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14_被害者と加害者
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■高崎美鈴について
翌日からの高崎の進撃はすごかった。
周囲にいた女子達を『東京から引っ越してきた』というブランドで惹きつけ、仲良くなった。
そして、一緒に昼食をとる『飯友』を確保しつつ、クラスの情報を引き出し、クラスの『カースト』を徐々に正確に把握して行った。
『男子情報』と『女子情報』を集約すると、このクラスには仲のいいグループはあっても、明確なカーストがないことも分かってきた。
ただ、一人だけ神格化されているような子がいた。
それが、十連地紗弓。
つい最近まで誰とも交わらず、かかわらず、一人でいた。
中間テストでは、全教科100点の偉業をなした。
至高にして、孤高にして、崇高。
ところが、期末テストを機に天井から下界に降臨し、みんなの成績を爆上げさせる新しい奇跡をやって見せた。
そういう噂だった。
高崎は考えていた。
そんな冗談みたいなことが本当に可能なのか、と。
クラスの平均点を20点も上げさせるなんて、凄腕の予備校講師でも難しいだろう。
席に着いたまま一歩も動かない彼女にそれが可能なのか……
■十連地紗弓について
紗弓は、明らかに表情が硬くなり、クラスメイトとの会話が減った。
時々、高崎が話しかけに来るが、表情を強張らせて会話らしい会話にはなっていなかった。
時々、高崎がチラチラ見てくるのに気づいているが、監視されているようで益々身動きが取れなくなってきていた。
トラウマとはそのようなもの。
理屈ではないのだ。
■クラスメイトの反応
ここに来て、クラスメイト達も何となく高崎と紗弓の仲が良くないことを察してくる。
昔からの知り合いと分かっているので、なんとなく『過去に何かあった』と思い始めていた。
ただ、それを口に出して言葉にできる人はいなかった。
クラスという組織の中で生きていくには『空気を読む力(エアー・リーディング・アビリティ)』は重要なのだ。
クラス中に微妙な空気が充満していた。
数日間膠着状態が続いた。
たまに高崎が紗弓に話しかけたが、箱崎唯がブロックする流れこそあれ、大きな変化なく水実が過ぎたのだ。
紗弓は全く動けないでいた。
そもそも自分のトラウマを何とか出来る人間がどれだけいるだろうか。
どうしようもないからトラウマなのだ。
ある日、紗弓は更に自分の立ち位置が一段階悪い方向に進んでいることを知る場面に出くわした。
高崎と箱崎唯が一緒に帰っているのを目撃してしまったのだ。
それも、二人が笑いながら帰って行っていた。
■富成視点
「また負けました」
いつもの様に、俺の部屋でゲームをしている紗弓。
一見、いつもと同じようで、やっぱり元気がない。
「紗弓…」
「なんですか?」
「…いや、なんでもない」
会話もイマイチ弾まない。
「紗弓、あと何日かで夏休みだ。休みになったら、またどこかに行こうな」
「はい…」
スマホの画面を見つめているようで、どこも見ていないような視線。
普通だったらがっつり食いついてくるような話題にもほとんど反応がない。
「先生…」
「どうした?」
「先生は、なにがあっても私の味方でいてくださいね…」
「ああ、もちろん」
■■■■■
この日、更に紗弓は信じられないものを目撃してしまう。
生徒指導室から高崎が出てきたのだ。
それも、先生と二人で。
それだけならば、過去に自分も何度か生徒指導室に行ったことがあるので何ともない。
紗弓にとってショックだったのは、その二人が笑顔だったこと。
