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二章:初めての雨
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ユーグさんが帰った後、私はしばらく彼が言った言葉について考えた。
私が激しく彼を憎むようになる隠し事……。
ヒントはそれしかないが、本当に心当たりがない。
たとえば私にかけた情報共有魔法が実は死の呪いを含んでいて、着々と寿命が削られていると分かっても、そこまでユーグさんを憎むとは思えなかった。
驚きはするし、不思議にも思うだろうが、それだけだ。
崖からダイブした時に、私は一度死んだも同然だった。あの時にこれで終わりだと腹を括ったせいか、生への執着は薄くなっている。
「ミカー、そろそろご飯にしようかって母さんが」
自室のベッドにうつ伏せになり、あれこれ考えているところにラスがやって来た。
「どうした? ユーグがまた余計なこと言ったのか?」
「ユーグが来たこと、知ってたの?」
「ああ。ミカに話があるみたいだったから、出て行かなかっただけ」
「そっか……。しばらくユーグさんも頼れないから、気をつけて過ごしてね、だって」
ラスに心配をかけるのは嫌だ。
悩んでいる部分のやり取りは伏せ、実際に言われたことを話すと、ラスはなんだといわんばかりの顔になった。
「心配しなくても、大丈夫だぞ。俺はもう去年から一人で過ごしてる」
「だよね。ラスがいるから大丈夫だろう、ってユーグさんも言ってたよ」
「ふーん。たまにはいいこと言うんだな」
「たまには、って! ラスはユーグさんに点が辛いね」
「ユーグが嫌いなわけじゃなくて、ミカからユーグの匂いがするのが、嫌なんだよ」
ラスの言葉に、ん? と首を傾げる。
「私から、ユーグさんの匂いが?」
「ああ。母さんは情報共有魔法で繋がってるからじゃないか、って言ってた。あの魔法でミカは落ち着いたんだから良いことだって言ってたし、俺もそう思うけど、なんか嫌だ……」
ラスはぼやき、ぐりぐりと頭を私の肩に押し付けてくる。
甘えんぼうの可愛い子を撫でながら、私は拭いされない違和感を覚えていた。
翌朝、ベネッサさんとダンさんは着替えを詰めた鞄を提げて出て行った。
玄関まで見送った私の両手を、ベネッサさんがぎゅっと握りしめる。
「気をつけて過ごしてね。ミカを欲しがる男が訪ねてくるかもしれないけど、ミカが承諾しない限り、何も出来ないから大丈夫よ」
そうだ。発情期は、夫婦にだけ関係してるわけじゃないんだった。
私は改めて思い出し、顔を顰めた。
生理的な現象だから仕方ないとは言え、よく知らない男の欲望の対象にされるのは、想像だけでもぞっとする。
「じゃあ、チェインが来ても会わなくていいですか?」
「もちろん。最近はそういうのも増えてるみたいだけど、いきなり雨の後半に会いに来るのは、私もどうかと思うし」
ベネッサさんは肩を竦めた後、躊躇うように言葉を切った。
それから、隣に立ったダンさんを見上げる。
ダンさんは、ベネッサさんの言葉の続きを引き取って話し始めた。
「私達は、ミカの意志を尊重したい。だが、これだけは覚えていて欲しい。ミカはもうこの世界の人間だ。元の世界に戻ることは叶わない。早いうちに自分の伴侶を得た方が、ここで暮らしやすくなるんじゃないかと思う」
唇を何度も舌で湿らせ、言いにくそうに言葉を探しながらダンさんは言った。
やはり、何かあるんじゃないだろうか。
私が独り身で居続けてはいけない理由が。ラスは否定してくれたけど、でも――。
「そうですよね。いつまでもここでお世話になるわけにもいかないですし、早く一人で暮らせるようにならないと
私の返事を、ダンさんは強い口調で遮った。
