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二章:初めての雨
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ダンさんが戻ってきた翌日、私はユーグさんの家へのお使いを頼まれた。
私に色んな便宜を図ってくれた謝礼として、お肉のおすそ分けをするらしい。
道案内役は、ラスがかって出てくれた。
小川脇の洗濯場まではダンさんの縄張りなので、家の敷地外に出るのはこれが初めてということになる。
好奇心とほんの少しの不安が入り混じった気持ちで、ベネッサさんの前に立った。
「ユーグとはこれからも何かと付き合いがあるでしょうし、道を覚えるついでに行ってきてくれる? 届けて欲しいのは、これね」
ベネッサさんはテーブルの上から蔓で編まれたバスケットを取り上げ、私に渡した。
中には、植物の葉で丁寧に包まれたロースト肉とナンが入っている。
「分かりました」
両手にずしりとした重みを感じたのも一瞬、隣にいるラスがすぐにバスケットを取ってしまう。
「これくらい自分で持てるのに」
口ではそう言ったが、当たり前のように持ってくれることが実は嬉しかったりする。
ラスは私の小さな騎士だった。
「俺がミカを運ぶんなら籠はミカに持ってもらうけど、今日は歩きだろ? しっかり足元見てないと、転んで怪我するぞ」
「私を、運ぶ?」
意味が分からず問い返す。
ラスは背中の翼をひょこひょこ動かしてみせた。
「ミカくらいなら、今の俺でも余裕だよ。もう少しミカが元気になったら、行きたいところに連れていってやるから楽しみにしといて」
「もしかして、私を掴んで飛ぶってこと?」
「そう」
ラスは何の疑問も持っていないようだが、私の脳内には『小さな子が成人女性を抱え、よろよろと羽ばたく図』が浮かんだ。
「そっか……お気持ちだけありがたく頂くね」
「なんだよ、落とさないって!」
ラスは膨れて、「なんなら、今ここで証明してやる!」と私を捕まえようとする。
「いや、無理無理、怖いって!」
大急ぎで身を翻し、玄関へと走った。
ベネッサさんは声を立てて笑いながら、追いかけっこのように出て行く私達を見送った。
敷地の外に出てどれだけも経たないうちに、私はラスの『転んで怪我するぞ』という警告の意味を知った。
ユーグさんの家までの道は、荒野の中の獣道だった。
道幅だけは広いものの、岩や石がごろごろしていて「かろうじて歩けないこともない」という程度に切り開かれているだけなのだ。これを道と呼ぶのは抵抗がある。
私は躓かないよう、必死に足元を見ながら歩いた。
明るい時間でこれほど歩きにくいのだから、夜には来られないな、と独り言ちる。
「ミカ、大丈夫か? やっぱり俺が運んだ方が――」
「大丈夫! 道も覚えたいし、ラスがいない時に困るから」
「覚えるって言ったって、ほとんど一本道だぞ。途中に大きなシレスの木があるんだけど、そこを右に行くだけ。分岐はそこしかない。ふうふう言ってるミカを見てられないよ、俺」
「そっか……。じゃあ、帰りはお願いするかも」
軽く息を切らせながら、返事をする。
抱えて飛ばれること自体に恐怖感はあったが、それよりラスに負担をかけるのが嫌だった。
だが、本人がここまで言ってくれるのなら、断る方が悪い気がする。
「父さんに次のジャンプで、ちゃんとした靴、買ってきてもらおうな。サンダルじゃ、外歩きには向かない」
ラスが痛そうに顔を顰めて、そう言う。
ひょいひょいと小石を避けながら軽やかに歩いていくラスとは違い、私はしょっちゅう躓いている。
借りたサンダルの爪先から覗いた指は、遠目にも赤くなっていた。
ジャンプ……。そういえば、最初に貰った飴も、「ジャンプ」で買ってきてもらったって言ってたっけ。
勝手に遠出の買い物のことだと解釈してたけど、本当のところはどうなんだろう。
ユーグの魔法にすっかり慣れた私は、脳内で「ジャンプ」とキーボードを叩き、検索してみた。
***
大跳躍――通称ジャンプ。
50日の晴れと30日の雨が交互に訪れるこの世界で、50日の晴れの間、渡り日と呼ばれる日に西の島から東の島へ翼を使って移動することを指す。
ミュシカは双方の民に与えられた権利だが、 涙ノ滝を超える為の手段が空からの移動に限られる為、サリム人が西の島へ渡ることは滅多にない。