その光景を見た紗弓は眩暈がした。
「富成先生はいい先生なのですね。私は良いクラスに当たりました」
「いや、そんなことはないけど…クラスはいいやつらばかりだよ」
先生と高崎の会話が漏れ聞こえてきた。
「富成先生は信頼できる先生です」
「バカ、褒めたって何も出ないぞ?」
そんな話をしながら廊下の向こうに消えて行った。
■富成視点
いつもの様に家に帰ると、部屋の電気は消えていた。
どうやら紗弓は今日も俺の部屋(へや)にきていないらしい。
鍵を開けて部屋に入る。
電気のスイッチに手をやりONする。
長く住み慣れた部屋(いえ)だから、真っ暗なのに、スイッチの場所はわかる。
(パチリ)「びっくりしたぁ!」
部屋の電気がついた瞬間、畳に膝を抱えて座る紗弓がいることに気づいた。
紗弓は寝ているのか、落ち込んでいるのか、頭(こうべ)を垂れたまま動かない。
「紗弓!」
「せんせぇ…」
紗弓は既に泣いていた。
「紗弓、お前小学校の時……」
そこまで言ったところで、紗弓はビクッとして立ち上がり、逃げようとした。
慌てて腕を掴んで捕まえる。
「!」
逃げる紗弓をとっさに抱きしめる。
「紗弓!聞いてくれ!」
「せんせぇ……」
いつもと違って、弱々しい声。
「俺は知ってるんだ。お前が小学校の時にいじめられていたのを」
「え!?」
「そして、高崎が当時のクラスメイトだってことも聞いた。お前が最近元気ないのもそこに関係しているんだろ!?」
「…」
「いいんだよ。恥ずかしいことじゃない!お前が悪いわけじゃないだろ!」
「いじめられていた人は理由があっていじめられてたかもしれないです」
「そんな理屈があってたまるか」
「でも……」
「いじめなんて、いじめてるやつが悪いに決まってる。ただ、子供は未熟だから、いじめの加害者にも被害者にもなるんだ」
「先生、私……高崎さんが怖いです」
「そうだな。よく言えたな」
紗弓を抱きしめたまま、褒めてやった。
傍から見たらなんでもなさそうなこういった一言が言えないのがいじめ。
それでも、当時から既に10年弱経っている。
もうそろそろ心も解放されていいはずだ。
「実はな、箱崎さんにアイデアがあるらしいんだけど……」
「箱崎さん?」
「ああ、ダメ元で乗っかってみないか?」
「……」
「挑戦してダメだったら俺も一緒に考えるし、最悪一緒に逃げてやるから!」
「……本当ですか?」
「ああ、本当だ」
「一緒にキリバス共和国で暮らしてくれますか?」
「キリバス共和国がどこかは知らんが、一緒に行く」
「……分かりました」
(コンコン)部屋のドアをノックする音が聞こえた。
紗弓が俺の顔を見た。
「多分、箱崎さんだ。お前を迎えに来たんだと思う」
「私を?」
紗弓の問いに答えずにドアを開けに行く。
(ガチャ)「いらっしゃい」
「こんばんは、せーんせっ」
予想通り、箱崎唯がそこに立っていた。
「こんばんは!紗弓ちゃん!」
「箱崎…さん」
「はい、銭湯に行きましょう!」
「え!?」
「近所にちょっといい、スーパー銭湯があります!お金は富成先生が出してくれます!」
紗弓がこちらを見た。
事前に聞いていたので、頷いてみせる。
近くだけど、紗弓と箱崎さんを車に乗せてスーパー銭湯に行く。
スーパー銭湯に行っても、男女が同じ湯船に入れるわけはない。
俺は一人で風呂に入っていた。
俺はここで何をしているのだろう……
□紗弓視点
スーパー銭湯では、タオルなども全てかしてもらえるようになっていた。
替えの下着だけは準備してきたので、お風呂に入るのには全く問題ない。
チケットは事前に買ってもらっていたし、ロッカー用のお金も先生にもらっていた。
何故私は、今、スーパー銭湯にきているのか?
