託宣が下りました。

瑞原チヒロ

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本編

恐くなどありませんから。―1

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 王都で星の託宣が下った。魔王の再降臨という内容の――。

「どういうことですかお父様!?」
 わたくしは父に詰め寄りました。けれど父も力なく首を振るのみです。
「詳しくは分からん。ただ……」
「え?」
「今回の託宣を下したのは、シェーラ・ブルックリンだそうだ」
「!?」



 魔物討伐の後処理のために騎士が帰っていき、父母は王都の情報を求めてにわかに忙しくなり。
 夕刻、わたくしは一人で使用人たちとともに家に残っていました。
 せめて勉強に取りかかろうとしたのに、何を読んでも頭の中を通り抜けていってしまいます。やがて色々諦めたわたくしは、居間でソファに腰かけ、お茶を飲んで物思いにふけっていました。
 ソラさんは二階の客室で眠っています。彼女の回復だけが、今のわたくしを元気づける要素です。
 しっかりしたい。けれど何が起こっているのかさっぱり分からない状況では、まるで立つべき地面がぶにょぶにょに軟化しているかのようで、どうしていいか分かりません。何を考えたらよいかさえ分からず、ため息ばかりが深くなります。
 と。ふと使用人がやってくると、来客を告げました。
(来客……?)
 使用人が連れてきたのは、顔を青くした少年――。
「お姉さん! 大丈夫ですか!?」
「カイ様……」
 わたくしの顔を見るなり駆け寄ってきてくれたカイ様に、わたくしは何とか微笑んでみせました。
「わたくしのことなんか気にしないでください。カイ様こそ、洞窟ダンジョン攻略大変だったでしょう」
「こんなときに無理をしなくていいんですよ、アルテナ」
 もう一人、居間に入ってきた人物。勇者アレス様です。どうやらカイ様と連れだってわたくしの様子を見に来てくれたよう。
 二人とも魔物討伐の後始末で忙しいでしょうに。心遣いが身にしみます。
 話は聞きました、とアレス様は言いました。
「星の託宣がくだったそうですね。それもシェーラさんによる」
「そう……みたいです」
 そんなあいまいな返事しかできないのが寂しい。実はサンミリオンに着いてすぐシェーラには手紙を送っているのですが、返事がまだ来ていないのです。
 だからシェーラの今の状況を、わたくしは知りません。
 まして、星の巫女に抜擢されていただなんて。
(逆に考えれば、抜擢されていたから忙しくて返事を書けなかったのかもしれないけれど……)
 いいえ、シェーラのことです。もしもそんなことがあれば、ほんの短い手紙ででもすぐさまわたくしに教えてくれたはずです。
 だからわたくしは不安なのです。今回の託宣は、何かがおかしいような――。


