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二十五『波乱の予感』

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 青々としていた稲穂がほんのりと黄色く色づき始める頃。
 まだまだ勢いの衰えない日差しの元、集落の人々が汗を流しながら各々の仕事に勤しんでいる。
 生命力溢れる眩しい光景に清高きよたかは目を細めた。

「りゅうじんさま!」
 小さな背をいっぱいに伸ばし、口の前に両手で筒を作って叫ぶおみなに、木槌を持った手を振って見せる。
おみなは喜んでぴょんぴょんと撥ねた。
「『きゅうけいにしましょう』って、おばあちゃんが!」
「ありがとう。すぐ下りるよ」
 最後に一本だけ残っていた釘を手早く打ちこんでしまってから、はしごを伝って屋根から下りる。

 そこにおみなの祖母が、茶と茶菓子を持って現れた。
「悪いですねぇ、こんなことまでしていただいて」
「全然。いつも世話になってるんだから、これくらい」
 近頃雨漏りがひどくて、と零す彼女に、清高が自ら屋根の修理を買って出たのだった。
「どうぞ、召し上がってくださいな」
 地面に敷かれた御座ござに座ると、祖母から盆を受け取ったおみなが湯呑とおはぎがのった皿を並べてくれる。
「りゅうじんさま、どうぞ」
「どうも。俺は龍神様じゃないけどな」

 未だにおみなは清高を「龍神様」と呼んでいる。
 いい加減訂正し続けるのも面倒になってきてはいるのだが、清高としてもそこは譲れない一点であった。

 いちいち行儀を指摘する人形もいないので、遠慮なく手で掴んだおはぎを頬張る。
「ん。うまい」
 久々に食べた素朴な甘味は、どこか懐かしい感じがした。

「こちらに包んだ分もありますから、よかったら持ち帰ってくださいな」
 そう言って、老婆がずっしりとした風呂敷包みを渡してくれる。
「……ありがとう」
 おそらく彼女は、清高が『誰か』と共に暮らしていることを知っている。
 振舞われた食事を、いつもこっそり残して持ち帰ることに罪悪感を覚えた清高に、いつからか彼女は最初から別に包んだ物を用意してくれるようになっていた。
 孫を助けた恩人だから、というだけでは済ませないほどの厚意に、感謝はいくらしてもし足りなく、何か恩返しをしたいと思っていたところに、先程の屋根の話題が上がったというわけだ。

「本当に、助かりました。このまま野分のわきの時季になったらどうしようかと、弱り果ててましたからねぇ。ご近所さんに頼もうにも、今はどこも畑仕事が忙しくって」
「ああ、そんな季節だもんな」

 山深いこの地域では稲刈りはまだ先のようだが、秋は実りの季節だ。
 後に訪れる厳しい冬を迎えるまでに、備えなければならないものは山ほどある。
 住まいの修繕もその一つ。

「他にも手伝えることがあったら言ってよ。俺でよければなんでもするからさ」
(来てよかったな)
 口に広がる甘みをしみじみと味わいながら思う。

 正直なところ、今日、この集落へ顔を出すことにも躊躇いがあった。
 もしも、また藤生ふじうと出くわしてしまったら。その可能性が拭えなかったからだ。
 もしそうなった時冷静でいられる自信は、あまりない。

 龍神にもいい顔はされなかった。
 ――しばらくは控えた方がいいのでは?
 そんな助言を振り切ってまで出てきたのは――やはり、ひとえに彼のためである。

 藤生の前から奪うようにして、清高を水底の館に連れ帰った後、龍神はなかなか元の調子を取り戻せないでいた。 
 余程負担が大きかったのだろう。日課の見回り以外の時間は横になってばかりいる彼を見ていたら、自分のために無理をさせてしまったという罪悪感が湧いてしまって仕方がない。

 雨の季節はすぐそこで、それは人々の暮らしだけでなく、龍神にとっても苦しい戦いになる。
 なんとかして早く元気になってもらわねば。そのためには、やはり人々の信仰を集めるのが一番だろう。
 自分でも馬鹿の一つ覚えだとは思うが、他に方法を知らないのだから仕方がない。

 そういうわけで、おっかなびっくり、ここまでやって来たのだった。

「よぉ、清の字。来てたのか」
良郎よしろう
 すきと大きな籠を担いだ良郎が通りかかり、焼けた顔に映える白い歯を見せてにかっと笑った。
「丁度よかった。おまえさんにわたすものがあるんだ」
「わたすもの?」
 良郎は寄って来ると、御座の上に籠を下ろし、中から土が付いたままの芋を取り出す。
「ほれ、今年は豊作だ。いくつか持ってきな。ばあちゃんも」
「あらまぁ、立派だこと」
「おっきいおいもさんだ!」
 とりわけ大きな一つを貰ったおみながはしゃぐ。
「ありがとう。今度、畑仕事の方、手伝いに行くよ」
「ああ、そいつは助かる。今はどこも人手不足で……ああ、あと、これ」

 良郎はついでのように懐から折りたたまれた紙を取り出し、清高に手わたした。
「祭の日に会った兄ちゃんから」
 なんでもない風に言われて、思わず受け取ったばかりの手紙を取り落としそうになる。

「藤生がここに来たのか!?」
「いや、用があってまた里まで下りた時に、たまたま会ったんだよ」

(たまたま、なわけないよな)
 多分、藤生は今も清高のことを探しているのだ。

「あいつ、何か言ってなかったか?」
「? いや? もしまたおまえさんと会うことがあったら、その手紙を渡してくれって頼まれただけだけど?」
「俺がこの集落に出入りしてることは話したか?」
「いいや。そんな話もしてない」

 良郎の態度は今までと変わりなく、藤生から清高の正体がばらされた、ということはないらしい。
 清高はやや緊張気味に握り締めていた手を解く。

 清高の身元が公になることは、清高のためにならない。
 そのことを藤生は理解しており、そして、彼は清高の身を危険に晒したりはしない。
 彼の言動は全て、清高のためを思ってのことなのだ。

 わかっているからこそ、清高の心中は複雑だった。

 日が傾く頃になると、日差しの眩しさは一層凶暴になってくるが、一方で暑さが和らいでくる。
 風に混じる秋の匂いに、清高はどことなく落ち着かない気分になった。



『清高様

 先日は大変な失礼を致しました。貴方様の身を案じ、その無事を喜ぶあまりの失態であるとして、どうかお許しください。
 私は今でも貴方様をお慕い申し上げております。そして、貴方様の幸せを心より願っております。
 真庭まにわの元に身を寄せる意志がおありでしたら、いつでもお迎えに上がります。
 私が全力を尽くして貴方様をお守りすると、お約束致します。
 もし、そうでないとしても、どうか、月夜野つきよのに戻ることだけはお控えください。
 今はたしかに安全を確保できる場所に身を隠し、世事に関わらぬようお過ごしくださいますよう。

 まもなく、真庭と月夜野の戦が始まります。

 藤生』
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