4 / 58
4.注がれる視線(1)
しおりを挟む透也と約束していた店に到着する。
四条通の繁華街にある一軒のバー『AKARIBI』という店だった。京町屋を改装して作られており、個室の一つ一つに行灯の明かりが置かれ、幻想的に周囲を照らしている。
店員に案内されて、一番奥にある部屋に通された。シンプルな造りの部屋で、六畳ほどの広さにイスとテーブル、そしてぼんやりとした行灯が一つ置かれ、そこに精悍な顔つきの透也が待ち構えていた。
「よく来てくれたね、綾芽。そこへ座って」
木製の小さめなテーブルに丸椅子が置かれ、透也の向かい側の席に座る。部屋は狭く、テーブルが小さめだからか、透也との距離がとても近い。
「この店はワインがお薦めらしいが、綾芽は飲めるかな? それとも何か甘い飲み物の方がいいか?」
「わ、私も二十四の大人ですから、ワインぐらい飲めます!」
店員に赤ワインとチーズの盛り合わせをオーダーすると、二人だけの部屋に沈黙が訪れる。
透也の視線は綾芽から一時も離そうとはせず、先ほどから鼓動が激しすぎて、その音が部屋中に響いてしまわないか不安になった。
突然、透也の右手が伸び、綾芽の緩くウェーブがかかる髪にそっと触れてきた。驚きのあまり、身体が石のように固まってしまう。
「しばらく会わないうちに、大人っぽくて綺麗になったね。綾芽」
透也の指先が柔らかな手つきで綾芽の髪を優しく撫で、さらに情熱的な眼差しで視線を重ねてくる。強い目力に視線を外せず、思わず雰囲気に吞まれそうになった。追手から逃れようと、慌てて座り直す。
その時、ドアをノックする音がして「失礼します」と外から声が掛けられた。
店員がお盆を片手に部屋へと入ってくる。ワイングラス二つと、ワインボトル、数種類のチーズの盛り合わせが運ばれた。
店員が去ると、透也は手慣れた様子でワインを注ぎ、グラスを綾芽の前へと置いた。
「再会に乾杯しよう」
二人はグラスを持ち上げ、お互いのグラスを近寄せる仕草をして、ゆっくりと口を付けた。渋みと酸味が口の中に広がる。一口しか飲まないと、このくらい飲めないのかと笑われそうな気がして、綾芽は思い切りグラスを傾けた。
「やっぱり甘い方が良かったのかな?」
どうやら無理をして飲み干したあとの渋い顔を、バッチリ見られてしまったようだ。気まずくなり、何事もなかったような顔をして視線を逸らす。
「綾芽が実家を出て就職していることは聞いていたが、まさかあんなに近い場所にいたとは。成沢も……君の父上も、上手く隠したな」
「で、ですから、私はどこにも隠れてなんかいないです!」
「どうしてそんなに警戒する? 久しぶりにこうして会えたのだから、もっと自然に話したらどうだ」
「そ、それは……ムリです」
「なぜ?」
「透也様と親しくすることはできません」
「様って、俺は綾芽を召し使いにした覚えはないよ」
空になった透也のグラスにワインを注ごうと、ボトルに手を伸ばした瞬間、手首を掴まれた。
「もちろん約束は覚えているだろう? やっと迎えに来ることができた」
そのセリフで一瞬時間が止まる。透也の優しく響く声と、綾芽を見つめる情熱的な眼差しで、あっという間に八歳の頃の自分に引き戻された。
今まで恋愛をしてこなかった綾芽にとって、特別な存在は透也以外いない。恋愛を遠ざけていたわけではなく、透也以上の男性が目の前に現れなかっただけなのだ。もしかして綾芽の恋愛年齢は、八歳の時で止まっているのかもしれない。
「ずっと会いたかった。そしてもっと早く迎えに来たかった。しかし綾芽に会いたくても、成沢が……君の父上が所在を教えることを拒んだ。所詮、仕事が忙しくて、探している余裕もなかったが。久我咲グループの取締役として、実績を残すことが君と結婚する最短の道だと確信していた。……しかし、結局こんな年になってしまったが」
