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2章
ながれるなみだ
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一晩泣いた目はいくら冷やしても腫れは引かなかった。自分の顔ながら、鏡を見てみすぼらしいと思った。
どんなに酷く腫れた目で登校しようが、私を心配する人はいない。それをわかっているので、ため息を吐いて気持ちをリセットさせた。
同じ制服で楽しそうにお喋りをしながら登校する群れから離れて、私は1人で登校していた。
昨日は話し合いの後、父と母は気にしてくれたりはしない。長男の嫁、主導権を握っている叔母に頭が上がらないのだ。今朝も若干の気まずさを残したまま、家を出てきた。
卒業後もこの町を出られない。絶望感に覆われ、気持ちが沈んでいても、現実はやってくる。
教室までたどり着くと、廊下には、教室から放り出された机と椅子がポツンと置き去りにされている。それは私のモノだ。「鬼の子辞めろ」「鬼の子消えろ」中傷がマジックで落書きされている。
今日はやけに胸の奥がずきッと痛む。心はマヒしたと思っていても、傷口は増えていく。古傷も癒えないまま、新しい生傷が心に増えていく。
気にしちゃだめ。ただの落書き。こんなの平気。
そう何度も呪文のように唱えて、自分を奮い立たせる。そうでもしないと足から崩れ落ちてしまう。「ふう」と息を吐き、少し気合いを入れてみる。いつも通り教室に運び込もうと机に手をかけた。
それと同時に、ふわっと花束のような香りが鼻に残る。背後から声が届く。
「ひっでぇな、これ」
「綱くん……」
中傷を落書きされた机を見下ろして、ため息と言葉を零す。虐められている事が綱くんにバレたことが、恥ずかしくて、この場から逃げたい衝動に駆られる。昨日のクラスの様子から勘付いていただろうけど、クラスに虐められていることを、こんな形で綱くんに知られたくなかった。顔が見られずに俯いてしまう。
「これ、消えるのか?」
「……」
小さく頭を振り、難しい事を伝える。
「そっか……」
「……」
「花純、昨日何かあった?」
「え、な、なにもないよ?」
俯いている私の顔を覗き込み、綺麗な瞳でじーっと顔を見つめてくる。目を合わせて数秒で限界が来て、ふいっと視線を逸らす。逸らしても高鳴る鼓動は収まってはくれない。
「ならいいけど。目冷やせよ?」
きっと泣いてたことがばれている。いや、絶対にバレている。触れてほしくない私の気持ちを汲んでくれたのだろう。それ以上は追及されなかった 廊下に放り出されている落書きされた机に視線を戻す。綱くんは、机に落書きされた部分を手でなぞり、怪訝そうな表情をしている。無言でしばらく私を見つめたあと、教室の入り口に向かって歩き出した。
「なあ! こんなダサいことやったの誰?」
教室を覗き込み言葉を投げかける。クラスの半数以上は集まっているだろうクラスメイトはみんな口を閉ざして誰も話さない。綱くんの問いかけに戸惑っているのが見て分かる。
犯人は分からない。ただ、このクラスの誰かがやったことで、私はクラス中から嫌われている。
それは変えることの出来ない事実だった。
「……犯人が名乗り出る訳ねーか」
「花純、クラス全員から虐められてんの?」
私に視線を戻して投げかけてきた。悪気なく聞いてきたのだろう、直接的な質問には、思わず顔が歪んでしまう。
「あー悪い。言い方悪かったな。俺、慰めるっていうのが苦手で……」
私が落ち込んでいるのを見て焦ったのか、頭をポリポリと掻きながら、なんだか困っているように見える。
「とりあえず、落書き消すか」
「い、いいよ。もう慣れてるし……」
「慣れるわけないだろ。何度やられても、辛いに決まってんだろ」
何を考えているのかポケットから取り出した高級そうなハンカチで落書きを擦こすり始めた。
「綱くん? な、なにしてんの? その高級そうなハンカチ汚れちゃうよ!」
