サムライ×ドール

多晴

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第一夜『星巡りの夜』

其之十八:片割れ月の記憶

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視界の端に、有明月が見える。
夜明けを連れて来る筈の月なのに、空はまだ暗く太陽の気配はない。

「……………」

綺也之介は首だけを東に向けてうつ伏せに転がったまま、微動だにしなかった。
否、もはや動くことが出来なかった。今彼の体で動いていると言えるものは、引き千切られた左腕から流れじんわりと地面に広がる紅漿べにおもゆ、そして忙しなくチカチカと点滅を繰り返す『ラルモ』と呼ばれる左目のアクセスランプだけだ。

粗雑に両腕を奪われるというのは、言うまでもなく甚大なダメージである。
体の深刻な破損を認めた電脳はデータの保全を優先して動き出しており、綺也之介の脳裏には今、短い稼働時間ながらもこれまで彼が見て来た様々な記録がすさまじい勢いで駆け巡っていた。
それは人間で例えるならば、死に際の走馬燈と呼ばれるものなのだろう。

体を動かす機能はまだ生きている。しかし、そもそも電池残量が心許なかったところに大きなダメージを受け、安全装置が働いたことで体の保護のために更に多くのエネルギーを消費し、そのうえ電脳の処理の大半をバックアップに持っていかれている。
今の綺也之介はまさに満身創痍であり、起き上がって行動する余力は無かった。

ふと、電脳がとある記録の処理に取り掛かった時、それを優先的に分析せよという指示が出た。
つまり、現状で何をすべきか、その最適解に必要と判断された記録である。バックアップの最中でも、常駐プログラムは動いているのだ。体が動かない今となっては無用の演算とも思えるが、綺也之介はその指示に従う選択をした。
彼はまだ、起き上がることを諦めてはいなかった。


──二十日ばかり前の記録である。

梅雨の晴れ間の、静かな夜だった。
綺也之介は徳利を手に、天岐多邸の縁側で太一とともに空を見上げていた。しっとりとした空気を孕んだ風の中、夜空を皓皓と照らしていた上弦の半月がゆっくりと雲に覆われていく。

『…おーお!月が隠れたなぁ』

辺りが暗くなってしまったのとは反対に、太一の声はどこか明るい。
隣にちょこんと正座する綺也之介は、そのどこか矛盾した言葉と口調にどう返すべきか少し考えた後、一般的な感覚に基づいた相槌を打った。

『……残念ですね』
『んん?そんな事ぁねえさ。むしろ隠れてくれて良かったぜ』

しかし帰ってきたのは、予測とは反する返答だった。左目のラルモが点滅し、綺也之介は首を傾げる。
一般的な感覚や常識はデータとしては持っているものの、作られて間もない綺也之介にとって、この主人の言動にはどうにもまだまだ測りかねる部分が多い。

『…月見酒ではなかったのですか?』
『いんや、俺が見てぇのはむしろ星の方なんでなぁ』
『…星、ですか』

太一が空の盃を差し出してきた。こういった仕草は分かりやすいので、綺也之介は迷わずそっと徳利を傾けとろりとした酒を注ぐ。
盃に口を付ける直前、ふと思い出したように太一が言った。

『綺也之介、知ってるか?俺の名前の「太一」ってなぁ、北極星の事らしいぜ』
『…大陸で崇拝された天の神の名ですね。元は宇宙の根源を表す概念であったものが、天の中心である北極星に結びついて神格化されたと…』

流石にデータは豊富だなぁ、と感心したように目を輝かせて微笑むと、太一は一気に盃を煽った。

『そんな御大層な名前を貰ったからかもしれねぇな…俺は昔っから星が好きでなぁ。逆にあんな半分っきりの姿で星を隠しちまう月が小憎たらしくてならねぇ。…そりゃあ確かに綺麗だが、ちっとばかし眩しすぎやしねぇかい?折角の夜だってぇのにああも照らされちゃあ、無粋にさえ思えてくるぜ』
『…そうなのですか』
『おっと、お前ぇにとっちゃあ月は守り神様だったなぁ。…いや、俺達にとってもそうか。わっはっは、月にも悪口が聞こえちまったかねぇ?どうか気を悪くしねぇで貰いてぇもんだが』

笑いながらしれっとそう言った後、太一はどこか遠くを見つめるように夜空を見上げた。
綺也之介もそれに倣って空を見上げると、横から低く太い声が、どこか夢見がちな色を纏って聞こえてくる。

『星は良いぜ。眺めてると人間のいざこざなんかちっぽけなモンだって………ああクソっ、雲のヤツ星まで隠し始めやがった。…ったく上手くいかねぇもんだなぁ』

珍しく静かに始まった口調は、あっという間に気まぐれな空への悪態に変わった。
次第に広がってきた雲は、星明かりの中でも黒い色をしているのが分かった。夜半過ぎにはまた一雨来るのだろう。
ふと視線を感じ太一の方を見ると、主人は優しい微笑みを浮かべながらじっと綺也之介を見つめていた。