「一緒にお風呂に入るの初めてですね」
箱崎さんが嬉しそうに言う。
私は意図を計りかねていた。
脱衣所で服を脱ぎ、ロッカーの中に仕舞う。
浴室に入り、髪を洗い、身体を洗って、湯船に入る……
これに何の意味があるのか。
「紗弓ちゃん、スタイルいいですね」
そこに箱崎さんも髪と身体を洗い終えで湯船に入ってきた。
無駄な肉もない上に、胸が大きい箱崎さんにそんなことを言われても全然褒められている気がしなかった。
「肌もきれいですし、何かやっているんですか?」
「いえ……特には……」
「なんにせよ、紗弓ちゃんと一緒にお風呂に入れて幸せです」
「…あの、そろそろ……」
「あ、そうですね。では、高崎さん!」
そう呼ぶと、どこからか裸の高崎さんが現れ、同様に湯船に浸かった。
「あ、あ……」
言葉が出なかった。
先に、話しかけてきたのは高崎さんだった。
「その……昔のこと、ごめんなさい」
「え?」
「小学生の時、クラスの子たちと一緒に十連地さんに話しかけなかったわ」
「……」
「そうなってしまった切っ掛けとなった何人かに私も入っていたわ…そこも、ごめんなさい」
「……」
「羨ましかったの」
「え?」
「もう名前も覚えていないけど、当時人気のクラスメイトの男子にモテてたし、嫉妬だったと思う……」
高崎さんは少し暗い表情をした。
「ずっと気になってた。転校した後も……だから、また同じ学校で、同じクラスっていうのに運命を感じたわ」
高崎さんはまっすぐにこちらを見ていた。
「あのクラスは人間関係が既に出来上がっていて、十連地さんはとても特別な存在よ。私があの輪の中に入ろうと思ったら、十連地さんに認めてもらわないと絶対にうまく行かないと思います」
「……」
「こうして裸で話し合うことで何ら隠すものもありません」
「過去を水に流すっていうのもあるかもしれませんね。お風呂だけに」
箱崎さんも会話に加わってきた。
そう言えば、お風呂ということもあって、いつもみたいに身体が冷たくなっていない。
「気持ちは分かるんですが…いきなり雪解けという訳には……」
「そうですよね…そこは…私も……」
なんだか、高崎さんの調子が悪くなってきたみたいだった。
「すいません、ちょっとあがって休憩していいですか?先にきてお風呂に入っていたので、ちょっとのぼせました……」
そう言うと、浴場に行き、頭から水を浴びていた。
その光景は、とても滑稽だった。
一人だけ早くスーパー銭湯にきて、一人湯船に入って、クラスメイトに過去のことについて詫びる。
そして、話が長くなってのぼせて、冷水を浴びる……
あんなに怖いと思っていた高崎さんが、裸で冷水を浴びている。
毎日あんなに痛かった胃がじんわり温かくて、少しだけ楽になって行った。
3分ほどしたら、高崎さんが湯船に戻ってきた。
「十連地さん!すぐにじゃなくていいの。少しずつでいいので、私ともお友達になってほしいの!」
私自身、少しずつのぼせてきていて、何にこだわってきていたかも曖昧になってきていた。
「私は何をしたらいいんですか?」
自然と口を開いていた。
「…教室でまた話しかけるから、少しでいいのでお話してほしいんです」
そうか、教室で話しかけられたのに、返さないということは、8年前に自分がされた『無視』と同じこと。
自分が嫌だと感じたことを、今度は高崎さんにし返している。
そんなのがいい訳がない。
あの時のあの思いを今度は自分が理由で他人に味あわせるのは絶対に嫌だ。
「分かりました。できるだけ話す様に努力します」
「私もお手伝いしますから!」
箱崎さんが援護射撃してくれた。
一時は寝返ったくらいに思っていたけれど、もしかしたら、高崎さんに過去の話を聞いてくれたのかもしれない。
よく考えたら、箱崎さんはいつも私の味方をしてくれている。
彼女が言うのならば、信じてみようか……
身体を拭いて、服を着て脱衣所を出て、休憩所に来た。
そこには、先生が待っていてくれた。
先生は立ち上がって、私を出迎えてくれた。