「違うよ、ミカ。それは違う」
ベネッサさんも強く首を振る。
「ミカにはずっとここに居て欲しい。負担だと思ったことは一度もない。私達にとって、ミカはタリム様が授けてくれた宝物のようなものだから。本当にずっと、出来るならずっと……」
どうしてそこまで必死になるんだろうと不思議になるほど、ベネッサさんは懸命に言い募った。
握りしめた拳は小刻みに震えている。
激情を抑え込むベネッサさんの肩を、ダンさんはそっと引き寄せた。
私は、いつの間にか隣に来ていたラスを見遣った。
ラスなら何か分かるんじゃないかと思ったのだが、彼の顔にも「なにがどうなってるんだ?」と書いてある。
「とにかく、ミカは婚姻を結ぶことについて真剣に考えて欲しい。もし、タリム人が意に染まないというのなら、ジャンプの時に君を連れて渡ってもいい。何かと便宜を図ってくれるサリム人の知り合いがいるんだ。彼にミカのことを頼んで――」
「勝手に話を進めるなよ」
ラスが怒った声で口を挟む。
ダンさんはハッとした様子で「そうだね。先走ってしまった」と謝った。
今のやり取りで、ダンさんとベネッサさんが私の結婚に並々ならぬ関心を抱いていることだけは分かった。
これ以上やきもきさせたくなくて、私はにこりと笑ってみせた。
「分かりました。前向きに検討します」
「ミカ!」
ラスが驚いたように私を見上げる。
彼の青い瞳に、不安と悲しみが広がっていく。
「ミカは東の島に行きたいのか?」
「それはないから、安心して」
腰を屈めて目線を合わせる。
ラスは目に見えてホッとした顔になった。
「探すならこっちで探すよ。ラス達と離れ離れになりたくないし」
「よかった……!」
ラスはほう、と息を吐き、「一年待ってくれるともっと嬉しい」と言い添えた。
一年経ったら、自分も成人するから、ということだろうか。
おませな発言が何とも愛らしい。
「ラスはずっと私の可愛い弟だよ」
頭を撫でて優しく言う。
ラスは眉間に皺を刻み、「俺は弟じゃない!」と言い張った。
私が激しく彼を憎むようになる隠し事……。
ヒントはそれしかないが、本当に心当たりがない。
たとえば私にかけた情報共有魔法が実は死の呪いを含んでいて、着々と寿命が削られていると分かっても、そこまでユーグさんを憎むとは思えなかった。
驚きはするし、不思議にも思うだろうが、それだけだ。
崖からダイブした時に、私は一度死んだも同然だった。あの時にこれで終わりだと腹を括ったせいか、生への執着は薄くなっている。
「ミカー、そろそろご飯にしようかって母さんが」
自室のベッドにうつ伏せになり、あれこれ考えているところにラスがやって来た。
「どうした? ユーグがまた余計なこと言ったのか?」
「ユーグが来たこと、知ってたの?」
「ああ。ミカに話があるみたいだったから、出て行かなかっただけ」
「そっか……。しばらくユーグさんも頼れないから、気をつけて過ごしてね、だって」
ラスに心配をかけるのは嫌だ。
悩んでいる部分のやり取りは伏せ、実際に言われたことを話すと、ラスはなんだといわんばかりの顔になった。
「心配しなくても、大丈夫だぞ。俺はもう去年から一人で過ごしてる」
「だよね。ラスがいるから大丈夫だろう、ってユーグさんも言ってたよ」
「ふーん。たまにはいいこと言うんだな」
「たまには、って! ラスはユーグさんに点が辛いね」
「ユーグが嫌いなわけじゃなくて、ミカからユーグの匂いがするのが、嫌なんだよ」
ラスの言葉に、ん? と首を傾げる。
「私から、ユーグさんの匂いが?」
「ああ。母さんは情報共有魔法で繋がってるからじゃないか、って言ってた。あの魔法でミカは落ち着いたんだから良いことだって言ってたし、俺もそう思うけど、なんか嫌だ……」