二つの民が交流する場所は古代より定められており、定められた市場以外での物品の売買は固く禁じられている。
***
なるほど。
タリム人とサリム人の交流自体は、禁止されていないんだ。
主にタリム人が東の島を訪れることで、民族間の商売は成り立っている。
狩りで入手したあれこれを東の島で売る代わりに、向こうでしか売っていないものを買って帰ってくるらしい。
「東の島には、靴屋さんがあるの?」
近くの町には、布屋と薬屋、あとは飲み屋くらいしかないとベネッサさんは言っていた。
「靴屋だけじゃなくて、いろんな店があるらしい。俺も成人して三年経ったら、自分のチームが組めるんだ。そしたら、ジャンプにだって行ける。東の島がどんなところか、ミカに色々話してやれるな」
嬉しそうに話すラスが、何とも微笑ましい。
ダンさんに聞くのでは駄目なんだね、とちょっと思ったが、『自分で』というところがポイントなのかもしれない。
家を出て30分は歩いただろうか、ようやくユーグさんの家の前に辿り着く。
彼の家は、ダンさんの家に比べて随分小さかった。
平屋のログハウスというところは同じだが、ダンさんの家を「庭付き一戸建て」と表現するなら、ユーグさんの家は「掘っ立て小屋」という風情だ。
「――……ほんとに、ここ?」
「ああ。ほんとは家もいらないって言ってたらしいけど、父さんが『建てなきゃ家に連れてくぞ』って脅したらしい」
「そうなんだ……。あのさ。ユーグさんって、サリム人だよね?」
「んー」
ラスは少し考え、首を振った。
「これはユーグの『自由』に関わることだから、俺からは答えられない。ごめんな、ミカ」
タリム人が何より大切しているもの。
それは『自由』だ。
彼らは番以外からの束縛や詮索を酷く嫌う。そしてそれは、己への戒めともなっている。
タリムの民は、他者の自由を決して侵害しないのだ。
それらをすでに情報として知っていた私は、慌てて引き下がった。
「ううん、いいの。私の方こそ、ごめんね。つい、気になっちゃって――」
そこで、突然玄関扉が開いた。
飛び上がるほど驚いた私の前に、ユーグさんが姿を見せる。
「いつになったら入ってくるの。待ちくたびれたよ」
小声で話していたつもりなのに、どうやら彼には丸聞こえだったようだ。
私に色んな便宜を図ってくれた謝礼として、お肉のおすそ分けをするらしい。
道案内役は、ラスがかって出てくれた。
小川脇の洗濯場まではダンさんの縄張りなので、家の敷地外に出るのはこれが初めてということになる。
好奇心とほんの少しの不安が入り混じった気持ちで、ベネッサさんの前に立った。
「ユーグとはこれからも何かと付き合いがあるでしょうし、道を覚えるついでに行ってきてくれる? 届けて欲しいのは、これね」
ベネッサさんはテーブルの上から蔓で編まれたバスケットを取り上げ、私に渡した。
中には、植物の葉で丁寧に包まれたロースト肉とナンが入っている。
「分かりました」
両手にずしりとした重みを感じたのも一瞬、隣にいるラスがすぐにバスケットを取ってしまう。
「これくらい自分で持てるのに」
口ではそう言ったが、当たり前のように持ってくれることが実は嬉しかったりする。
ラスは私の小さな騎士だった。
「俺がミカを運ぶんなら籠はミカに持ってもらうけど、今日は歩きだろ? しっかり足元見てないと、転んで怪我するぞ」
「私を、運ぶ?」
意味が分からず問い返す。
ラスは背中の翼をひょこひょこ動かしてみせた。
「ミカくらいなら、今の俺でも余裕だよ。もう少しミカが元気になったら、行きたいところに連れていってやるから楽しみにしといて」
「もしかして、私を掴んで飛ぶってこと?」
「そう」
ラスは何の疑問も持っていないようだが、私の脳内には『小さな子が成人女性を抱え、よろよろと羽ばたく図』が浮かんだ。
「そっか……お気持ちだけありがたく頂くね」
「なんだよ、落とさないって!」
ラスは膨れて、「なんなら、今ここで証明してやる!」と私を捕まえようとする。
「いや、無理無理、怖いって!」
大急ぎで身を翻し、玄関へと走った。
ベネッサさんは声を立てて笑いながら、追いかけっこのように出て行く私達を見送った。
敷地の外に出てどれだけも経たないうちに、私はラスの『転んで怪我するぞ』という警告の意味を知った。