「……」
「ダメだってば! ハンカチは雑巾じゃないのに」
私が静止しようと何度声をかけても、動かす手を止めようとしない。このままでは高級なハンカチが汚れてしまうと、焦りまくりな私は思わず彼の腕をグイッと掴んだ。ようやく動きを止めた綱くんと視線が重なる。
ハッとして、慌ててパッと手を離した。人に触れることに慣れていない肌は熱いままだ。
「ご、ごめん」
「花純は、謝りすぎ。そんな簡単に謝るなよ」
耳に残る低い声が降り注いだ。一瞬止まったはずの落書きを落とそうと奮闘する手は、また動き出した。消さなくていいと何度訴えても、消すのを辞めようとしない。お互いの攻防が始まる。
「こんなことしてなにが楽しいんだろうな」
「……私が悪いんだよ。鬼の子だから」
「花純は悪くない」
「でも……」
「何も悪くないから」
言い聞かせるように何度も『花純は悪くない』そう言ってくれた。その言葉はずっと言われたいと願っていた言葉だ。真っすぐに私の心の奥深くまで浸透していく。
「鬼の子が悪い」「鬼の子が生きてるのが悪い」
散々言われてきた言葉は心に呪縛のように絡みついていた。彼の言葉は、私が悪いという呪縛を溶かしてくれるようだった。
「……ありがとう。せめて、一緒に消させて?」
綱くんがゴシゴシと何度も、何度も、頑張ってくれたおかげで、見違えるように綺麗な机になった。完全に消えたとは言えないけれど、綺麗になった机と椅子。当たり前のように私の代わりに教室の中まで運んでくれた。
「もうこんな事すんなよ」と言わんばかりに、クラスメイトを鋭い目付きで睨みつける。
そんな、綱くんの威圧にたじろいだクラスメイトは、気まずいのか視線を私と合わせようとはしなかった。
「……よいしょっと」
綱くんは机と椅子を運び終えると、一つ前の自分の席に座った。何事もなかったかのように、机の上に肩肘をついて窓の外に視線を向けている。
私も自分の席に座り、久しぶりに暴言中傷の落書きが書かれていない机を手のひらでなぞった。そして、窓の外へ視線を向けてみる。窓から見える空は雲ひとつない青空が澄んでいた。今までと同じ時間、同じ場所から見る景色のはずなのに、全く違う景色のように澄んで見えた。
クラスメイトに注目されているような気がして気が引けしまい、綱くんにお礼を言いそびれてしまった。
その後も、何度もお礼を言おうとしたが、なかなか上手くいかない。
お礼を伝えたいのに――。緊張して声をかけられない……。
悶々とした気持ちのまま放課後を迎える。お礼を伝えたい。心ではそう思うのに、産まれて今まで自分から人に話かけたことがない。どのタイミングで声をかけようか、辺りをウロウロして挙動不審になってしまう。クラスの人だかりがいなくなったタイミングを見計らい、息を呑む。綱くんに決死の思いで声をかける。
「つ、つ、つ、つな、綱くん!」」
盛大に噛んだ上に、声は裏返っていた。恥ずかしさで顔に熱が集まる。
「どうした?」
「き、今日はありがとう。机の落書き消してくれて」
「あー、また落書きされたら消してやるよ」
「ありがとう。本当にありがとう」
何度言っても感謝が足りないくらい感謝している。気持ちを表すように腰を折って、頭を下げた。
「あー、だったら1つお願いあるんだけど」
「なに? 私にできることなら。購買でパン買ってきたり、自販機で飲み物買ってきたり、なんでもするよ?」
「……ははっ。そんなパシリみたいなこと頼まねーよ」
「え、なに?」
私にできることは限られている。綱くんは、何か考えるような顔をした後、ニヤリと笑いながら口を開いた。
「……この町案内して?」
「あ、案内? 私が?」
「俺引っ越してきたばっかりだから、案内してくれよ」
「そ、それは出来ない……ごめん。私と町に行ったら……大変なことになっちゃう」
「大変なことって?」
「鬼の子だから……」
「またかよ。そのセリフ聞き飽きた。もういいや、行くぞ」
渋る私の手を握ると、手を引いてそのまま歩いていく。