透也はククッツと自虐的に笑い声をあげた。
「年って、まだ三十一じゃないですか。それに今の透也様なら、いくらでも素敵な女性がいらっしゃるのでは……?」
「様はもうやめてくれないか。それに、俺は約束を守る主義だ。今さら他の女性と結婚するつもりなどない」
「迎えにって……私が、いつ迎えに来て欲しいって頼んだのですか!? それに、こちらの事情も考えて下さい。私も……私にも、自由に恋愛する権利はあるんですから!」
そう訴えると、透也はゆっくりと首を横に振り、両手を伸ばして綾芽の手にそっと重ねた。
「綾芽、君が先に約束を取り付けたんだよ。覚えてないの?」
「――えっ!? わっ、私が…………!?」
「五歳の時、君からプロポーズされたんだ。つまり、お互いの約束を果たしに迎えに来た、というわけだ」
それじゃあ……八歳の時に透也様からされたプロポーズより前に、五歳の私が先に求婚していたってこと……!? それに、五歳の頃って……ただ子どもの口約束じゃないの……?
もちろん綾芽には、そんな記憶など微塵もない。与えられた情報量が多すぎて頭の中が混乱し、何も処理することができないでいた。
そんな夢みたいな話がある?
小さな子供の約束を、三十代の社会的立場のある大人が果たそうとするだなんて。
そんなこと、どうかしてる……。
「と、とにかく、そんな話はムリです」
「そうはいかない。断るにはそれなりの理由があるはずだ。納得できる理由を聞かせてもらいたい」
「そ、それは……」
十六年前の透也は、綾芽にとって兄のような存在だった。ところが今、目の前にいる透也は大きな企業を背負った責任のある立場の人間だ。
昔とはまるで状況が違うのに……。
そして戸惑う理由には他にもあった。綾芽にとって今の透也は、とても眩しい存在だ。
キリリとした目元に引き締まった口元。モデルのような体型に、落ち着いた物腰と紳士的な態度。王子様のような存在の人から、ずっと探していたと言われてしまったら、普通は願ってもないことだ。だからといって、いきなり目の前に現れた相手を結婚としてみろと迫られても、素直にYESと返事ができるわけもない。
綾芽は、二十歳になった頃に父から言われたセリフを思い出した。
『理解しているとは思うが、透也様はお前が一緒になる相手ではないんだよ』
父から放たれた言葉は、長年抱えていた抑圧をさらに重くし、心の扉を固く閉じさせた。その重苦しい記憶から目を背けたくて、綾芽は頭に浮かんだセリフを口にする。
「あ、あのっ。私にはすでにお付き合いしている男性がいるんです。それに……それに私だって、自由に恋愛して結婚を決める権利がありますから!」
咄嗟に口から出てしまった嘘だった。瞬時に、毎月のように父から届くお見合い話が頭に浮かび、思わず当てもない存在を勝手に付き合っている相手として、でっち上げてしまった。透也は黙ったまま、一瞬顔を引き締める。
綾芽は女子高から栄養系の女子大へ入り、卒業後、栄養士として働き出して二年が過ぎた。社会人としてはまだまだ新人だ。恋愛経験だって、ドラマのような恋に憧れる自分もいる。透也からの追及を逃れようと、仕方なくついてしまった嘘だった。
12
お気に入りに追加
149
あなたにおすすめの小説
【R18・完結】蜜溺愛婚 ~冷徹御曹司は努力家妻を溺愛せずにはいられない〜
花室 芽苳
恋愛
契約結婚しませんか?貴方は確かにそう言ったのに。気付けば貴方の冷たい瞳に炎が宿ってー?ねえ、これは大人の恋なんですか?