 わたくしはアレス様たちに、ソファにかけるよう勧めました。洞窟ダンジョン攻略から帰ってきたばかりの二人に立ち話をさせるなど論外です。
 使用人が入ってくると、アレス様とカイ様にお茶を出していきました。しかし二人とも飲む気になれないようで、なかなか手をつけません。
「魔王の復活か。それとも別の魔王なのか」
 アレス様は腕を組みうなりました。「半年以内……か。早いな」
 わたくしは彼の心情を思い、やるせない気持ちになりました。
 苦労して魔王を倒してまだ一年。
 ……さらに次の魔王の話題なんて、聞きたくもなかったでしょうに。
 沈黙が、部屋に満ちました。
 しんと静まりかえった居間の中央で、テーブルの紅茶から伸びる白い湯気だけが動いています。
 そんな中、沈黙を破ったのはアレス様。
「ただ、我々は星の神に見放されてはいないらしい。それだけは幸いだ」
「………」
 星の……神。
 我が国エバーストーンを守護する、無数の星々。
 他国では、神には名前があることがほとんどのようです。ですが我らが星の神には名がありません。というのも、ひとつの確立した存在ではないからです。
 しいて言えば、「あの無数の星ひとつひとつすべてが」神。
 わたくしたちは――修道女だけではなく一般人を含め――日頃、ことあるごとに星に祈ります。すべての星に祈る人もいれば、たったひとつの星を決め、それに向けて祈る者もいます。
 星によって、聞いてくれる願いが違うとも言われます。そのため本当ならば「星の神々」と呼ぶべきなのかもしれません。その辺りの解釈は人によります。修道院では今のところ「すべてを含めて星の神」と呼ぶことで落ち着いていますが、今後の成り行きしだいでは変化していくのかもしれません。
 星の託宣を下すのは――どれか決まった星ではないのです。
 逆に、星全体の声というわけでもありません。
 例えばわたくしが聞いた星の声と、シェーラが聞いた星の声は、同じものとは限らない。と言ってもたしかめるすべはありませんが、修道院では星の声はそういうものだと了解されてきました。
 そんな摩訶不思議な存在ですが、神託は違ったことがないのです。いつだって、我々エバーストーンの民のためになる託宣でした。
 その星の神が魔王の降臨を告げられた。降臨さえ分かっていれば、対処できるかもしれない――。
 この国はまだ神に見捨てられていない。わたくしは、そう信じたい。
「私たちも気合いを入れ直さなくてはならないな。カイ、少し修業に出ようか」
「そうですね……」
「修業?」
 わたくしは驚いて目の前の二人を見つめました。「修業って、どのような?」
「簡単に言えば魔物討伐の旅です。王都に戻らず、出っぱなしで戦います。魔物が凶暴化している地域に率先して出向く。短期間で力をつけるにはそれが一番ですから」
「王都に戻らず――」
 言葉を失いました。
 アレス様は簡単に言いますが、過酷なのは想像がつきます。
 いつも優しい二人がそんな渦中に身をなげうつだけでも胃が引き絞られるように痛むのに、まして――
 ……騎士も、当然一緒に行ってしまうのでしょうから。
 アレス様が、わたくしの顔色を案じたように微笑みました。
「大丈夫ですよアルテナ。私たちはそれに慣れていますから」
「………」
「その通り!」
 バタン! 突然ドアが派手な音を立てて開きました。
 ソファの上で飛び上がるほど驚いたわたくしの目に映ったのは、ずかずか入ってくる騎士ヴァイスの姿――。
 目が合うと、嬉しそうに笑う騎士。わたくしは顔をそむけました。恥ずかしすぎて顔を見られません。ああ本当に、先刻は何て破廉恥はれんちなことをしてしまったのでしょう。
 でも、なかったことにはもうできません。この気持ちを消せないのと同じで。
「……ヴァイス。もう少し静かに入ってこられないのか」
「こうしたほうが印象的な登場になるだろう?」
「心配するな誰もお前のことなんか印象に残したくない。で、用事は済んだのか?」
「おお。万事順調だぞ」
 そう言って、騎士は誰に許可を取るでもなくわたくしの隣にどっかと座りました。わたくしは心臓が飛び出るかと思いました。お尻の位置がむずむず落ち着かなくなって、途方に暮れてしまいます。
 そんなわたくしの気持ちなど気づくわけもなく、騎士は意気揚々と口を開きました。
「王都から出てきている情報屋から話を買ってきた。今王都はお祭り騒ぎだそうだ。シェーラ殿も担ぎ出されて、迷惑しているらしい」
「お祭り騒ぎ……? それじゃあまるで喜んでいるみたいじゃないか」
「あながち間違っとらん。祭りは今回の託宣を『よいもの』として喧伝している。特に王宮の監査室長エヴァレット卿が民衆を煽っているらしい。星の神への信仰心を失うな、そうすれば必ず魔王は倒される、とな」
「……それはそれは」
 アレス様が苦笑します。たしかに、民衆の信仰に関わらず魔王と戦うのは彼らのようなハンターなのですから、皮肉な気持ちにもなるでしょう。
「エヴァレット卿……ですか。修道院を取り締まる役目の宮廷監査室が、突然どうしたんでしょう」
 カイ様がぼそりとつぶやきました。彼は宮廷に詳しいはずですが、ここしばらく王都に帰っていないので、戸惑っているようです。
「心当たりはないのか? カイ」
「……心当たりと言っても……。たしかにエヴァレット卿は監査室長の立場でありながら、修道院とは非常に懇意にしています。星の神信仰についても肯定的です。彼自身が信じているかどうかは別ですが」
 でも、と彼は言葉を選ぶように慎重な声音で続けました。
「こんなときに突然星の神をあがめろ、なんて言い出す人ではありません。たぶん……違う力が動いたんじゃないでしょうか?」
「……王宮か?」
「たぶん」
「具体的に誰だ? ヴァイス、それは分からなかったのか?」
「今調べさせている」
 騎士はすっと目を細めました。こんな顔をすると、彼もずいぶんまともに見えます。
 み、見とれてなんていませんよ! 今は大切な話をしているんですから!
「まあどうせ王族の気まぐれだろう。あいつら気まぐれが服着て歩いているような連中だからな。それに」
「それに?」
「巫女の託宣を否定したことで反発もくらってる。それで落ちた王室の支持率を何とか持ち上げたいんじゃないか」
 え、とわたくしは騎士を見つめました。
「反発……? 反発などあったのですか?」
「そりゃあある。星の託宣は聖なるものだからな。どんな内容であっても絶対だ、それを星に守護されている王宮風情が却下するとは何事だと騒いだ一派もいるし、ひそかにそう思っている一般の連中もかなりいる」
 加えて、と騎士は急にわたくしを見て微笑みました。
「そのときの巫女が勤勉実直だという評判も流れていたからな。託宣を利用して自分をどうこうしようとする人間ではないと」
「―――!」
 わたくしは声を失いました。
 そんな。そんな風に言ってくれる人たちがいたなんて。
「お前、何でそんなことまで知ってるんだ」
 アレス様が呆れた声音で言いました。その隣のカイ様の態度を見ても、彼ら二人は知らなかったことのようです。
 しかし、騎士も呆れた様子でアレス様を見返しました。
「馬鹿だな。そんなもん実際に酒場で人間と付き合っていれば簡単に分かることだろう?」
「私たちはお前みたいに毎晩酒場に入り浸ってないんだよ」
 アレス様が脱力したように肩を落としました。
 騎士が毎晩酒場に入り浸り……。何だかものすごく想像がつく光景です。
 ついでにそこで大量の友人を作る騎士の姿も。
 騎士はアレス様の前にあった紅茶を奪い一気に飲み干しました。目をむくアレス様の前で、紅茶のカップを置き、おごそかに言います。
「とにかくだ。何が原因だろうと託宣は下った、魔王を倒す以外に道はない」
「それはそうだがお前、人の紅茶」
「細かいことは気にするな。でだ、巫女」
「人の紅茶!」
 アレス様の非難の声を完全無視して、騎士はもう一度わたくしのほうを向きました。
 わたくしはついソファの上で後ずさりました。
「な、なんですか」
「一緒に王都に帰らないか。
「…………は?」
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