その顔を見た時、とにかく涙があふれてきて……
「お兄ちゃん!」
気付いたら抱き着いていた。
「こら、紗弓!お兄ちゃんって……」
そう言いながらも抱きしめて、背中を撫でてくれた。
「お兄ちゃん…私…頑張ったの。これでも…頑張ったの……」
「ああ、頑張ったと思う。そんなことできるヤツはそうそういない。がんばった」
少し離れた場所から、高崎さんの声で『え?富成先生?お兄ちゃんってどういう…』と聞こえたけれど、箱崎さんが『何か見えますか?私には何も見えませんけど?』と返したら、『あ、気のせいでした。私にも…何も見えませんでした』と収まったみたいだった。
抱き着いているから先生の顔は見えないけど、多分、困った顔をしている。
でも、とにかく涙が止まらなくて……しばらく抱き着いたままでいた。
翌日からの高崎の進撃はすごかった。
周囲にいた女子達を『東京から引っ越してきた』というブランドで惹きつけ、仲良くなった。
そして、一緒に昼食をとる『飯友』を確保しつつ、クラスの情報を引き出し、クラスの『カースト』を徐々に正確に把握して行った。
『男子情報』と『女子情報』を集約すると、このクラスには仲のいいグループはあっても、明確なカーストがないことも分かってきた。
ただ、一人だけ神格化されているような子がいた。
それが、十連地紗弓。
つい最近まで誰とも交わらず、かかわらず、一人でいた。
中間テストでは、全教科100点の偉業をなした。
至高にして、孤高にして、崇高。
ところが、期末テストを機に天井から下界に降臨し、みんなの成績を爆上げさせる新しい奇跡をやって見せた。
そういう噂だった。
高崎は考えていた。
そんな冗談みたいなことが本当に可能なのか、と。
クラスの平均点を20点も上げさせるなんて、凄腕の予備校講師でも難しいだろう。
席に着いたまま一歩も動かない彼女にそれが可能なのか……
■十連地紗弓について
紗弓は、明らかに表情が硬くなり、クラスメイトとの会話が減った。
時々、高崎が話しかけに来るが、表情を強張らせて会話らしい会話にはなっていなかった。
時々、高崎がチラチラ見てくるのに気づいているが、監視されているようで益々身動きが取れなくなってきていた。
トラウマとはそのようなもの。
理屈ではないのだ。
■クラスメイトの反応
ここに来て、クラスメイト達も何となく高崎と紗弓の仲が良くないことを察してくる。
昔からの知り合いと分かっているので、なんとなく『過去に何かあった』と思い始めていた。
ただ、それを口に出して言葉にできる人はいなかった。
クラスという組織の中で生きていくには『空気を読む力(エアー・リーディング・アビリティ)』は重要なのだ。
クラス中に微妙な空気が充満していた。
数日間膠着状態が続いた。
たまに高崎が紗弓に話しかけたが、箱崎唯がブロックする流れこそあれ、大きな変化なく水実が過ぎたのだ。
紗弓は全く動けないでいた。
そもそも自分のトラウマを何とか出来る人間がどれだけいるだろうか。
どうしようもないからトラウマなのだ。
ある日、紗弓は更に自分の立ち位置が一段階悪い方向に進んでいることを知る場面に出くわした。
高崎と箱崎唯が一緒に帰っているのを目撃してしまったのだ。
それも、二人が笑いながら帰って行っていた。
■富成視点
「また負けました」
いつもの様に、俺の部屋でゲームをしている紗弓。
一見、いつもと同じようで、やっぱり元気がない。
「紗弓…」
「なんですか?」
「…いや、なんでもない」
会話もイマイチ弾まない。
「紗弓、あと何日かで夏休みだ。休みになったら、またどこかに行こうな」
「はい…」
スマホの画面を見つめているようで、どこも見ていないような視線。
普通だったらがっつり食いついてくるような話題にもほとんど反応がない。
「先生…」
「どうした?」
「先生は、なにがあっても私の味方でいてくださいね…」
「ああ、もちろん」
■■■■■