どこにいても誰といても冷静沈着。
二階堂 柚瑠木《にかいどう ゆるぎ》は二階堂財閥の御曹司
そんな彼が契約結婚の相手として選んだのは
十条コーポレーションのお嬢様
十条 月菜《じゅうじょう つきな》
真面目で努力家の月菜は、そんな柚瑠木の申し出を受ける。
「契約結婚でも、私は柚瑠木さんの妻として頑張ります!」
「余計な事はしなくていい、貴女はお飾りの妻に過ぎないんですから」
しかし、挫けず頑張る月菜の姿に柚瑠木は徐々に心を動かされて――――?
冷徹御曹司 二階堂 柚瑠木 185㎝ 33歳
努力家妻 十条 月菜 150㎝ 24歳
腹黒御曹司との交際前交渉からはじまるエトセトラ
真波トウカ
恋愛
デパートで働く27歳の麻由は、美人で仕事もできる「同期の星」。けれど本当は恋愛経験もなく、自信を持っていた企画書はボツになったりと、うまくいかない事ばかり。
ある日素敵な相手を探そうと婚活パーティーに参加し、悪酔いしてお持ち帰りされそうになってしまう。それを助けてくれたのは、31歳の美貌の男・隼人だった。
紳士な隼人にコンプレックスが爆発し、麻由は「抱いてください」と迫ってしまう。二人は甘い一夜を過ごすが、実は隼人は麻由の天敵である空閑(くが)と同一人物で――?
こじらせアラサー女子が恋も仕事も手に入れるお話です。
※表紙画像は湯弐(pixiv ID:3989101)様の作品をお借りしています。
大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました
扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!?
*こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。
――
ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。
そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。
その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。
結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。
が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。
彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。
しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。
どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。
そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。
――もしかして、これは嫌がらせ?
メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。
「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」
どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……?
*WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。
溺愛ダーリンと逆シークレットベビー
葉月とに
恋愛
同棲している婚約者のモラハラに悩む優月は、ある日、通院している病院で大学時代の同級生の頼久と再会する。
立派な社会人となっていた彼に見惚れる優月だったが、彼は一児の父になっていた。しかも優月との子どもを一人で育てるシングルファザー。
優月はモラハラから抜け出すことができるのか、そして子どもっていったいどういうことなのか!?
冷徹御曹司と極上の一夜に溺れたら愛を孕みました
せいとも
恋愛
旧題:運命の一夜と愛の結晶〜裏切られた絶望がもたらす奇跡〜
神楽坂グループ傘下『田崎ホールディングス』の創業50周年パーティーが開催された。
舞台で挨拶するのは、専務の田崎悠太だ。
専務の秘書で彼女の月島さくらは、会場で挨拶を聞いていた。
そこで、今の瞬間まで彼氏だと思っていた悠太の口から、別の女性との婚約が発表された。
さくらは、訳が分からずショックを受け会場を後にする。
その様子を見ていたのが、神楽坂グループの御曹司で、社長の怜だった。
海外出張から一時帰国して、パーティーに出席していたのだ。
会場から出たさくらを追いかけ、忘れさせてやると一夜の関係をもつ。
一生をさくらと共にしようと考えていた怜と、怜とは一夜の関係だと割り切り前に進むさくらとの、長い長いすれ違いが始まる。
再会の日は……。
ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~
菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。
だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。
車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。
あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。
今更だけど、もう離さない〜再会した元カレは大会社のCEO〜
瀬崎由美
恋愛
1才半の息子のいる瑞希は携帯電話のキャリアショップに勤めるシングルマザー。
いつものように保育園に迎えに行くと、2年前に音信不通となっていた元彼が。
帰国したばかりの彼は亡き祖父の後継者となって、大会社のCEOに就任していた。
ずっと連絡出来なかったことを謝罪され、これからは守らせて下さいと求婚され戸惑う瑞希。
★第17回恋愛小説大賞で奨励賞をいただきました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる