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16.笑顔は連鎖する。思い出と共に。

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連日の熱い夜を過ごした余韻で遅い朝を過ごすのが日課になっている2人ではあるが、熟睡しているクラヴィスを横目にそっとベットを抜け出して、夫婦の寝室とは別にエアルに用意された部屋へ戻ると朝の準備を整えていたセーラと鉢合わせてしまう。
「…え?お嬢様??どうされたんですか?こんな早くに」
「貴方も朝早いのね~、いないと思って油断したわ」
「そりゃ若奥様は突然おでかけされるお転婆さんですから、いつ何時、何があってもいいように準備しておくのが侍女の務めですから!」
「じゃ、丁度いいわね!街にお忍びで出かけたいの。平民に紛れる装いと家紋なしの馬車の手配をお願いね」
「街に…?!一体なにをするんですか?」
「だから、お忍び、よ。早めに準備をお願い。ラヴィが起きる前に出かけたいのよ」
「…いいですけど、私もついていきますよ。もちろん護衛も連れていきます」
「………なるべく少数精鋭で頼むわ」
「かしこまりました」
クローゼットからシンプルな襟付きの水色の膝丈ワンピースを準備するセーラに先に護衛などの調整を頼むと、ワンピースに合わせた水色のリボンも一緒に渡すとそそくさと部屋を出ていく。
手前にボタンがついたバレエネックのワンピースなので、私1人でも充分に着れそうだ。

ワンピースを着替えて邪魔にならないように髪をポニーテールにしてリボンを結ぶ。
アクセサリーなどは邪魔になるから、つけない方向で。
…ただ、まぁ、結婚指輪は挙式から外した事はないし、そのままでもよいか。

セーラが用意してくれた歩きやすい低めのヒールのサンダルを履いてエントランスまで出ると心配そうに見つめている執事と出会う。

「昼食までには戻るわ。ラヴィが起きたら街に出かけた事を伝えて欲しいの」
「かしこまりました。ですがクラヴィス様と共にお出かけされても宜しいのではないでしょうか?」
「いいえ、それではダメなのよ。ね、お願いよ。行かせてちょうだい。どうしても確認したい事があるの」
真剣な目で訴えるエアルに眉を下げて腰を折る姿を見て、折れてくれたのだと理解してセーラの待つ馬車へと急ぐ。

クラヴィスに黙って屋敷を出ていく事に多少後ろめたさを感じながらも朝市で賑わう街の中心地へ向かった。



「あらあらまぁまぁ!エアル様ではございませんか!」
「あら、アンナ。丁度貴方に会いたかったのよ」
「今日は随分と可愛らしい格好で!まるで少女のようですね」
「ふふふ、ありがとう。お屋敷の使用人たちにもお土産をたくさん買っていくわね」
「いえいえ、昨日たくさん頂きましたから!お気をつかわずに!!」
「昨日は昨日よ。それよりも少しお話しさせて貰っても大丈夫かしら?」
「えぇもちろん構いませんよ。さぁさ、汚い所ですけどこちらの椅子に座って下さいな」
「ありがとう!それからオレンジジュースを頂けるかしら?あと、軽く食べ物が買える場所もあれば教えて貰えると嬉しいわ」
「あいよ!軽食なら向かいのパン屋がオススメだよ。あそこのエビのサンドイッチはクラヴィス様もお気に入りでねぇ」
「そう、じゃあセーラ、買って来て貰えるかしら。アンナとセーラと護衛達と…クラヴィス様もいるかしら…?」
「多めに買っておきますね!」
「ありがとう!」
「私の分はいいのよー。クラヴィス様の奥様は随分とお優しいんだねぇ」
「優しい訳ではないですよ。せっかく貴重なお時間頂いているのだから、お礼の気持ちくらいは返したいじゃないですか」
「やだねぇ、それを優しいって言うんだよ!」
はい、っと絞りたてのオレンジジュースを手渡しながら微笑んでくれるアンナの目はとても優しい色をしていた。
「そうでしょうか?それは出会って間もない私に優しく察して下さるアンナやクラヴィス様の事を言うのだと思うのです」
「…クラヴィス様はエアル様にちゃんと優しくして下さいますか?」
言葉を選ばないストレートな言葉とは裏腹に心配そうに見つめてくるアンナの表情に顔を綻ばせながら笑って返すとその笑顔がアンナにも伝染して嬉しそうに笑った。
「クラヴィス様はちゃんと真摯に向き合おうとしてくれてますよ。人としても、夫婦としても」
「それを聞いて安心しました。…昔からクラヴィス様の事はこの街のみんなで見守って来ましたから、きっと良い領主になるのだろうと成長を楽しみにしていたんですよ。それが…」
「大丈夫、クラヴィス様は聡明でとても優しくて皆さんの事を大切に思ってますよ。…だからこその私との結婚を選んだのだと思います。領地のこと、今後の繁栄のこと、たくさん考えた上で決断してくださったんだと私は思います」
「エアル様…」
「聞かせて下さい。昔のクラヴィス様の話。この街の皆さんが知ってるクラヴィス様を知りたくて今日は1人でお邪魔したんです」
「まぁ!そうだったんですね!でしたら本屋のトーマスも呼んで来ないと!それから肉屋のケビンに…」
「はい!ぜひみなさんと!」
話が途切れる頃合いを見計らってセーラがパンを大量に抱えたご婦人とこちらに近寄って来るのが見えたので、手を振ってみると顔まで覆うほどのパンの隙間から覗いた顔がこぼれ落ちそうな程の笑顔に変わる。

「若奥様、パン屋のご夫人も挨拶されたいとの事でしたので、連れてまいりました」
「あらあら、それはとてもありがたいわね。私からもご挨拶に伺おうと思っていたのよ?」
「とんでもありません!!これ、これね!クラヴィス様がよく食べてくれたパンをお持ちしたの!若奥様もぜひ食べて貰いたくて」
「いいんですか?とってもいい匂い…。ありがとう」
ふかふかのパンに揚げた魚と野菜を挟んだパンを選んで、アンナに向けると、うんうん、と頷いてくれたので、先ほど話に出ていたフィッシュサンドなんだろうと確認が取れ、すぐに口いっぱいに含む。
サクッとした揚げたての食感と新鮮さゆえに臭みのない魚の味と、それを包むように絡まるタルタルソースの酸味とパンの甘味が絶妙な組み合わせだ。

「…おいひい!こんな美味しいサンドイッチは初めてよ!」
「さすがクラヴィス様の奥様だね!わかってらっしゃる!」
わいわいと井戸端会議のように路上で歓談していた様子を見かけたおかげで次々に人が集まり、エアルは穏やかに一人一人に対応して行くせいか、人々は口々にクラヴィスとの昔話を伝えると自然と笑顔の連鎖が広がっていく。


とても愛されているのね。クラヴィス様。
…本当に良かった。
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