『そういやお前も名に星が入ってるな。織星おりほし綺也之介きやのすけ…良い名じゃねえか、なぁ?」
『……、…ありがとうございます』

ふと、電脳が急に熱を持ったような感覚を覚え、排熱のため一呼吸置いてから答える。
それが「嬉しい」という感覚である事をこの時の綺也之介にはまだ理解できなかったが、褒められているということは分かったので素直にお礼の言葉を返した。

『もうじき七夕だ。今年の7月7日は暁月らしいから、晴れればきっと星が綺麗に見えるぜ。…綺也之介、その時はまたこうして、一緒に星を見ながら酌をしてくれや』
『…はい。お役目、受けたもう』
『やれやれ、固ぇ固ぇ』

そう言って、太一はまた屈託なく笑った。
大きな掌が伸びて来て、綺也之介の頭をくしゃくしゃと撫でまわす。触れられているのは頭だけの筈なのに、暖かいものに胸の奥まで包み込まれていくような感覚。その感覚を心地良いものと判断して、綺也之介は猫のようにその大きな目を細めた。
じんわりと暖まった胸の奥に、まるで宝物を隠すように太一の言葉が織り込まれていく。

『綺也之介、お前ぇは人間の赤ん坊と同じだ。これから色んなことを見て聞いて、知って考えて、悩んで迷って…そうやって成長していくんだろうさ。だがな綺也之介。お前ぇが星みてえにどんだけグルグル回っても、俺はいつでもここにどっかと座って待っててやる。だから…ちゃんと帰ってこい。ここに帰って来いよ、なぁ綺也之介…』──。



「…太一さま」

記録の分析が終わると、綺也之介はバックアップの処理を強制的に中断した。
彼の中で再び、今度は今取るべき行動の最適解を求めて膨大なデータの処理が進められていく。

──行かなければ。

次に、先ほど肩越しに見上げた太一の表情の分析に取り掛かった。
目覚めたばかりの細い月を挑発するような、あの不敵な笑み。

『其は魔性の化身にして 人心惑わす禍物也
 清浄なる郎月の光明のみ その邪気祓い清めんと言ひ継がひけり』

それは、『あの刀』についての記述とされるある古文書の一説だ。

──あなたが月を疎んじたのは、それが理由では無かった筈。

大好きな星を月の光が隠してしまうから。ただそれだけなのだ。
断じて月を敵視しているからではない。あの人があんな表情で月を見上げるわけがない。

──自分はどうしたらいい?今の自分に何が、どこまで出来る?

『追いかけろ』とプログラムが指示を出す。
『否、不可能だ』と体が電脳に反論する。

二つの相反する指示が絡まり合い、演算効率を落としにかかる。


そんな中、電脳が次に処理に取り掛かったのは、一人の少女の記録だった。
星を隠してしまう月が厭わしいとあの人と同じことを言い、あの人と同じように天真爛漫に笑った少女。
他でもないあの人が、彼女を連れ去ってしまった。弱々しくへたり込み呆然と動けずにいる彼女を、あの人はあたかも人形にそうするように軽々と抱き上げ、闇の中へ消えていった。

──…救わなければ。『あの刀』から、あの二人を──!


「───小紅殿」

少女の名を呼んだその時、急に綺也之介のラルモが激しく点滅を始め、電脳が軽快に演算を始めた。奇しくもちょうどこの時、電池の残量が一定値まで下がったために予備電源に切り替わったのだ。
出力が八割程度まで戻り、何とか起き上がろうと尺取り虫のように体を縮めて藻掻く。しかし、両腕を失い電脳とのバランスをまだ修正できていない体は、やはり予測通りには動かない。

──やはり、何もできない。

綺也之介の中で、ついにそんな結果が導き出されようとしていた。


とその時、ジャリ、ジャリと音を立てて、人の足音が近づいてきた。足音は何かをズルズルと引き摺るような音を伴って、綺也之介の前に立つ。
顔だけを上げた綺也之介の視界に入ってきたのは、何者かの足元。その両側には動かなくなった二体のドールが引きずられている。
太一に機能停止させられた、塗雲煌兵衛と降星彗光だった。

どしゃり、と二体のドールが綺也之介の前に投げ出される。
足音の主はしゃがみ込むと、綺也之介を見下ろしながら何事かを呟いた。

「…──、─────…」

それはどこか嘲るような憐れむような口調だったが、その言葉の内容は綺也之介の中には記録されていない。


織星綺也之介の『記録』は、ここで一度途切れることとなる。



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