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九『雨夜の宴』①
しおりを挟む危うくあの世に迷い込みそうになった一件以来、一人で館の敷地外には出ないよう、きつく言い渡されてしまった。
いかにも不服そうな顔をした清高に、
「……そんなに外に出たいのなら」
と、龍神は外出する時、同行を許してくれるようになった。
龍神は一体何のために出かけていたのか?
答えは何のことはない、ただの見回りだった。
竜臥淵から川下に向かって、瑞千川を辿って歩く。
途中、嵐で倒れた木が水流を堰き止めていればそれをどかし、崩れ落ちた岩を元の位置に戻してやる。
どこかから流されてきた布切れを拾い上げ、誰かが落とした釣竿を回収する。
そんな風に、川があるべき姿を保てるように少しだけ手を貸してやりながら水底を歩き、帰ってくる。
ただそれだけを毎日のように繰り返す。
「これが龍神様の仕事?」
「そうとも言える」
「案外地味なんだな」
「平穏であるなら、それに越したことはない」
「ふぅん」
そんな風に言われたら。そんなことを言う彼の側にいたら。
なんだか意気を削がれてしまう。
誰を騒がせるでもなく、ただ日々を粛々と過ごしているだけ。
そんな相手に一方的に襲いかかることは、武士道に反する気がして。
だから。
「帰ったらまた手合わせしてくれる?」
「……わかった」
一方的に襲いかかることを止め、正々堂々、彼と向かい合っていくことにした。
真剣勝負の末にどちらかが命を落とすのであれば、それは立派な決闘の結果だ。
武家の次男としても恥じるところはない。
預かった太刀の『狭霧』は清高が扱うにはやや大振りで、腰に下げると邪魔になるので、持ち歩く時にはいつも背負っている。
借り物ではあっても、きちんとした得物を身に付けているのといないのとでは、まるで背筋の伸び方が違う。
清高は新しい玩具を手に入れた子供のように意気揚々と、龍神の後について、帰り路を歩いた。
「おかえりなさいませ」
「ただいまー」
館に戻った二人を出迎えた菊里は、気楽に手を振る清高をきっと睨みつける。
彼女はまだ清高の躾を諦めておらず、『龍神の花嫁』たるもの、館の仕事をまったくせずにほっつき歩いているべきではない、と考えているようだ。
素知らぬふりで横を向き、龍神の腕を突く。
「勝負してくれるんだろ?」
「ああ」
菊里は咳払いのような音をたてて――人形である彼女に咳を払う必要があるとは思えないので、ふりだろう――二人の会話に割り込んだ。
「ご主人様。文が届いております」
そう言って、折り畳まれた紙を恭しく龍神に掲げる。
龍神の手前では説教しにくいのか、お小言は後回しと決めたらしい。
「文? 水底にも文が届くのか?」
清高は興味深々で、龍神が開いた文を横から覗き込む。
「……?」
達筆すぎて読めない。
文を読み終えた龍神の眉間の皺がいつも以上に深くなり、重い息が吐き出された。
「菊里。それに、清高も。突然ですまないが、今夜、客が来る。準備をしてくれ」
「客?」
「……少し、厄介な相手だ」
そう言った龍神は、苦い草でも噛んだような顔をしていた。
御簾を揺らす湿った風に外を見ると、細かい雨が音もなく降り始めていた。
「おーい、また結界が緩んでるぞ」
清高の呼びかけに、龍神がゆるゆると首を振る。
「来たようだ」
「え?」
ざっ、と一際強い風が吹いたかと思うと、御簾が大きく捲れ上がる。
気付くと、宵の庭に、薄闇の中でも艶やかに映える真っ赤な傘が咲いていた。
「お邪魔するよ」
傘の下から聞こえたのは、若い男の朗らかな声だった。
「やぁ、みずち」
(みずち?)
「雨月」
そう呼ばれた男は、とん、と軽く地面を蹴り、庭から一足で濡れ縁に跳び上がる。
雫を払った傘をその辺りに立てかけると、部屋の中へと入って来た。
灯りに照らされてよく顔が見えるようになった男は、龍神とはまた違った種類の美丈夫だ。
龍神のような近寄りがたさはなく、親しみやすい笑みを浮かべてはいるが――
人の匂いが、しなかった。
「急に訪ねて悪いね。久方ぶりだが、元気にしていたかい?」
「白々しい」
返す龍神の棘のある物言いが意外で、清高は驚いて彼を見た。
(普段、俺があんなに無礼な態度を取っても、何も言わないのに)
館の主人が歓迎していない相手にどう接すればよいのか、最低限挨拶だけはしておくべきか迷っていると、向こうも気づいたようだ。
清高に向き直り、にっこりと笑いかける。
「やぁ。君が噂の花嫁だね」
「……は?」
噂の?
聞き捨てならない言葉に、清高が目をぱちくりとさせていると、
「これ、雨月よ。一人で話しておらんで、我らにも場所を空けい」
「そうよ。そのためにわざわざ来たのだから」
山伏のような格好としたがたいのいい男と、頭上で髪を結い扇で口元を覆った若い女の二人組が、やいやい言いながら現れた。
二人は二人とも遠慮なく館に上がりこんでくるや否や、
「ほうほう」
だとか、
「ふーん」
だとか言いながら、上から下まで舐めるように清高を見回した。
「堅物の龍の奴が一体どんな色仕掛けに落ちたのかと思ったら、なかなか純情そうなお姫様じゃないか」
「本当に。龍ったら、こういう子が趣味だったのね」
「……はい?」
龍神が片手でこめかみを押さえる横で。
清高は全身の血が頭に上りきったかのように、真っ赤になった。
「……俺はっ、男だぁぁぁーーーっ!」
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