こい唄

あさの

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波風

8.

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「あら…、昭仁様」

寺に現れた訪問者を見て、一子は瞳を瞬いた。
境内を掃いていた箒の手を止め、小走りで駆け寄る。白いスカートが風を孕んで、ふわりと翻る。

「こんにちは。今日はお一人なんですね。朔良さんは、今日はお稽古事で忙しいのかしら」

辺りを軽く見渡して、一子が小首を傾げる。

「朔良は…」

訪問者たる昭仁は、気鬱な陰が差した瞳を隠すように、笑いかけてくる一子からさりげなく目を逸らした。一子が不思議そうな顔をした。

「昭仁様、どうかなさったんですか?」

昭仁はそれきり口を閉ざした。一子の声にも答えない。

「そういえば、今日は檀家の方から可愛らしい和菓子をいただいたんです」

今ちょうど思い出したというように、一子が昭仁に笑いかけた。

「ご一緒にどうですか。お茶をいれますね」

寺の方丈を示し、案内しようと一子が踵を返しかける。

その彼女の手を、昭仁は咄嗟に掴んでいた。一子が手にしていた箒が、手から滑り落ちる。箒が石畳に叩き付けられる音が響いたが、昭仁も一子も、もはや気にしてはいなかった。

「…あなたは、一子さんは…」

振り返った一子に、昭仁は問い掛けていた。

「朔良の何を知っているんですか?」

一子は昭仁の言葉を予想していたのかもしれない。
一子が返しかけた踵を昭仁に向ける。そうして、彼女は手首を握る昭仁の手に、自らの手を重ねた。

「それは昭仁様、どうか朔良さん本人に聞いてあげてください」

優しい一子の笑み。いつも彼女が湛えているそれが、今はどうしてか切なく見えた。
力を失い手首から外れそうになった昭仁の手を、今度は一子が掴む。何も言えずにいる昭仁に、一子は強い眼差しで言った。

「わたしではできない。きっと、あなたにしか出来ないことだから」

一子の柔らかな手に、力が篭った。
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