「私と町に行かない方がいいよ」何度忠告しても、聞き入れようとしない。強引に手を引かれて町に繰り出す。
どんなに酷く腫れた目で登校しようが、私を心配する人はいない。それをわかっているので、ため息を吐いて気持ちをリセットさせた。
同じ制服で楽しそうにお喋りをしながら登校する群れから離れて、私は1人で登校していた。
昨日は話し合いの後、父と母は気にしてくれたりはしない。長男の嫁、主導権を握っている叔母に頭が上がらないのだ。今朝も若干の気まずさを残したまま、家を出てきた。
卒業後もこの町を出られない。絶望感に覆われ、気持ちが沈んでいても、現実はやってくる。
教室までたどり着くと、廊下には、教室から放り出された机と椅子がポツンと置き去りにされている。それは私のモノだ。「鬼の子辞めろ」「鬼の子消えろ」中傷がマジックで落書きされている。
今日はやけに胸の奥がずきッと痛む。心はマヒしたと思っていても、傷口は増えていく。古傷も癒えないまま、新しい生傷が心に増えていく。
気にしちゃだめ。ただの落書き。こんなの平気。
そう何度も呪文のように唱えて、自分を奮い立たせる。そうでもしないと足から崩れ落ちてしまう。「ふう」と息を吐き、少し気合いを入れてみる。いつも通り教室に運び込もうと机に手をかけた。
それと同時に、ふわっと花束のような香りが鼻に残る。背後から声が届く。
「ひっでぇな、これ」
「綱くん……」
中傷を落書きされた机を見下ろして、ため息と言葉を零す。虐められている事が綱くんにバレたことが、恥ずかしくて、この場から逃げたい衝動に駆られる。昨日のクラスの様子から勘付いていただろうけど、クラスに虐められていることを、こんな形で綱くんに知られたくなかった。顔が見られずに俯いてしまう。
「これ、消えるのか?」
「……」
小さく頭を振り、難しい事を伝える。
「そっか……」
「……」
「花純、昨日何かあった?」
「え、な、なにもないよ?」
俯いている私の顔を覗き込み、綺麗な瞳でじーっと顔を見つめてくる。目を合わせて数秒で限界が来て、ふいっと視線を逸らす。逸らしても高鳴る鼓動は収まってはくれない。
「ならいいけど。目冷やせよ?」
きっと泣いてたことがばれている。いや、絶対にバレている。触れてほしくない私の気持ちを汲んでくれたのだろう。それ以上は追及されなかった 廊下に放り出されている落書きされた机に視線を戻す。綱くんは、机に落書きされた部分を手でなぞり、怪訝そうな表情をしている。無言でしばらく私を見つめたあと、教室の入り口に向かって歩き出した。
「なあ! こんなダサいことやったの誰?」
教室を覗き込み言葉を投げかける。クラスの半数以上は集まっているだろうクラスメイトはみんな口を閉ざして誰も話さない。綱くんの問いかけに戸惑っているのが見て分かる。
犯人は分からない。ただ、このクラスの誰かがやったことで、私はクラス中から嫌われている。
それは変えることの出来ない事実だった。
「……犯人が名乗り出る訳ねーか」
「花純、クラス全員から虐められてんの?」
私に視線を戻して投げかけてきた。悪気なく聞いてきたのだろう、直接的な質問には、思わず顔が歪んでしまう。
「あー悪い。言い方悪かったな。俺、慰めるっていうのが苦手で……」
私が落ち込んでいるのを見て焦ったのか、頭をポリポリと掻きながら、なんだか困っているように見える。
「とりあえず、落書き消すか」
「い、いいよ。もう慣れてるし……」
「慣れるわけないだろ。何度やられても、辛いに決まってんだろ」
何を考えているのかポケットから取り出した高級そうなハンカチで落書きを擦こすり始めた。
「綱くん? な、なにしてんの? その高級そうなハンカチ汚れちゃうよ!」
「……」
「ダメだってば! ハンカチは雑巾じゃないのに」
私が静止しようと何度声をかけても、動かす手を止めようとしない。このままでは高級なハンカチが汚れてしまうと、焦りまくりな私は思わず彼の腕をグイッと掴んだ。ようやく動きを止めた綱くんと視線が重なる。