ユーグさんの家までの道は、荒野の中の獣道だった。
道幅だけは広いものの、岩や石がごろごろしていて「かろうじて歩けないこともない」という程度に切り開かれているだけなのだ。これを道と呼ぶのは抵抗がある。
私は躓かないよう、必死に足元を見ながら歩いた。
明るい時間でこれほど歩きにくいのだから、夜には来られないな、と独り言ちる。
「ミカ、大丈夫か? やっぱり俺が運んだ方が――」
「大丈夫! 道も覚えたいし、ラスがいない時に困るから」
「覚えるって言ったって、ほとんど一本道だぞ。途中に大きなシレスの木があるんだけど、そこを右に行くだけ。分岐はそこしかない。ふうふう言ってるミカを見てられないよ、俺」
「そっか……。じゃあ、帰りはお願いするかも」
軽く息を切らせながら、返事をする。
抱えて飛ばれること自体に恐怖感はあったが、それよりラスに負担をかけるのが嫌だった。
だが、本人がここまで言ってくれるのなら、断る方が悪い気がする。
「父さんに次のジャンプで、ちゃんとした靴、買ってきてもらおうな。サンダルじゃ、外歩きには向かない」
ラスが痛そうに顔を顰めて、そう言う。
ひょいひょいと小石を避けながら軽やかに歩いていくラスとは違い、私はしょっちゅう躓いている。
借りたサンダルの爪先から覗いた指は、遠目にも赤くなっていた。
ジャンプ……。そういえば、最初に貰った飴も、「ジャンプ」で買ってきてもらったって言ってたっけ。
勝手に遠出の買い物のことだと解釈してたけど、本当のところはどうなんだろう。
ユーグの魔法にすっかり慣れた私は、脳内で「ジャンプ」とキーボードを叩き、検索してみた。
***
大跳躍――通称ジャンプ。
50日の晴れと30日の雨が交互に訪れるこの世界で、50日の晴れの間、渡り日と呼ばれる日に西の島から東の島へ翼を使って移動することを指す。
ミュシカは双方の民に与えられた権利だが、 涙ノ滝を超える為の手段が空からの移動に限られる為、サリム人が西の島へ渡ることは滅多にない。
二つの民が交流する場所は古代より定められており、定められた市場以外での物品の売買は固く禁じられている。
***
なるほど。
タリム人とサリム人の交流自体は、禁止されていないんだ。
主にタリム人が東の島を訪れることで、民族間の商売は成り立っている。
狩りで入手したあれこれを東の島で売る代わりに、向こうでしか売っていないものを買って帰ってくるらしい。
「東の島には、靴屋さんがあるの?」
近くの町には、布屋と薬屋、あとは飲み屋くらいしかないとベネッサさんは言っていた。
「靴屋だけじゃなくて、いろんな店があるらしい。俺も成人して三年経ったら、自分のチームが組めるんだ。そしたら、ジャンプにだって行ける。東の島がどんなところか、ミカに色々話してやれるな」
嬉しそうに話すラスが、何とも微笑ましい。
ダンさんに聞くのでは駄目なんだね、とちょっと思ったが、『自分で』というところがポイントなのかもしれない。
家を出て30分は歩いただろうか、ようやくユーグさんの家の前に辿り着く。
彼の家は、ダンさんの家に比べて随分小さかった。
平屋のログハウスというところは同じだが、ダンさんの家を「庭付き一戸建て」と表現するなら、ユーグさんの家は「掘っ立て小屋」という風情だ。
「――……ほんとに、ここ?」
「ああ。ほんとは家もいらないって言ってたらしいけど、父さんが『建てなきゃ家に連れてくぞ』って脅したらしい」
「そうなんだ……。あのさ。ユーグさんって、サリム人だよね?」
「んー」
ラスは少し考え、首を振った。
「これはユーグの『自由』に関わることだから、俺からは答えられない。ごめんな、ミカ」
タリム人が何より大切しているもの。
それは『自由』だ。
彼らは番以外からの束縛や詮索を酷く嫌う。そしてそれは、己への戒めともなっている。
タリムの民は、他者の自由を決して侵害しないのだ。
それらをすでに情報として知っていた私は、慌てて引き下がった。
「ううん、いいの。私の方こそ、ごめんね。つい、気になっちゃって――」
そこで、突然玄関扉が開いた。
飛び上がるほど驚いた私の前に、ユーグさんが姿を見せる。
「いつになったら入ってくるの。待ちくたびれたよ」
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