この日、更に紗弓は信じられないものを目撃してしまう。
生徒指導室から高崎が出てきたのだ。
それも、先生と二人で。
それだけならば、過去に自分も何度か生徒指導室に行ったことがあるので何ともない。
紗弓にとってショックだったのは、その二人が笑顔だったこと。
その光景を見た紗弓は眩暈がした。
「富成先生はいい先生なのですね。私は良いクラスに当たりました」
「いや、そんなことはないけど…クラスはいいやつらばかりだよ」
先生と高崎の会話が漏れ聞こえてきた。
「富成先生は信頼できる先生です」
「バカ、褒めたって何も出ないぞ?」
そんな話をしながら廊下の向こうに消えて行った。
■富成視点
いつもの様に家に帰ると、部屋の電気は消えていた。
どうやら紗弓は今日も俺の部屋(へや)にきていないらしい。
鍵を開けて部屋に入る。
電気のスイッチに手をやりONする。
長く住み慣れた部屋(いえ)だから、真っ暗なのに、スイッチの場所はわかる。
(パチリ)「びっくりしたぁ!」
部屋の電気がついた瞬間、畳に膝を抱えて座る紗弓がいることに気づいた。
紗弓は寝ているのか、落ち込んでいるのか、頭(こうべ)を垂れたまま動かない。
「紗弓!」
「せんせぇ…」
紗弓は既に泣いていた。
「紗弓、お前小学校の時……」
そこまで言ったところで、紗弓はビクッとして立ち上がり、逃げようとした。
慌てて腕を掴んで捕まえる。
「!」
逃げる紗弓をとっさに抱きしめる。
「紗弓!聞いてくれ!」
「せんせぇ……」
いつもと違って、弱々しい声。
「俺は知ってるんだ。お前が小学校の時にいじめられていたのを」
「え!?」
「そして、高崎が当時のクラスメイトだってことも聞いた。お前が最近元気ないのもそこに関係しているんだろ!?」
「…」
「いいんだよ。恥ずかしいことじゃない!お前が悪いわけじゃないだろ!」
「いじめられていた人は理由があっていじめられてたかもしれないです」
「そんな理屈があってたまるか」
「でも……」
「いじめなんて、いじめてるやつが悪いに決まってる。ただ、子供は未熟だから、いじめの加害者にも被害者にもなるんだ」
「先生、私……高崎さんが怖いです」
「そうだな。よく言えたな」
紗弓を抱きしめたまま、褒めてやった。
傍から見たらなんでもなさそうなこういった一言が言えないのがいじめ。
それでも、当時から既に10年弱経っている。
もうそろそろ心も解放されていいはずだ。
「実はな、箱崎さんにアイデアがあるらしいんだけど……」
「箱崎さん?」
「ああ、ダメ元で乗っかってみないか?」
「……」
「挑戦してダメだったら俺も一緒に考えるし、最悪一緒に逃げてやるから!」
「……本当ですか?」
「ああ、本当だ」
「一緒にキリバス共和国で暮らしてくれますか?」
「キリバス共和国がどこかは知らんが、一緒に行く」
「……分かりました」
(コンコン)部屋のドアをノックする音が聞こえた。
紗弓が俺の顔を見た。
「多分、箱崎さんだ。お前を迎えに来たんだと思う」
「私を?」
紗弓の問いに答えずにドアを開けに行く。
(ガチャ)「いらっしゃい」
「こんばんは、せーんせっ」
予想通り、箱崎唯がそこに立っていた。
「こんばんは!紗弓ちゃん!」
「箱崎…さん」
「はい、銭湯に行きましょう!」
「え!?」
「近所にちょっといい、スーパー銭湯があります!お金は富成先生が出してくれます!」
紗弓がこちらを見た。
事前に聞いていたので、頷いてみせる。
近くだけど、紗弓と箱崎さんを車に乗せてスーパー銭湯に行く。
スーパー銭湯に行っても、男女が同じ湯船に入れるわけはない。
俺は一人で風呂に入っていた。
俺はここで何をしているのだろう……
□紗弓視点
スーパー銭湯では、タオルなども全てかしてもらえるようになっていた。
替えの下着だけは準備してきたので、お風呂に入るのには全く問題ない。
チケットは事前に買ってもらっていたし、ロッカー用のお金も先生にもらっていた。
何故私は、今、スーパー銭湯にきているのか?