ハッとして、慌ててパッと手を離した。人に触れることに慣れていない肌は熱いままだ。
「ご、ごめん」
「花純は、謝りすぎ。そんな簡単に謝るなよ」
耳に残る低い声が降り注いだ。一瞬止まったはずの落書きを落とそうと奮闘する手は、また動き出した。消さなくていいと何度訴えても、消すのを辞めようとしない。お互いの攻防が始まる。
「こんなことしてなにが楽しいんだろうな」
「……私が悪いんだよ。鬼の子だから」
「花純は悪くない」
「でも……」
「何も悪くないから」
言い聞かせるように何度も『花純は悪くない』そう言ってくれた。その言葉はずっと言われたいと願っていた言葉だ。真っすぐに私の心の奥深くまで浸透していく。
「鬼の子が悪い」「鬼の子が生きてるのが悪い」
散々言われてきた言葉は心に呪縛のように絡みついていた。彼の言葉は、私が悪いという呪縛を溶かしてくれるようだった。
「……ありがとう。せめて、一緒に消させて?」
綱くんがゴシゴシと何度も、何度も、頑張ってくれたおかげで、見違えるように綺麗な机になった。完全に消えたとは言えないけれど、綺麗になった机と椅子。当たり前のように私の代わりに教室の中まで運んでくれた。
「もうこんな事すんなよ」と言わんばかりに、クラスメイトを鋭い目付きで睨みつける。
そんな、綱くんの威圧にたじろいだクラスメイトは、気まずいのか視線を私と合わせようとはしなかった。
「……よいしょっと」
綱くんは机と椅子を運び終えると、一つ前の自分の席に座った。何事もなかったかのように、机の上に肩肘をついて窓の外に視線を向けている。
私も自分の席に座り、久しぶりに暴言中傷の落書きが書かれていない机を手のひらでなぞった。そして、窓の外へ視線を向けてみる。窓から見える空は雲ひとつない青空が澄んでいた。今までと同じ時間、同じ場所から見る景色のはずなのに、全く違う景色のように澄んで見えた。
クラスメイトに注目されているような気がして気が引けしまい、綱くんにお礼を言いそびれてしまった。
その後も、何度もお礼を言おうとしたが、なかなか上手くいかない。
お礼を伝えたいのに――。緊張して声をかけられない……。
悶々とした気持ちのまま放課後を迎える。お礼を伝えたい。心ではそう思うのに、産まれて今まで自分から人に話かけたことがない。どのタイミングで声をかけようか、辺りをウロウロして挙動不審になってしまう。クラスの人だかりがいなくなったタイミングを見計らい、息を呑む。綱くんに決死の思いで声をかける。
「つ、つ、つ、つな、綱くん!」」
盛大に噛んだ上に、声は裏返っていた。恥ずかしさで顔に熱が集まる。
「どうした?」
「き、今日はありがとう。机の落書き消してくれて」
「あー、また落書きされたら消してやるよ」
「ありがとう。本当にありがとう」
何度言っても感謝が足りないくらい感謝している。気持ちを表すように腰を折って、頭を下げた。
「あー、だったら1つお願いあるんだけど」
「なに? 私にできることなら。購買でパン買ってきたり、自販機で飲み物買ってきたり、なんでもするよ?」
「……ははっ。そんなパシリみたいなこと頼まねーよ」
「え、なに?」
私にできることは限られている。綱くんは、何か考えるような顔をした後、ニヤリと笑いながら口を開いた。
「……この町案内して?」
「あ、案内? 私が?」
「俺引っ越してきたばっかりだから、案内してくれよ」
「そ、それは出来ない……ごめん。私と町に行ったら……大変なことになっちゃう」
「大変なことって?」
「鬼の子だから……」
「またかよ。そのセリフ聞き飽きた。もういいや、行くぞ」
渋る私の手を握ると、手を引いてそのまま歩いていく。
「私と町に行かない方がいいよ」何度忠告しても、聞き入れようとしない。強引に手を引かれて町に繰り出す。
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