにされると言うのもなんだか誇らしくも思える。言った通り返しきれない恩があり、もちろん相手を信頼しているからこその即答だった。
「そうですか、ありがとうございます。それでは今夜、この近辺の偵察をお願いします」
レイドが広げた地図で指し示したのはワールウェイド領南東部。ちょうど問題となっている薬草園がある辺りだ。討伐期に入る直前に査察を行ったが、ベルクから管理を任されているらしい神官が守りを固めていて、全てを見回ることが出来なかった。何かを隠しているのは明白だった。
おそらく、彼等はその隠している何かの情報を得て、ここを制圧する決意を固めたのだろう。公にされていないが、ロイス神官長が監禁されていた小神殿を制圧した彼等の技量があれば難しい事ではないはずだ。ただ今回は小神殿の数倍の敷地がある。万全を期すためにもこうして助力を求めてきたに違いない。
「偵察だけでよろしいのですか?」
「そうですね」
「南側は如何いたしますか?」
「ルーク卿が動いて下さるそうです」
「なるほど」
フォルビア側への根回しもぬかりないらしい。
「それでは、よろしくお願いします」
エルフレートと大まかな打ち合わせを済ませると、レイドは感謝して執務室を後にしていった。
レイドの頼み事で執務どころではなくなったエルフレートは、リカルドにも断りを入れると急きょ1小隊を同行させて城を出立した。既に夕刻。指定された時刻にはまだ余裕があったので東側の境界をゆっくりと南下していく。
ワールウェイド領に配属となった竜騎士達は、ブロワディの配慮でエルフレートと気心の知れた者達が集められていた。そのおかげで急な出立にもかかわらず、同行した彼らは詳細を求めることなく従い、残した他の小隊も城で妖魔の出没に備えて待機してくれている。
「この先、例の薬草園です」
常人であれば真っ暗で何も見えないだろうが、竜騎士である彼等の目には山の中腹に幾つもの温室が立ち並んでいるのが見えていた。半ば雪に埋もれているが、規則的に立ち並ぶ建物からはまだ何の動きも見られない。
「ここでしばらく待機。周囲を警戒してくれ」
「了解」
一行は薬草園が辛うじて見渡せる場所に飛竜を降ろし、騎乗したまま様子を伺う。フォルビア側と比べると地形が険しいために、薬草園に続いているのは獣道の様な細い山道のみだった。念のためだが近くの砦に使いを送り、騎馬兵団も待機させているので、正体不明の襲撃者から逃れ出た者を保護という名目で捕らえるのもたやすくなるだろう。
しばらくそこで待機していると、薬草園の方でわずかに動きがあった。待機していた部下達と視線を交わすと飛竜を飛び立たせ、注意深く観察する。だが、その騒ぎはすぐに収束してしまっていた。
「エルフレート卿、如何しますか?」
「もう少し待機しよう」
この場で不用意に薬草園を制圧した彼等と接触しては足元をすくわれる可能性もある。用心に越したことは無く、ただレイドに言われた通り、偵察している風を装って周囲を飛び続けた。
「エルフレート卿、あそこに人が」
最も夜目が利く部下が薬草園の方角から逃げて来る人物を見付ける。距離がある上に木々が邪魔となって分かりづらいのだが、足元の悪い山道を懸命に逃げているのが見て取れる。
「騎馬兵団に知らせて向かわせろ」
「了解」
足場が悪く、飛竜を直接降ろすことは出来ない。エルフレートはそれを考慮して兵団を待機させていたのだ。やがて知らせを受けた兵団が急行し、その人物の身柄を確保した。他に逃れた者はいない様だが、念のために警戒を続けるよう部下に命じ、エルフレートは兵団が待機していた陣に向かった。
保護したのは神官だった。山道を下っていた理由を聞いたが、フォルビアの小神殿へ連れて行けと高圧的に命じるのみだった。どうしたものかと思案していると、レイドが彼を迎えに来た。
「フォルビア正神殿に雇われている傭兵です」
そう説明すると、すんなり信じて彼に同行して連れて行かれた。どうやら彼が襲撃者の1人だと気付いていないらしい。
密かに教えてもらったところによると、襲撃は成功し、この逃げ出した神官が最後の1人だったらしい。これからじっくりと話を聞き出すと、意地の悪い笑みを浮かべていた。
その内容が気になるところではあるが、今は討伐が最優先である。とにかく自分達が頼まれた仕事は終わったので、後の事は彼等に任せておけばいいと自分を納得させて帰還した。
城に帰還したのは明け方だった。途中で放り投げた形となった書類はまた増えていたが、総督のリカルドに帰還の報告を済ませると、先に仮眠をしようとエルフレートは寝台に潜り込んだ。
昼過ぎに目が覚め、それから再び机に向かって溜まった書類の整理を始めたところで、皇都方面で巣を発見したと知らせが入る。諸々の指示を与えて出撃し、危うい所をどうにか間に合わせた。
女王の討伐と巣の除去。疲弊しきっていた第1騎士団に代わって事後処理を済ませ、城に帰還したのは出立から丸2日が経っていた。覚悟を決めて執務室の扉を開けると、机の上は書類であふれていた。
「……」
ここ数日の疲れがどっと出て来る。全てを放棄したい衝動に駆られたが、それが許されるはずもなく、結局エルフレートはその後3日間、書類と格闘することとなった。
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