ラスはぼやき、ぐりぐりと頭を私の肩に押し付けてくる。
甘えんぼうの可愛い子を撫でながら、私は拭いされない違和感を覚えていた。
翌朝、ベネッサさんとダンさんは着替えを詰めた鞄を提げて出て行った。
玄関まで見送った私の両手を、ベネッサさんがぎゅっと握りしめる。
「気をつけて過ごしてね。ミカを欲しがる男が訪ねてくるかもしれないけど、ミカが承諾しない限り、何も出来ないから大丈夫よ」
そうだ。発情期は、夫婦にだけ関係してるわけじゃないんだった。
私は改めて思い出し、顔を顰めた。
生理的な現象だから仕方ないとは言え、よく知らない男の欲望の対象にされるのは、想像だけでもぞっとする。
「じゃあ、チェインが来ても会わなくていいですか?」
「もちろん。最近はそういうのも増えてるみたいだけど、いきなり雨の後半に会いに来るのは、私もどうかと思うし」
ベネッサさんは肩を竦めた後、躊躇うように言葉を切った。
それから、隣に立ったダンさんを見上げる。
ダンさんは、ベネッサさんの言葉の続きを引き取って話し始めた。
「私達は、ミカの意志を尊重したい。だが、これだけは覚えていて欲しい。ミカはもうこの世界の人間だ。元の世界に戻ることは叶わない。早いうちに自分の伴侶を得た方が、ここで暮らしやすくなるんじゃないかと思う」
唇を何度も舌で湿らせ、言いにくそうに言葉を探しながらダンさんは言った。
やはり、何かあるんじゃないだろうか。
私が独り身で居続けてはいけない理由が。ラスは否定してくれたけど、でも――。
「そうですよね。いつまでもここでお世話になるわけにもいかないですし、早く一人で暮らせるようにならないと
私の返事を、ダンさんは強い口調で遮った。
「違うよ、ミカ。それは違う」
ベネッサさんも強く首を振る。
「ミカにはずっとここに居て欲しい。負担だと思ったことは一度もない。私達にとって、ミカはタリム様が授けてくれた宝物のようなものだから。本当にずっと、出来るならずっと……」
どうしてそこまで必死になるんだろうと不思議になるほど、ベネッサさんは懸命に言い募った。
握りしめた拳は小刻みに震えている。
激情を抑え込むベネッサさんの肩を、ダンさんはそっと引き寄せた。
私は、いつの間にか隣に来ていたラスを見遣った。
ラスなら何か分かるんじゃないかと思ったのだが、彼の顔にも「なにがどうなってるんだ?」と書いてある。
「とにかく、ミカは婚姻を結ぶことについて真剣に考えて欲しい。もし、タリム人が意に染まないというのなら、ジャンプの時に君を連れて渡ってもいい。何かと便宜を図ってくれるサリム人の知り合いがいるんだ。彼にミカのことを頼んで――」
「勝手に話を進めるなよ」
ラスが怒った声で口を挟む。
ダンさんはハッとした様子で「そうだね。先走ってしまった」と謝った。
今のやり取りで、ダンさんとベネッサさんが私の結婚に並々ならぬ関心を抱いていることだけは分かった。
これ以上やきもきさせたくなくて、私はにこりと笑ってみせた。
「分かりました。前向きに検討します」
「ミカ!」
ラスが驚いたように私を見上げる。
彼の青い瞳に、不安と悲しみが広がっていく。
「ミカは東の島に行きたいのか?」
「それはないから、安心して」
腰を屈めて目線を合わせる。
ラスは目に見えてホッとした顔になった。
「探すならこっちで探すよ。ラス達と離れ離れになりたくないし」
「よかった……!」
ラスはほう、と息を吐き、「一年待ってくれるともっと嬉しい」と言い添えた。
一年経ったら、自分も成人するから、ということだろうか。
おませな発言が何とも愛らしい。
「ラスはずっと私の可愛い弟だよ」
頭を撫でて優しく言う。
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