「一緒にお風呂に入るの初めてですね」
箱崎さんが嬉しそうに言う。
私は意図を計りかねていた。
脱衣所で服を脱ぎ、ロッカーの中に仕舞う。
浴室に入り、髪を洗い、身体を洗って、湯船に入る……
これに何の意味があるのか。
「紗弓ちゃん、スタイルいいですね」
そこに箱崎さんも髪と身体を洗い終えで湯船に入ってきた。
無駄な肉もない上に、胸が大きい箱崎さんにそんなことを言われても全然褒められている気がしなかった。
「肌もきれいですし、何かやっているんですか?」
「いえ……特には……」
「なんにせよ、紗弓ちゃんと一緒にお風呂に入れて幸せです」
「…あの、そろそろ……」
「あ、そうですね。では、高崎さん!」
そう呼ぶと、どこからか裸の高崎さんが現れ、同様に湯船に浸かった。
「あ、あ……」
言葉が出なかった。
先に、話しかけてきたのは高崎さんだった。
「その……昔のこと、ごめんなさい」
「え?」
「小学生の時、クラスの子たちと一緒に十連地さんに話しかけなかったわ」
「……」
「そうなってしまった切っ掛けとなった何人かに私も入っていたわ…そこも、ごめんなさい」
「……」
「羨ましかったの」
「え?」
「もう名前も覚えていないけど、当時人気のクラスメイトの男子にモテてたし、嫉妬だったと思う……」
高崎さんは少し暗い表情をした。
「ずっと気になってた。転校した後も……だから、また同じ学校で、同じクラスっていうのに運命を感じたわ」
高崎さんはまっすぐにこちらを見ていた。
「あのクラスは人間関係が既に出来上がっていて、十連地さんはとても特別な存在よ。私があの輪の中に入ろうと思ったら、十連地さんに認めてもらわないと絶対にうまく行かないと思います」
「……」
「こうして裸で話し合うことで何ら隠すものもありません」
「過去を水に流すっていうのもあるかもしれませんね。お風呂だけに」
箱崎さんも会話に加わってきた。
そう言えば、お風呂ということもあって、いつもみたいに身体が冷たくなっていない。
「気持ちは分かるんですが…いきなり雪解けという訳には……」
「そうですよね…そこは…私も……」
なんだか、高崎さんの調子が悪くなってきたみたいだった。
「すいません、ちょっとあがって休憩していいですか?先にきてお風呂に入っていたので、ちょっとのぼせました……」
そう言うと、浴場に行き、頭から水を浴びていた。
その光景は、とても滑稽だった。
一人だけ早くスーパー銭湯にきて、一人湯船に入って、クラスメイトに過去のことについて詫びる。
そして、話が長くなってのぼせて、冷水を浴びる……
あんなに怖いと思っていた高崎さんが、裸で冷水を浴びている。
毎日あんなに痛かった胃がじんわり温かくて、少しだけ楽になって行った。
3分ほどしたら、高崎さんが湯船に戻ってきた。
「十連地さん!すぐにじゃなくていいの。少しずつでいいので、私ともお友達になってほしいの!」
私自身、少しずつのぼせてきていて、何にこだわってきていたかも曖昧になってきていた。
「私は何をしたらいいんですか?」
自然と口を開いていた。
「…教室でまた話しかけるから、少しでいいのでお話してほしいんです」
そうか、教室で話しかけられたのに、返さないということは、8年前に自分がされた『無視』と同じこと。
自分が嫌だと感じたことを、今度は高崎さんにし返している。
そんなのがいい訳がない。
あの時のあの思いを今度は自分が理由で他人に味あわせるのは絶対に嫌だ。
「分かりました。できるだけ話す様に努力します」
「私もお手伝いしますから!」
箱崎さんが援護射撃してくれた。
一時は寝返ったくらいに思っていたけれど、もしかしたら、高崎さんに過去の話を聞いてくれたのかもしれない。
よく考えたら、箱崎さんはいつも私の味方をしてくれている。
彼女が言うのならば、信じてみようか……
身体を拭いて、服を着て脱衣所を出て、休憩所に来た。
そこには、先生が待っていてくれた。
先生は立ち上がって、私を出迎えてくれた。
その顔を見た時、とにかく涙があふれてきて……
「お兄ちゃん!」
気付いたら抱き着いていた。
「こら、紗弓!お兄ちゃんって……」
そう言いながらも抱きしめて、背中を撫でてくれた。
「お兄ちゃん…私…頑張ったの。これでも…頑張ったの……」
「ああ、頑張ったと思う。そんなことできるヤツはそうそういない。がんばった」
少し離れた場所から、高崎さんの声で『え?富成先生?お兄ちゃんってどういう…』と聞こえたけれど、箱崎さんが『何か見えますか?私には何も見えませんけど?』と返したら、『あ、気のせいでした。私にも…何も見えませんでした』と収まったみたいだった。
抱き着いているから先生の顔は見えないけど、多分、困った顔をしている。
でも、とにかく涙が止まらなくて……しばらく抱き着いたままでいた。
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